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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

倉木さんと煙草。

当初、年齢制限ありの話でしたが大幅に削りました(笑)。

オフィスラブとか検索キーワードにしていますが狭い範囲での話です、気軽に読んでいただければと思います。

居た、居た。


私は定時以降遅く、喫煙ルームに居るその姿を見つけるといそいそと近づいた。

最近は非喫煙者が多くなり、世間も会社も禁煙方向に向かっているというのにうちの会社は頑として喫煙ルームを撤去しない。

反対者よりも喫煙者の方の意見が通っているのだ、社長も喫煙者だし。

とはいえ、この問題は世界的な問題でもあるので社長も喫煙者と非喫煙者に対しては分煙化、消臭スプレーなど対策は取ってはいるので評価できる。

ちなみに私は非喫煙者だ。

あの煙には辟易しているけれど、好きな人の吸う煙草の煙ならなんとか我慢できる。

コンコン。

ガラスを私は叩く。

喫煙ルームは外から中が見えるようにほぼガラスで目線の位置はすりガラスになっていた。

窓がない部屋は中で何が行われているか分からないから、またはサボり防止のためともいう理由でガラス張りなのだという。

煙草を吸っていた倉木さんは私に気づくと片手でおいでとジェスチャーしてきた。

今、喫煙ルームには彼女以外は誰も居ない。

煙もさほど出ていないので問題は無いかと思い、非喫煙者の私は喫煙ルームに入った。


「ななみ・・・まだ、残っていたの? 何時だと思っているのよ」


入って来た私に倉木さんは呆れたように言う。

喫煙室にも時計はあってデジタルだが、20時を過ぎていた。


「倉木さんこそ」


空気清浄機で煙は吸われているけれど、空気中に煙草の匂いが充満していた。

制服についてしまうなと思いながらも私はそこに居る。


「私は残業」


「私もです、終わったので帰ろうかと」


「その割には制服じゃない」


「倉木さん、いつも残っているようなので今日もいるかなと思って寄りました」


わざわざ、女子更衣室から遠いこの喫煙ルームを経由して戻るのは倉木さんに会いたかったからだ。

でなきゃ、遠回りなんてしない。

働いている部署が違うので日中は滅多に会えないから会える時間に会いに行くしかない。

倉木さんはそういう私の気持ちには気づいていても突き放す、そういう人なのだ。


「物好きだね、ななみ。私のことを好きだなんて」


ほら。

好きだと告白したけど倉木さんからは返事は貰っていない。

私が告白をした時、倉木さんは少し驚いた表情をしただけで私のことを拒否しなかった。

しばらく私を見てから『ありがとう』と言ってくれたけれど私の告白に対しての答えはその場では貰えなかった。

それは今でも貰えないままなのだけれど、私は催促しない。

告白するまで関りの無かった倉木さんと知り合いになれたし、こうしてフレンドリーに話す事もできるようになったのだから。

今はそれで満足している。


「これ、差し入れです」


手に持っていた甘めのコーヒー缶を私は渡す。


「ありがと。頭を使うと糖分が不足してなかなか仕事がはかどらないの」


差し入れは受け取ってもらえたので嬉しい。

倉木さんが拒否することは無いけれど迷惑だと思われることが私は心配だった。

あまり図々しく世話を焼くと、嫌われてしまうだろうし。


「ななみは、私の好みを把握しているね。教えていないのにどこで知ったの?」


「内緒です」


「私のこと、ストーキングしてる?」


「してません、そんなこと」


さすがに社内でそれはない、そこまで執着するのはちょと・・・

倉木さんはハハハと笑うと缶コーヒーを開けて飲む。

私だったら絶対に飲まない甘いコーヒー。

それが好みだと、知ったのは観察眼の賜物。

あ、ストーキングではなく“たまたま”喫煙室の前を何回か通ることがあって倉木さんを見かけた時に(笑)


「以前ね、そういう人が居たからななみもそうなのかな、って」


「初めて聞きました」


「初めて言ったからね、その子はアルバイトの女の子だったけど」


「えっ」


「フフフ、私って同性にモテるんだよねえ―――なんでかね」


「倉木さん・・・」


「茶化してはないよ、ななみに好きだと言われた時は嬉しかったもの」


じゃあ―――返事をくれてもいいだろうに。

期待しかない言い方をして、あとで私を突き落すようなことを言うつもりなのだろうか。

催促をしないと決めたので私は口を噤む。


「―――もうちょっと待ってくれると嬉しい」


倉木さんは煙草を吸い、ふうーっと宙に煙を吐きながら言った。


「いくらでも待ちます、私」


可能性があるのなら。


「ななみが本気なのは分かっているから」


「はい」


「もうちょっとこのままで―――コーヒーありがとう、もう遅いから帰りなさい」


倉木さんは先輩らしく私に帰宅を促した。

一緒に帰りたかったけれど倉木さんの方は仕事が残っているのだろう、私は頷きながらも後ろ髪を引かれながら更衣室に足を向けた。




倉木さんは会社の中で設計関係の仕事をしている。

男性社会といわれるなかで、倉木さんはかなり重要なポジションにいた。

男性の部下も何人もいて、社内で難しい話をしながら歩いているのを何度も見かけたことがある。

私とは天地の差ほどある。

とはいえ、倉木さんには倉木さんの私には私の仕事がある。

出来ることをするべきで、背伸びをしても仕方がない。


「コピー終わった?」


先輩の高階さんが声をかけて来た、今しがたまで資料のコピーを何十部も頼まれていたのだ。


「はい、32部、確認をお願いします」


私の部署は女性が多い、結婚して子供を産んでも辞めずに戻って来る人が多くそうなっている。

喫煙対策とか福利厚生は社長が最も力を入れていることなので、私はいい会社に入れたものだと思う。

こういう部分をおろそかにしない企業は人材の流出を止められるし、自然といい人材も入って来るだろうと若輩者ながら感じる。

高階さんは部数を確認し、パラパラと中を捲りながら確認した。

女性が多い職場だけれど、いじめやパワハラなどはない。

比較的、雰囲気は穏やかで良かった。


「OK、ありがとう三上さん」


「はい」


頼まれものをするのは後輩の仕事、私は次に頼まれた仕事にとりかかろうとした。


「三上さん」


「はい?」


振り返って高階さんを見る。


「いえ―――なんでもないわ」


「はい・・・?」


なにか言いたそうだったのは分かったけれど、止められてしまったのでそれ以上は踏み込まない。

言うタイミングが来たら私に言うだろう、席に着いて自分のパソコンと向かい合った。

メールボックスを見れば、社内周知メールに紛れて倉木さんからのメールを見つけた。


倉木さん?


メールなどこれまで一度もくれたこともなかったのに珍しい。

もちろん、嬉しくないわけがない。

メールの表題は『三上さんへ』とだけ、私は少し周囲を見渡してからそのメールを開く。


お疲れ様。

今日、あなたに時間があれば19時にお店で会いたいのだけれど


短い文面。

完結的で倉木さんらしくて私は小さく笑う。

告白の返事でもくれるのだろうか。

もちろん、大丈夫です―――と返信した。

社内メールの個人的なやりとりは禁止されているけれど、ほとんど無視されている。

とはいえ、倉木さんに返信する時はドキドキしてしまう。

倉木さんは忙しいからすぐに返事は来ないだろうなと思っていたら、即返って来てびっくりする。


じゃあ、19時にお店で。


お店とは一度だけ、倉木さんとランチを食べたお店。

互いに知っているお店と言えばここしかない。

メール1本の小さなやりとりだけれど、私はそれだけでも嬉しい。

まだお昼前の話だけれど、1日中ソワソワしてしまいそうだった。




告白の返事を保留されているのはお預けをくらっているようなものだけれど、待つのも悪くはない。

倉木さんの私への態度から、感触はいい方だと私は思っている。

期待しすぎかな・・・

期待してしまう自分が居て、落ち着くように自分に言い聞かせた。

うちの部署は余程のことが無い限り残業は無い、この間は午後に私自身が起こしたミスの後始末のために残っていただけ。

私は定時で上がってから、喫茶店で待ち合わせまで時間を潰す。

カバンに本を1,2冊は持っているので時間を潰すには問題はなかった。

読んでいたら2時間くらいすぐに過ぎてしまう。

案の定、私は本を集中的に読んでしまって気づいた時には集合5分前になっていた。

慌てて、本を閉じカバンにしまうとレシートを持って席を立つ。

残念ながら、倉木さんの連絡先は教えて貰っていない。

知っているのは社内メールのアドレスだけ。

社員データはアクセス可能なサーバにあるにはあるから、知ろうと思えば知ることができるけれどそれはしたくない。

本人の確認なしに盗み見るのといっしょだから、気分が良くはない。

付き合うまでは(付き合えるかどうかはまだ分からないけれど)フェアでいきたかった。

慌てて店を出て早足で集合予定になっていたお店の前に着くと、倉木さんはすでに居て佇んでいる。

 ――――待たせちゃったなあ・・・

自分の方が早く退勤したというのに、本を読んでいて集合場所に遅れてしまった。


「倉木さん」


「ななみ―――」


さほど混んではいないけれど、行き交うひとをかわして私は倉木さんに近づいた。

会社帰りにスーツ姿で会うのはこれで2回目。


「遅れてすみません」


謝る。


「謝らなくていいわ、時間通りでしょ?」


シルバーの少し大きめの時計を見せて倉木さんは言った。


「・・・はい」


「寒いから中に入りましょ」


倉木さんは店のドアノブを掴むと私を先にお店に入れてくれる。

先輩だから後輩の私が、と考えるよりも早く倉木さんは動く。

私の方がエスコートされているようだった。

ウエイターが私たちを出迎えてくれ、テーブルに案内される。

倉木さんはひとりでも来るのか、ウエイターとも親し気に会話をしながら以前座って食事をしたテーブルの椅子に座った。


「この時期のコースでお願い、ワインもあなたのおススメので。ななみはビール?」


倉木さんはサクサクと決めてくれるので助かる。

私は好き嫌いが無いし、彼女の決めることには従うつもりなので口は挟まない。


「はい、ビールでお願いします」


「畏まりました、しばらくお待ちくださいませ」


ウエイターは慇懃にお辞儀をすると去って行く。

お店は人気店なので平日のこの時間からすでに混み始めていた。

しばらくお店内の人々や食器の音などの喧騒に身を置いてから落ち着いたところで倉木さんが口を開く。


「今日は呼び出してしまって、大丈夫だった?」


「予定があっても倉木さんのお誘いだったらそれを断っても来ますから」


「ふふふ」


笑っているけれど本当のことだ。

私の順列は最上位が倉木さんで、その次がその他である。


「ね、ななみ」


「はい」


「ななみは、私のどこが好きなの?」


改めて聞いて来る。

案内されたテーブルは窓側の角の席で、隣にはお客は居ないから内密な話をしても聞かれることはない。


「―――それ、今聞きますか?」


「うん、聞きたい」


水の入ったグラスを掴んだままそれを飲まずに、私を見る倉木さん。

告白の返事はまだ決まっていなくて、今日の私の態度で決めるつもりなのだろうか。

倉木さんの噂は仕事がかなり有能、としか聞かない。


「私、煙草は吸わないんですけど・・・」


「嫌いでしょ? なのに私の居る喫煙ルームに入って来る、変なひとだなとは思っていたの」


倉木さんは笑って言う。

爽やかな笑いというよりは独特な笑み。


「倉木さんは好きなので煙草の煙も付属です」


「―――変わってる」


「直接の接触はなかったんですけど、喫煙室の倉木さんに一目惚れだったんです。どこが好きというよりは」


「男だって煙草を吸っているでしょうに、むしろ男しか居ないのに」


「そうなんですよね、あんなに男性が居るのになんで倉木さんだったのか今でも不思議・・・それに、これまでの恋愛対象は男性だったのに急な転換」


「ななみの私の好きなところを聞かせて頂戴」


「煙草を吸っている時と、会話している時の倉木さんが好きです」


「それは姿でしょう? 見た目?」


「話し方も好きです、会話のテンポもいいリズムで気持ちよくて。何よりも安心できるのが」


「――勘違い、ということはない?」


「倉木さん・・・私、大真面目です」


「私も真面目よ、私は仕事が忙しいからたとえ付き合ったとしても構ってあげられないかもしれない。それでもいいの?」


「はい」


構って貰えないのは寂しいけど、好きな人と付き合えるのは嬉しい。

少しでも側に居ることが出来れば・・・同じ時間を共有することができるだけでも私はいい。


「私でいいの?」


「倉木さんじゃなきゃダメなんです」


「本当に?」


そんなことを言う倉木さんは私に取り消して欲しいのだろうかと思ってしまう、この言い方だと。


「私が聞くのは軽い気持ちじゃ付き合えないからなの、その覚悟はあるの?」


私は頷いた。

考えは変わらない。

何度も自問自答して出した結果、私は倉木さんに告白したのだ。

引かれてしまう、異常だと思われるかもしないという覚悟を持って。


「覚悟はあります」


倉木さんはじっと私を見る。

視線がばっちりと合うのは初めてで、照れてしまうかと思ったけれどそうではなく私の方も見てしまい視線が離せなくなった。


「お待たせしました、前菜のルッコラと芽キャベツ、ズッキーニとキノコのサラダです」


そこへ前菜が運ばれて来て、私たちはハッとして我に返る。

急に身体が熱くなってきた、ウエイターの人に見られただろうか。

私が感じたのはその恥ずかしさではなく、倉木さんに見つめられた際の恥ずかしさ。

ウエイターがテーブルを去るまで動けなかった。


「ありがとう」


倉木さんはウエイターにお礼を言うと私に向き直る。


「好きって言い続けるといいことがあるのね」


「えっ」


「最初ね、ななみに好きですって言われた時、本当は面倒くさいなと思ったの。普段、男でも面倒くさいと思っているのによりにもよって同性?と正直思ったわ。ななみには悪いけど」


なかなか私には衝撃的な内容だった、聞いていて心が折れないか心配になる。


「・・・迷惑でしたか」


「最初はね、今はそう思っていないわ」


その言葉に救われる私、それでも顔は少し強張っている。


「ななみはずっと待っていてくれたでしょう? 私に答えを催促しなかった、それに適度な距離で接してくれた」


「それは―――」


「その距離が良かったのね、私もななみのことが気になりはじめたもの」


作戦?倉木さんが微笑みながら聞いて来る。


「そんな高等テク使えませんって、私は直球勝負しかできませんから」


「うん、そんな感じ」


いつの間にか、ビールとワインもテーブルに乗っていたので倉木さんがワイングラスを持つ、釣られて私もビールのグラスを持った。


「喉が渇いたわ、ちょっと休憩して飲みましょ」


「はい」


倉木さんに同意するとグラスを合わせて乾杯をし、程よく喉を潤す。


「ななみと一緒に居て私も楽しく話せるわ」


「倉木さん」


「私、煙草吸うけどいいの?」


「全然」


我慢じゃなくて、嫌いな煙草すらも倉木さんの一部として好きなのである。


「さっきも言ったけど、仕事で構ってあげられないことが多いかもしれない」


「文句は言いません、倉木さんのお仕事ですから。声をかけてくれるまで待っています」


そう言うと倉木さんは苦笑する。


「ななみ―――」


「倉木さんのことが大好きですから」


「うん、再確認することもなかったね」


「確認するまでも無いです、私の気持ちを疑ったんですか? ひどいです」


「ごめん、ごめん。大事なことだしね、私も同性と付き合うのは初めてだし」


「私が聞くのもなんですけど・・・抵抗はないですか?」


「―――ほんと、聞くことじゃないでしょうに」


サラダをフォークで混ぜながら。


「今は抵抗より、期待の方が大きいかな」


「期待、ですか?」


「そう、最初は面倒くさいと思っていたのに今はななみと付き合う事にワクワクしているの」


失礼ながら、全然そんな感じは倉木さんからは受けない。

感情が表に出づらいタイプなのだろうか、それとも上手くそれを隠しているのか。

どちらにしても私の告白は受け取ってもらえたと認識してもOK?


「ななみと付き合うわ」


「倉木さん」


「よろしく、ななみ」


「はい」


「よろしくお願いします」


私はつい、頭を下げてしまい倉木さんに笑われてしまう。

その後、料理はタイミングよくやってきて私たちはより、リラックスして食事をすることができた。

倉木さんとの関係も今日から変わってゆくのだと思うと私は嬉しさを噛みしめながら楽しく過ごせたのだった。





仕事が忙しいと倉木さんは言ったけれど、私はその忙しさを真剣に考えていなかった。


そのことを今、実感している。

付き合う事になったのに私たちは、その後はいまだもってデートも一緒に食事すらもしていないのだ。

とりあえず、喫煙ルームに行けば倉木さんが居る。

でも、日中はその他の男性社員や喫煙する女性社員も周りに居るし煙の量が半端ないのでさすがに近寄れなかった。

出来ることと言えば、お昼休みにLINEのやり取りをするくらい。

それも、倉木さんが忙しくお昼も取らないで仕事をすると中止になる。


「読みが甘かったかなあ―――」


私はお弁当を手に持って独りごちる。

隣りは同期入社、同じ部署に配属された池島さんがサンドウィッチを頬張っている。


「そのお弁当、誰かにあげるの?」


「あげようと思ったんだけど、受け取る暇がないって断られちゃった」


付き合う事になったのだから恋人らしいことを、お弁当を作ってみたのである。

料理は苦手だったけれど、好きな人のためならば――ということで一念発起して料理教室に通いながら習ったものを作ってみたのだ。


「じゃ、私が食べてあげよう」


「ダメ!」


手を伸ばしてきたのでお弁当を死守する私。


「食べないんでしょう? その人はそれ」


「まあ、そうなんだけど・・・でも、ダメ」


昼がダメならば、夜という手もある。

今日は少し残業をすることが決まったので幸い。


「どんだけ忙しいのよ、そいつ~」


食べられない食いしん坊の池島さんは悔しがるけれどこれは倉木さんのために作ったので、彼女に食べてもらいたかった。

食べているところが見たい、どういう感想を聞かせてくれるかも気になる。

LINEに夕方の予定の伺いをし、その時にお弁当も渡したいと送った。

返事は終業後かな―――

私は昼休みの返事を期待しないで昼食を再開した。



返事はやはり終業後に来ていて、わずかな休憩を取るために喫煙ルームに行くからその時に連絡するとの事。


不定期だなあ・・・忙しいにも、ほどがある(苦笑)。


残業をしながら私は机の上にスマホを置いて連絡を待つ。

帰る時間は倉木さんの方が遅いと思われるので、なるべく居る時間内に連絡をくれると嬉しい。

ついでに、周りに人が居なければなおよし。

二人きりで話すだけでも会えないストレスから解放される。

コチコチと時計の針は動いてゆき、私は作業のため働き、残業は思ったより早く終わってしまった。


まずい―――早く終わってしまった・・・


残業が早く終わるのはいいけど、この場合は終わらない方が良かった(苦笑)

喫煙ルームにメモ付きで置いておいてもいいけど不審がられるかもしれない、とはいえ直接職場に渡しに行くのもちょっと―――

諦めの悪い私はゆっくりと片づけをしながら時間が過ぎるのを待つ、同じく残業していた人はすでに帰って私しか居ない。


電子音。


私はすかさずその音に反応するとスマホの画面を確認した。

倉木さん!

倉木さんからのLINEで今、ちょっと休憩に喫煙ルームに寄るとの事だった。

私は片づけを中断し、いそいでお弁当を持つと事務所を出た。

とりあえず、今渡しておかないともう今日は会えないのは確実だったから。

お弁当が崩れないように持ちつつ、早足で喫煙ルームに向かった。

節電なのか、廊下は薄暗かったけれど倉木さんにお弁当を渡すというミッションのためかあまり恐怖心は無い。

薄暗い廊下の先に煌々と明かりがついているところが見え、ホッとする。

近づいて中を覗くとすでに倉木さんは煙草を吸っていた。

倉木さんは私に気づくと手招きをして私を呼びこむ。


「お疲れ様です」


少し息を切らせながら私は言う。


「残業、お疲れ様。何も急いで来なくても良かったのに」


倉木さんが笑う。

その笑顔だけでも残業をやってよかったと思えるご褒美。


「いえ、これを早く届けたくて」


お弁当、本当はお昼に食べて欲しかったのだけれど渡す時間が無かったのでずっと冷蔵庫に入っていた。


「それね、悪かったわ。お昼は仕事が終わらなくて」


「つめたいですけど、温めて食べて下さい」


倉木さんのことだからまだ、残業するつもりだろうから。


「つめたくても構わない、ここで食べる。誰も居ないし、ななみはもう帰る?」


「私・・・・少しここに居てもいいですか?」


私は伺うように聞いた。

誰も居ないし、お弁当の感想も聞きたいし。

少しでも倉木さんと一緒に居たい――――


「どうぞ、煙草臭いけどね」


「倉木さんの吸っている煙草の匂いは好きになりました」


私がそう言うと、副流煙は吸わない方がいいのにと苦笑される。

倉木さんは吸う時なるべく、私の方に煙を吐かないようにしてくれるのでそういうことはあまり気にはしていなかった。

煙草を口に咥えながら私の渡したお弁当の包みを外し始める。

毎回、お弁当箱の蓋を開けられる瞬間が恥ずかしい。


「へえ、美味しそうね。段々マシになって来たかな」


「最初のは酷かったですからね、自分でも思います・・・」


「毎日じゃないけど、朝起きて私の分も作るのは大変じゃない?」


「全然です、楽しいので」


私は首を振って答える。

それは今だけなのか、今以降も続くのかは分からない。

けれど、今はお弁当の中身を考える事も作る事も楽しいので続けている。


「うん、味も良くなっている」


「良かった」


「美味しい、美味しい。上出来」


ぱくぱくと食べてくれるので私も気分がいい。

作って来た甲斐があるというもの、倉木さんの表情もいいし。


「ななみ、忙しくて会えなくて申し訳ないわね」


「大丈夫です、こうして会社では会えますから」


「まあ、そうなんだけどもね。やっぱりデートとかもしたいでしょ?」


倉木さんもちゃんと考えてくれているんだと思うと嬉しい。


「倉木さんから連絡ください、私の希望日より確実ですし」


「―――来月上旬くらいかな、手がすくのは。ごめんね」


ま、まあ・・・あと3週間くらい経てばすぐだ、うん(笑)

私がよほど情けない表情をしていたのか、倉木さんは小さく笑うと箸を置いて私の顔に手を伸ばす。


「ななみにそんな顔させたくはないんだけどな」


「大丈夫です、倉木さんのことは分かっていますから」


「無理はしないの、全部しまい込むことはしない方がいいわ」


「無理してないです」


「逢いたくなったら会いに来ていいから、住所知っているでしょ」


連絡先を交換したから知っているけどまだ一度も行ったことは無い。

もちろん、倉木さんも私のマンションには来たこともない。


「・・・そんなこと言うと、突然押しかけますから」


「私が居る時にしてね、居ないと寂しいわよ」


倉木さんは私の頬に触れてから私の首を掴むと、引き寄せて囁く。


「ななみ―――今週末、終業後に時間を作ってくれる?」


「・・・それって」


「そ、出かけられないなら引きこもるのもアリよね」


間近に倉木さんの吐息を感じて、身体が熱くなる。

それと囁かれた言葉の意味に。


「仕事は・・・大丈夫なんですか・・・?」


つい少し前に手が空くのは随分先だと言っていたのに。

出掛けることは出来ないけれど私のために時間を作ってくれるのだろうか。


「その日は、定時上がりにするわ。しばらく残業続きなんだからたまには定時上がりをしてもいいでしょ」


「すみません、私のために」


「勘違いしないの、私のためでもあるのよ。仕事ばかりじゃさすがにね」


ふっと私の首の後ろから手を離すと、再びお弁当を食べ始める倉木さん。

倉木さんのマンション―――

私は湧き上がって来た嬉しさに、顔がニヤケていたと思う。

そんな私のことが分かっているであろう倉木さんも何も言わなかった。

喫煙ルームには予定していた電車の時間限界まで居て、私は先に上がらせてもらうことになった。





その日は朝からソワソワしていた。

だって、倉木さんのマンションに初めて行くのだ。

会社終わりに。

落ち着かないのは仕方がないと思う、仕事でチョンボをしなければよいけれど。

会社が終わったら待ち合わせをして、一緒に帰る予定。

この間、お弁当を渡しに行って良かったと思う。


「朝から何かいいことがあった?」


午前中、休憩のために紅茶を作りに給湯室に行ったところ高階さんに声をかけられた。

彼女はお茶専用のマイボトルに自分用のお茶を作っている。


「これから起こるんです、いいこと」


浮かれているのを高階さんに言い当てられて、少し自分を落ち着かせる。


「予知?」


「そうじゃなくて・・・会社が終わったらです」


私がそう言うと高階さんは、頷く。


「ああ、今日は花金だものね」


ちょっとちがうけど・・・ま、あいいか。

誤解させておこう。


「ま・・・あ、そんな感じです」


「若いっていいわね」


「いやいや、高階さん、私と年そんなに変わらないじゃないですか」


高階さんはふふふと微笑む。

しばらくそこで立ち話をして私たちは仕事に戻った。




私は定時きっかり、倉木さんは少し遅れて会社から出て背後から声をかけて来た。


「倉木さん、お疲れ様です」


「おつかれ、待った?」


「大して待ちませんでした、大丈夫です」


会社終わりにも倉木さんの顔を見られて嬉しすぎて顔がニヤケていると思う。

倉木さんの手が私の頬をつねる。


「しゃんとしなさい、にやけているわよ、顔が」


「痛いです――分かっているんですけど・・・勝手に頬が緩んでしまって」


私は自分の両頬を手で押さえながら言う。


「分かりやすすぎね、ななみは」


「顔に出ちゃうので嘘をつきにくいんです」


「自分で言うの?」


倉木さんは笑う。

一緒に歩いているのも話しているのもそれだけでも嬉しい、大人になってこんな感情を持つとは思わなかった。

過去、付き合う事は何回もあったのに相手に対して今以上の感情は持たなかったと思う。


「うちのマンションの近くにスーパーがあるからそこで何か買って行きましょ」


「はい」


私は頷いて倉木さんと並んで駅まで歩いた。

会社から最寄り駅で電車に乗って5駅ほど過ぎると倉木さんの住んでいる区になる。

羨ましいことに倉木さんは東京都内在住、私は千葉県在住だった。

ラッシュアワーの時間帯で私たちは同じ人たちに揉まれながらやっと目的駅に着く。


「久しぶり満員電車に乗ったわ、もう嫌ねアレは―――」


いつも残業で、人の少ない電車に乗るという倉木さんはうんざりしたように言った。

終電を逃したら最悪、タクシーで帰るか、カプセルホテルに泊まるらしい。


「私、毎日往復アレに乗っているんですよ」


「ななみを尊敬するわ、私」


「最初の頃は辟易しましたけど、もう慣れました」


ぎゅうぎゅう押されて潰されながらの通勤、途中からは人が少なくなって座れるようになるのだけれど(苦笑)


「慣れたくないわ、あんなの」


二人でうんざりしたように言い、夕方の駅前の商店街を歩く。


「仕事に行かなければならないので慣れないと」


「社会人ってほんと大変ね、学生時代が懐かしい」


倉木さんがしみじみ言うと重みがある、学生時代か・・・気になる。


「写真って無いんですか? 学生時代の倉木さんの写真」


「―――あるわけないでしょ、そんなものは実家よ」


やっぱり人には見られたくないか(笑)

残念。


私たちはスーパーに入る。

今日の夕飯と明日の朝と昼ごはんの材料を買うため、さすがに明日は夜にはお暇する予定だ。


「ななみ、料理を覚えたんだから作ってくれるわね?」


「えっ」


急な事に私は驚いて声を上げてしまう。


「うちのキッチンで存分に、腕を振るって頂戴」


にっこり。

ま・・・眩しい―――期待感が半端ない。


「い、や・・・習い始めたばかりですから、無理です」


人のうちのキッチンでなんて無理、それにまだレパートリーも無いし。


「あら、お弁当はちゃんと美味しかったのに」


「それは―――――」


何度も失敗して中でも良く出来たものを詰め込んだから。

時間が無くて片付けられず、出掛ける前なのに台所がぐちゃぐちゃだったし。


「・・・うそうそ、冗談よ。意地悪をしてみただけ」


倉木さんはニヤリと笑いながらカゴに必要な物を入れてゆく。


「もう少し自信がついたら作ります、倉木さんのために」


自分はまだまだだと思っているのでさすがにキッチンを貸してくださいなどとは言えない。

美味しいものを作って食べさせてあげたいとは思っているけれど・・・


「じゃあ、手伝って頂戴。それならいいでしょ?」


「もちろんです、それは進んでするつもりですから」


何もしないのは気が引けるし、せっかく二人きりになれるのだから片時でも一緒に居たい。


「ななみは嫌いな食べ物はない?」


「はい、ありません。雑食なんで何でも食べます」


「雑食って・・・ななみ」


呆れたように言い、お刺身を手に取った。


「今夜は出来合いでいい? 明日はちゃんと作るから」


「もちろんです、お任せします」


花金だし、作るのが面倒だということは自分にも分かる。

簡単に済ませたいと思うのは人の常。

今、ガッツリ、倉木さんの手料理が食べたいたいというわけでもないし。

お邪魔するのは私で、家主は倉木さんなのだ、主の気分次第で変わってもいい。


「ふうむ、任された」


夕飯を買い、翌日の食材を買う。

色々話ながら買ったからか、両手にビニール袋を持つ羽目になった。

でも、楽しいので重くはない。

これが一人で、自分のマンションに帰る場合はテンションがガタ落ちなのだけれど。


「こっちよ」


帰宅途中のサラリーマンや買い物帰りの主婦などとすれ違い、ぶつかりそうになりながら倉木さんに付いてゆく。

少し歩いて商店街から離れてゆくと、大きなのっぽのマンションが2棟ある。

あと、建築中のビルも暗くなった先に見える。


「ここ、再開発が始まったの。また人がたくさん流れて来るわ」


「いいですね、過疎とは無縁じゃないですか」


私の住んでいるところは千葉だけど、どちらかといえば田舎みたいなところだ。

とりあえず、田んぼは無く背の低いビルは多いけれど。


「少し前は静かだったの、それが良かったのに」


「倉木さんは静かな方がいいんですか?」


「そうね。バンバン仕事をして、お金を貯めたら静かな田舎に引っ越すわ」


倉木さんにはそういう将来計画があるのか。

私には無いなと漠然と思う。

とりあえず、仕事をして生活できるだけのお金を貰えれば良かった。


「倉木さん、その時、私も一緒に居られたら嬉しいです」


「まあ、随分と先の話だから分からないわね」


・・・倉木さん、甘くない


しょんぼりしていたら『冗談よ』と言って背中を叩かれた。

私は倉木さんに弄られているのか。


「ななみのことはつい、いじめたくなっちゃうんだよね。なんでかな」


「私のこと、いじめて楽しんでます?」


「私にいじめられるのは嫌?」


倉木さんはからかう程度で、酷いわけじゃない。

でも、私はちょっとのことを気にしてしまう。

もっと前向きにならなきゃなとは思いながら。


「いじめられるより、構われたいです」


「ななみはスキンシップ派だったのね」


「はい」


今だって出来れば手を繋ぎたいし、身体を寄せたい。

でも、人目があるのでしないだけ。

そんなに図々しくはない。


「もうちょっとだからマンションまで待ってくれる?」


倉木さんは言う。

荷物を持ちつつ一緒に歩いているとマンションはもう少しだった。




「荷物はこのテーブルに乗せて」


「はい」


私は倉木さんに言われたようにキッチンテーブルの上に買い物のビニール袋を置く。

結構重かったのか、手にビニール袋の痕が付いていた。


「ななみ」


ビニール袋から品物を取り出そうとしていると倉木さんに呼び止められる。


「はい、なんでしょう」


「ちょっと」


「?」


右手でおいでをされる。

私と倉木さんの距離は1mも無いのにだ。

呼ばれた理由が分からなかったけれど私は倉木さんに近づく。

荷物を置いてほっとしたばかりだったからか私は油断していた。

何の準備もしていない。

倉木さんは届く距離に近づいた私の腕をつかむと、グイッと引き寄せた。

一気に身体と顔が近づく。


「く、倉木さん?!」


息がかかる程に顔が近づいてやっと倉木さんがしようとしていることに私は気づく。

倉木さんは私に許可を求めない。

私は絶対に倉木さんを拒否しないことが分かっているのだ。


「黙って―――」


倉木さんにそう言われて私は口を噤み、動きを止めた。

視線が絡む。

目が離せない、瞳の奥を覗き込むとそれは情欲と呼ばれるもののように感じる。

すぐに私の唇が塞がれた。

ヘビースモーカーの倉木さんとのキスは煙草の味がする。

でも―――キスは数十秒くらいで、唇は離れてしまった。

私をまたいじめているのだろうか。


「・・・もっとしたいです」


私は数秒のキスでは物足りなくて空いている方の手で倉木さんのスーツを掴んで言った。

ふいのキスのせいで身体が熱くなってしまった、どうしてくれるのか。


「お夕飯、食べ終わってからね」


「ひどいです、倉木さんだけ満足したような顔をして」


「ふふふ、先輩の特権だよ」


スーツを掴んでいる私の手に触れると、私の手は自然と離れた。


「あとでね、ななみにもちゃんと満足させてあげるから」


そこでようやく、倉木さんはスーツの上着を脱ぐとテーブルの椅子に掛かっていたエプロンを付け始めた。


スーパーで買ってきたのは魚の刺身とイカソーメン、ポテトサラダ。

メインで冷凍炒飯を倉木さんは作ってくれた。

料理なんて面倒くさいし、やはり出来合いのもの、冷凍食品は便利だ。

特に疲れている時なんかは(笑)


「言っておくけど、料理しないわけじゃないんだから」


倉木さんは居間のテーブルの上に乗った料理を前に言った。


「分かっています、私もマメに料理はしませんから」


倉木さんの言い訳にさせないように私もフォローする。

手作りか、出来合いかは私には問題じゃない。

倉木さんの作ってくれる料理は食べたいと思うけど、“一緒に食べられる”ということが私には重要なのである。

二人でビールの缶を片手に乾杯する。

仕事が終わって帰宅して、ビールで乾杯は大人の特権だ。

冷蔵庫でキンキンに冷えていたビールは疲れた身体に染み渡る。

さすがに『く―――っ』などとはならないけれど。


「外飲みもいいけど、周りを気にしなくていい家飲みもいいわね」


「そうですね、リラックスできますし、何よりも酔っても他人に迷惑は掛かりませんしね」


それに今日は泊りなので酔っぱらって寝てしまっても問題ない。

倉木さんの酔っぱらったところを私は見たことはなかった。

初めての倉木さんのマンションは興味深く、しげしげと観察してしまう。

家はその人を現す(趣味とか人柄)という、確かに私のマンションとは雰囲気が違っていた。

匂いも―――

私の家は煙草の匂いはしない、理由は吸わないからだけど。

倉木さんを好きになる前は煙草の匂いも煙も大嫌いで、喫煙者を嫌悪していた。

言葉は悪いけれど、身体に悪い副流煙を垂れ流す害虫とさえ思っていたくらい。

でも、倉木さんを好きになってその考えは少し変わった。

ゲンキンな、と自分では思うけれど。

今でも喫煙者にはいい感情は抱いていない。

でも―――倉木さんの吸う煙草の煙とにおいには寛容になった。

街中で、会社で、その銘柄の匂いがするだけでも私は反応してしまう。


「ななみ?」


「あ、はい―――なにか?」


「食べる手、止まってる」


「あ、ああ―――すみません」


「お腹空いてないの?」


「いえ、空いています。初めて倉木さんのマンションに来たので実感していただけです」


私がそう言うと倉木さんはフッと笑う。


「―――どう? 想像と違っていた?」


「どうでしょう? 想像なんてした事ないです、ただ―――煙草の匂いがするなって思うくらい」


「煙草臭い? 一応、部屋に籠らないように吸ってはいるんだけどな」


「酷くくさいわけじゃないですよ」


臭い、とは体臭と混ざり合った時の匂いと、部屋が顔をしかめてしまうくらい煙草の匂いしかしないようなことを私の中ではあらわす。

倉木さんの部屋の匂いは例えるなら、ほのかに分かる香水のようなもの。


「ごめんね、吸わないななみにはいい香りではないね」


「倉木さんの匂いですから、嫌じゃないですよ」


好きな人が吸っているというだけで嫌がっていた煙も匂いも許せるようになるとは思わなかった。

恋というのはなかなか、威力がある。


「ななみは嬉しいことを言ってくれる、近年の喫煙者は肩身が狭いからね」


倉木さんはビールをグイっと煽るともう、1本目を飲み終えてしまった。


「倉木さんだけですよ、その他は認めていませんし」


「ははは、きついねぇ」


買ってきた料理はすぐになくなり、私たちはお酒を飲みながら話すだけになる。

刺身とイカソーメンとその他&炒飯でお腹は意外と満たされた。

ほろ酔いで会社以外ではなかなか会えなかった倉木さんとおしゃべりをする。

ほとんど私が話していたようなものだけれど倉木さんはちゃんと相槌を打って聞いてくれた。


「―――男どもとの共存もなかなか面倒くさいけどね、軽く立ててやればあいつらはバカだから気を良くして回しやすいよ。相手にするときは真面目にしないのが一番」


「倉木さんはそれでいいかもしれませんけど」


仕事が出来る、百戦錬磨の倉木さんならではの対応で私に出来るかどうか分からない。


「ま、経験だね。経験を積めば出来るようになるって」


「はあ――」


仕方がないとは分かっているものの、嫌な思いをしなければならないのかとも思う。


「私だってさ、初めからこうじゃなかったんだから。今あるのは過去に色々経験したことを蓄積した結果なのよ」


お酒がすでに日本酒に代わっている。

私はあまり日本酒を飲めないので、ビールをちびちびと飲む。

注いであげようにも倉木さんは手酌が好きなのか拒否されてしまう。


「お店じゃないんだから、自分でするわ」


「私がお酌をしたいんです」


「ななみはコンパニオンじゃないでしょ?」


お互い、強情にするの、しなくていいのを繰り返す。


「お酌したいです」


私は正座をして倉木さんに進言する。


「あのね――要らないって言っているでしょ、もう酔ったの?」


「酔ってません」


うん、酔ってはいない。

ふらつきもしないし、意識もしっかりしている。


「・・・なんでそんなことがしたいのよ」


「したいからしたいんです、お酌させてください」


倉木さんがため息をはいた。

私のお願いはそんなに難しいことだろうか、それとも不味くなるから嫌なのだろうか。


「変わっているわね、ななみ」


「お酌を拒否する人の方が変わっています」


私も言い返す。


「―――分かった、分かった、お願いするわ」


倉木さんはお猪口に入っていた日本酒を飲み干すと、テーブルに置いた。

テーブル越しだと届かなさそうだったので私は少しだけ動くと倉木さんの隣に移動する。

先輩だから片手でお猪口に注ぐのは失礼だと思ったのである。

まあ、そんなこと倉木さんは気にしなさそうだけれど。


「初めてですよね、お酒注ぐのは」


「うーん、そうだった? 以前、食べに行った時は―――」


「注ぐものは飲みませんでしたから、ガンガンビールジョッキで飲んでいたじゃないですか」


「もう覚えてないわ、よく覚えているわね」


ちょろちょろと透明な日本酒がお猪口に入って行く。

独特な香りが立ち上る、飲んでいるから気化したアルコール成分が空気中に漂っているのだ。


「ストップ、ストップ!ななみ」


「おっとっと―――入れ過ぎちゃいました」


酔っていないようで酔っていたのか、手元が狂って少しこぼれてしまう。


「ななみ~~」


「こぼれたのは少しですよ、大丈夫です」


にっこり。


「笑って誤魔化さないの、まったく・・・」


「早く飲んでください、また注ぎますからっ」


「ちょっと、わんこそばじゃないのよ? 」


「ほら、早く。倉木さん」


楽しくなって来た感じ、なんか気分もふわふわしているし。

酔っている自覚がないのか、私。


「もう、酔っているのよ、ななみは」


「酔ってませ~~ん」


「いや、酔っているでしょ。いつもよりテンションが上がっているじゃない」


「普通ですよ――はい」


今度はきちんとすりきりで注ぐことが出来た。

水面張力でお猪口の上で透明な液体がぷるぷるしている。


「もう、注がなくていいからね」


「―――――」


倉木さんは片手で私をブロックしながらお猪口を口まで持って行く。

何もそこまで、とは思わなくもないけど。

いい飲みっぷりで倉木さんはお猪口を煽った。

ちょびちょび飲めば私は注がないのに(笑)

一気に飲むんだもの、空の容器には満たしたくなるよね。


「ちょっ・・・ななみ!」


手をかいくぐって私はお猪口にまだ残っているお酒を注ごうとした。

もうこうなったら意地でも注いでやる。


「どうしてそう、強引なのよ」


「ははっは」


楽しい。

実に愉快だ。

真剣には怒ってはいないであろう倉木さんと注ぐ注がないの攻防は楽しい。


「まったく、もう―――」


最終的には倉木さんは私にさせるようにさせた。

中身を飲み干したお猪口はテーブルに置き、私が注ぐという感じに。


「好きでもない同僚や上司に注ぐより、倉木さんに注ぐ方がいいですからね――」


「はいはい」


倉木さんはもう諦めているようだ。

私はそのままのテンションで倉木さんに寄りかかった。


「倉木さん―――♪」


「・・・酔っぱらい、さっさと寝なさい」


「まだ、お風呂に入ってないですよぅ」


「朝、入ればいいでしょ。」


そう言うと倉木さんは私の肩を抱き寄せた。


「?」


私が顔を上げると倉木さんが私を見る。

全然変わらないいつもの表情で。


「・・・倉木さん?」


「私の前で、そんなに無防備でいないのよ」


「えっ」


倉木さんのその表情が一瞬揺らいだように見えた。

けど、すぐに表情は分からなくなる。

私の唇が倉木さんによって塞がれたのだ。

キス―――

さっきはキッチンで一瞬されただけだから、実感もなかった。

でも、今度のキスは長く感情のこもったキス。

煙草より、日本酒の味を強く感じる。


「ん・・・っ」


倉木さんの舌が私の舌を追いかけて絡め取り、口内を探った。

私は倉木さんの服にしがみついてキスに応える。

さっき、満足させてくれると言った倉木さん。

気持ちがいい―――

もっと、と私は倉木さんにせがんでしまう。

あまり激しかったので、私と倉木さんの身体はもつれ合うようにその場に倒れ込んだ。

倒れ込んでも私たちはキスを止めない。

いや、止まらないと言った方がいいのか。

息を荒くして互いに唇を求め合う。


「くら・・・きさん」


「―――なに?」


「す、き―――・・・です」


私が言うとニャリと倉木さんは笑う。


「私もよ、ななみ」


すぐに唇を塞がれ、キスをされる。

私も倉木さんに応えるように首に抱きつき、身体を押し付けた。

自分に酔っている自覚はなく、でもお酒が全身に回っていたようで明確な意識は無い状態だったけれど、倉木さんなら安心できる。

私は身体の動くままに任せた。




「―――――」


私が起きる時は何かを感じてか、なんとなしに起きることが多い。

今日はなんとなしに起きて目を開けた。

布団に包まって寝ていたのだけれど、自分の布団でないことに少ししてから気づく。


「・・・・」


ちょっと考えて、昨晩の事を思い出す。

布団に包まっていたのは自分だけで、倉木さんは居なかった。

居間で随分と久しぶりに熱っぽくキスをしたのは覚えているけれど、その後を覚えていない。

倉木さんが私をベッドまで運んでくれたのだろうか。

ブラインドとカーテンは閉まっていて、わずかな外光が隙間から入って来ているだけで部屋の中は薄暗い。

一旦、身体を起こしたけれど私はまたポスっとベッドに身体を横たえると伸びをした。

身体は少し怠い感じだけれど、気分はいい。

時計を見れば、7時過ぎ。

倉木さんはもう起きて煙草でも吸っているのだろう。

私の頬が緩む。

かなり久しぶりに会って一緒にご飯を食べて、泊ってしまった。

仕事で忙しいからこんなことは2か月に1回くらいしかない。

倉木さん、夜までは用事が無いといっていたから私がそれまでは独り占めできる。

しばらくゴロゴロしてから私はベッドから起き出した。


「おはようございます」


倉木さんは煙草を吸っていなかった。

居間のテーブルの上にノートパソコンを置いて、何やらしている。

タンクトップの上にシャツを1枚羽織っているだけで下はハーフパンツだった。


「お仕事ですか?」


「ン――メールの確認と返信だけ、もうちょっとで終わる」


「朝、早いんですね」


カーテンは開け放たれて明るい光が差し込んでいる


「隣に居なかったからびっくりした?」


「それはないですけども―――」


記憶が無いのが少々、気になるところ。

倉木さんのすることだから心配はしていないのだけれど自分では覚えていないということが若干、気持ちが悪い。


「もう少ししたら朝ご飯にしようか」


「―――あ、私が作ります、ダメですか?」


「ななみがいいなら任せるけど、大丈夫?」


倉木さんはパソコン画面に向かったまま話す、休日の朝でも忙しいらしい(苦笑)。


「簡単なものなら大丈夫です、台所借りますね」


「うん、よろしく」


こうして私は朝食を作る事を任されたのだった。

いつもお弁当を作るだけなので、倉木さんの家で食事を作って食べさせてあげられることは嬉しい。

二人だけで他の人は居なくてリラックスできる。

冷蔵庫の中を覗いて私は、朝食を決めた。

フライパンに油をさっと敷いて、ベーコンを炒めると取り出した卵を割って落とす。

良かった、形が崩れない(笑)。

その上に、ガラスの鍋の蓋を乗せてしばらく放置。

その間に、レタスとオクラ、プチトマトかにかまのサラダを作る。

ドレッシングは料理教室で習った特別ダレを作製、それに私のアレンジもちょっとだけ入れてみた。

ぱちぱちと油のはぜる音は小気味が良くて私は好きだ。

餃子を焼く時も感じで出来上がりが楽しみで仕方がない。


ぱちぱちぱち


「もういいかな」


そろそろ焼けたかなと思う頃に蓋を開けるといい感じに出来上がっていた。

ふうむ、なかなかよくできたではないか。

自分でも納得の出来。

あとは、倉木さんが美味しいと言ってくれればいいのだけれど。

トースターにパンを入れて焼く、トースターがパンを焼く時の音も好きで良く近くで聞いている。

友人に一度言ったら変だ!と言われたので倉木さんには言っていない。

私の個人的な趣味なのだ、私が満足していればいい。

倉木さんはコーヒーを飲んでいたから、追加のコーヒーで私は紅茶をストレートで飲む用意をした。


「お待たせです、倉木さん」


私がお盆に朝ごはんを乗せて持って行くと倉木さんはPCを畳み、ベランダに出て煙草を吸っていた。

メール確認は終わったらしい。


「お、いい匂い」


倉木さんは煙草をもみ消すと、部屋の中に入って来る。

ふわりと煙草の匂いが香った。


「誰かに作ってもらう朝食は久しぶり、ありがとう」


「いえ―――定番のものでお口に合えばいいんですけど食べて下さい」


「うん、ななみも座って一緒に食べましょ」


「はい」


私はテーブルの上に朝食を置くとそそくさと座った。

昨日はひとりの朝食だったけれど、今日は倉木さんとの朝食。

一人より二人で食べると食べ慣れているご飯も美味しく感じる。


「味、どうですか?」


食べ始めた倉木さんに恐る恐る聞く。


「美味しい、頑張っているじゃない」


「へへへ」


褒められると嬉しさが増す。


「目玉焼きの固さも私好みね」


好みはちょっとずつ聞き出していたからそれを引き出して作る。

好きな人に美味しいと言って貰える事はこれもまた嬉しい。


「家で結構作って食べましたから」


失敗作は多い、しばらく目玉焼きだったこともあった。


「美味しい」


「良かったです、倉木さんにそう言って貰えて」


頑張った甲斐がある、もっと頑張って倉木さんの笑顔が見たいと思った。

朝食を食べると倉木さんはまた煙草を吸いにベランダに出て私は片づけと洗い物をする。

倉木さんも手伝うと言ってくれたけど私は昨晩の失態があるのでそれをチャラとしてもらうために引き受けた。

記憶を無くすほど飲んだ覚えはなかったのに―――反省する。

やはり倉木さんのマンションに来られて浮かれていたのかもしれない。

私に呆れただろうにいつも通りに接してくれている。


きゅっ。

水道を止める、洗い物が終了。

このあとの予定は無く、倉木さんと二人で引きこもる予定。

会社で出来ない話をしたいなと思う。


「天気がいいわ、ななみも来たら?」


倉木さんがベランダから声をかけて来た。

日差しは暑くはなく、心地いい風も吹いている。

マンションからの眺めも良さそうなので、私もベランダに出た。


「眺めがいいですね、夜も綺麗じゃないですか?」


隣でベランダの手すりにもたれながら言う。


「夏は花火が見られるの、人ごみにまみれないでね」


「それはいいですね、ビール片手にですか?」


「暑くなったら部屋に逃げ込めばいいから楽よ、今年の夏は一緒に観られたらいいわね」


「それは楽しみです、ぜひ」


また楽しみが増えた。

一人より二人での楽しみ。


「―――ただ、周囲が明るいから星が見えづらいという難点はあるけど」


「確かに」


昨晩、酔う前に窓から見た夜空は下界の明るさに照らされて見えにくかった。

でも、私のマンションからはよく見える(笑)

田舎だし。

倉木さんは2本目の煙草を取り出し、火を点けた。

風が強いので、身体を丸めて風をさけるように。

ライターではなく、ジッポーで。


「美味しいですか?」


かねてよりの疑問をぶつけてみた。

煙草を吸う人の思考は分からない、わざわざ有害物質を身体に吸い込むという行為をするのか。

倉木さんは私を見て、ふっと笑う。


「吸ってみる?」


笑みを浮かべて倉木さんは自分の吸っている煙草を私に差し出してきた。


「――いえ、遠慮しておきます」


さすがに遠慮する、あの煙いものを吸い込むという行為は自分的には信じられない。

人が吸っている分にはいいけれど。


「何事も経験、経験」


そう言いながらも倉木さんは差し出した煙草を引っ込めると咥え直した。


「しなくてもいい経験です、間接的だけで私はいいです」


倉木さんとキスをするともれなく煙草の味がする。

吸ったことは無いけれど、そんな感じ。


「まあ、こんな有害な嗜好品は、ななみには勧めないよ」


「有害だって分かって吸っているんですか?」


「覚悟しながら吸ってる、癌になるなんて確率の問題だからね。なる時にはなるし、ならないかもしれない」


「確率の問題じゃないような気がしますけど・・・」


喫煙で発がん性物質の蓄積が身体の中に影響を与えてゆくものだと私は解釈しているのだけれど。


「そう思いたいだけなのかもね」


すると倉木さんの手が私に伸びて来た。


「私が・・・煙草をやめて下さいって言ったら止めてくれますか?」


「私の身体のことを心配して言ってる?」


指先が私の前髪に触れて、払われる。


「差し出がましいとは思いますけど、倉木さんには健康でいて欲しいと思っています」


「もう―――煙草を吸うのは癖みたいなものね、美味しいとか美味しくないとかは別として」


癖。

つい反射的にしてしまう感じなのだろうか、生活習慣みたいな。


「まあ―――ななみが言うなら止めてもいいかも」


意外な言葉を倉木さんから聞いた、ヘビースモーカーなのに。

私の中で倉木さんを表す大部分は“煙草”と”煙草の香り“なので止めてしまうと表すものがなくなってしまうけれど、それで“倉木さん”ではなくなるわけではない。


「急に止めないで、徐々に減らしていったらいいと思います」


「そうしょうかな」


倉木さんは笑うと私の前髪をピンと払った。

また、手すりに寄りかかってベランダからの眺めを楽しむ。

私はキスを期待していたのに肩透かしを喰らい、内心ため息を付きながら倉木さんにしばらくベランダで付き合うことにした。




お昼は倉木さんが作ってくれた、かた焼き皿うどんを食べた。

話す事はたくさんあったけれど、それ以上に私は倉木さんに引っ付いていることを希望した。

『子供じゃないでしょう?』と倉木さんは苦笑しながらも私が側で引っ付いていることを許してくれた。

そうして私たちは二人でずっとDVDを見ている。

倉木さんの手が私の髪を撫でると気持ち良くなって猫のように目を細めた。

今は膝枕をしてもらっている。

普段、仕事が忙しくて会ってあげられないからたまにはね―――

そう言って、私に甘えさせてくれた。


「倉木さん、今度プラネタリウムに行きましょう」


「プラネタリウム? 結構長く行ってない」


ベランダからの眺めで思い出した。

星が見えないなら見に行けばいい。

まあ、お金を払って人工のものを見に行くより、ちょっと遠出すれば見られるけど生憎と倉木さんは忙しい。


「最近は、寝ながら見られるみたいですよ」


実はペアシートで見るのが目的で誘ってみたのだ。


「へえ、昔はリクライニングだってそんなに良くなかったのに」


興味は引きつけられたようだ、あとは押すだけ。


「行きましょうよ、倉木さん」


私は倉木さんの顔を見上げて熱っぽく言う。


「そんなに行きたい?」


「デートはプラネタリウムっていいじゃないですか」


「寝ちゃうかもしれないのに?」


「それはそれで」


寝顔を見られますし。

昨晩は全然覚えていないし、今朝も起きたら倉木さんはすでに起きてベッドには居なかった。


「―――ま、考えておくわ」


ここで即返答を貰えなかったのは残念だけど仕方がないか、と思っていたら倉木さんが顔を近づけて来た。


「倉木さん?」


「DVDも見飽きたわね」


「だったら、私を見ますか?」


一瞬、倉木さんの動きが止まる。

ちょっと驚いたような表情の後にニャリと笑った。


「言うようになったじゃない」


「・・・ちょっと言ってみただけです、図に乗りました。すみません」


「謝らなくていいわ、そういうななみも好きよ」


「あ」


膝枕されながら私は倉木さんにキスをされる。

思ってもみなかったキスに心の準備が無かった私は戸惑ってしまう。

けれど深くなってゆくキスに倉木さんの服をきつく掴んで私も応え始めた。


「は・・・ぁっ」


吐息が漏れる。

私のもの。

いつも私の方が夢中になって、反応してしまう。

倉木さんはそんな私をいじわるく笑ってからかうのだ。

私の掴んでいない方の倉木さんの手が私のスカートの上から太腿をゆっくりと撫で上げる。

ゾクリ

すぐにめくらずに撫でで私を煽るのは長く私の反応を見たいかららしい。

唇が離れてもすぐに塞がれ、舌を絡め取られる。

舌を根元で吸われ、意識を持って行かれてしまいそうになる。

DVDは再生されたままで私たちは別なことをしていた。

倉木さんと一緒に居られる時間は限られている、今日の夜には私は家に帰らなければならない。

だから――――


「ななみ、ここで抱かれたい?」


囁くように倉木さんは私に言った。






「勘弁してください・・・もう―――」


さすがの私も根を上げた。ソファーから寝室のベッドにいつの間にか移動していた私たち。

抱かれるのはいいけれどさすがに限度と言うものがある。

倉木さんは顔を上げるとその流れで身体を移動し、私に重ねて来た。


「ななみ、昨晩はもっと大胆に私に縋って来たのに」


倉木さんは少し不満そうな表情で私を見下ろして言う。


「・・・覚えてません・・・申し訳ないんですけど」


そんな事を言われてもリビングでキスをして倒れ込んでからの記憶が無い、次に起きた時は倉木さんのベッドで布団に包まれていた。


「今度はちゃんと覚えておいて頂戴」


「忘れませんって・・・こんなの―――忘れる方が無理というものです」


「でも、気持ち良かったでしょ?」


「・・・それは否定しません」


恥ずかしい経験だったけれど、それが私の気持ちを高ぶらせた気がする。

羞恥心と性欲の相乗効果。

でも・・・女性と付き合ったのは私がはじめてだと言っていたのに慣れていたように感じたのは私の勘違いだろうか?


「ななみ」


声にまだ私への欲情を感じる倉木さん。

まだ、足りていないのだろうか。


「・・・倉木さんって性欲が・・・」


「そ、強いの。だから諦めて」


にっこり。

この真上の笑顔は、本来の使い方ではない笑顔。

言ったら引かない人なのは分かっていた、私も倉木さんの求めを拒めないということも。


「まだ時間、あるわよね?」


そう言うと部屋の時計に目を向けた。

私もつられて見るとまだ、全然時間はある。


「時間まで、ななみを楽しむわ」


楽しむのは倉木さんだけなような・・・とは言わなかった。

多分、そのうち私も倉木さんに抱かれて気持ち良くなってくる。

我を忘れて昨晩のようにもっと、と求めてしまうかもしれない。

それに次はいつこんな風に会えるか分からないのだ、倉木さんは忙しいから。


「・・・お手柔らかにお願いします」


私は小さく笑って倉木さんの首に腕を回した。






「気を付けて」


倉木さんが玄関で言う。


「はい、また会社で」


「休まないでよ? 休んだら私のせいになってしまうんだから」


冗談でもないように言うので私は苦笑する。

あのあと、本当に時間まで私は倉木さんに抱かれた。

身体の節々が少しばかり気になるけれど、動かないわけではない。


「じゃあもう少し手加減してください、倉木さん」


「手加減できるなら最初からしているわ、ななみが可愛すぎるのよ」


そう言ってくれるのは嬉しいけれどアラサー手前の私に可愛いというのはどうだろうか(笑)。


「ホントにね」


倉木さんは片手を私の首に回して引き寄せるとキスをしてくれる。

長めのキス。

そう言えば今日は倉木さん、朝以降は煙草を吸わなかったなと思う。

普段、あんなに吸うのに―――

唇が離れてから私は言った。


「煙草、そんなに吸いませんでしたね」


「せっかくななみが居るのだし、吸いに行くのが面倒だったの」


「禁煙しません?」


「無理言わないの、私から煙草を取ったらストレスで死んじゃうわ」


・・・まあ、そんな感じはする。

私も倉木さんの禁煙に関してはさほど真剣に考えていない、人のすることを取り上げる権利は私にはないのだ。


「ですよね、言ってみただけです」


私は笑って倉木さんから離れると玄関を出た。

明るいのは玄関前の廊下の蛍光灯のあかりのせいで、その奥は暗くなり始めている。

マンションの下までタクシーを呼んだのでそこまで下りればいい。


「―――でも、考えてみてもいいかなとは思ってる」


扉を開けて見送ってくれている倉木さんが歩き出した私に言った。


「前向きに検討をお願いします、倉木さん」


どういう心境の変化だろうか、あのヘビースモーカーな人が。

昨日、今日は影響を与えることは何もなかったと思う。

確かに喫煙者は倉木さん以外、遠慮したいと思っているけれどキスした時の煙草の味はクセになる。

せがんでしまうくらいに。

それが味わえなくなると思うと、いい事なのに禁煙するかもしれないという倉木さんに微妙な気持ちを抱いた私だった。

1ヶ月に1作品upするようにしていますが不定期に理由を付けてupする時があります。

今回は天皇陛下『即位正殿の儀』を記念しています(全然関係ないけど・笑)

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