84クリストファー視点
2019/08/29 校正+加筆 一部書き直しました
シャルを伯爵邸へ招き、仕立屋の訪問で僕は父がかつて使っていた執務室で待機する事になった。その間に残った仕事の処理をして、一息つきながらシャルについて考えていた。
「〝前世の名前を呼ばないで〟……か」
執務専用に置かれた木製の机の引き出しから、幼い頃にフェリチタ卿に頼んで描いて貰った、幼いシャルの小さい肖像画を取り出して眺める。そこには天真爛漫に笑う僕の初恋の顔だった。
ベルンリア領で最終日にプロポーズをしたものの、昔のシャルとは大きく違う部分に戸惑った事が幾度もあった。
まるっきり別人だったからだ。
それに関しては、スティやグラムも同じように感じていたようで、一ヶ月前スティが学園を休学して王宮に入ると報告を受けた際にそれが話題に持ち上がった。
「今のシャルティエと言う人間を、どう思うか……だって?」
珍しく男子寮にスティが訪れて、妊娠の報告と学園の休学届を終えて、学園長には飛び級で卒業する段取りを組んでもらう予定だと伝えられて了承した後、まるで雑談にそれを持ちかけるかのように問われた。
その質問にはどういう意図があるのか測りかね、視線を逸らして考える。
スティは時折よく分からない事を問いかけてくる。
これも逆行と呼ばれるものの影響で、心身の変化なども関わっているのだろうかと考えると不思議とその疑問は消え失せた。
「えぇ……。あの子は〝前世の名前を呼ばないで欲しい〟と言っていたのだけれど、私の知っているあのシャルは……」
「死んだから、彼女は厳密にはシャルティエではないと……?」
僕の続けた言葉にぴたりと当てはまったのか、スティはそれだと頷く。
「あの子は、アヤカの人格でシャルティエを演じているだけに過ぎない事を、ちゃんと理解していないわ」
「……それで?」
「私達の知る幼馴染のシャルは、もう居ないのよ。お兄様はそれでも今のシャルを愛せるの?」
この話の論点は、〝僕がシャルに対してどう思っているか〟という事だったのかと改めて理解すると、寮生に用意して貰った紅茶を一口含んで彼女の事を考えた。
もちろん再会した時から彼女の様子がおかしくて、話が分かっていくうちにシャルはもう存在していない、別人の存在がシャルティエの姿をして歩いている状態だという事を理解した上で更に近付いた。
彼女の一つ一つの反応が可愛らしく、しかしどこか男性経験を醸し出す雰囲気が見え隠れする事があったが、彼女はそれに対して何も考えていないようだった。
こちらのアプローチに対しての反応が、十代の少女ではない事があってその違和感はすぐに気付いた。
そうでもなければ、誰もいないとは言え、廊下での口付けにも逃げていたことだろう。
思っている事が顔に出て来る所も、全て見たくて目が離せなくなる。不意に言葉にした時の彼女に驚かされる事だってあった。
次第に自分の知らないシャルティエではない誰か、それこそ彼女の内面的な物に興味が湧いて幼い頃に初恋をした彼女の事すら遠い記憶になってしまっていた。
「……シャルではなく、アヤカを愛せるのかという話か」
「そうよ。私はあの子を数ヶ月のあいだ見てきたけれど、シャルティエとしてではなくあの子自身も心からお兄様を好いていたわ。転生した後の反応ですぐ分かったもの」
再会したあの日、顔を赤くして失神する程の反応を見せられてこちらがその気にならないわけがない。その後スティは、綺麗な眉間に皺を寄せて続けた。
「ただ、お兄様の事が心配なのよ。昔のシャルの事が好きでプロポーズまでしていた。……だけど、今はそのシャルは居ないわ。天真爛漫なあの子じゃなくて、今は初心で頑固で、思い込みの激しい、シャルティエの姿をしたアヤカという人物……」
「……うん」
「とてもいい子なのよ? ――だけどお兄様の初恋の相手ではないわ。だから、あの子とシャルティエを重ねていないか不安になったの」
スティは、初恋の相手ではない違うシャルティエと恋人になっているのだと言いたいのだが、新たな彼女をきちんと受け入れているのか確認を取りたいようだ。
心配症な彼女の不安げな表情に、少し嬉しくて口元が緩む。
「スティ……、僕の心配をしてくれていたのか。ありがとう……こんなに優しい妹を持ってうれし――」
「はぐらかさないで! 私はもう、ここを出てしまうからあの子を一人にしてしまったら誰も支えられなくなるの。聡いと思ったら少し天然で、鈍感な所があって誤解もしやすい。でも、どうしてなのかしら……、シャルじゃないのにどうしても目が離せなくなるの……親友ってこういう物なのかしら」
スティもシャルティエという過去の親友を失った反面、新たに側に立つ親友の姿をした彼女を、友人として惹かれていたのかと分かり安堵した。
受け入れがたい存在でない限り、彼女はこれからも上手くやっていけるだろう。あとは僕の問題だと言う事だ。
……しかし、スティは僕がシャルティエではない彼女を受け入れてこれから生涯愛せるのかという心配だけが心残りでここまできたのだ。
その答えはとうに出ている。それを言葉にして彼女を安心させてやらなければならない。
「それで良いんじゃないかと思っている。僕も〝今の彼女〟が好きだ。愛していると言ってもいい。スティの心配している事は問題ないから、心置きなく王宮で世話になっておいで」
「……お兄様は――」
僕の言葉に何かを思って安堵したが、すぐに何かを言いかけて口を引き結んだ。僕はそれに対して微笑みかける。
「言ってごらん」
「……お兄様は、シャルティエを……過去のあの子と割り切れるの?」
言葉を選びながら、途切れ途切れにそれを言う妹に少し乾いた笑いをして見せると目を伏せた。
「割り切る割り切れないと言うより、新しい恋をしたと言うのが正しいかもしれないな……」
「新しい恋……?」
「僕は過去のシャルティエに一度フラれたんだ。行き違いがあったかも知れない、でもこれは事実なんだ。今の彼女は僕の事を受け入れ、そして逆に僕も彼女の事を受け入れた。きっと、あの再開した日から、いや、もっと後かも知れないが――アヤカを新たに好きになっていたのかも知れない。変だな、こんな事稀にもない事だから僕もこんがらがって来た……」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきたが、今の彼女が好きで彼女も僕を心の底から好いている。それだけで十分だと思った。
過去の未練を引きずっている訳ではないと伝えると、スティは安心して頷いてくれた。
スティの隣でずっと黙っているグラムはどう考えているのか分からなかったが、おそらくアヤカの人格のシャルティエをとうに受け入れているのだろう。
そうでなければ前世の能力を買って、それをこの国のために使わないかどうかを頼むような事はしない。
ふと我に返り、執務を一通り終えた書類を一瞥した後、一度頭の中を空にするために窓の外を眺めていると、物音に気付いて廊下に顔を出せば、仕立屋が帰る所だった。
軽く礼を伝えて、ドレスの相談はきちんと避けたと報告を受けた。
仕立屋を外まで送り届けるニーアに、シャルの部屋付近の人払いをするように告げてすぐにシャルが居る部屋へ向かう。
扉を叩いて返事を待たずして部屋に入ると、普段の僕なら返事を待って入ってくるだろうから驚きで大きな瞳が見開かれていた。
そんな反応がまた可愛らしく、そして愛しく思えた。
「お疲れさま」
「クリス様、あの……」
変わらぬ笑顔を向けて言うと、戸惑い気味に何か言いたげにしているシャルだったがすぐに口を閉じた。
ソファに座ると、桃色の髪を掬い取って口付けを落としそのままの目線で様子を伺うように見つめれば、一気に顔が赤くなるのが見えた。
――あぁ、可愛い。今すぐ抱き締めてそのまま食べたくなる……。
男としてのやましさで、脳内が彼女のことで侵食されていく。
「恥ずかしい?」
「ま、まだ慣れなくて……」
分かりきった事を問うと、当然の回答が返って来た。
それだけで心の奥底から湧き上がる支配欲のような物が込み上げてしまい、今は自分のものだと自分に知らしめるために彼女の前世の男の話を持ちかけた。
しかし、シャルは恥ずかしさや照れを帯らせながらこちらを見る。
「私は……心から人を好きになったのは――愛しているのはクリス様です」
――こんなの、不意打ち過ぎるだろう。君はどこまで僕を驚かせて心の中をいっぱいにすれば気が済むんだ。
答えになっていない回答にも、それを塗りつぶすかのような返しにどうでもよくなる。否定しないのだから経験はあったのだろう。
このまま彼女を我が物にするわけにもいかず、せめて唇だけはと強引に深くしていった。
その後、それとなく話してくれた前世の恋人に対してとくに深く想っていたわけではないと聞いて少しだけ安心した自分の弱さに悪態をつくのだった。




