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悲しみの人魚は黄金の瞳に囚われる  作者: 水野沙彰


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1-3

「──数が足りないだろう! 何をしていた!?」


 セレスティアは男の怒鳴り声──既に聞き慣れたそれを聞き流しながら俯いた。落ち込んだ態度を見せておかなければ、余計に大事になることを知っているからだ。

 怒鳴りつける男と、背後で不機嫌に壁を叩き付ける男と、セレスティアの涙の真珠を入れた袋を抱えている男。奴隷商の時間が終わると、毎日やってくる男達だ。その日のセレスティアの涙を拾い集めながら数え、満足げに、また時には罵り帰っていく。今日は数が少なかったようだ。


「真珠を出せぬのならば、お前を飼ってやることもないんだ。まだ若いうちに何処かのお偉いさんにでも売っ払ってやろうか?」


 その言葉に顔を顰める。そんなこと、この男達にできる筈がない。セレスティアの所有者はこの男達ではないのだ。しかし考えただけで、その男に支配される恐怖から身体が勝手に震え出す。情けなくて右手で左腕を握った。


「そうだなぁ。──足りない分あっちの子供達をまた鞭打ちにでもしてすっきりするか」


「やめて……っ!」


 カーテンの奥の扉は開け放たれている。檻の中の子供達に、これ以上の恐怖は与えたくない。こんな場所、壊してしまいたい。──しかし鎖で繋がれた非力な自身では不可能だ。唇を噛むと、セレスティアの意思とは無関係に涙が溢れた。止まらないそれを、嬉しそうに男が拾い集めていく。


「素直にさっさと泣けば良いんだ」


 鼻を鳴らした男達が出て行き、代わりに無表情な侍女が入ってきた。セレスティアの分の簡素な食事を運び、すぐに出て行く。味のしないそれを、飲み込むようにして食べた。

 セレスティアの所有者は、以前の持ち主──悪徳旅商人からセレスティアを高値で買った男だ。その金額はセレスティアの知るところではないが、半永久的に真珠を生産できる便利な女を売ったのだから、相当な金額だったのだろう。新しい所有者はここに専用のガラスの檻を作り、セレスティアを展示し、時折会いにくる。あの男は美しいものが好きなのだそうだ。女も、宝石も、それ以外も。整った顔に蛇のような笑顔、高価な服に、腰に携えた剣。セレスティアは男が嫌いだった。大嫌いだった。その感情は恐怖と言っても過言ではない。





 少し前、夜遅くにこの場所にやってきた不思議な男は、それから何度も訪れるようになった。二日続けてやってくることもあれば、ぴたりと顔を見せないこともある。セレスティアの名を聞いておいて、まだ男は名前を教えてくれていない。緑混じりの艶のある髪に、黄金色の瞳。意志の強そうな顔つきは、利かん気の子供のようでもあった。しかし瞳には熱があり、凍りついたセレスティアの心を無理矢理に融かしていく。

 会話はいつだってたわいの無いもので、季節の花についてや、流行りの本のこと。そして街で行われる祭りのこと。囚われの身のセレスティアには知りようのない外の話は、とても魅力的で、同時に悲しくもあった。それでも男のころころと良く変わる表情は見ていて楽しかった。どんな声をしているのだろう。どんな温度で──どんな風に触れるのだろう。想像をするだけで染まってしまう頬は、言葉にならないセレスティアの気持ちを代弁しているようだった。

 その日やってきた男は、これまでにないほど真剣な表情をしていた。


 ──貴女は外に出たいと思う?


 男はいつものようにメモにペンを走らせる。そして向けられたそれに、セレスティアは息を飲んだ。八歳の時に攫われ自由を奪われてから何度も考え、その度に諦め、何度も打ち消してきた、願い。今のセレスティアには分からない。

 本を開いて、その言葉を探した。この場所に連れてこられてから与えられた、セレスティアを泣かせる為の本。それはかつてセレスティアが幸せに暮らしていたパントゥス王国の滅亡について書かれた歴史書や研究書、絵物語だ。見る度に懐かしく、心の奥の柔らかな場所を刺激される。本の中にしかない美しい王国は、泣く為に与えられたものであっても、それでもセレスティアの支えだった。


 ──分からない。


 セレスティアは思いのままに言葉を紡ぐ。本を指差しながらの拙い会話でも、男はゆっくりと待っていてくれる。


 ──そうか。


 男の表情の無い顔に、少しずつ不安になってくる。男はセレスティアの為に聴いてくれたのだろう。その気持ちは嬉しかったが、出たいと願ってもここを出て行ける筈がない。この場所はあの男の──セレスティアを支配するあの男の領域なのだ。それに外に出ても、ずっと誰かの所有物として生きてきた自身には生きる術もない。

 それでも小さな希望くらい、口にしても良いだろうか。


 ──だけど、貴方の声を知りたい。


 分厚いガラスの壁の向こう側から、いつも向けられる優しい言葉。その音を、温度を、直接感じてみたい。

 男は息を飲んだ。まっすぐにこちらを見る瞳に、強い意志が込められたのが分かる。セレスティアは熱を持っていく胸を両手で押さえ、涙を堪えた。


 ──私もセレスティアの声を聞きたい。貴女の笑顔が見たい。


 向けられる言葉は刃のようだ。優しい言葉とすっかり離れてしまったセレスティアには、どうしようもなく痛い。そしてまた、セレスティアは本の最後の頁を開く。


 ──ありがとう。


 微笑んで見せると、男は俯いた。顔が影になった男の心は、セレスティアには見えなかった。

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