エピローグ1
それから一年が経ち、セレスティアはシルヴァンと結婚式を挙げた。二人の結婚は多くの人々に祝福され、アンテノール王国は喜びの声に沸いた。それからセレスティアは王城に住まいを移し、王太子妃としての勉強とこれまではあまりしてこなかった社交に励むこととなる。
仲睦まじい二人は国民皆に愛され、数年後には待望の男児も誕生した。父親である国王だけでなく王位継承権第二位のジョフロワもそれを祝い、十歳の誕生日をもって継承権を譲った。更に二年後には女児が生まれ、その可愛らしい姿に国王も夢中になっている。
国王はシルヴァンと共に更なる国の発展への道を模索している。手段の一つとして地位に拘らず政治に参加できる民主議会制を採用しようとしているが、その道のりはまだ長そうだ。しかし古参の貴族達の中にもシルヴァンを支持する者は年を経るごとに増えている。
相変わらず研究に夢中なジョフロワは、結婚には興味がないようだ。毎年のように新たな論文を発表するのに、結婚の予定は全くないらしい。異性と恋愛をするつもりも見合いをするつもりもないと聞いた国王は深く嘆息しながらも、彼らしいと笑っていたという。
そしてそんな満ち足りたある日、セレスティアはシルヴァンに連れられて王家の馬車に乗っていた。子供達も一緒に乗っている。初日は珍しい外出に騒いでいたが、三日目にもなれば飽きてしまったようだ。
「おとうさま、まだ着かないのですか?」
「もうすぐだよ。ほら、外を見てごらん」
シルヴァンが息子であるリオネルに言う。リオネルは妹のリアーヌの手を引いて、馬車のカーテンを少し大きく開けた。
「わあ……っ」
「きれいー!」
窓の外に広がっていたのは、日の光を反射して美しく輝く青い海だ。砂浜に船が泊まっている。
「おふねがある!」
「そうだよ、これからあれに乗るんだ」
「ヴァン様、これって──」
セレスティアもまた、窓の外に広がる光景に驚き目を見張った。そこはもう長い間訪れていなかった旧パントゥス王国である島に最も近い場所だ。いつの間にか呼ぶようになった愛称で呼びかける。
「ティアを驚かせたかったんだ」
シルヴァンが朗らかに笑っている。
「正式にアンテノールの領地になってから、ジョフロワがパントゥスの島の復興に興味を持ってね。他の研究者や職人達と協力していたんだ」
「え……そんな、私何も」
セレスティアは何もしていない。ただ既に美しい自然が壊されてしまった土地を持って王家に嫁いだだけだ。
困惑している間に一家を乗せた馬車は目的の場所に到着した。目の前に広がる大きな海に浮かぶ船は真新しい。
「元々パントゥス王国は人気のリゾート地だっただろう? あの海が戻れば、また人が集まるだろうと思ったのが始まりかな」
当然のように言うシルヴァンが、リオネルとリアーヌとそれぞれ左右に手を繋いで船に乗り込んだ。一度子供達の手を離して、セレスティアに手を差し出してくる。
「ほら、行こう」
最後にセレスティアが旧パントゥス王国に立ち入ったのは、もう十年以上前、毒に侵されたシルヴァンを救う為に珍しい海藻を探しに行った時だ。あの時見た記憶の中とは全く違った海の色が悲しくて、これまでは現実から逃げるように足が遠のいていた。
急かすシルヴァンの手を取って船に乗り込む。内装も美しい船は、確かに観光用のようだった。
「シルヴァン、遅いよー。先に行こうかと思ったよ」
「兄上、すいません。お待たせしました」
そこにいたのはジョフロワだった。先に来ていたのかと驚くセレスティアに、ジョフロワは苦笑する。
「まあ、奥さんと子供と一緒だからね。大目に見るよー」
ジョフロワの相変わらずふわふわの髪の毛と感情が読み辛い表情は変わらないが、かつてと比べると随分と丸くなった。
「ありがとうございます、お義兄様」
セレスティアは動き出した船の中で、ふわりと礼をした。
「ああ、そういうの僕苦手だって知ってるでしょ。──そんなことより、見てよ。僕の研究の成果だ」
ジョフロワが甲板へと続く階段にセレスティアを連れていこうとする。少しよろけたセレスティアを、シルヴァンが支えた。
「はやる気持ちは分かりますが、もう少し落ち着いてください」
「良いからほら。早くー」
呆れた表情のシルヴァンにセレスティアは苦笑して、リオネルとリアーヌと共に階段を上った。
「──まあ……っ!」
そこに広がる光景は、セレスティアを驚かせた。島までの距離はそう遠くない。既にその様子が分かるほど近くまで来ていたようだった。
真っ青に輝く海と、島の家の色とりどりの屋根。かつての王城は変わらずそこにある。それはまるで、夢の中の景色のようだった。
「どうやったら海を再生できるか、ずっと調べてきたんだー。国の滅亡よりも、面白いテーマだったよ」
「兄上、物騒なことを言わないでください。でも……本当に綺麗な場所だな」
セレスティアは長い間見てきた本の中の海を思い出した。あの頃と見た目には変化のない海。
「ありがとう……ございます」
セレスティアはほうと溜息を吐いた。嬉しかった。リアーヌがきゃっきゃと歓声を上げていて、先程までの退屈な様子が嘘のようだった。




