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「もうシルヴァンは死んだのですよ。いつまでも後継を悩むことはないでしょう」
ベルナールが割れたガラスの破片を皮のブーツで踏みつけた。国王はそれを見て深く溜息を吐く。
「ベルナール。どうしてそう、王太子に拘るのだ。お前が言うように、シルヴァンが死んでしまったならお前が次期国王になるだろう。私に男兄弟はいない、当然のことだ。それなのに、なぜそんなにも焦るのだ」
「私はこれまで、第一王子でありながらも王太子ではないという辱めを受けてきたのです。父上、そもそもこのように兄弟で競わせること自体が滑稽です。私に何が不足していると言うのですか」
新しいグラスを丸テーブルから取り、琥珀色の液体を一気に喉に流し込む。自棄になっているようだ。
「──それが分からぬのなら、私はお前を王太子にすることはない」
「ならばこんな国──……滅んでしまえば良いのですよ!」
ベルナールは随分と酔っている。白い肌は赤みを帯びており、ガラスの破片の上の足はややふらついているようだ。
「そのような考えでは、やはりアンテノールを任せる訳にはいかないな。……ベルナール、金と支援者を集め、弟を殺し、そうまでしてお前が欲しかったものは、何だったのだ」
「何を──」
ベルナールが、国王の言葉に息を呑んだ。静まり返った大広間の空気を切り裂いたのは、かつん、かつんと響く靴の音だった。それは舞台から最も遠い扉の方から、途切れることなく近付いてくる。振り返った者は皆驚いた。目を見開く者、頬をつねって確認する者、そして息を詰める者。皆が信じていた事実を根本から否定する存在が、悠然と歩いてきたのだ。セレスティアは安堵からほっと肩を撫で下ろした。
「ベルナール兄上、もう茶番は終わりにしましょう」
かけられた声に振り返ったベルナールが、驚愕の表情で固まった。そこにいたのは、ベルナールが既に殺したはずの弟、シルヴァンだ。壇上に立つ姿のしっかりと伸ばされた背筋と、血色の良い顔色からは、不調な様子は全く窺えない。
「シ……シルヴァン……!?」
「こんばんは、兄上。無理に眠らされたので眠り心地が悪くて、起きてきてしまいました。夜会の最中に声を荒げられるなんて、兄上らしくないですね」
「お前は死んだはずでは──……」
ベルナールが一歩足を引く。ガラスが擦れて不快な音を立てた。
「死んでいるように見えますか? 私も舐められたものですね」
黄金の瞳が怒りを含んでベルナールを射抜いた。
「兄上にとっては残念なご報告でしょうが、私は元気です。──私を支えてくれる皆のお陰で、ね」
シルヴァンがセレスティアの方にちらりと目を向けて僅かに口角を上げた。セレスティアは彼らの会話の行く末に不安があったが、同時にその視線に高鳴った心を誤魔化せずにいる。
「い……いや、息災で何よりですよ」
「本当にそうお思いですか。あの毒は、なかなかよく効きましたよ。何なら兄上もお試しになってみます?」
毒という言葉に、貴族達はにわかに騒めいた。顔を青くする者もいる。ベルナールはふらつく足取りのまま、先程まで赤かった顔を蒼白にしていた。
「毒……いや、シルヴァンはそのようなものに苦しめられていたのかい? 盛ったのは誰でしょうか。俺も探すのに協力させてもらいましょう」
「結構です。犯人なら、既に捕えました」
「っ……そうですか。それならば俺も安心ですね」
シルヴァンがベルナールに詰め寄る。
「本当にそうお思いですか。犯人は自供しませんでしたが、私は証拠がないとは言っておりませんよ。──見つけました。私に使われた毒の入手に関わる契約書と、奴隷商の裏帳簿。他にも色々とありましたね。兄上、この国の犯罪を見逃し、ひいては隠蔽に協力する姿勢。また、不穏な毒物を他国から輸入するなど……王族であっても、許されることではありません」
「な、何を──」
「アルマン、この者を捕らえよ」
シルヴァンがはっきりと言い切る。響き渡った声に、貴族達はそれぞれの権勢が入れ替わったことに気付いたようだった。隅の方にいた新興貴族達が活気付いてくる。一方前列にいた貴族達は、自らの担いだ神輿が壊れていくことを感じてか不機嫌そうに顔を歪ませている。
アルマンが第三小隊の騎士達を連れてベルナールを取り囲む。ベルナールは剣を抜いて抵抗しようと試みたが、酒が回っていて思うように動けないようだった。剣はすぐに弾かれ、膝をつく。両腕を拘束されるまであっという間だった。
「父上! 俺を疑っているのですか!? 俺は……」
ベルナールが抵抗して吠えるように言葉を重ねる。国王がベルナールに近付き、持っていた杖の先を思い切りその頭に振り下ろした。
「証拠なら、もう私が預かっておるわ! 王太子不在の環境でそれぞれの真価を見極めようとした試みであったが、ここまで愚かさを露呈するとは……お前の脳味噌には何が詰まっていたのだ」
国王は深い溜息を落とした。ベルナールは引き摺られるようにして壇上から、そして大広間から連れ出されていった。しんと静かな大広間に、その場の空気を仕切り直すように国王の声が響く。
「皆の者、驚かせて悪かったな。仕切り直しだ。──ここにいる皆に証人になってもらいたい。本日、我が息子である第三王子シルヴァンを王太子とし、明日より私の後継として政務に当たらせることとする。それぞれ思いもあろうが、このアンテノールの未来のため、若者に力を貸してやってほしい」
「謹んで拝命致します。若輩者ですが、これからよろしくお願いします」
シルヴァンは恭しく一礼した。王族が頭を下げる仕草に皆が困惑したが、すぐにどこからか祝福の拍手が湧き上がる。ぱらぱらと始まった拍手は、すぐに大きな波となった。セレスティアも手を叩きながら、壇上のシルヴァンを見上げていた。




