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シルヴァンのリードでセレスティアは大広間の中心に歩を進める。それまでの緊張と不安はどこに行ったのか、一歩一歩が軽かった。シルヴァンの笑顔は一年半前よりも大人びていて、セレスティアをより落ち着かなくさせた。
「──まさかここで会えるなんて」
シルヴァンが甘く微笑む。セレスティアは緊張からまだ硬い表情のまま、頬ばかりが熱い。
「シルヴァン様が折角私をフランクール家に隠してくださったのに、申し訳ございません」
セレスティアをフランクール伯爵家に置いたのは、国王やベルナールからだけでなく、国内の貴族達からも隠す為だろう。パントゥス王国の王族の生き残りだというセレスティアには、王国の悲劇や幻の遺産等のゴシップがついて回る。実際のところパントゥス王国は荒れていて、無理に連れて行かれたセレスティアに遺産などある筈もない。彼等に大切なのは真実ではなく想像の中の事実なのだ。
「いや……これが貴女の決めたことなんだろう?」
「はい。私は、それでもどうしても……あの。貴方に、お会いしたかったのです」
セレスティアの言葉に、シルヴァンは息を飲んだ。
「そう、か。私の独りよがりに付き合わせてはいけないと思っていたんだけど。──ああ、踊ろうか」
ちょうど軽やかに音楽が流れ始める。シルヴァンがセレスティアの腰に腕を回した。セレスティアもそれに返して、シルヴァンの腕に手を添える。急に近付いた距離は刺激が強い。これは夢の中なのだろうか。セレスティアの前には、これまでに何度も夢に見た、あの日より少し大人びたシルヴァンがいる。胸板は厚くて、身体は固くて、触れられている手が熱くて、そこから熱が広がっていくようだった。
今日まで歩けるように、動けるようにと練習してきたのはこの為だったのだと思った。すぐ近くにシルヴァンの顔がある。セレスティアを見つめる黄金色の瞳は優しく、甘く、そしてやはり熱い。
「こんなに楽しく踊れるなんて──」
ぽろりと零れたセレスティアの呟きに、シルヴァンが頷いた。
「私もだ。このままずっと踊っていたいくらいに」
その言葉に込められている感情の名前を、セレスティアはまだ知らなかった。そして自分の胸をいっぱいにする、感情の名前も。
曲が終わり、身体が離れる。それでも手だけは繋がれたまま、セレスティアはアロイスとロザリーの元へと戻った。
「──初めてのダンスはどうでした?」
ロザリーが面白いものを見るような目をセレスティアに向けている。とても楽しかったがシルヴァンの隣で素直に言葉にするのは躊躇われて、目線を僅かに横に逸らした。
「あ……」
そこにあった姿からセレスティアは目が離せなくなった。黒い髪に青い双眸。美しいと言って良いだろう顔には笑顔が浮かんでいるが、笑顔を貼り付けていると表現する方が正しいだろう。咄嗟にエスコートされている右手でシルヴァンの手をぎゅっと掴んだ。
「歓談中失礼するよ。はじめまして、セレスティア嬢」
セレスティアは挨拶に返す言葉を持っていなかった。喉の奥が引き攣ったようで、呼吸が浅くなる。
アロイスとロザリーも、声を聞いてすぐにベルナールに向き直った。その顔にはセレスティアがこれまでに見た二人のどの笑顔よりも完璧な笑顔が浮かんでいる。
「まあ、殿下。お久しぶりでございますわ」
ロザリーがセレスティアを庇うように会話を引き継いだ。
「これはこれは、フランクール伯爵夫人。今日はお越し頂きありがとう。──伯爵殿、貴殿の家が令嬢を囲っていたなど、これまでに聞いたこともなかったけれど?」
すうっと細められた目は、獲物を狙う蛇のようだ。しかしアロイスはそんな睨みにはびくともせず、表情を変えることもない。
「なにぶん事情のある子でしたので。私共の方で、今日まで隠して育てておりました」
アロイスは至って真面目な声音を貫いている。これが嘘だと知っているのは、アロイス本人とロザリー、セレスティア、ベルナール、シルヴァンの五人だけだ。周囲から見れば、デビュタント初日に二人の王子から口説かれる令嬢、だろう。羨望と嫉妬の入り混じった視線が痛い。
「これだけ美しい娘では、確かに心配だねぇ。私も一曲お相手してもらいたいものだよ」
ベルナールはセレスティアに向かって言った。セレスティアが正面から誘われてしまえば、王族からのダンスの誘いをいち貴族が断るなどできる筈もない。それでもセレスティアが逡巡していると、ベルナールはセレスティアに手を差し出す振りをして、距離を詰めた。
「シルヴァンと踊ったんだ。当然、私とも踊れるよね?」
他の人達には聞こえない程度に調節された声量に、セレスティアの背に寒気が走った。断ってはいけない。従わねばならない。俯いて視界に入ったドレスの裾から、ある筈がない鎖が見えた。
「──はい……勿論でございます」




