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悲しみの人魚は黄金の瞳に囚われる  作者: 水野沙彰


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1-1

「これは──」


 怒りから思わず声が漏れる。仮面の下の自身の顔は、きっと他人には見せられない程に歪んでいるだろう。共にやってきたアルマンが耳打ちする。


「おい、ヴァン。今日は見に来ただけだ。腹立たしいのは分かるが、手は出すなよ。まだ証拠は揃ってないんだからな」


「分かっているさ」


 シルヴァンが腹を立てている理由は主に二つ。一つは、国営博物館の裏で違法な奴隷商が行われている事実が目の前に広がっている為。もう一つは、その主犯が自身の一番上の兄である可能性が極めて高い為である。

 粗末な檻の中に入れられた貧しい身なりの人々。中には異国の肌色の者もいる。売買されてここまでやってきたのか、拐われてきたのか、シルヴァンには判断がつかない。しかし自身と同じように仮面を付けている者達は、楽しそうにどの奴隷を買うかを吟味し、またこの光景を楽しんでいるようだ。


「しかし、ユーグには感謝だな。あいつがここの紹介状をくれたお陰で、私達は難なく潜り込めた」


「そう、そこだよヴァン。私は心配なんだ。ユーグは信頼に足る男なのか? あの男の父親は──」


「アル」


 シルヴァンに意見したアルマンの言葉を途中で切って、シルヴァンは小さく嘆息した。周囲の視線がないことを確認して言葉を続ける。


「ユーグは大丈夫だ。父親とは幼い頃から折り合いが悪く、後継についても揉めているらしい。私の友人の一人だ。──しかしあの家名は素晴らしいな。このような場所に私が無条件に入れる程の信頼が、裏の社会にあるということだ」


 嘆息したアルマンと反対に、シルヴァンは僅かに口角を上げる。これで長兄──ベルナールを追い落とす理由が一つ増えた。後は確たる証拠を得て、ここにいる奴隷達の引取先と返還の手筈を整えれば良いだろう。その確たる証拠にあたる何かを、あの兄が残しているかは疑問だが。


「大まかな人数が知りたい。中を見て回るぞ」


 国営博物館を利用しているだけあって、奴隷商に利用されている敷地も広い。薄暗いその空間に息苦しさを感じながらも、シルヴァンは奥へと向かった。


「しかし、これ程の規模で行いながらも摘発されないままとは」


「騎士団の中にも協力者がいる可能性があるな」


 アルマンは自身の属する組織について、冷酷なまでにはっきりと言う。苦笑したシルヴァンは、しかしそれを否定しなかった。しばらく歩いて、突然目の端に飛び込んできたその場に似つかわしくない明かりに首を傾げる。


「あれは何だ?」


 薄暗い空間に粗末な檻が並ぶ中、そこだけ華やかと言っていい程に明るく照らされていた。檻ではなく、分厚いガラスに仕切られているようだ。その周囲は人が集まり、特に騒々しい。興味を惹かれたシルヴァンはゆっくりと近付き、そこに広がる光景に目を見張った。


「彼女は──」


 その一面がガラス張りの部屋は、この空間には似つかわしくなく上品な家具で揃えられていた。柔らかそうなクッション、真っ白なラグマット、端にはオークの本棚。奥はカーテンで仕切られ、こちらからは見えないようになっている。

 その中にいたのは、まだ年若い女だった。光に透ける絹糸のような長く美しい白金の髪を無造作に床に広げて、ゆったりと座っている。彼女は本を読んでいた。いや、読んでいるというよりは、見ていると言った方が正しいだろう。

 その藤色の瞳から零れる水滴が痛々しい。何故そんなにも泣くのかと不思議に思っていると、頬から離れた瞬間にそれは淡く輝き、美しい純白の真珠へと姿を変えて落ちていった。軽く弾んで転がるそれを目で追う。ラグマットや床には、いくつもの真珠が散らばっていた。シルヴァンは驚きに目を見開いた。


「アル、この報告は受けていないが」


 シルヴァンは女から目を離さないままに言う。アルマンは声に滲む不機嫌に気付き、ばつの悪さを感じて目を逸らした。


「すまん。調査が足りなかった」


「早急にあの令嬢の調査を。──何者だ」


 博物館の展示に付けられるプレートを模した板には、人魚姫の涙、と書かれている。別室ではこの真珠やそれを使った装飾品が売られているようだ。

 空っぽの表情からは、怒りも悲しみも感じられない。ただ泣くことが義務であるように、表情の無い顔からひたすらに涙を零し続けている。シルヴァンは後ろ髪を引かれる思いで、踵を返してその場を離れた。





 それから数日後の夜、シルヴァンは単身で国営博物館へと向かった。自身の騎士であるアルマンにも内密にだ。シルヴァンは以前潜入した時に作成していた合鍵を使い、裏口からこっそりとその場所に忍び込んだ。厳重な警備がされていたら引き返そうと思っていたが、予想よりも手薄で、王族専用の隠し通路を使う程度で簡単に中に入ることができた。奴隷達もすっかり眠っている時間だ。取り仕切っている男達も、既に帰っているだろう。


「──ここだ」


 シルヴァンは分厚いガラスケースの前で足を止めた。薄暗い中、その部屋には木製の小さなランプが灯されている。

 昼に見た女が、白いラグマットの上、クッションを抱えて横たわっていた。既に夜着に着替えていたようだ。やはりこの場には似つかわしくない繊細なレースの意匠で、シルヴァンはいけないものを見たような居た堪れない気持ちになる。女は視界の端にシルヴァンを捉えて、驚いたように上体を起こした。

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