34:盾の工法
1
「ん……」
玉姫は浅い眠りから目を覚ました。
頭の奥がぼぉっとする。
一週間経っても粗末な筵の上で寝るというのにはまだ慣れない。
だからだろうか。
頭の奥を何かが揺らしているような、地獄の底で誰かが石臼をひいているかのような、そんな奇妙な感覚があった。
あたりを見回す。
死んだ目に映る薄暗い牢の様子は以前と全く変わらない。
鈍色の鉄格子、水がしみ出したようなじめじめした石壁、鼠色のコンクリート。
狭い地下牢は陰気な空気で満ちていた。
「……」
けれど、なぜだろう。
かすかな違和感を覚え、玉姫は首を傾げた。
何か、いつもそこにあったものが欠けている。
そんな気がする。
なのに、何が亡くなったのか指摘できない。
きっと頭の奥で鳴っているこのゴリゴリと何かがこすれるような音がのせいだ。
玉姫は舌打ちした。
ていうかなんだろう、この音は。
あたりにはこんな音を発しそうな物は見当たらない。
もしかして幻覚?
自分はそんなものが聞こえるまで追い込まれているのだろうか。
だとしたら滑稽だ。
牢に閉じ込められるくらい、別にどうということもないのに。
幻聴を消そうと心を落ち着かせる。
けれど、石臼のような音は消えなかった。
それどころか、その音はだんだんと大きくなってきて、
「ていうか、これ、幻覚じゃない……?」
玉姫は息を止めて集中する。
賀茂の館は死んだように静まり返っていている。
音が聞こえるのは――
「……地下?」
玉姫はその場で地面に耳を押し付けた。
ごりっ……ごりごりっ――
と、まるで何かを削るような音が地面の下から確かに聞こえる。
いったい何の音なのだろう。
次の瞬間、
ドンッ!
と下から突き上げるような衝撃が地下牢に走り、姫君は慌てて鉄格子にしがみついた。
壁を覆っていた岩が倒れる。
地面に亀裂が走り、地下牢全体がぐらぐらと揺れて、天井からは拳のほどの土の塊がバサバサと降ってきてあたりは土煙に包まれた。
いったい何が起こったのか、落ち着くのを待つことしかできなかった。
土煙が晴れる。
廊下に直径5尺近い大きな穴が空いている。
そこから小さな頭が飛び出して、あたりをきょろきょろと見回した。
「琴美さん、本当にここ地下牢ですか? なんだか廊下みたいなのですけど」
胸の動悸が大きくなる。
小さな頭は下を向き、穴の下にいる誰かに問いかける。
「は、はれひれほれ~」
ダメになった女の声が聞こえ、それから青ざめた女御の顔を出す。
「琴美さん、これくらいで気を失わないでください」
小さな少女はため息をつき、それから何かを探すように顔を巡らす。
目があった。
そこには死人がいた。
死んだはずの少女がいた。
「カヤ……」
玉姫は呆然とその少女の名を呼んだ。
黒いショートカットが小さく揺れる。
「姫様」
地面から現れた少女は――カヤはほっと溜息をついた。
「よかった、まだ生きていますね」
その声を聞いて、締め付けられるように胸が痛くなった。
「カヤ」
玉姫は勢いよく穴に向かって飛び込もうとして、
「あいたっ!?」
思い切り額を鉄格子にぶつかった玉姫は、水揚げされたばかりのカジキのようにその場でびちびちと悶絶した。
2
地下牢に入った瞬間、強烈な臭気が鼻を突いた。
血と、脂と、糞尿と、それに加えて焼けた皮膚――屠殺場を思い起こさせる強烈な空気にカヤは顔をしかめた。
実際、牢の一つはどす黒い血がこびりつき、そこで行われた凄惨な尋問の痕跡を如実に残していた。
賀茂家にこんな場所があるなんて、カヤは今まで知らなかった。
言葉を失う。
「カヤ」
場違いな声が響いた。
カヤははっとして顔を巡らせた。
廊下の高い場所に切られた小窓から入る仄かな光を浴びて、煌びやかな金髪が輝いていた。
「姫様」
牢の中の玉姫は琴美の良く知る姫様だった。
黄金色の髪、白い肌、特に目立った外傷や乱暴の跡は見えず、玉姫は玉姫のままだった。
それなのに。
「カヤ」
カヤの目はその姿を直視できなかった。
玉姫はゆっくりと立ち上がり、それから鉄格子に頭をぶつけて座り込む。
「待ってください。今開けます」
カヤはあたりを見回した。
鍵などは見当たらない。
仕方がない。
「ノヅチさん」
「きゅい~」
少女の呼び声に応えて、足元で待機していたウールのようなモフモフのノヅチが鉄格子に近づく。
ノヅチは鉄格子をあっさりと引きちぎった。
「姫様、大丈夫ですか?」
カヤは牢の中の玉姫に手を伸ばした。
「カヤ……あなた生きていたの? ていうかなんで生きてるの? 思い切り胸を射抜かれたのに」
「なんかノヅチさんがいい感じに助けてくれました」
「いい感じって」
従者のいい加減な言葉に姫は思わず絶句する。
「うぅ……」
玉姫は獣のようなうなり声を上げて顔を伏せる。
「姫様?」
「生きてたのならすぐに助けに来なさいよ!」
「理不尽!?」
いきなり頭に拳骨を喰らったカヤはその場で座り込んだ。
「バカ……本当に、生きていて、良かった……」
地面に突っ伏したカヤを柔らかな体が包み込む。
耳元を熱い吐息がくすぐる。
嗚咽が聞こえる。
「姫様……」
カヤはその背中を抱きしめた。
細い体は今にも折れてしまいそうに感じた。
「あのー、姫様、カヤ、感動の再会しているところ悪いのだけれど、あんまりゆっくりしている時間もないみたいだよ?」
突然横から声をかけられて、二人はその場で飛び跳ねた。
「にゃ、なんですか!?」
「座ったままで飛び跳ねるなんて、吸血鬼マンガのキャラみたいなことするね」
「人を波紋使いみたいに言うのはやめてください!」
「そろそろ兵がこちらに気が付いたみたい」
琴美が牢の入り口の方を窺いながら言う。
賀茂の館はにわかに慌ただしくなっていた。
どうやら先ほどの揺れがただの地震ではないことに気が付いたらしい。
「そうだ、姫様! 早くここから脱出しましょう!」
言いながらカヤは玉姫を引っ張り上げ、先ほど自分が出てきた穴へと向かった。
廊下にはぽっかりと大きな穴が空いている。
穴の周囲は石のような焼き物のような奇妙な物体が覆っていて、優に人一人が通り抜けられるトンネルとなっていた。
「いわゆるシールド工法って奴ね」
玉姫がつぶやく。
「なんですか、それ」
カヤは首を傾げた。
「トンネルを作る際に穴を掘ると同時に周りの土を補強する最新の工法よ。海外の書物で見たわ」
「海外の書物便利ですね……」
カタカナ言葉は全てそれで済ませる気だろうか。
手抜きじゃないのか。
玉姫が問う。
「これもノヅチが?」
カヤは頷いた。
玉姫が地下にいることを知ったカヤはすぐに玉姫を助けに向かおうとした。
けれど問題はどうやって姫様のいる地下牢に近づくかだった。
そこで思い出したのだ。
矢で射ぬかれた時のことを。
あの時は死にそうであまり意識もはっきりしていなかったのだが、ノヅチが地面の下から助けに来てくれたことは何となく憶えていた。
「それに、姫様が教えてくれたんじゃないですか」
カヤは玉姫を見た。
「え、なにを?」
「正面からが難しかったら、斜め下から行けって」
「え……? ああ、そう言えばそんなこと言ったわね……」
竜神川を渡る方法を考えていた時、玉姫はカヤに言った。
でもだからって本当に斜め下から来るとは思わなかったわ、と玉姫は苦笑いを浮かべた。
「それより姫様、早く行きますよ!」
「え、ええ……」
玉姫は一瞬頷きかけ、それかすぐにはっとして顔を巡らせた。
「待って」
「なんで!?」
「雷太郎がいない」
「雷太郎?」
カヤは首を傾げた。
「雷太郎が、私の代わりに拷問されていた護衛がここにいたの」
「でも、そんな人ここにはいません」
「今まではずっと向かいの牢に閉じ込められていたのだけれど、今朝、いなくなっていて……そうだ、だから私違和感を覚えたんだ」
玉姫はあたりを見回した。
地下にはそろそろ慌ただしい足音が近づいてきていた。
「姫様、カヤ、本当にヤバいよ!」
「カヤ、お願い。あの子を助けて」
カヤは迷わなかった。
「分かりました。雷太郎さんを探してから脱出します。ノヅチさん!」
地面を突き破り巨大なノヅチが現れる。
山の麓からここまでトンネルを掘りぬいた体は微かに上気していた。
「ごめんなさい、ノヅチさん、もうひと踏ん張りしてくれますか?」
「きゅいきゅい!」
「はいはい、後でいっぱいお礼してあげるから」
「きゅぅ~♥」
カヤの言葉に一層やる気を出したノヅチたちが動き始める。
雷太郎はどこだ。




