8:一時の宿
1
吹きさらしの森の中は冷えている。
森の中には惨劇の痕跡が色濃く残っていた。
カヤはゆっくりと立ち上がった。
それに伴ってわずかな衣擦れが横から響く。
見ると、カヤの隣でぼんやりとした表情を浮かべていた玉姫も、童女に釣られたように立ち上がっていた。
「……」
「……」
一瞬、気まずい沈黙があたりに立ち込める。
姫様はどうするつもりだろう。
玉姫は所在なさそうに手を握ったり閉じたりした後、意を決したように顔を上げ、
「どこに行くの?」
と、尋ねた。
「ここに居ても寒いだけですし、移動しようかと」
「行く当てはあるの?」
「わたしが目を覚ました洞窟があるので、そこに避難しようと思います」
玉姫は一瞬何かを言いたそうにカヤを見た。
「えっと」
けれど、言わなかった。
「……」
別に、無視しても良かった。
疲れていたし、玉姫のことなんてどうでもいい。
そう思った。
なのに、気が付けばカヤは口を開いていた。
「……一緒に来ますか?」
料理番の問いに、金髪の姫君は何度も頷いた。
カヤは玉姫と一緒に洞窟へと引き返した。
2
洞窟へと案内された玉姫は意を決したように顔を上げ、
「まず、最初にお礼を言うわ」
開口一番そう告げた。
「危ないところを助けてくれてありがとう」
「あれは……別に、助けたわけじゃないです」
「そうなの?」
玉姫が首をかしげる。
カヤは答えた。
「わたしは自分の身を守ることしか考えていませんでした。そしたら大きな毛虫みたいなのが全部片づけてしまった。それだけです」
カヤは足元に視線を落とした。
そこには何匹かの毛虫もどきがおり、カヤの足にまとわりついていた。
毛虫もどきたちはコロコロと転がったり、ふわふわもこもこと丸くなったり、まるで攻撃性を感じさせない風体でくつろいでいる。
この子たちが侍の腕をもぎ取り、撃退したなんて、なんだか今でも信じにくい。
「だから……勘違いして欲しくないです。だいたい、わたしが姫様を助けるわけがないじゃないですか」
語尾がとげとげしくなってしまうのは仕方がないのだろうか。
「……それは、私があなたを殺そうとしたから?」
姫が問う。
カヤは玉姫の顔を見た。
石の様な無機質な目が見返していた。
「私があなたを身代わりにして逃げようとしたことを怒っているの?」
玉姫の言葉に、カヤは、
「ええ、そうですよ」
と頷いた。
この人はわたしを穴へと突き落とし、殺そうとした極悪人なのだ。
幸運にもわたしは死ななかったけれど、その代わりにわたしは訳の分からない生き物に初めてを奪われ、全身をもてあそばれ、凌辱された。
そのことは忘れたわけじゃない。
だから――
「そんな目に合う原因を作った姫様を、誰が許せるものですか!」
カヤは玉姫をにらみつける。
怒りに燃えた瞳を、無感動な目が見つめ返す。
「ええ、そうね」
怒りをぶつけられた姫君はただ静かに頷き続けた。
「確かに私はあなたを殺そうとしたわ。あなたを身代わりにして逃げようとした。そのことは否定しないわ」
「だったら――」
「あの時はそれが最善の方法だと思った。だからそうした。それだけのことよ」
「悪いことしたとか、思わないのですか?」
「思う。思うけど、私は悪い姫で、あなたは私の召使、あなたを利用するのに抵抗は感じなかった」
姫様の声は氷のように冷たかった。
「鬼ですか……」
カヤは絶句する。
「あら、良く知ってるわね。私は賀茂の鬼姫と呼ばれているのよ?」
金髪の鬼姫はコロコロと玉を転がすような声で笑った。
「それで……そんな極悪人の私を洞窟に連れ込んで、あなたは、どうしたいの?」
「どうって、えっと」
姫君が問う。
カヤは拳を握りしめた。
言いたいことはたくさんあった。
自分の悲しみを伝えたい。
苦しみを分かってほしい。
そしてその上で謝罪してほしい。
けれど、どうすれば、それが出来るのか分からない。
分からないから喉の奥で感情が詰まる。
玉姫が問うた。
「私を、殺したい?」
カヤはまっすぐ玉姫を見た。
「殺させて、くれるんですか?」
洞窟の中を風が吹き抜ける。
複雑な洞窟で増幅された風音は、亡者の呻き声の様。
一瞬、世界が赤に染まった気がした。
玉姫は鼻で笑った。
「ダメに決まってるじゃない。私だって殺されたくはないもの。じゃあどうする? 無理やりする? たぶん望み薄いと思うわよ。私はあなたとなら組打ちしても勝つ自信あるわ」
カヤは言葉に詰まって視線を揺らした。
玉姫の凛としたたたずまいからは、確かな実力と静かな自信が見て取れた。
背だって玉姫の方が高いし、確かにカヤは彼女に勝てないだろう。
カヤは再び足元に目をやった。
洞窟までついてきた毛虫もどきはそれほど多くはなかった。
ついてきたモフモフはカヤの足元で、丸くうずくまっており、時折カヤの足にふかふかした体を摺り寄せたり、背中にのしかかってきゅーきゅーと鳴き声を上げたり……猫や犬と同じ、愛玩動物と言われても全く違和感は覚えない。
けれど、この毛虫みたいな変な生き物は、六郎太を倒したのだ。
「きゅぃ~?」
カヤが見ていることに気が付いたのか、一匹の毛虫もどきが声を上げる。
手を伸ばすと嬉しそうにしがみつき、カヤが抱き上げると、おとなしく胸の中に納まった。
「きゅうぴゅぅ~♥」
「カヤ」
玉姫の声にカヤはそちらに目を向けた。
姫様は顔に緊張を浮かべてカヤを見ていた。
「なんですか?」
「一つだけ、聞きたいのだけれど、結局、それ、何なの?」
「……」
カヤはすぐには答えなかった。
カヤにもこの生き物が何かは分からないのだから答えようがない。
ただ、よく分からないなりに、わたしはこのモフモフに好かれている……ような気がする。
初めて会った時は、まあ、あんまり幸福な出会いじゃなかったけど、ていうか犯されたけど、それ以降はおおむね好意的に扱われていると思う。
カヤが高山の寒さに震えていると体を寄せて温めてくれたし、カヤは口にしなかったけれど食べ物だって与えてくれた。
さっき、武者に襲われた時には守ってくれたし、うん、たぶんこれは都合の良い勘違いではないと思う。
どうやらこの毛虫もどきたちはカヤの味方になってくれるらしい。
「さすがの玉姫も、この子たちには敵いませんよね……」
カヤはぽつりとつぶやくように口にした。
金髪の姫君は痛いところを突かれたというように視線を泳がせた。
「きゅい?」
色とりどりのモフモフたちが顔を上げる。
それはまるでカヤの命令を待っているかのように見えた。
カヤは復讐の方法を思いついた。
確かにこの方法は上手くいきそうな気がした。
いや、でも、それはちょっとなぁ……
若干躊躇う。
カヤだって鬼ではないのだ。
復讐と言っても、あんまりひどいことはしたくない。
「……どこに行くんですか?」
不意に、カヤは声を上げた。
カヤが考え込んでいる間に、玉姫は半分立ち上がったように腰を浮かせていた。
「お、おほほほ、ちょっとお花を摘みに」
「こんな夜更けにですか?」
空白のような一瞬の静寂、そして。
「逃げるが勝ちよ!」
玉姫は突然立ち上がり、脱兎の勢いで駆けだした。
玉姫の足は思ったより早かった。
体力ないくせに、短距離だけは早い人っていますよね。
少なくとも瞬発力なら圧倒的に玉姫の方がカヤよりも上だ。
相手がカヤだけならば、玉姫はその場を逃げることが出来ただろう。
けれど、そうではなかった。
ここには毛虫もどきが――カヤの仲間がたくさんいるのだ。
洞窟から逃げ出そうとした玉姫は出口のそばで足を止めた。
いつの間にそこに集まっていたのだろう、洞窟の出口にはすでに何匹ものモフモフが待ち構えていた。
玉姫はためらうように速度を緩めた。
カヤはその隙を見逃さなかった。
「そこのあなたたち! 玉姫を捕まえてください!」
「きゅーっ♪」
「ぎゃあああああ!」
悲鳴と鳴き声が交差した。
毛玉たちはあっという間に玉姫を捕まえた。