2 兄と妹
「不敬極まりない発言だったわ」
と口に出してはいたものの、アリディアは別段腹を立ててはいなかった。
婚約者であるこの国の王子とは、割と仲が良いからだ。愛を語り合う事はないけれど、良好な関係だと思っている。
市井で何が流行るかなんて分からないけれど、自分に関係のない話だから、素直に面白いと言えるのだろう。
平民がプリンセスに成り上がるなんて話は、庶民からしたら憧れで夢の様な話だろう。
しかし、実際にこの小説の様に、平民と王子が上手くいくとは思えない。
別に平民を悪く言うつもりは一切ない。けれど、借りた小説に出て来る奪う側の平民は、面白いくらいに頭がお花畑の少女が多い。
最低限の教育さえも怪しい。そんな彼女を立場のある人の妻にするのは如何かと思う。
若いうちは可愛い可愛いで済む事も、歳を重ねていけばイタイおばさんでしかない。
まぁ、この手の小説の最後は必ず、お花畑の平民は断罪されているけれどもね。
「そう言えば、学園での出来事を話すのを忘れちゃったわ」
話せば絶対に、マーサは食い付くに違いない。
まぁ、詳しく話せる程の情報はまだないけれど。
「出迎えもなしか」
マーサが置いていった小説をペラペラと捲っていたら、頭上から呆れた声が降ってきた。5歳年上で婚約者と同窓生の兄である。
「あら、お兄様おかえりなさい。しかし身内とは云え、私も年頃の娘なので、一応ノックはなさってくれます?」
「扉が全開なのにか?」
そう言って兄セラフィーは、入り口に向かって親指で差した。
どうやらマーサが慌てて出て行ったままで、部屋の扉はずっと全開だったらしい。
「…………」
あの子、本気でクビにしようかしら?
「何を読んでいたんだ?」
そう言うと、アリディアの答えを待つまでもなく、ヒョイと読んでいた小説を取り上げた。
「…………」
小説に目を通した兄は、渋い表情をしていた。
ざっと内容を見た兄が、それを見て何を感じたかアリディアには想像出来る。
「コレから何を学べた?」
「お兄様が普通で良かった……と」
兄セラフィーは結婚はまだだが、それなりに浮いた話はある。
勿論相手は女性だ。兄に男色の趣味はない……と思う。
「アホ」
そう言ってセラフィーは、アリディアの頭を小説でパシリと軽く叩いた。
「お兄様は今回はいつまでコチラに?」
国境沿いを護る侯爵家の別邸に住む兄。
2ヶ月に1、2回程、王都にあるこの本邸に報告や様子を見に来る。いつも通りなら1週間も経たない内に、戻るに違いない。
「あぁ、とりあえず3日くらい……」
兄の言葉が、アリディアの部屋の一角にある小さな本棚で止まった。
この間来た時は、こんな異様な雰囲気は漂っていなかった。
セラフィーの記憶が確かならば、そこは本の間に小さな香水やぬいぐるみが飾ってあった筈だ。なのに、今は大衆向けの小説がギッシリと並んでいた。
「マーサか」
その本棚のラインナップを見て、兄はすべてを悟った様だった。
「市井で流行っているんですって」
「男同士のアレやコレがか?」
「詳しいわね。お兄様」
中身を開いて見てもないのに、題名だけで分かるなんて見た事でもなければ、分からない筈だ。
「ガナンの娘達もハマっていてな。最近、私を見る目がどうもいかがわしい」
「お兄様も大変ね」
ガナンとは、国境沿いの街を守っている騎士団長。
その辺境地に戻れば、例え嫌だとしても会う機会は多い筈だ。娘達が兄と騎士団を見て、いかがわしい想像をしているのだろう。
「女同士の小説を貸してやろうか?」
「まぁ! 持っているの!?」
だとしたらアリディアは少しばかり、兄に幻滅する。自分はさて置き過ぎだけど。
「アホ、私じゃない。ガナンの娘達が山程持っているんだよ」
「趣味の幅が広いわね」
男同士も女同士も許容範囲ですか。
「マーサと気が合いそうだな」
「無理だわ。マーサは男同士オンリーだもの」
女同士の小説は、完全に拒否している。
男同士の話に花は咲くだろうけれど、女同士については断固拒否する派だ。
それを聞いた兄は、何かを払拭するかの様に遠くを見ていた。
「私には分からん」
「分かられても困ります」
そう言って、この生産性のない会話に疲れた兄は、来た時よりもゲッソリして部屋から出て行ったのであった。