12:賀茂の兵達
1
カヤはひょいと出口から顔を出した。
昼間の明るい光の下で見ると、高山の景色は夜とは違って見えた。
山ツミ岳にははっきりとした境界がある。
森林が広がる山の麓から中腹にかけてと、その上、木々が生えずススキや茅に覆われた山の山頂部分。
その境界に建つのが生贄の社であり、社の後ろには磐座がありノヅチたちの住む穴がある。
山ツミ岳が高い山といえど、万丈の峰々というにはほど遠い。
この程度の山で森林限界がはっきりと見えるというのは、考えてみると少しおかしな話である。
社のあたりは緩やかな高原になっており、磐座の奥から山ツミ岳の切り立った主峰にかけて最後の上り坂を形作っていた。
カヤたちがいる洞窟は、磐座から少し外れた尾根沿いの山肌に開いていた。
夜は真っ暗で分からなかったが、昼の明るい光の下で見れば生贄の社やその向こうの森の様子などが良く見える。
そして、生贄の社――と言っても柵と鳥居しかないのだが――に、何かがいた。
「あれは――」
それは具足を身にまとい、弓手に弓持ち、背中に矢筒を携えた幾人もの完全武装の武者たちの姿だった。
その周りには槍持ちの雑兵たちが慌ただしく走りながら陣幕をあたりに張り巡らせている。
白い陣幕に染め抜かれたのは、見まごうことない、杜若――賀茂家の家紋だった。
「どうして?」
背後から震えるような声が聞こえた。
振り返る。
困ったように八の字に眉毛を寄せた玉姫の顔が見えた。
「なんでここにうちの侍がいるのよ」
困惑に満ちたつぶやきで、カヤはこの状況は玉姫の予想とは異なるのだということを理解した。
「わたしたちを助けに来たのではないですか?」
「いえ、それはないわ」
カヤの考えを玉姫は即座に否定した。
「わたしたちを助けに来たにしては、数が多すぎるし、武装が物々しすぎる」
カヤは、言われてみれば、と頷いた。
確かに、ただの遭難した少女を探すのに、槍や弓がそんなに必要になるとは思えない。
「だいたい、私は生贄として捧げられたのに、今更助けるもくそもないでしょ」
「姫様、言葉遣いが乱れていますよ」
「うるさい。あるい、はカヤを探しに来たのかしら……いや、それもないわ。カヤが他国の間者か何かだと本気で信じて追いかけているとしても、こんな場所に陣を張る必要がない。本当ならカヤはとっくに逃げているはずだもの」
玉姫は自問自答した。
カヤにも彼女の考えは正しい様に思えた。
けれど、だとすると、なぜ直儀さまは兵をよこしたのだろう?
「それに、陣の奥に兄が見えたわ」
玉姫は顔を上げた。
「カヤの追跡程度の仕事に、お兄様が出張るとは思えない」
玉姫の顔には緊張がみなぎっていた。
姫様が兄と呼ぶ相手は、賀茂家の中に一人しかいない。
「玉姫の兄上様というと、賀茂家の嫡男、直久さまですか?」
玉姫は重々しく頷いた。
賀茂家の嫡男、賀茂直久は二十歳を過ぎたばかりの若者である。
彼はすでに父直儀の仕事の一部を引き受け、家の中身を取り仕切る、賀茂家の屋台骨の一人だった。
武門の棟梁、賀茂家の仕事は膨大である。
領民を使っての殖産、勧農に勤めるだけでなく、都の監視、神事への出席、数年ごとにめぐってくる任官、他国の紛争への介入、各地に点在する系列の荘園の監督……東国一の武者と称えられる賀茂家は公私ともに膨大な役割を担っている。
かつてはそれらの大部分を当主である直儀がこなしていたのだから、彼の負担は大変なものだった。
今となっては直儀は線の細い男であるが、かつては大食漢であり、胴などもはち切れんばかりに太っていた。
けれどそれらの激務をこなしているうちに痩せていき、そして三年前のある出来事がとどめとなり、彼は今の姿になったのである。
三年前、直儀の妻、清子が死んだ。
それ以来、直儀は明らかに落ち込んでいる。
元気を失った直儀の代わりに賀茂家の政務の多くを取り仕切るようになったのが嫡男の直久である。
直久のことはカヤももちろん知っている。
直久は武士らしい武士である。
太い足、太い腕、大きくたくましい胸、体のどこを切り取っても男らしい。
今はまだ田舎武者ぶりがどこか抜けきらず、都での神事などには直儀が出かけているが、荒事となれば真っ先に買って出る押し出しのきいた若武者ぶりは、配下の者たちにも概ね好意的に受け止められていた。
性格もおおらかで、気前も良く、これぞ、坂東武士のあるべき姿よ、と称える郎党の姿を見たことは一度や二度のことではない。
あるいはかつての偉大な当主、直儀の影をそこに見て、目を細める輩も少なくなかった。
何にせよ、いずれ賀茂党の宗主として大仕事をされる方――
賀茂直久はそう目され、期待される男である。
その直久が出てきている、ということはこれは賀茂家にとって些事ではないということだ。
「これじゃあまるで合戦でも始めるみたい……」
玉姫はそう呟いて、はっと顔を上げた。
「まずい……今、あの穴を調べられたら、私が本当は落ちていないことがばれてしまう」
言われて、カヤは思い出した。
本来なら、穴の底には死後一日たっていない出来立てほやほやの玉姫の死体が転がっているはずなのだ。
けれどそこには何もない。
ただモフモフしたノヅチたちが、ダラダラと寝そべっているだけである。
そうなれば、玉姫と雷太郎主従の底の浅い欺瞞は一瞬でばれてしまうだろう。
眼下の社では、すでにいくつかの人影が生贄の穴へと迫っていた。
「出発するわよ」
「え? どこへ?」
「上杉領へ」
玉姫は立ち上がった。
「奥に何着か古い着物があったから、それを使わせてもらいましょう。それから、必要そうなものを見繕って……何してるの、カヤ。早く急いで」
言いながらすでに玉姫は洞窟の奥へと歩き出していた。
玉姫は振り返ってカヤを見た。
「ここだって、いつまで隠れていられるか分からないわ」
2
玉姫の言う通り、洞窟の奥には何着かの女性用の着物が落ちていた。
こんなのあったんだ。
一度洞窟の奥を通ったのだが、カヤは気が付いていなかった。
多分、夜だったので見えなかったのだろう。
「全体的に大きさが小さいですし……女の子用の服ですね」
言ってから、カヤはそういえば賀茂ノ庄では子供が神隠しに会う事件が頻発していたということを思い出した。
この服は誰が着ていたのだろう。
やはり犯人は山のカミ――つまりノヅチたちなのだろうか……?
カヤは足元のモフモフに視線を移す。
「きゅぅ~?」
カヤに見詰められたノヅチは、照れ臭そうにその身をくねらせた。
別にノヅチのことをかばっているわけではないけれど、何となく、ノヅチがそんなことをするようには思えなかった。
ていうかこんな大きな毛むくじゃらが里に出没していたら、普通は目撃されてしまうと思うのだ。
百姓たちの話によると、犯人の姿を見たものは誰もなく、親や警備の侍たちが見張っていても忽然と姿を消してしまうのだという。
そんなこと、ノヅチに出来るとは思えない。
でもだとしたら本当の犯人は誰なのだろう?
「さあ、それは、たぶん……知らないけれど」
玉姫はやや強引に話題を変え、
「そんなことより、カヤ、早く帯を巻いてちょうだい」
カヤに助けを求めた。
見ると、どうすればこんなことになるのか、ひどく芸術的な仕方で玉姫は細帯にからめ取られていた。
カヤはため息をついた。
「姫様はもう少し自分のことも出来るようになった方がいいと思います」
言いながらカヤは玉姫の前にひざまずき、絡まった帯を解いてやると、手際よく裾を合わせて、再び帯をきゅっと締めた。
「ありがと……って締めすぎ!」
玉姫はこと切れる寸前の鳥の様な悲鳴を上げて、目の前のおかっぱ頭をはたいた。
「中身が出るわ! この駄メイド!」
「誰が駄メイドですか!」
ていうか、メイドってなんだ。
これだからこのお姫様は……いっそ中身が出ればいいのに、なんてカヤは思っていないですよ?
手荷物はほとんどなかった。
もともと何も持っていないのだから当然である。
二人が出発する準備を整えると、何匹かのモフモフが二人のを取り囲んだ。
カヤを取り囲んだモフモフたちは、いそいそとカヤの身体によじ登り、頭や肩の上に陣取る。
「……一応、聞くのですけど、一緒に来てくれるのですか?」
「きゅうきゅう~」
ノヅチたちは、今更何を言っているんだ、と言うように声を上げた。
最後に小さな一匹が袖の中へと納まって、ノヅチたちの準備は完了した。
いろいろ言いたいことはあったけれど、とりあえず、
「ありがとうございます……」
と口の中で小さく言うと、ノヅチたちはぶるぶると体を震わせた。
何事かと思ったがどうやら感激しているようだった。
きもぉ……
「ぎゃあー! 私の方に来るな! 乗るな、けだものぉ! 乗るならカヤに乗れ! ひいぃぃぃー!」
「きゅぅぅ~♥」
その隣では玉姫と数匹のノヅチたちが追いかけっこに興じている。
なんだかんだ言って玉姫もモフモフたちに嫌われているわけではないらしい。
結局、玉姫は一匹だけ肩に乗せ、残りは後を歩いてついてこさせる、という妥協点を見出した。
最後に二人の前に一匹のノヅチが進み出た。
「きゅぃ」
口の端に咥えていたのは、一本の短刀。
「これ、私の……」
玉姫がつぶやく。
それは、玉姫が落とした六郎太と争っていた時に落とした短刀だった。
「取って来てくれたの?」
「きゅい~」
毛玉が頷く。
「……別に、感謝はしないわ」
玉姫はつっけんどんに短刀を受け取った。
洞窟の出口から社の方を伺う。
陣にいた兵たちは今は社の外に散らばり、山ツミ岳の神域は兵たちでいっぱいになっていた。
まるで何かを探しているようだった。
実際探しているのだろう。
探しているのが玉姫なのか、それともカヤなのかは分からないが。
「行くわよ」
カヤは少し戸惑った。
よく考えずなし崩しで行動しているなあ、と感じなくもなかった。
ていうかわたしは別に悪いことしていないんだし、直久さまの陣に行けば受け入れてもらえる可能性もあるんじゃなかろうか……なんて思わないでもない。
けれど――
わたしが裏切ったら、玉姫は終わりだろう。
それは、少し、イヤだった。
あくまで一般論としてだけれど、ある程度以上知った人が不幸になるのは、やっぱり悲しいことだと思う。
「ほらカヤ」
玉姫の呼ぶ声がする。
「あ、待ってください」
二人は這うように身を低くして洞窟から逃げ出した。




