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4:生贄の社

 

 1

 

 立派な鳥居はすでに色が落ち、高山の透明な光に淡い木目をさらしていた。

 

 神錆びた、とはこういうのを言うのかもしれない。

 

 横木の下には真新しい注連縄が巻かれ、真白な幣帛が供えられていた。

 それだけだった。

 

「本当に、ここが社なのですか?」

 

 鳥居の向こうには何もない。

 本殿も拝殿もなく、ただ四方を柵で囲まれただけの原っぱに過ぎなかった。

 本当にここで合っているのだろうか?

 カヤの問いに、玉姫は自信なさげに頷いた。

 

「いや、合ってますよ」

 

 大柄の武士、熊井六郎太が告げる。

 

「昔、オヤジに連れられて来たことがあります。ここで間違いありやせん」

「へえ……そうなんだ」

「だから俺を連れてきたんじゃないのですか? この奥に、カミの依り代の磐座があるそうです」

 

 一番奥の柵の前で六郎太が告げた。

 

「儀式はそこで行うことになっている」

 

 カヤは柵の向こうに目を凝らした。

 周りは茅のような背の高い草が生えており、あまり見通しが良くない。

 柵の中からではそれらしい岩は見えなかった。

 

「磐座って言うか、洞窟らしいけど、まあ似たようなものよ。この山のカミはきっと暗くてじめじめした場所が好きなのね」

 

 六郎太の後を引き取り姫様は何気に失礼なことを言う。

 

「詳しいんですね」

 

 カヤが問う。

 

「この一週間、私もクソオヤジにみっちり教え込まれたのよ」

 

 ここにきても色々複雑な親子関係らしかった。

 姫様はカヤに向かって告げた。

 

「カヤには儀式の補助をやってもらうわ」

「…………聞いていませんが?」

「教えてないもの」

 

 美しい黄金色の姫君はしゃーしゃーと言い切った。

 腹立つー。

 

「生贄の儀式はカミがいるというその洞窟に簡単な祝詞を上げ、生贄が飛び込むことになっているわ」

「それはまた」

 

 シンプルな儀式である。

 別名、単なる投身自殺ともいう。

 

「カヤにはわたしがちゃんと飛び込んだかを確認してもらうわ」

「確かに簡単ですけど……」

 

 カヤは言いよどんだ。

 簡単だけど、イヤな役だった。

 そういうのは侍たちにして欲しい、と思った。

 

「六郎太たちにできるのなら、最初から頼んでいるわ。でも、ここのカミは女性しか神域に入ることを許していないの」

「女人禁制はよく聞きますけど、男禁制は珍しいですね」

「だからここから先は、私とカヤだけで行くわ。あなたに確認してもらう意味、分かった?」

 

 カヤは頷いた。

 どうせ姫様や侍が庶民のわたしの意見を聞くはずもないのだ。

 だったらさっさと終わらせた方がいいに決まっている。

 そう、自分に言い聞かせた。

 

 二人は汗で汚れた服を脱ぎ、真新しい白い小袖に袖を通した。

 鮮やかな朱袴をはき、打掛を羽織る。

 

「姫様」

 

 不意に、向こうを向いていた武者が声を張り上げた。

 声を上げたのは今までずっと口を利かなかった鹿山雷太郎という姫の護衛だった。

 

 カヤ少し驚いた。

 ずっと黙り込んでいたので、てっきりしゃべれないと思っていたのだ。

 

 雷太郎は少年のような高い声で告げた。

 

「我々は万事支度を済ませておきます。どうか、後悔のなさらぬよう」

「分かっているわ」

 

 玉姫は頷いた。

 無駄に凛々しい声だった。

 もっとも、玉姫はいまだに襦袢と格闘していた最中なのであまり格好はつかなかった。

 

「貸してください。お手伝いします」

 

 一瞬、玉姫は泣きそうな顔でカヤを見た。

 

 カミの住むという洞窟はすぐに見つかった。

 それは大きな丸い縦穴だった。

 入口は直径だけで20尺くらいはあるだろうか。

 これだけ大きな縦穴を見逃すなんてありえない。

 

 姫様はさっさと祝詞を唱え始めた。

 カヤはその後姿をぼんやりと眺めていた。

 この美しい人が、これから死ぬ。

 そう思うとなんだか居心地が悪かった。

 

 やめればいいのに、と思ったが言わなかった。

 

 2

 

 ゆるゆるとした祝詞が終わり、カヤは穴の縁から穴の底を覗き込んでいる。

 

 玉姫は少し心を落ち着けたいと言って、カヤの後ろで何度も深呼吸を繰り返していた。

 縦穴からはかすかに呻き声のような不気味な音が流れてきていた。

 

「この穴はね、根の国までつながっているそうよ」

 

 玉姫が口を開いた。

 

「根の国?」

「あの世のこと」

 

 あの世、死者の世界、地獄。

 ならばこの声は、地獄の亡者たちの声なのか。

 

「カヤはどうしてもやりたい事ってある?」

 

 突然玉姫は質問を変えた。

 

 カヤには質問の意図が分からなかった。

 

「私はね、どうしても知りたいことがあるの。そしてそのためにしなくちゃいけないことが……でも、死んでしまったらそれは出来ない」

「姫様……」

「だからね、こんな場所で死ぬわけにはいかないの」

 

 その声は冬の大気のように冷え切っていた。

 

 カヤは振り返った。

 

 美しい賀茂の姫君は座った目をしてカヤのことを見ていた。

 目はらんらんと輝きまるで鬼の様だった。

 そして、その手には鋭利な短刀が握られている。

 

「私は死ねない。でも、私が逃げたってばれたら追っ手が差し向けられるでしょう。だから、私は間違いなく死ななくてはならない。身代わりが必要なのよ」

「姫様?」

「お前が生贄になれ!」

 

 どん、と一突き、胸を押される。

 一瞬の浮遊感。

 足が離れ、空が見え――ああ、とてもきれいだな、と思ったのを憶えている。

 

 轟という風の声が聞こえた。

 

 カヤは穴の底に真っ逆さまに落ちて行った。

 

 3

 

 とまあ、そんな感じで冒頭に至るのだ。

 

 穴の底にはモフモフした変な生き物がいた。

 それらは服を溶かす力を持っていた。

 この変な生き物が山ツミ岳のカミなのだろうか?

 カミだとしたら、絶対タタリガミのたぐいだと思う。

 

 そして、今、カヤは両手を謎の触手に絡み取られ、なすすべもなく食べられるようとしている。

 

 これが物語でわたしがそのヒロインなら、そろそろ頼光とか晴明とかが来て、化け物退治をしてくれてもいいんじゃないかと思う。

 けれどカヤは物語のヒロインではないし、そもそもこれはファンタジーでもないので、ヒーローがやってくる様子はなかった。

 

 当たり前の話だ。

 

 黒い毛玉が絡みつく。

 服はすでにほとんど溶かされ、わずかに肩に引っかかった布地が残っているだけになっていた。

 毛虫もどきはカヤの貧相な裸にのしかかる。

 足の間に固い何かがぐりぐりと押し当てられた。

 

「い、いや――」

 

 それから先のことはよく覚えていない。

 

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