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「──決めたのか」
「ああ。私は、セレスティアを妻に望むよ。その為なら……兄上など構うものか」
真剣な目で問いかけてきたアルマンに、シルヴァンは険しい表情で頷いた。
あの夜会から三日が経った。手元には、父親である国王宛の正式な書状がある。シルヴァンが、セレスティアとの正式な婚約を望む旨を書いたものだ。
「お前の覚悟は分かった、ヴァン。令嬢の警護は我等第三小隊に任せてくれ。必ず守ると約束しよう」
「頼んだ。ベルナール兄上に先を越されると面倒だ。それに……やはり側にいてほしいと思ってしまう。これは、私の我儘だな」
アンテノール王国には、ベルナール、ジョフロワ、シルヴァンの三人の王子がいるが、誰も結婚していない。ベルナールには華やかな噂は絶えなかったが、誰とも将来の約束はしていないようだ。ジョフロワは研究一筋で異性に興味がないのが分かる。だからこそ、ベルナールがセレスティアを妻にと望む前に、シルヴァンが動かなくてはならない。ベルナールは婚約など思い付きもしないと思うが、万一あちらの方が早ければ、国王も年齢も上のベルナールを優先するだろう。
「社交界に出てきた以上、本人も分かっていると思うけどな。ヴァンはもっと素直になって良い」
「──それではお前に迷惑を掛けることになるぞ、アル」
シルヴァンは書状を丸め、紐を結んだ。これを直接届けて、国王の承認を得られれば、相手の家に婚約の打診をすることができる。
「ヴァンが俺に掛ける迷惑なら構わないさ」
アルマンの軽口にシルヴァンは笑いながら扉を開け、扉の前にいた護衛の騎士に国王への先触れを頼む。騎士は驚いた後、すぐに向かっていった。扉を閉めたシルヴァンは首を傾げる。
「うちの騎士は皆、陛下に会うのを嫌うな」
「そりゃ、あんだけ威圧的じゃ当然だろ。まして絶対的な政治手腕も評価は高い。雲の上の人であって欲しいのだと思うが」
「雲の上……か。そうであったならどれだけ良いか」
溜息は思っていたよりも深くなった。厳格で政治手腕に優れた国王が、必ずしも良い父親であるとは限らない。少なくとも子供達に命がけで王太子位を争わせているのだから、優しいとは言い難いだろう。寂しそうな王妃達を見る限りでは、良い夫であるとも言えないとシルヴァンは思う。
「そうか、ヴァンにとっては父親だな……悪い」
「いや、構わないさ」
確かにアルマンの言うことは事実である。非情で無ければ成し得なかったことは多いだろう。
シルヴァンが内心で納得したその時、扉が叩かれ、先触れを頼んだ騎士が挨拶と共に入室してきた。
「殿下。陛下より、一時間後のお約束を言付かって参りました」
「ありがとう。では一時間後、陛下の執務室に伺うので、同行を頼む」
「はい、畏まりました!」
一時間後とは、随分と早く時間を空けてもらえたものだとシルヴァンは思った。しかしこれは僥倖である。少し気の重い席だが、今後の為に我慢しよう。これまで国王には父親らしいことは何一つされてこなかったが、同時に命を狙われたこともない。そういった意味では信頼できる人間の一人だった。
「シルヴァン、お前が私に会いたがるなど珍しいではないか」
シルヴァンの父親でもあるアンテノール王国の国王は、豪奢な執務室の椅子にゆったりと座ってシルヴァンを待っていた。歳をとって尚衰えることのない身体は、その皺の数も相まって、見た目から信頼感を醸し出し、強い国王だと印象付けられる。
「畏れ入ります。陛下……いえ、父上。本日はお願いがあって参りました」
シルヴァンは持参した書状を、控えていた近侍に手渡した。近侍はそのまま国王の元へとそれを運ぶ。国王は書状を開いて、シルヴァンの顔と書状を何度も見比べた。
「──婚約、か。最初にそのような話を聞くのがお前だとは思わなかったな」
「はい。私も、自身がこのようなお話をするのは、先かと思っておりました。どうかお許しを頂きたく存じます」
シルヴァンは頭を下げる。国王は書状の端を指先でなぞり、その端を弾いた。
「この婚約の、将来像は描いているか?」
この問いは、ただ幸福な家庭を築きたいなどと答えてはいけないものだった。シルヴァンは一度深呼吸をして、できるだけ感情を平坦にした。
「現在、パントゥス王国跡地の権利は宙に浮いております。パントゥス王国を滅したアンテノール王国の指揮する連合軍が、複数の国で構成されていた為です」
十年前、パントゥス王国の王城は、豊かな国の富に目をつけたならず者達によって一夜にして落とされた。後にその時のならず者達は、アンテノール王国の指揮する連合軍の手によって捕らえられ、処分されている。
しかしその後のパントゥス王国跡地は、複数国の連合軍による進軍であったこともあり、権利が宙に浮いたままになっていた。なにせ元々豊かな国であり、海産資源も豊富だったのだ。復興すれば巨額の富を得ることも、新たな産業を始めることもできるだろうと考える者は多かった。
「私はこの婚姻をきっかけに、セレスティア嬢をパントゥス王国の正統な後継とし、跡地をアンテノール王国の領土として治めます。滅んで十年しか経っていないのですから、調査を進めれば、あの土地を復興することも可能かと。ジョフロワもパントゥスの歴史には興味を持っているようです。パントゥス王国繁栄当時と同じ品質の海産資源が手に入るようになれば、飽和状態になりつつあるアンテノール王国の力となるでしょう」
シルヴァンは執務室で準備をしてきた言葉を、思い出しながらそろそろと口に出す。その言にどれだけの評価がされるのか、シルヴァンは頭を抱えそうになる。
「婚約について、お前の考えは分かった。確かにあの土地には投資するに相応しい。婚姻という形なら、他国からの口出しもないだろう」
国王は両手を組んだ。そして、珍しく深く笑う。
「よろしい。書状をフランクール家に届けよう」
「ありがとうございます……っ!」
シルヴァンは深く頭を下げた。セレスティアを愛しているからだという当然の言葉は、胸の中で押し殺した。




