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悲しみの人魚は黄金の瞳に囚われる  作者: 水野沙彰


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2-2

 シルヴァンは落ちた本を拾ってそれぞれの山に重ねた。


「あー……シルヴァン、どうして適当に重ねるかなぁ」


「いけませんでしたか?」


「──良いよ、別に」


 ジョフロワは床に座ったまま、小さく嘆息してシルヴァンに向き直った。シルヴァンの一歳上の第二王子である彼もまた、シルヴァンとは腹違いの兄弟だ。国王が、最も知識人を多く輩出している家の娘を娶って産ませた子。その家には研究肌の人間が多く、幼少期をそこで過ごした結果、見事に本の虫に──それも歴史分野においてこの国一番と言っても良い程の研究者になった。

 薄茶色の髪は癖が強く出、白い肌に色素の薄い茶色の瞳。同じ王子でも、美意識が高く自身を美しく整えているベルナールとも、日々鍛錬しているシルヴァンともまた違う、細い肢体はともすれば女のようだ。


「それで、シルヴァンは何しに来たの?」


「兄上ならご存知かと思いまして。あの人魚の涙の──」


 言い淀んだシルヴァンを、ジョフロワは半目で睨んだ。その不機嫌な表情は怖くはないが、珍しいものではある。


「やっぱりシルヴァンだったんだ、ベルナール兄ぃのお気に入り取っちゃったの。ずっと不機嫌なんだけど、どうしてくれるのさ」


「え、あ、いや。取ってはいないと思います、けど」


「そうかなー? で、あの子はどこにやったの?」


「それは兄上にも言えません」


「なんだ、つまらないの」


 ジョフロワはシルヴァンから興味を無くしたように、本の山を漁り始めた。シルヴァンはジョフロワの相変わらずのマイペースに肩の力を抜き、代わりに頭を回転させた。この二番目の兄は悪い人物ではない。しかし同時に、研究や興味のあるものに対しては追求を緩めないのだ。


「それで兄上。どうして彼女をご存知なのですか」


 シルヴァンはそもそもの疑問を口にした。セレスティアはあの場所にずっといたのではないのかと不思議に思う。ジョフロワが知っていたということは、そうではないということだろうか。


「ベルナール兄ぃがあの子の不思議な力について、僕に聞きに来たんだよ。それで知ったの。僕も驚いたよ。まさかパントゥス王国最後の王族、末の姫君がこの国で生きていたなんてねー」


 シルヴァンはジョフロワの言葉に目を見張った。正直驚いた。パントゥス王国の本を大切そうに読んでいたのは知っていた。その国に起きた悲劇も、知らぬ者はいない。しかし行方不明の生き残りが、まさか奴隷商でベルナールに捕らえられていたとは。


「ベルナール兄上はそれを知って……!?」


「ううん、最初は知らずに買ってきたみたいだよ。あの人碌でもないけど、良いもの拾ってくるよねー。羨ましい」


 ジョフロワは探し物を見つけたようだ。一冊の本を、シルヴァンに向けて差し出してくる。シルヴァンはそれを受け取り、表紙を捲った。研究書のようだ。そこに書かれた題名を読み上げる。


「──パントゥス遺跡、調査結果と姫君についての考察」


「そう。それ読めば基本は分かるんじゃないかな。貸してあげるよ」


「よろしいのですか?」


 本から勢いよく顔を上げたシルヴァンに、ジョフロワは人の良さそうな笑みを浮かべた。両手を頭の後ろで組んで、身体を前後にゆらゆらと小さく揺らしている。


「いいよ。──でも、いつか僕にも見せてくれる? その姫君、なかなか興味深いよね」


 なにせ滅んだ国の王女で、涙が真珠になるんだから──と続けたジョフロワに、シルヴァンは眉間に皺を寄せた。ジョフロワの興味は研究対象に向けてのものだろう。とすればその興味は、とても強い感情であるということで。


「考えておきます。ですが……彼女は自由であるべきです。私の考えは、何があってもそこから変わりません」


「そうかー……」


 セレスティアがジョフロワに会いたがったら、会わせてやりたい。しかしそもそもシルヴァンにはセレスティアと会うつもりはなく、このことを伝える機会もないだろう。

 そしてジョフロワの探究心は、シルヴァンにとってやはり恐ろしかった。ベルナールと違って裏表なく心のままに行動しているジョフロワ。シルヴァンはふと気になって、口を開いた。


「兄上は、ベルナール兄上が次期国王になっても良いとお考えですか?」


 シルヴァンにとってそれは素朴な疑問だった。頭の良いジョフロワは、どう考えているのだろうか、と。


「そうだな……」


 ジョフロワは暫し考えるような素振りを見せ、それから心底楽しそうに笑った。


「この国はね、充分に成熟しているよね」


「そう、ですね」


「あのね、シルヴァン。成熟した果実は鳥獣に食べられるか、腐って落ちるのが常なんだ。ベルナール兄ぃが国王になったら、きっとこの国は滅ぶだろうね。自分の国が滅びるのをこの目で見ることができるなんて──ぞくぞくするよ」


 頬は微かに紅潮していて、こんな話をしているのでなければ色っぽい表情だと感心していたところだ。しかし話しているのはこの国の未来である。


「兄上、しかし──」


 その口ぶりに慌てたシルヴァンに、ジョフロワは伸ばした人差し指を突きつけた。


「だけどね、それでこの僕の研究成果を失うのは惜しいんだ。うーん、難しい問題だよねぇ……」


 ジョフロワは心から辛そうな声音で言う。それはまるで恋しい女に焦がれるようだ。


「──分かりました。では、本はお借りします。失礼しますね」


 シルヴァンはもうこちらの声が聞こえていないであろう夢見る瞳のジョフロワを残し、本を抱えて自室へと戻った。アンテノール王国の未来を憂いながら。

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