28:根の国
1
何の前触れもなくカヤは突然意識を取り戻した。
夢も見ないほど熟睡していたのをいきなり叩き起こされた時のような激しい混乱。
自分がだれで、ここがどこなのか――そんなあって当然の見当識を失って、カヤはやみくもに周囲を見回す。
あたりは暗く、何も見えない。
ここはどこだろう?
わたしはなんでこんな場所で眠っていたんだろう?
不意に頭の中で最後のシーンが再現された。
胸を射抜かれた衝撃、邪悪な笑みを浮かべる男の顔、そして玉姫の悲しそうな瞳――
ああ、そうだ。
「そっか、わたし、六郎太に射られて」
死んだのだ。
その事実はまるで鉄のように重く冷たく、心の奥底にずしんと響いた。
別に悲しかったわけじゃない。
ただ、少しだけ悔いがあった。
姫様はどうなっただろう。
無事逃げられただろうか。
「って、あれ?」
そこまで考えて、カヤは困惑したように首を傾げた。
確かにわたしは死んだ、と思う。
矢は胸のど真ん中、心の臓を貫き、肺腑に穴が空き、やたらと苦しかったのを覚えている。
あれは間違いなく致命傷で、あれだけの怪我をして生きているはずがない。
けれど、死んだのだとしたら、今のわたしはいったい何なのか。
カヤはもう一度あたりを見回した。
目の前の闇が揺らめいた気がした。
「なに?」
カヤはじっと目を凝らす。
暗闇が凝集し形を作る。
それは最初、曖昧模糊とした不定形で震えていたが、やがて手が伸び足が伸び、ついには人の形で固まった。
不思議なことに、あたりは暗闇であるにも関わらず、その人の形ははっきりと認識することが出来た。
それは小さな子供の姿をしていた。
背はカヤの胸の高さくらいまでしかなく、頭が大きく、手足が短い。
肩口でバッサリと切られた髪はフワフワとしていて、男の子か女の子かよく分からない中性的で整った顔を優しく縁取っていた。
「えっと、あなたは誰ですか?」
暗闇の中に現れた突如として現れた他人の姿に、警戒しながら尋ねた。
「きゅい~!」
妙な声と一緒に男の子(たぶん)は頬を膨らませた。
猫のような犬のような、耳によくなじむ不思議な声だった。
カヤは唖然として男の子(?)を見た。
「あなた、まさか――」
カヤは半ば信じがたい思いと共に訊ねた。
「ノヅチさん、なのですか?」
カヤの問いに男の子は、きゅう~、と一声鳴いて、それから少女の身体に勢いよく抱き着いた。
「あいたっ!」
勢いのまま小さな体に押し倒される。
男の子の身体は良く干したわらのようないい匂いがした。
ノヅチの匂いだった。
それで確信した。
にわかには信じがたいけれど、この子はノヅチなのだ。
ノヅチはカヤの胸に顔をうずめて嬉しそうに喉を鳴らす。
頭を撫でてやるとフワフワの髪の毛は確かにノヅチのそれと少し似ていた。
「……あなた、人間の姿なんて取れたのですね」
カヤはしみじみと感動したようにつぶやいた。
カヤが知っているノヅチはモフモフして寸胴な、出来損ないの蛇みたいな妖怪だった。
それがこんな可愛いらしい子供になるなんて……
「ちょっとした詐欺じゃないですか……」
「きゅい?」
ノヅチはきょとんとした顔でカヤを見返した。
まあ詐欺は言い過ぎにせよ、とにかくびっくりしたのである。
「きゅいきゅいー!」
ノヅチに腕を引っ張られ、カヤはのそのそと立ち上がる。
「きゅい~」
カヤの手を引きノヅチは歩き出す。
その足取りに迷いは見られない。
いったいどこに連れて行かれるのか、少し怖い気もしたけれど、カヤはおとなしくノヅチについて行くことにした。
ほかに行く当てもなかった。
それに、ノヅチなら悪いようにはしないだろうと思った。
言葉には出さないけれど、ノヅチへの信頼はしっかりとカヤの中に根付いていた。
2
ノヅチの男の子に手を引かれ闇の中を歩く。
しばらく歩くと、不意に闇の向こうに光が見えた。
久しぶりに見る光のまぶしさにカヤは思わず瞼を細めた。
光のもとに誰かがいるのに気が付く。
「あれは――」
カヤは思わずその人に手を伸ばしかけ、
「きゅいーっ!」
ノヅチの男の子は慌ててカヤの手をつかみ直した。
「きゅい! きゅうきゅぅ! きゅいい~!」
ノヅチが必死に何かを告げる。
何を言っているのか分からないけれど、身振り手振りを見た感じ……
「手を離したらダメ?」
「きゅいきゅい!」
ノヅチは何度も頷いた。
どうやら正解らしい。
カヤには分からないけれど、謎のルールがあるようだ。
カヤは小さな手の平をつかみ直す。
ノヅチの手は熱くて、少し湿った子供の手の平だった。
いくつもの人影が過ぎていく。
それはカヤの知っている人のもいたし、知らない人もいた。
その一人の前でカヤは足を止めた。
「きゅいきゅい」
ノヅチは先を促す。
けれど、カヤは動かなかった。
「ノヅチさん」
「きゅい?」
「少しだけ、昔話をしてもいいですか?」
「きゅぅ……」
ノヅチは不安そうにカヤを見た。
「大丈夫です、絶対あなたの手を離しません。だから少しだけ」
「きゅいー」
手をつないだ男の子はしぶしぶという様子で頷いた。
「わたしの生まれの話です。わたしがどうして賀茂家に仕えるようになったのか――」
カヤは言いながら目の前の人影を見る。
その女性は美しい長い髪をしていて、ピクリとも動かず、冷たい視線をただじっとカヤに向けていた。
カヤはその女性を知っている。
その女性の名前は清子という。
清子は賀茂直儀の妻で、つまり玉姫の母親で……
三年前に死んでいる。




