36:賀茂直久
1
「お兄様、聞いて!」
直久は妹の言葉に耳を貸さず、カヤへと視線を投げかけた。
「お前が、妖怪共の頭目だな」
「だとしたらなんですか?」
「殺してやるからそこを動くな」
身が震えるような冷たい声が告げた。
己の得物を構え、ノヅチの群れへと突っ込んできた。
六尺近い鉄の塊を持っているにも関わらず、その足取りはこゆるぎすらせず、風のような速さで特攻する。
「ノヅチさん」
カヤは周りの妖怪たちへ呼びかけた。
直久の只人ならぬ殺気を感じたのか、カヤの周りのノヅチたちはさらに数を増していた。
その数は、いかほどか。
十や二十ではないだろう。
下手すれば百、あるいはそれ以上。
蠢動する妖怪たちに慕われ、その真ん中でたたずむカヤは、確かにバケモノたちの主だった。
妖怪の王が静かに命じる。
「全力でやっちゃって下さい」
「きゅいー!」
おぞましい量の魑魅魍魎が、突進する武士に一斉に襲い掛かった。
2
カヤに言われるまでもなく、ノヅチたちは直久に全力で襲い掛かっていた。
直久は強い。
単純な筋力だけでなく、巨大な得物を扱う技量、ノヅチたちの首魁がカヤであると即座に見抜く判断力、そして何より最も強力に防御を張り巡らされたカヤの元に迷うことなく突っ込んでいく勇気と思い切りの良さ――直久は優れた戦士である。
だからノヅチたちは自分たちに出来る最も効率的な攻撃を選んだ。
すなわち、出来る限りの物量で、あらゆる場所から襲い掛かるという方法を。
疾駆する若武者の四方からバケモノ毛虫たちが飛びかかる。
ノヅチたちは皆、その大きな口を開き、男を丸呑みにしようという構えである。
その口に捕らえられた獲物は容易く引きちぎられ、食い殺されてしまうだろう。
直久は足を止めなかった。
それが一番愚かな判断であると本能で理解していた。
足を止めれば文字通りあらゆる方角から敵が襲いかかってくる。
そうなってしまっては直久には勝ち目はない。
けれど走っていれば、足の遅いノダチは背後からは襲ってこれない。
そして前面から来る敵だけならば、彼の獲物はいくらでも相手に出来るのだ。
「邪魔をするな!」
直久は足を止めず、走りながら構えた野太刀を薙ぎ払う。
速度と体重、そして直久の規格外の膂力によってくわえられた遠心力の乗った巨大な鉄塊は、あまりに容易に凶器と化す。
真正面から直久に襲い掛かったノヅチたちにその鈍色の一撃を避けることは叶わなかった。
血飛沫が舞う。
鋼鉄の強風にぶつかった哀れな妖怪は引きちぎられ、真っ赤な鮮血が畳に散った。
しかしノヅチにとっても第一波が蹴散らされるのは想定の範囲内だった。
突然、直久の足元の床が傾き、直久の身体ががくんと落ちるた。
見れば、床板には人一人分ほどの大きさの穴が空き、その陰から大きな口が飛び出してるのが見えた。
ノヅチだ。
ノヅチたちはひそかに床下を食み、柱の一部を崩すことで地面を屋敷の床を抜いたのだ。
どんな武術の達人とて、二本の足を使って地面に立っていることに変りはない。
よって立つ地面を奪ってしまえば、たとえどれほどの達人とて動きは鈍る。
「きゅいー!」
その隙を狙い、ノヅチは直久へと殺到する。
しかし、
「その手はすでに見たわっ!」
直久はそれすらもいなした。
確かに人は足元を崩されれば弱い。
しかしそれならば、最初から足を地につけなければいいのである。
足元が陥没した瞬間、男の身体が思い切り跳躍する。
それまで直久がいた場所へと殺到したノヅチたちは互いに衝突し、頭の上で星を回す。
また運よく直久の体にまとわりつくことが出来たノヅチも、足蹴りの一発で容易く弾き飛ばされた。
ノヅチたちは驚嘆する。
この男、本当に人間か。
直久と言う男の技量、身のこなし、ただのノヅチではまるで歯が立たない。
それまでノヅチたちの攻防を見守っていたカヤだったが、ちらりと背後に目を向けた。
そこには山の麓から館まで隧道を掘りぬいた巨大のノヅチがいた。
巨大な蛇神はそれまで武士との戦いには加わらず、ただ静かにカヤたちを守るように、そのそばでとぐろを巻いて横たわっていた。
けれど今、蛇神はゆっくりと鎌首をもたげていた。
瞬間、突風が吹き荒れ、カヤは思わず目をつぶる。
雷でも落ちたかのような衝撃音が部屋にとどろき、土煙が舞って、それから静寂が部屋を包み込んだ。
巨大なノヅチの尻尾が見える。
先ほどまでとぐろを巻いていたノヅチの尻尾が部屋の中へと伸びている。
それを見て、カヤはなにが起こったのかを理解した。
巨大なノヅチが尻尾を叩きつけたのだ。
ノヅチの長さは十丈は超える。
その一撃を避けることは、さすがの直久でも叶わなかっただろう。
「お兄様……」
玉姫の声が聞こえた。
直久はどうなったのだろうか……
ほこりが晴れる。
床板は真っ二つに裂け、ひしゃげた木材の隙間から地面が見えた。
破壊は建物の基礎にまで及び、建物全体が微かに傾いているようだった。
「直久さまの姿は見当たりませんね」
カヤはつぶやいた。
次の瞬間、視界の端で何かが素早く動くのが見えた。
カヤははっとして視線を上げた。
直久がいた。
頭から血を流し、右手はだらんと下ろしたままで、左腕一本で歪んだ梁を掴んで、天井近くからカヤを見下ろしていた。
ノダチを失ったのか、口には脇差をかみしめている。
脇差と言っても直久のそれは一般的な太刀と同じ程度の大きさはあるのだが、それを顎の力だけで構えている。
まだ、男は殺る気なのだ。
その鬼気迫る面相、執念、称賛に値するだろう。
「おぉ――!」
男が咆哮し、カヤの元へと落ちて来る。
ノヅチは間に合わない。
先ほどの一撃で周りのノヅチたちは目を回してしまっている。
カヤはとっさに手に触れた何かを掴み、無我夢中で落下してくる直久めがけて振りぬいた。
金属が砕ける高い音があたりに響く。
直久は愕然としてカヤを見た。
カヤにも何が起こったのか分からなかった。
ただ、気が付けば、直久が口にくわえていた太刀が半ばで折れ、その先端がくるくると回転しながらあらぬ方向へ飛んでいくのが見えた。
動きを止める直久に向かって、カヤは手に握った何かを振りぬいた。
カチコン、という軽い音と共に直久は地面に崩れ落ちた。
3
「お兄様……お兄様……」
「うぅ……」
うめき声と共に直久は目を覚ました。
「俺は……どれくらい寝ていた……」
「ほんのちょっとよ、百も数えないくらい……頭痛くない?」
「……めちゃくちゃ痛いんだが」
「そう……自業自得よ」
玉姫はそう言って小さく息を吐いて、直久の頭を軽く小突く。
けれど直久には自分の妹が安心してため息をついたことくらい分かっていた。
直久はあたりの様子をうかがった。
妹の顔が目の前にある。
横になった自分の顔を玉姫は心配そうにのぞき込んでいる。
手足はまるで木偶の棒にでもなったようで力が入らず、立ち上がることすらできそうもない。
「……すまなかったな、お前を斬れなくて」
直久は口を開いた。
「お前は賀茂家に逆らった反逆者なのだ。だから俺が斬らねばならなかった。だが、俺の力不足で、お前の侍女すら斬ることもできず……俺は弱い兄貴だな」
「お兄様……」
直久が瞳を閉じる。
玉姫は少しばかり躊躇ったように言葉を濁したが、しかし意を決して直久を見て、
「賀茂ノ荘の子供たちを攫っていたのは、本当はお父様なの」
と静かに告げた。
兄は父上をまだ信じているはずだ。
この言葉を信じてもらえるとは思えない。
けれど、そう伝えずにはいられなかった。
直久は頷いた。
「知っていた」
「え?」
玉姫はポカンとした表情で兄の姿を見た。
「父上が子供たちを攫っていたことなど、俺だってとうの昔に知っていた……俺は俺なりに調べたのだ。実際の下手人が侍頭の若造たちの一党であることも、その一党が最近父上と密接に連絡を取っておることも分かっていた。それに何よりお前の護衛を責める連中にその連中がおったしな……俺はバカだが、全く考えないというわけではない。だからお前が正しいことくらい分かっていた」
「じゃあなぜ?」
「それでも父上は父上だ」
直久が目を開ける。
「賀茂直儀は賀茂氏の棟梁なのだ……お前にだってわかるだろう? 父上を中心にまとまっているから賀茂氏は武門の棟梁なのだ。その父上が子供を攫っているなんて知られたらどうなる?」
「お父様には隠居してもらって、お兄様が当主になるわ」
玉姫は即答した。
直久は首を横に振った。
「俺はまだ若い。俺では一族郎党をまとめられぬ。俺の後見をどうするかで争いが起こるだろう。要するに内紛だ……上杉も斯波も、出来ることなら我らを蹴落とし、取って代わりたいと思っている。結局のところ皆、我らが妬ましいのだ」
直久の目は厳しい。
それが、父の名代として全国の郎党をめぐり、実際に各地の郎党の元を訪れたこともある直久の言葉だった。
「だから、私を犯人にしてごまかそうとした」
「そうだ、だが、このような大ごととなってしまっては、お前を贄として収めることももはや叶わん」
直久は重たい息を吐いた。
「お前の部下、あの少年は本丸に――父上のところにおる」
「え?」
「お前がなかなか頷かんから、父上もいらだっておる。早く行かねばどうなるかわからんぞ」
「お兄様……」
玉姫は複雑そうな表情で直久を見た。
「早く行け」
玉姫は立ち上がる。
「カヤ」
カヤは直久との戦闘で怪我をしたノヅチの手当てをしていた。
「お父様のところに行くわよ」
カヤは頷いた。




