1 世間は婚約破棄ブームなのか?
「お前との婚約はココで破棄する!!」
王都にある古い学園のとある一角で、そんな宣言をした男がいた。
ーーうっそぉ!!
本当にこんな公の場で、そんな事をやる人がいるとは思わなかったアリディアは、驚愕より先にワクワクしていたのは内緒だ。
こんな、その他大勢が見ている前での宣言。
言った本人は言ってやったぞと、実に満足そうだし、腕に絡んでいる女子はウットリしている。
自己陶酔って言葉がよく似合う2人である。ある意味ではお似合いだ。
彼女の教科書を破いて捨てただの、靴を隠しただの、下らない口上が次々と男から上がっていた。
注目されて勘違いした2人は、ますます酔いしれていて、呼び出された男の婚約者にまだ続けている。
だが、今一度2人の世界から戻って、観客と化した生徒達の目を見て欲しい。
好奇の目と不憫そうな目。憐憫の眼差し嘲笑している者達。
どれを1つ取っても、2人の所業に賛同なんかしていないし、小馬鹿にしているのが明らかである。
どうして、こうなったのだろうか?
何故、こんな公の場で婚約者を断罪しなければいけないのか。
婚約者の女性を罵るその傍で、腕に他の女性を抱いている。浮気したヤツがどの面を下げて罵るのか。
1番悪いのは、浮気したお前達だろう。そんな事も分からないなんて、頭がお花畑なのかもしれない。
大体こんな所で、婚約者に辱めを与えるのも良くないけど、せめて浮気相手は連れて来るなよ、と思う。
アリディアは面白いモノを見られたと思いつつ、関わりたくないので、つい上がってしまう口元を手で隠しながらその場を去ったのであった。
その笑って去った女性は【アリディア=サーディスク】。
古く遡って行けば、隣国の王女の血が混じっていると言われている由緒ある家。それが我が家サーディスク侯爵家だ。
国境沿いにある街カルストを護る要とされていて、侯爵家の中でも1番発言力があり、王家からの信頼も厚かった。
本邸は王都リベラルにある。その侯爵の令嬢であった。
◇*◇*◇
アリディアが帰宅すると、早速とばかりにパタパタと廊下を走る音が響いた。
「マーサ! 廊下は走るんじゃありません!!」
「あっ、申し訳ありません!」
侍女頭に叱られた侍女マーサは、足を止め少しめくり上がった裾を直すと、早歩きに変えスタスタととある部屋に向かって行った。
ーーバタン。
「お嬢様。見て下さい! やっと新刊が出ましたわ。先にお読み下さいませ!!」
「マーサ、ノックはどうしたのよ。そして、前から言ってるけど扉は静かに開けなさい」
なんなら、開けた扉は閉めて欲しいのだけど?
部屋で寛いでいたら、侍女がノックもせずに入って来た。普通なら、処罰対象だ。
だが、この部屋の主アリディア=サーディスクは、ノックもせずに扉を開け放ったマーサに注意しつつ笑っていた。
一応体面上、注意はしたものの、呆れてはいるが怒ってはいなかった。昔馴染みで友人に近い感覚だったからだ。
「リーオの新刊ですよ! 新刊!!」
そう言って、侍女のマーサが嬉々としてアリディアに差し出したのは、市井で流行っている小説。
ものスゴい人気があるのか、新刊が出ると女性が本屋中に殺到するらしい。
その新刊が手に入ったと、マーサは小躍りしていた。
【令嬢リリアンの婚約破棄】
「また、婚約破棄モノ?」
マーサが手渡す新刊小説に目を落とすと、アリディアから思わず溜め息が漏れた。
何年くらい前か知らないが、何が面白いのか巷では婚約破棄モノや虐げられる令嬢、それを乗り越えたザマアなる小説が流行り始めたのだ。
似たような小説は沢山ある。しかし、どれもコレも何故か面白くついつい買ってしまう様だった。
小説は庶民向けに面白可笑しく書いているのだろうが、当事者になり得る侯爵令嬢のアリディアからしたら、他人事として読めない。
他人事と割り切れば、面白いのは確か。だが、割り切れる程、精神が出来ていない。どれも意外とありそうな話が並んでいた。
「ねぇ、常々思うのだけど、マーサは私が婚約破棄になるのを望んでいるの?」
アリディアは小説をペラペラとめくりながら、呆れた様に言った。
流行っているかいないかはともかく、侯爵令嬢の私にコレを薦めるその神経が全く理解出来ない。
私の婚約者を誰と心得ているのよ。
ちなみに人気小説の定番中の定番は、王子を婚約者に持った御令嬢が、平民の少女を虐めたと婚約を破棄されてしまう話。
百歩譲って、本当にその少女とやらを虐めたとしよう。さらに百歩譲って、それを理由に婚約破棄も致し方がないとする。
だからといっても何故、その少女が王子と結婚なんて出来るのかな?
王子が少女と浮気なんかするから、少女を虐める原因になった訳で、王子はそれを理解しています?
事情を知るまともな大人達が、祝福なんてするのかしら?
婚約者がいるのに粉を掛けた女と、王命を理解出来ずにその女に入れ上げた男。国家転覆がすでに見えている。
王妃教育の意味とか、婚約の意味とか、王子はもう一度生まれ直して考えてコイ。
「考え過ぎですわ。アリディアお嬢様」
「そうかしら?」
「そうですわ」
マーサはニッコリ笑って、そう言ったけどアリディアは俄かには信じられなかった。
何度考え過ぎと言われても、どうしてもそうは思えない。だってこの人、面白がっているんだもの。
本当に婚約破棄にでもなったら、貴方を真っ先にクビにしてあげる。
「ねぇ……どうでもイイけど、コレ、浮気相手が【男性】なんだけど?」
小説に軽く目を通したアリディアは、この小説に出てくる侯爵令息の浮気相手が男だと気付いた。
女に対しての浮気とてアウトなのに、男ですか。小説でも笑えない。
「いやァァ、アリディア様!! ネタバレはヤメて下さい!!」
耳を塞ぎ、悲鳴の様な声を上げたマーサ。
まだ読んでない内容に触れ、楽しみの1つが奪われたと嘆いていた。
「ネタバレが嫌なら、先に読めば良かったじゃない」
新刊が出るたびに、律儀に1番にアリディアに渡すから、そうなる訳で……。
先に読ませろとは一言も言ってないのだから、勝手に読めばイイ。なんなら、貸さなくても問題ない。
毎回毎回、手渡されるから暇潰しに読むだけで、特に進んで読みたい訳ではないのだ。
「大体なんなのよ、この小説。浮気相手が男なら、後継ぎはどうするのよ? え? 弟に譲る? そんな簡単に次期当主を替えられると?」
さらにペラペラとページを捲ったアリディアは、小説の内容に呆れていた。
兄が男色だから、弟に譲るらしい。
サインしたら、ハイ完了ではない。
色々と手続きもあるし、引き継ぎもあるしでやる事は山程ある。それも全部、弟に丸投げかい。なんて兄だ。
「弟も婚約者もイイ迷惑だわ」
「いやぁぁ!! アリディア様、それ以上内容をおっしゃらないで〜!!」
もはや絶叫の侍女マーサ。
叫ぶマーサを余所に、アリディアは小説をペラペラ捲り、ザックリ読んでしまった。
「この間、置いていった【先読み令嬢】の方が面白かったわね」
「結局、全部読んでるんじゃないですか〜」
マーサはグスグスと泣きべそをかいていた。
「あれば読むわよ。でもマーサ。最近持って来るのが、婚約破棄の小説が多いけど、私に読んでどうしろと?」
こんなモノを侯爵令嬢に読ませて怒られないのは、多分マーサくらいなものだ。
普通だったら、どういうつもり!? ってキレられるのがオチである。
「今、市井の女子に流行っているんですよ」
「ふぅん?」
だから、何? とアリディアは思ったのだが、大人なので飲み込んであげたわよ。
「特に流行っているのはコレです」
そう言ってポケットから、一冊の小説を出した。
【聖女じゃなかったので、王宮でのんびりご飯を食べることにしました】
「何コレ? え? 23巻まで出てるの?」
そうなのだ。アリディアに手渡されたのは最新刊の23巻であった。そんなに続く程に面白いのかと、チラッと興味が湧いた。
「そうなんですよ〜。婚約破棄モノではないんですけど、出てくる王様が超絶カッコよくて〜」
「あぁ、そう」
本物の国王陛下をつい思い出し、アリディアは虚空を見てしまった。
現国王は、お世辞にもカッコイイとはいえない。どちらかと言えば、人の良さそうな顔。逆に王妃様はスゴいお綺麗だ。
美女と優しい野獣な感じだ。
「黒髪のイケメンの王様が、金髪の王子とイチャイチャする話で〜」
「はぁぁぁ? ちょっと待ってよ!! 王様と王子がイチャ……き、近親相」
親子だし近親相姦じゃないと言いかけて、最後までは言えなかった。つい見知った王様と王子に置き換えてしまい、ものスゴく気持ち悪くなってしまった。
「厳密に言うと、王様と王子は兄弟なので、王弟殿下なんですけど」
「問題はそこじゃないわよ!!」
どの道、近親である事に変わりはないのだ。
作り話であり小説とは云え、どうなっているのだその国は。もう終わり案件でしかない。
「大体【聖女】はどうしちゃったのよ!?」
題名には【聖女】が付いているのに、何処に行ったの聖女様は。
「聖女は実は"ブタ" だったので、宿舎にいます」
「はぁ? 聖女がブタって一体どんな話なのよ!?」
アリディアは堪らずツッコミを入れてしまった。
王様と王子ができていて、聖女がブタ。話の内容が全く想像出来ない。作者の意図が分からない。
想像がつかないだけに、逆に気になりまくりだ。
「もぉ、違いますよ。【聖女】を召喚しようとして、間違って聖女じゃなくて【ブタ】を召喚させてしまった話ですよ。気になるのでしたら、全巻お貸し致しましょうか?」
実家に置いてあるので、読むなら送って貰うとマーサは言う。
聖女じゃなくて、ブタとは一体どういう事だ。
召喚を失敗するにしても、もはや人ですらないのか。
ここまで聞けば気になって仕方がないアリディアは、マーサに負けた気もするが、お願いするのであった。
「それはそうと、アリディア様」
マーサは何かを思い出した様に、アリディアをチラリと見た。
「何?」
「アリディア様は、ジュリアス殿下に婚約破棄されたら、どうします?」
「…………」
何その不吉極まりない質問。
そんな質問をする意図もわからない。
「殴ってイイかしら?」
アリディアは拳を掲げ、マーサの顔に近づけた。
なんて事をサラッと訊くのかしらね?
「失礼致しました〜!!」
アリディアの本気の声色に気付き、マーサは半歩下がった。
そして逃げる様に部屋から出て行くのであった。