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期待外れは続いた。
次にやって来た依頼人は、若い女性だった。製造業の仕事で工程管理の仕事をしているが、どうしても納期が間に合わないため、いっそのこと工場を燃やしてしまいたいという相談だった。有理は女性を励ましつつ、まずは上司に相談しろと正論で諭した。
その次の依頼人は大学院生の男で、学会発表があるのだが、人前に立つのが苦手すぎるのでどうにかして欲しいという依頼だった。その青年のあがり症ぶりに同情したのか、有理は彼に「聴衆がじゃがいもに見える呪い」をかけてやっていた。
「今日はダメな日かも」
青年を笑顔で送り出すと、有理はため息をついた。困ったように眉毛を下げて、水晶玉を覗き込む。
「まだまだ淡い。最近、小さい仕事ばかりだし」
天使であるミナは、悪魔の相談所の料金体系については、実はあまりよく理解していない。純粋な悪意に根ざした依頼ほど高額らしい。しかし有理によると、純粋な悪意を持ちうる人間は世の中にはあまりいないという。
依頼者から得た魂は、水晶玉に溜まっていく。魂が満ちるほどに、水晶玉は濃い紫色に染まっていく。覗き込んだときに反対側が見通せないほどに濃くなると、水晶玉は悪魔を「生まれ変わらせる」ことが出来るようになるという。そのために悪魔は地球の各地で、水晶玉に魂を集めているという。ミナは以前、生まれ変わりたいのかと有理に問うたことがある。悪魔の答えは「分からない」。
「でも、悪魔に生まれついたからには、他にやることもないし」
有理はほんの少しだけ目を細めた。
「この人生、目的がなければ長すぎるしね」
チャイムが鳴った。
「もうひと頑張りしますか」
再び有理が顔に営業スマイルを貼り付ける。テキパキとした足取りで玄関に向かい、ドアを開けた。ミナは台所へ、依頼人に出すお茶の用意に向かう。
依頼人は若い女だった。二十歳前後であろうか。肩の上までの茶髪、薄手のベージュのコート、黒地に花柄のロングスカートにスニーカー。一見すると普通だが、よく見ると、どこかアンバランスな感じがする格好だった。茶髪には地毛の黒色が覗いているし、コートの袖は擦り切れているし、スニーカーは薄汚れている。爪は長いが色はのっておらず、メイクは派手で、どこか不自然に見えた。
そして天使のミナが思わず顔をしかめてしまったほど、思い詰めた表情をしている。
「初めまして。悪魔の人生相談所、相談員で悪魔の佐久間です。こちらはアシスタントのミナです。本日は本相談所を選んでいただきまして、ありがとうございます」
有理は女に名刺を渡す。白い厚手の上質紙に、金字で名を印刷したものだ。女は戸惑ったように名刺を受け取ると、印刷された文字に目を走らせた。
「すみません、名刺を持っていなくて……」
「構いませんよ。さっそくですが、本日はどのようなご用件で?」
「あの、相談に乗っていただきたくて」
女は高畑華子と名乗った。
「あの、好きな人と一緒に死にたいと思って、それを実行するのは悪でしょうか?」
次いで高畑はこんなことを訊いてきた。悪だろう、とミナは思う。隣を見ると、有理の瞳は猫のように細められていた。
「私はただの悪魔です。哲学や倫理学の教養はありません。なので、個人的な所感にしか過ぎませんが、それでも自ら進んで死を望むのは無条件に「善」とは言えないでしょう」
「そうですよね」
高畑は太ももの上で拳を握る。
「しかし、心中ものは大昔からフィクションの定番です。思うくらいは、誰にでもあることなのではないでしょうか。高畑さん、あなたは実行したいのですね?」
「ええ」
高畑は顔を上げた。
「「悪」と私が言ったら実行しないつもりですか?」
「いいえ。実行する覚悟はしてきました」
「なら、実行するだけですね」
有理は口角をあげる。悪魔の笑みを、依頼人の高畑は魅入られたように見つめている。
「はい」
頷く高畑の顔には、今や思い詰めた表情はない。
「あの、少し待ってください」
ミナは思わず口を挟んだ。二人の視線がミナに集まる。
「死ぬ死なないの前に、まず、どうして高畑さんがそう考えるようになったのか教えていただけませんか? そもそも相手の方、一緒に死にたいという方は、そのことを承知しているのですか?」
問うと、高畑は気まずそうに目を逸らす。
「彼は……何も知りません」
「それって、無理心中ってことじゃないですか?」
「そうですけど、でも、そうでもしないと、彼は私のことを見てくれないんです!」
高畑はふいに声を荒らげる。
「ちょっと待って、それって、どういうことです?」
ミナは思わずこめかみを押さえた。好きな人と行う心中というものは、愛し合った恋人同士が、ままならない運命に抗うために死を選ぶ、というものではないのではなかったのか。
「すみませんが、高畑さんとその男性の方とのお話をお聞かせくださいませんか? 心中の計画を立てるのはその後でも構わないでしょう?」
高畑はしぶしぶと頷いて見せると、「彼」との関係について語り出した。
彼とは中学校で出会いました。同じクラスで、気づいたら好きになっていました。でも、中学生の頃って、男子は男子、女子は女子でかたまっていることが多くて、特に一緒に遊んだりってことはできませんでした。でも、好きな気持ちは変わらずに、高校進学の際は彼と同じ高校を選びました。
高校ではクラスも一度も一緒になったこともなくて、部活も彼はラグビー部で、マネージャーになろうかとも思ったんですけど、それもなんだか気恥ずかしくて。二年生の夏に、彼は後輩の女の子と付き合い始めて。ショックでした。後輩の子が羨ましかったです。一緒に登校したり、図書室で勉強したり、お弁当作ってあげたり。でも、高校生の恋愛って、儚いものですね。次の春が来る前には別れていました。そして受験期になり、私は友人の情報網を駆使して彼の進学先をリサーチしました。そして同じ大学に進んだのです。同じ大学に進んだ生徒は、四人だけでした。
でも、大学に進んでも、私と彼との接点はなかなか生まれませんでした。私は常に彼を観察し、話しかける機会を探っておりましたが、なかなか糸口をつかめません。私が手をこまねいているうちに、ついに彼に新たな彼女ができてしまったのです。つい先日のことです。
私は悟りました。
彼に振り向いてもらうには、もう強硬手段に出るしかない。私は六年間、彼を思い続けてきました。この思いを昇華するためには、彼と一緒に死ぬしかない。誰よりも彼を思ってきた私には、彼と死ぬ資格がある。
高畑は語り終えると、湯呑みの茶を一気に飲み干した。