2-5
セレスティアが目覚めた時、既に日が大きく傾いていた。ぼんやりとした意識の中、夢なのか現実なのか、曖昧なほど不安定な記憶が脳裏で警鐘を鳴らしている。
「──シルヴァン、様?」
名前は知らなかった筈だった。しかし夢の中の彼は、確かにその名を名乗っていた。まさか本人だとは思いもしないセレスティアは、何処かで目にしていたことだったのだろうと納得する。
「ヴァン様は、王子様でいらっしゃるの?」
セレスティアは辿り着いた夢の答えにはっと顔を上げた。事実を確認したい。それも、出来るだけ早く。ロザリーとテレーズはセレスティアに教えてくれないような気がした。そうなると、調べる場所は限られる。
「図書室があった筈だわ。確か……一つ下の階」
図書室は自由に使って良いと言われていた。セレスティアは寝台から出て、靴を履いた。休んだお陰で大分足に力が入ってくれるようになっている。テレーズはいなかった。まだ夕食には早い時間だ。セレスティアはあのまま眠っていると思っているのだろう。
手摺を頼りに階段を下りて、すぐ左手の扉。歩き慣れていなかった足は日々の運動で疲労し、動くと痛みを伴った。それでも歩いて図書室に向かい、扉を開ける。明かりをつけると、代々の伯爵家の者達が集めてきたという本が、壁一面に並んでいた。
探し方は分からなかったが、何となく新しそうな本が並んでいる棚へと向かう。セレスティアの予想通りそこには最近の本が並んでいて、今の当主やロザリーが集めたものなのだろうと分かった。兵法の本や領地について、そしてファッション誌と恋物語。雑多に並べられているその棚は、今最も触られているようだ。セレスティアは埃を被っていないその中から、新聞と雑誌の切り抜きを集めたスクラップブックと、貴族年鑑を見つけた。思い切ってその二冊を引き出し、そのまま床にぺたりと座る。
「──ええと」
貴族年鑑など、十歳から自由のなかったセレスティアはきちんと見たことがなかった。数年毎に編纂されるそれには、王族と貴族の名前が、当主との関係性と共に書き連ねられている。王族ならば前の方に書いてあるだろうと、セレスティアは頁を捲る。予想通り、数頁目でその名前はあった。
「シルヴァン・アンテノール……第三王子殿下」
セレスティアは少なからず驚いていた。夢の中でシルヴァンが名乗った立場と、この本に書かれている立場が同じだったのだ。そして、やはり母親は今のフランクール伯爵家当主の娘だった。嫁いで数年で子を身籠もっていることが分かる。
「ベルナール第一王子殿下と、ジョフロワ第二王子殿下と……三人、一歳違いなの?」
それも、嫁いだ順にできた子である。こんなに綺麗に年子で生まれるものだろうか。引っ掛かりを感じつつも、セレスティアは続いてフランクール伯爵家の頁を探した。末尾に索引が付いていることに気付かず、端から順に頁を捲っていく。しばらく知らない家名が並んでいて、飽きてきた頃に、フランクール伯爵家の頁はあった。
「当主様と奥様の間に、お子が二人……」
一人はシルヴァンの母親で、もう一人が後継の息子だった。彼にも妻と子がいるようだ。
必要なことを調べたセレスティアは、続いてスクラップブックに目を向ける。こちらは新聞と雑誌の記事を切り貼りしたものだ。その内容は、フランクール伯爵家と子供達の関わるもののようだった。
「やっぱり貴族のお家だから、新聞にも取り上げられているのね。……あら、当主様。すごいわ」
その記事は随分古いもののようで、戦において活躍した英雄として、フランクール伯爵を讃えていた。更に頁を捲っていくと、武勲に対し、国王が娘を妃として迎えるという褒美を与えた、という記事が出てきた。挿絵には美しい細身の女と、国王らしき男が並んでいた。男の笑い方がベルナールと似ていて、絵だと分かっていても背筋が寒くなる。息子の結婚、シルヴァンの誕生、孫の誕生。貴族のプライベートは特に雑誌や新聞に取り上げられやすい。それを分かっていて、記事を集めたのだろう。時系列で並べられていて、挿絵の中の人物達はどんどん今の姿に近付いていく。最後の切り抜きは、シルヴァンが国王主催の狩猟大会で優勝したというものだった。馬上で気分良さげに笑う笑顔は、曇りがなくまっすぐだ。
「ヴァン様……いいえ。シルヴァン様だわ」
この笑顔が好きだと思った。実際に聞いた声は、思っていたもの以上に優しかった。腕は力強くて、瞳は黄金色に輝いていた。
「シルヴァン様のこと、どうしたらもっと知れるのかしら」
王族なのだから、情報などいくらでもある筈だとセレスティアは思った。ただ今はセレスティアが落ち着いて生活できるようにと、心遣いで情報を制限してくれているのだろう。新聞を読めば、世の中のことは分かる。シルヴァンのことも、知ることができるだろう。そして、街にでる。街なら人も大勢いるであろうし、そもそもシルヴァンは王族だ。何か本や、彼についての話も聞けるかもしれない。
「だけどいつか会う為には……」
王城に行かねばいけないだろう。そこには、セレスティアにとっては恐怖の対象であるベルナールもいる。
負けない強さを手に入れたかった。揺らがないものが欲しかった。ただ、それが簡単ではないことも、セレスティアは良く知っていた。




