1-4
「──くそっ! こんなに探っていて、何故見つからない……」
シルヴァンは苛立ちのままに執務机を殴りつけた。響く音とじんと拳に伝わる熱に、自身の愚かさを突き付けられる。
「殿下、お気持ちは分かりますが、お止めください」
アルマンが冷たいと言って良い程の口調でぴしりと言い放った。シルヴァンは深く嘆息し、手を雑に振って熱を逃がした。
「悪かった。悪かったから、止めてくれ。お前にそんな話し方をされると気持ちが悪い」
「──俺も丁度同じことを考えていたよ」
「なんだよ、アルから始めたんだろ?」
「それはそれだ」
「調子が良い奴だな」
軽口を叩き合えば心の中の騒めきも少し気にならなくなる。アンテノール王国第三王子とその直属の近衛騎士団第三小隊隊長という立場の違いはあるが、長年共に過ごした関係は崩れるものではない。シルヴァンが幼い頃に剣の師匠だったアルマンとの信頼は、互いが地位を意識するようになった今でも揺るがなかった。
「ヴァンはあの令嬢を救いたいんだろ?」
アルマンの真剣な表情は、シルヴァンの心を揺さぶるのに充分だった。素直な気持ちは簡単に湧き上がってくる。その目を真っ直ぐ見据えて、口を開いた。
「ああ。彼女を自由にしたい。あの場所から連れ出したい。心からの笑顔が見たい。──彼女は、セレスティアは……もっと幸福であるべきだ」
奴隷商を直接見に行ってから一月、シルヴァンは日々セレスティアに惹かれていた。涙の理由も、何故涙が真珠になるのかも、どんな人生を歩んであの場所にいるのかも、まだ何も知らない。今のシルヴァンが知っているのは、悲しげに儚く微笑む、壊れ物のような姿だけだ。
「ヴァン、惚れたんなら側に置けば良いだろう? お前は王子なんだから──」
「それで、彼女の命を危険に晒すのか?」
自嘲気味に笑えば、アルマンが不機嫌そうに腕を組む。しかし側に置く危険は、アルマンも良く理解しているだろう。シルヴァンは何度も暗殺を仕掛けられ、その度退けているのだから。守ってやればいいなんて詭弁だ。
思うように動けない自分が一番もどかしく、危険の最中にいることを自覚している。
「彼女を救い出す。──ベルナールは証拠を残してなかったんだから、これ以上探しても仕方ないだろ。それよりも一日も早くあの奴隷商をぶち壊すぞ、アル」
「ヴァンは決めたら聞かないからな。分かった、第三小隊はすぐに動けるように準備しよう」
「被害者達の受け入れ先は確保してある。私の庇護下の孤児院が、どこも働き手を欲しがっていたからな」
勿論、子供達も一緒に受け入れてくれるだろう。王都の者達は自分と異なる者達にも寛容だ。様々な地域から人々が集まってくる場所だからだろう。慣れたら他の場所で働いても良いだろうし、帰れる者は故郷に返してやりたい。
「実行はいつだ」
「三日後だ。頼んだぞ、アルマン」
アルマンはひらひらと手を振って、扉に手を掛けた。
「かしこまりましたよ、殿下」
アルマンは振り返ると、にっと笑って執務室を出て行った。一人部屋に残されたシルヴァンは、椅子に座って深く嘆息する。
自身の異母兄であるベルナールは、この国の第一王子だ。その母親である第一王妃は、大貴族アルチュセール公爵家の者。当代の国王──シルヴァンの父親は、効率を重視する人間だった。王はまだ若い頃、三人の妃を娶った。一人は、国内で最も強い権力を持つ大貴族の娘。一人は、国内で最も知識人を多く輩出している家の娘。一人は、国一番の腕を持つ騎士の家の娘。国王は三人の娘それぞれに子を孕ませ、各家に生まれた最初の男児に王位継承権を争わせることにした。それぞれに異なる秀でた遺伝子を持つ者達に競わせることで、より優秀な次代の国王を育て、王権を強固なものにしようと考えたのだろう。
「本当、良い迷惑だ……」
実際のところ、長兄は実家の権力と生まれ持った狡猾さで支持者と金を集めており、次兄は研究に没頭していて他人と関わることすら少ない。そして三男の自身は、城に寄り付かない変わり者だと言われている。
シルヴァンは王城にいてもなにも見えないと思っていた。国民の多くは平民なのだ。ひと握りの貴族の話を鵜呑みにすべきではない。騎士は国民を守る為にあれという祖父の教えは正しいと、シルヴァンは信じていた。だからこそ、貴族達からは奇異の目で見られているのだ。
夜の国営博物館はどこか硬質な印象がある。慣れた様子で裏口から忍び込んだシルヴァンは、セレスティアのいるガラスケースに向かった。しかしその足は、廊下を曲がる手前で止まる。いつもより、光が明るかったのだ。
「何かあったのか……?」
こんな深夜にこの場所に来る人間など、この一ヶ月の間一人もいなかった。不思議に思ったシルヴァンは、そっと物陰に隠れながらガラスケースの方を窺った。どうやら何人かの男がいるようだ。シルヴァンはその中でも妙に身なりの良い男に目を止め、息を飲んだ。光を浴びてよりその黒を深く見せる手入れの行き届いた長い髪は、見紛う筈がない。艶やかに磨き抜かれた腰の剣は、王家の者である証だ。
「──ベルナール」
第一王子ベルナールは、共に何人かの騎士を連れてきているようだ。その中には、アルマンが報告してきたベルナールの協力者であろう者も混ざっている。
セレスティアは華奢な身体を更に小さくして、狭いガラスケースの壁を背にベルナールと対峙していた。




