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29/37

29:カヤの過去

 

 1

 

「森に捨てられていたそうです」

「きゅい?」

 

 カヤの言葉に男の子は首を傾げた。

 確かにいきなりこれでは意味が分からない。

 カヤは言葉を補った。

 

「えっと、つまり、生まれたばかりのわたしの話です。ゴミとか、がらくたとかじゃなくて……わたし、森のそばに捨てられていたんです」

「……」

「わたしは捨て子なんです」

 

 ノヅチは何も言わなかった。

 ただ手をつないでカヤを見ていた。

 

 カヤはその時の自分のことを考える。

 もちろんカヤにはその時の記憶なんて全く残っていない。

 だからこれは全部想像である。

 

 粗末なぼろをまとっただけの赤子が一人、森のそばで泣いている。

 食べるものも、飲み物もない。

 赤ん坊は一人では生きられない。

 けれど、あたりには誰もいない。

 寒くて、苦しくて、泣き声もだんだんと弱くなる。

 

 そしてカヤの想像の中で、その赤子はいつも必ず死んでいく。

 けれど、もちろんカヤは死ななかった。

 

「死ぬ前に一人の女性が森のそばを通りかかりました。その人は幼いわたしを拾って育ててくれたのです」

 

 ノヅチは目の前の女性に目を向けた。

 カヤは頷いた。

 

「その人が清子さまでした」

 

 女性の姿は時折陽炎のように揺らぐ。

 そこにいるのに、そこにいない。

 存在感がまるでない。

 

 カヤは無性に泣きたいような気持になった。

 

「それからわたしは賀茂家に育てられて、物心ついたら賀茂の館で働くようになっていました。清子さまが死ぬまでは、わたし、清子さまの女房だったんですよ? すごいでしょ?」

 

 カヤは自慢するように胸を張る。

 けれどノヅチは、

 

「きゅいい?」

 

 と鳴いて、こてんと首を傾げた。

 いまいち伝わっていないらしい。

 

「女房っていうのはそんなに簡単になれるものではないのですよ? 身の回りの世話が出来るだけじゃダメなんです。貴人のお話し相手、遊び相手としてふさわしい教養と賢さが求められるのです。だから普通は公家の娘とかがなります。今の玉姫の女房――琴美さんだって、都からわざわざ直儀さまが連れて帰ってきたのです」

「きゅいー」

 

 感心したように息を漏らすノヅチ。

 

「だから、清子さまは、わたしにとって母親のような、義母的な人で、しかも自分を認めてくれた最初の人なんです。その姿を見て、懐かしくて足を止めてしまいました……すみません、もう行きましょう」

 

 そう言って、カヤは重い腰を上げた。

 

 けれど、足が動かなかった。

 なぜだろう。

 自分でも分からなかった。

 胸が痛くて、悲しくて。

 

「三年前、事件が起きました」

 

 カヤは口を開いていた。


「清子さまが亡くなったのです」

 

 カヤはその時のことを思い出す。

 清子の居室にはいつも甘い花のような香りがしていた。

 清子はいつも通り、布団の上で眠っているように見えた。

 けれど、その顔は血の気を失って白く、触れると氷のように冷たくなっていた。


 清子の死因はなんだったのか?

 病だとも、呪いだとも言われたが、結局のところよく分からない。

 

「ノヅチさん」

 

 カヤは目の前の男の子に問いかけた。

 

「きゅい?」

「ここはあの世なのですか?」

「きゅいい~」

「それじゃあ浄土?」

「きゅいきゅい?」

「地獄?」

「きゅー」

 

 ノヅチの反応は肯定しているようにも、否定しているみたいにも見えた。

 カヤはノヅチに訊ねた。

 

「わたしはここにこのままいたら、どうなるのですか?」

 

 ノヅチの男の子は口を開かなかった。

 ただ、その黒い瞳が、

 

 ずっとこのままだったら、ずっとこのままだ。

 

 と告げていた。

 

 清子を見る。

 清子の影はまるで生きている時と同じように見えた。

 

「きゅぃー……」

 

 温かな手がカヤの手を握りしめるのが分かった。

 カヤはそちらに目を向けた。

 ノヅチの少年はその中性的な顔にありありと心配の表情を浮かべカヤを見ていた。

 

「……そんな顔しないでください。わたし、そこまでバカじゃないです」

 

 カヤは大丈夫というように、その手を握り返した。

 清子はとても大事な人である。

 彼女は自分の命の恩人だし、たぶん、はっきりと言ったことはなかったけれど、カヤにとっては母親のような存在だと思う。

 でも、彼女は死んだ。

 死んでしまったのだ。

 それはどうしようも出来ない、とても悲しい事なのだけど、それでもずっと過去を見て悲しんでいるわけにはいかないのだ。

 

 だって、カヤには未来がある。

 未来のカヤはもっともっと幸せになれるかもしれないのだから。

 その可能性を全て捨てることは、きっと悪いことだと思うから。

 

「……それにやり残したことがありますものね」

「きゅい?」

 

 ノヅチは首を傾げた。

 

「玉姫から、まだ金十両を貰っていません」

 

 玉姫は自分を無事上杉領まで連れて行ってくれたら金十両をくれると約束した。

 橋の向こうは上杉領だと聞いている。

 ということは、その直後に捕まってしまったとはいえ、カヤは玉姫を上杉領まで連れて行くことには成功したのだ。

 その報酬をまだもらっていない。

 

「せっかく頑張ったのに報酬をもらいそびれるなんて、そんなの勿体ないです。金十両は大金ですよ? わたしはそれで土地を買って、穏やかで素敵な毎日を送るという目標があるのです」

「きゅい~」

「あなたも一緒に来る?」

「きゅい! きゅいきゅぅ!」

 

 ノヅチの男の子はぶんぶんとおとなりそうな勢いで首を縦に振った。

 

「別にいいですよ。あなたがいたら便利ですし」

「きゅぅー!」

「ただし、わたしの同意なしにエッチなことしたら怒りますからね?」

「きゅ、きゅぅ~……♪」

 

 少年は明後日の方向を向いてへたくそな口笛を吹いた。

 カヤは清子の影に向き直る。

 

「わたしはまだ向こうでやることがあるので、そろそろお暇します」

「……」

「その、清子さま……」

 

 喉の奥で言葉が詰まる。

 感情が上手く制御できない。

 カヤは無理やり、それでも何とか言葉を吐き出した。

 

「会えて、うれしかったです」

 

 不意に、女性は微笑んだ。

 胸が痛くなるような笑みだった。

 だからカヤはその選択肢が正しいものだと信じることが出来た。

 

 清子を包んでいた光がにわかにその輝きを増す。

 光はどんどんと強くなり、やがて目も開けられないほどのまぶしさになり。

 

 そして――

 

 カヤは目を覚ました。

 

 2

  

 最初に見えたのは、小さな丸い、青い空だった。

 空が小さいのはカヤが深い穴の底にいるからである。

 

「ここは、山ツミ岳の……」

 

 そこは山ツミ岳の社の奥にある生贄の穴――カヤが玉姫に突き落とされ、ノヅチと出会った場所だった。

 体を起こす。

 

「いたっ!」

 

 途端に激痛が体を貫き、カヤは声にならない悲鳴を上げた。

 カヤは思わず突っ伏して、地面に置かれていた低反発枕的な感触の存在に顔をうずめた。

 

「きゅう~?」

 

 心配そうな声が聞こえる。

 声は目の前の枕からしていた。

 

「大丈夫、大丈夫ですから……もうちょっとだけ、このままで……」

 

 枕は何も言わずに黙ってカヤを受け止めた。

 ゆっくりと呼吸を繰り返す。

 徐々に痛みが引いていく。

 

 カヤは恐る恐る顔を上げた。

 

 目の前にはモフモフした枕のようなものが見える。

 

 カヤは亀のような緩慢な動きでモフモフに手を伸ばした。

 モフモフは――ノヅチは、きゅいきゅいと声を上げ、カヤの手に身体をこすりつけた。

 ノヅチの身体はくすぐったい。

 何かを失ってしまった気もする。

 でも、カヤはまだ生きている。

 

「きゅい、きゅいきぃ、きゅぅ~?」

 

 ノヅチがカヤに問いかけた。

 

「ただいま」

 

 カヤは何となくそう答えた。

 

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