4 アリディアの婚約者 (後編)
「ジュリアス殿下は元気だったか?」
家に帰宅すると、兄セラフィーがアリディアの部屋で寛いでいた。
ソファに座るその手には、マーサ垂涎の小説が。
「…………」
何処からどうツッコミを入れたらイイのか、アリディアには分からない。
妹の部屋に無断で入った事か、マーサの小説を読んでいる事か。
「ソレ、面白い?」
どう返してイイか分からなかったアリディアは、小説の方が目に付き優先してしまった。
「質問を質問で返すな。ものスゴく気持ち悪いな」
と小説をテーブルに放り投げながら、感想はしっかりと返してくれる辺り、優しい兄である。
放り出すくらいなら、読まなきゃイイのに。
「ジュリアス殿下なら、お元気よ」
互いに気遣うくらいなら、少しくらい時間を作って会えばイイのに。
「手紙でも渡しましょうか?」
「恋人じゃあるまいし、気持ち悪い」
心底嫌そうな表情のセラフィー。
恋人ではなくても、近況の報告書くらいは書くのだから、一筆書けばイイのにと思う。
「あぁ、そうだ。この小説でも渡して貰おうか」
「そんなの、ただのイヤガラセじゃない」
そんな冗談を言う兄に、アリディアは呆れて笑った。
ジュリアス王子にこんな小説を渡したら、渡した私の品格ももれなく下がるではないか。
「イヤガラセも家臣の仕事だ」
「どんな仕事なのよ。さぁ、着替えたいので出て行ってちょうだい」
この兄はいつまで居座るつもりだ。
着替えもできやしない。
「冷たいな、久しぶりに会った我が妹は」
「では、肩でもお揉み致しましょうか? お兄様」
「気持ち悪い」
肩を揉む様な仕草をすれば、兄セラフィーは心底嫌そうな表情をしていた。
「ジュリアスとは上手くいっているのか?」
「何よ。急に」
全く部屋から出ようとしない兄。その代わりに珍しい事を口にした。
「これでも一応兄としては、心配しているんだよ」
こんな事、今まで1度としてなかったのに珍しい。
「つつがなく?」
「本当にか?」
心配する様な事はとりあえずはないと、アリディアは言ったつもりだが、兄セラフィーは再度訊いた。
「逆に何かあるの?」
普段聞かない兄にそう言われれば、逆に何かあるのかと心配になる。
「何もない事が……な」
そう言って温くなった紅茶を飲んだ。
上手くいってはいても、婚約を交わしてから結婚まで、普通ならば不満の1つくらいはあるものだ。
なのに、妹からは何1つ聞かなかった。
言えない環境にした訳ではないが、自分が知らないままで結婚させるのであれば、不憫だと感じたのだ。
「同窓生だったら、何か不満もあったのかもしれないけど、ジュリアス殿下とは5歳も離れているし……私が言うのもなんだけど……だ、大事にしてくれていると思うわ」
アリディアは顔を背向けて、ボソボソと言った。
多分、頬が紅くなっている自信がある。
自惚れではないと思うくらいに、ジュリアス王子は優しい。
「そうか、ならイイ」
妹の惚気の様な台詞に、兄は揶揄する事もなかった。いつもの兄なら揶揄いそうなものだが、しないくらいには心配してくれていたのだろう。
「本当にどうしたのよ?」
「女っ気のなかったジュリアスが、お前を婚約者として扱えているのか……と、気になったんだよ」
「お兄様と一緒にされても困るんですけど?」
兄セラフィーは眉目秀麗。地位も名誉もある。
モテない訳がなく、女性とそれなりの浮名もあった。だが、ジュリアス王子は全く聞かない。
アリディアが婚約者になる以前からも、あまり聞かない。後々面倒になるからだと、人伝に耳にした事はあったが。
兄セラフィーからしたら、遊べる時期に遊ばなかったジュリアス王子が、女性と上手くやれるのかが心配だった様だ。
「親友を信じたらどうです?」
兄セラフィーとジュリアス王子は、竹馬の友、いわゆる幼馴染みである。
妹の自分より遥かに見知っている筈だ。
「アイツの親友である前に、お前の兄なんだよ」
そう言って立ち上がった兄は、ポンと優しく妹の頭を叩いた。
「人の心配より、お兄様もいい加減身を固めたら如何です?」
侯爵家の跡取りなのに、婚約者が決まっていない。
両親は兄が男だからと心配してはないし、焦りもしない。吟味しているんだろうと、兄自身に任せている始末だ。
「あ〜頭が痛い。失礼するよ」
小さく笑いながら右手をヒラヒラとさせ、兄セラフィーは部屋から出て行った。
頭が痛いって酷い言い訳だわ、とアリディアはそんな兄に笑うのであった。
◇*◇*◇
「サマリー様、結局保留なんですって」
学園の昼休み中庭のベンチで寛いでいると、用事を済ませて来たナナリーが合流した。
「保留なの?」
結局、浮気くらいでは婚約解消には至らなかったのか。これが逆なら、即刻破棄だし慰謝料やら賠償金やら問題になっていた処だ。
男はイイわねと思いつつ、アリディアはサマリーに同情する。
だって、弟にすげ替われる好機だったのだから、さぞかし残念だったに違いない。
兄がやらかしたからと言って現実は辛く、小説の様には上手くいかない様だった。
「サマリー様はガッカリでしょうね」
ある意味、思惑が外れたのだから。
「それが、意外とそうでもないらしいわよ?」
「どういう事?」
「マック様。今回の事で次はないと分かり、ものスゴい気迫を感じられるとか。サマリー様やそのご家族にもしっかりとした謝罪があったとかで、サマリー様も上機嫌なのよ」
「ノック様はもうイイの?」
自分が心配する義理はないが、弟に懸想していたのならヌカ喜びした分、ガッカリな筈。
「萌え対象と結婚は別なんですって」
「あ〜そう」
ナナリーは苦笑していた。
ノックは恋愛対象ではなく、萌え対象として見ていたらしい。
その萌え対象もいずれは結婚する訳だが、それはイイのかな? とアリディアは内心首を傾げる。
まだまだ、勉強不足だなと溜め息を吐きつつ、自分は一体何を勉強する気だと、すぐに自分にツッコミを入れていたアリディアだった。
◇*◇*◇
「ふむ。完璧だわ、アリディア」
次の日、王妃様からの試験は見事パス出来た。
得意な語学が多かったおかげだった。
「ありがとうございます」
「だけど、寝不足は良くないわね。お肌に良くないわ」
「はい、申し訳ありません」
試験なんて言うから、復習したから寝不足だったのだけど、バレてしまった。
大体、学園の勉強にお妃教育とか鬼ですか。
学園の試験の順位だって上がっても当然だと言われ、下がれば何やってんだとお小言が始まる。
鞭ばかりで、たまには飴が欲しい。
「王妃ともなれば、美も磨かなければなりません。他国の妃より、劣るなんて我が国の恥。寝る間を削るなんてもってのほか」
「はい」
ヤダー。お小言タイムに入っちゃったよ。
大体、良質な睡眠を摂って欲しいのなら、精神的圧を掛けるのをヤメて頂きたい。
そうして頂けたら、毎日グッスリと眠れるのに。
長い長いお小言タイムに、表情はキリッと内心ヘロヘロのアリディアの前に、神の声が響いた。
「母上。私のアリディアを虐めないでくれないか?」
神、それは我が婚約者様のジュリアス王子だった。
「ジュリアス、女性の自室に勝手に入るなんて不作法、教えた覚えはありませんよ?」
シレッと入って来た息子に、王妃は不機嫌そうな声を上げた。
「ノックも声掛けもしたのですけどね。気が付かない程に話に夢中になられていたのでしょう。もう、話される事がなければ、アリディアを私に返して下さい」
「今日はもうイイわ。アリディア、今日の試験結果で慢心せず精進なさい」
「はい。王妃様」
可愛い息子に言われたら仕方がないのか、気が逸れてお小言を続ける気分ではなくなったのか、どちらにせよアリディアは開放された。幸運でしかない。
「母上の話は昔から長いからね。アリディアも上手く逃げないと」
「では、ご教授を」
アリディアの帰宅時間まで少しだけある。2人は馬車の待つ門扉までゆっくり話ながら歩いていた。
タダでさえ、厳しいのに将来義母になる方。
どうあしらって、あのお小言から逃げきるのか、逆に知りたい。
「私に呼ばれているとか……無理か」
ジュリアス王子は提案しながら、即座に苦笑いしていた。
自分に呼ばれていると言った処で、あの母に何度も通じないだろう。言うアリディアも緊張するに違いない。
「そう言って逃げた時、口裏を合わせて頂けますか?」
「勿論だよ。ディア」
おずおずと言ってみれば、ジュリアス王子は優しく頭を撫でてくれた。
アリディアも王妃様から長いお小言や話が始まった時に、逃げ道があると言うだけで心強いなとホッと胸を撫で下ろしていた。
「あ、ジュリアス殿下」
「なんだ?」
「以前、言いかけた話は何でしょうか?」
話があると言っていたのをアリディアは思い出したのだ。
今なら時間がある。ジュリアス王子は忙しい方だ。時間が出来た時に聞いておきたかった。
「あ、あぁ、今日はイイ」
ジュリアス王子は頭を掻き、アリディアから少し視線を外した。
「ジュリアス殿下?」
言いづらい事なのだろうか?
周りに少なからず人がいる。だから、言えない事なのだろうか。そう考えると余計に気になった。
「近い内に……ルーカス。アリディアを屋敷に送れ」
人目のいない所に行きますか? と視線で促したつもりだったのだが、通じなかったのか、それとも言いたくなかったのか話を逸らされてしまった。
無理に聞く訳にもいかず、アリディアはジュリアス王子に頭を下げルーカスに送られて帰るのであった。




