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悲しみの人魚は黄金の瞳に囚われる  作者: 水野沙彰


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6-4

 シルヴァンは壇上で頭を下げながら、ほっと肩を撫で下ろした。これから忙しくなることは分かっている。自身に向く悪意が無くなった訳でもない。ただ最も近くで自身とセレスティアに悪意を向ける者がいなくなった。その事実に少し安心できた。

 貴族達が拍手をしている。自身の勢力の者達は嬉しそうに、これまでベルナールの勢力にいた者達は渋々といった様子で、それぞれが壇上を見上げている。これから、自身を支持していない者とも歩み寄っていかなければならない。シルヴァンは改めて覚悟をした。


「せっかくの建国記念の夜会に、身内事で騒がせてしまった。ここからはまた楽しんでくれ」


 国王が言う。シルヴァンは隣で口角を上げた。それを合図に音楽が再開する。少ししてまた大広間には華やかな声が溢れる。まるで何事も無かったかのようだ。


「父上──いいえ、陛下」


「なんだ?」


 シルヴァンは改めて父親である国王に向き合った。そして、ずっと気になっていたことを尋ねるべく口を開く。


「何故陛下は、私共三人を争わせようとなさったのですか。そのようなことをなさらなくとも、長子相続でも、もっと簡単に陛下が任命なさっても、良かったのではありませんか?」


 ずっと気になっていた。答えがあるのかないのか分からずにいた。三人の妻を条件だけで娶り、それぞれに子を産ませる無情な王だ。ただ本当に最も強い者を知りたかっただけかもしれない。


「それが、この国にとって最も良いと思ったからだ」


 国王は苦笑して言った。





 かつて国王がまだ若者だった頃、先代国王であった父親が急逝した。元気だった父親が急にいなくなることなど、全く予想もしていなかった。

 当時の国王には、二人の男児がいた。真面目な性格の兄と、明るく人当たりが良い弟。王位は長子相続で、兄であった現在の国王が継承したが、国内の貴族勢力は大きく二分された。弟を王に望む者が多くいたのだ。弟にはカリスマ性があった。望むと望まざるに関わらず、人を周囲に寄せ付ける性質だったのだ。それは、真面目が取り柄の兄にはないものだった。

 気付けば少しずつ兄弟の距離は離れていき、努力では手に入らないものの代わりに兄はより厳格さを求めていった。厳格で、真面目で、強い王ならば、誰も何も言わないだろうと思った。しかしその予想は大きく外れることになる。締め付ければ締め付ける程、そして兄が我慢すればする程、結果として人心は離れていった。

 弟は兄が国王であることに納得していた。それどころか、それを支えようと努力していたのだ。それがかえって裏目に出て、より兄は追い詰められていく。

 嫁を三人娶ってから、弟は兄をより心配するようになった。決して望んでそうしているようには見えなかったからだ。貴族に気を遣って最も権力の強い家と、人民に気を遣って当時市民に人気があった最も強い騎士の家と、研究機関に気を遣って最も優れた学者を多く輩出している家。その選択に兄の自由はなかった。

 弟もだんだんと思い詰めるようになっていった。兄が国王という器に必死で収まろうとするのは、弟がいるせいだと。自分がいなければ、兄は責められることもないだろう、と。そして失われていく弟の明るさに、兄もまた悩んでいく。

 一度生まれたすれ違いは互いの間に修復できない程の深い溝を作った。全ては遅かったのだ。自ら命を絶った弟を前に慟哭するまで、兄はそのすれ違いに気付くことはなかった。





「──ただ、私は誰もが認めざるを得ない王を作りたかっただけだよ、シルヴァン」


 国王は国王らしくない顔で、しかしどこか父親らしい顔で笑った。その表情は、シルヴァンがこれまでに見たことがなかったものだ。それ以上尋ねることを躊躇って、思わず言葉を詰まらせる。


「だから、お前は気にせず王太子になりなさい。まだ先は長い、これからだ」


「はい……励みます」


 シルヴァンははっきりと言った。背を向けた国王がその場を去るのを確認して、すぐに壇上からセレスティアの姿を探す。セレスティアは先程と殆ど変わらない場所にいた。困ったような顔をしていたが、シルヴァンと目が合うとすぐに甘やかな表情になる。

 シルヴァンはいてもたってもいられずに階段を下りた。シルヴァンが動けば、人だかりは道をあけていく。皆がシルヴァンの足の向く先を知っているのだ。シルヴァン自身も不思議だった。どうしてこんなにも焦がれるのか。その美しい藤色の瞳と、透き通る白い肌。艶やかな白金の髪、高価な真珠の涙、整った愛らしい顔立ち。皆が目を引かれる全てがセレスティアを形作るもので、同時にそれら全てがセレスティアではない。シルヴァンはその正体を知っていた。あの日涙を流していた頼りない背中にも確かにあった、決して歪むことのないもの。


「セレスティア、愛している」


 シルヴァンは正面から向き合ったセレスティアに言った。誰にも何も邪魔されることなく、心からただ素直に愛の言葉を口にする。それがこんなにも嬉しいことだと、シルヴァンは初めて知った。セレスティアの頬が朱に染まる。それはまるで一輪の花のようだった。


「私も愛しています、シルヴァン様」


 セレスティアから返された愛の言葉が、すうっと乾いた心に染み込んでいく。それはまるで自分のものではないかのようだった。

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