11:姫君の依頼
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賀茂家の本領、中野国賀茂ノ庄は山に囲まれている。
北の山クイ岳、西の山ツミ岳、それらの山の向こうには別の国があり、北の隣国は霜野国、西の隣国は高野国と呼ばれている。
「高野国に私の姉の咲夜姉さんが嫁いでいることは知っている? そこに行きたいの」
突然の話に困惑するカヤに向かって、玉姫はそう説明した。
咲姫のことはカヤも知っていた。
玉姫の姉君、咲姫が高野国の上杉家に嫁いだのは、三年ほど前の話である。
カヤはその時点ですでに賀茂家の料理人見習いで、彼女の結納の儀式にはカヤも参加したのだ。
凛とした佇まいの姫君はたいそうかっこよかったことをカヤも良く憶えていた。
賀茂家は美形の血筋なのだろう。
賀茂家には三人の姫がいる。
鋭い刃の様な凛とした雰囲気と冷たい美貌を持つ長女の咲姫様、
豪奢な金色の髪と女らしい体つき、宝石のようにきらびやかな次女の玉姫様、
そして、大きな満月の様な笑顔の愛らしい三女、櫛姫様。
三者三葉の外見を持った姫君たちは、賀茂の三美姫として東国にその名を知らしめていた。
「咲姫様のことはカヤも存じています。けれど、どうしていきなりそんな話を?」
カヤの問いに玉姫は不機嫌そうな鼻息と共に告げた。
「いきなりじゃないわ。ずっとお父様に相談していたの。けれど、許してくれなかったのよ」
玉姫は父、直儀の態度を思い出したのか、不機嫌そうな鼻息と共に告げた。
玉姫はここ数か月ほどの間、姉の元を訪れたいと直儀さまに話をしていたらしい。
けれど、お館様は玉姫の言葉に耳を貸さなかった。
夏は雨が多く道が悪いからと言って姫君を外に出さず、秋は夜盗が出るからと言って玉姫を館に閉じこめた。
「いい加減出しなさいよ! って怒ったら今度の生贄騒ぎよ。一体お父様は何を考えているのか、娘の私にも謎だわ」
「はぁ」
カヤはあいまいに頷いた。
たぶん、直儀さまは、やんちゃな玉姫の行状が外部に漏れるのを阻止するために、姫様を外に出さなかったんじゃないかと思ったが、賢明なカヤは口に出さなかった。
まあ隠したところで、玉姫の奔放な性格は割と有名な事実なので、その効果は疑わしいと思わないでもない。
「だから隣国に行きたいの。でも、私一人で山を越えて高野国まで行くなんて無理だってことくらい、私には分かっているわ。本当は六郎太に連れて行ってもらうつもりだったのだけれど」
玉姫は語尾を濁した。
六郎太は裏切った。
主である玉姫に手を出そうとした。
ノヅチに敗れた彼がどこに行ったかはカヤにも分からない。
あるいは、あれだけの深手を負ったのだ、もうすでにどこかでこと切れているかもしれない。
「つまり、生贄の儀式にかこつけて館を出て、六郎太を護衛に隣国に行こうとした、と……そういう事ですか」
カヤがまとめる。
「ええ」
玉姫は頷いた。
「六郎太と雷太郎は――」
「賀茂家も一枚岩じゃないのよ」
カヤは何となく察した。
賀茂家の中には当主の直儀さまの言葉よりも、玉姫の言葉を優先する武者もいる――そういうことなのだろう。
もちろんその程度の派閥争い、どんな家にもあることだと思う。
けれど、カヤにはその争いが、将来の賀茂家に暗い影を落とすんじゃないかと、そんな
風に思わずにはいられなかった。
今となってはわたしには、賀茂家の将来なんて知ったことではないんですけどね。
「それで、わたしは時間稼ぎのための身代わりになるはずだった……そういうことですか?」
「ええ、そうよ」
玉姫は傲然と頷いた。
本当に図太い人である。
ここまで来ると文句を言う気にもなれない。
「雷太郎には『玉姫は生贄にささげられた。しかし途中で料理番のカヤが逃げた。きっと他国の間者か何かに違いない。その行方は六郎太が追っている』とか、そんな感じの報告をするように言っているわ。上杉領までは歩きで二日ほどと聞いているから、わたしが隣国に行くまでの時間はそれで十分稼げる……そのはずだったのに」
玉姫は唇をかみしめる。
もうすでに一日が経っている。
このまま何日も六郎太も戻らなければ、怪しんだ直儀さまが調べ始めるだろう。
生贄の穴を調べれば、玉姫が生贄にささげられていないことは一目瞭然である。
玉姫は一刻も早く上杉領まで行かなければならないのだ。
「だからわたしに護衛をしろということですか」
玉姫は頷いた。
「どう? やってくれないかしら?」
「……」
一応、玉姫の事情は何となく分かった。
しかし、分からないことが一つあった。
「姫様はわたしがその命令を聞くと思っているのですか?」
「なに、ダメなの?」
「だって聞く理由がないじゃないですか」
カヤは淡々と指摘した。
確かに今までカヤは玉姫の言うことを聞いていた。
それはカヤが賀茂家の召使であり、玉姫が賀茂家のお姫様だったからである。
けれど、この状況でその肩書にどれほどの意味があるだろう?
玉姫はこれから賀茂家を出奔しようとしているのであり、カヤだってこんなひどい目にあったのに、今更賀茂家に戻って再び召使をする気にはなれない。
もう玉姫はもはや賀茂家のお姫様ではないし、カヤは賀茂家の召使ではなくなってしまっている。
それなのに、玉姫の命令を聞く筋合いはカヤにはない。
そう告げると、姫は淡々と頷いた。
「そうね、確かに今の私たちには直接的な上下関係はない。それどころか、ノヅチたちに言うことを聞かせられるあなたの方が、今の私よりも立場は上かもしれない」
カヤは視線を地面に下ろす。
そこには、ふわふわとした毛むくじゃらの巨大な毛虫――ノヅチたちがいて、お腹をさらして寝転がっているのが見えた。
それと同時に、カヤはノヅチのお腹側と背中側を区別できるようになっている自分に気が付いて、若干残念な気分になった。
初めて見た時はノヅチの上下左右の区別もつかなかったのに。
こんなスキル欲しくなかったな……
八つ当たりするようにノヅチのお腹をつま先でぐりぐりと押す。
「きゅぃぃ~~♥♥」
ノヅチは快感に身もだえし、発情したネコのような鳴き声を上げた。
気持ちわるー。
気持ち悪いけど、味方になってくれるならば力強いというのは事実なわけで。
「そうですよ。さっきだって玉姫はわたしに逆らったからこの子たちにぬちょぬちょにされたばかりじゃないですか。それなのにわたしに命令をするのですか?」
「ぬちょぬちょにされたのはあんたも同じじゃない」
「う、うるさーい! もう一回犯されたいのですか!?」
「イヤに決まってるでしょ」
玉姫はかぶりを振る。
「ていうか最初から私は命令なんてしてないわよ。私の護衛をしてくれないかってお願いしているだけ」
カヤははたと動きを止めた。
そう言われれると確かにそうである。
「なんなら報酬もつけるわよ。そうね……私を無事に上杉領まで届けてくれたら、金十両をあなたに渡すっていうのでどうかしら」
「金十両……」
「どう足りない?」
「……あの、金一両って銀だとどれだけですか?」
カヤの言葉に玉姫はきょとんとした顔をした。
カヤはムカっとした。
普通、庶民の間でこの国の庶民の間で流通しているのは銅銭や銀銭であり、金なんてめったに見ない。
そんな貴族の単位で話をされても、カヤに分かるわけないのに、嫌味なのだろうか。
「最近は銀も品質が悪いし、金一両ってだいたい銀百匁くらいだったかしら」
玉姫が言う。
「百匁……ということは金十両って銀千匁ですね」
カヤの一日の収入がだいたい銅銭で80文ほどである。カヤは普段それを二週間分まとめてもらっている。二週間分でだいたい銅銭1000文、これでだいたい銀10匁に相当する。
つまり、銀百匁は、カヤの10週分の給料に相当し、つまり……
「千匁!?」
カヤはびっくりして目を剥いた。
「すごい大金じゃないですか!」
「あら、そうなの? いまいち庶民の感覚って分からないのよね」
玉姫は、ほほほ、と口に手を当てて笑った。
分かってはいたけれど、玉姫は超有力な軍事貴族である賀茂氏の娘なのだ。
その金銭感覚はカヤの常識からは乖離している。
そんなことは賀茂家に仕えているカヤはよく分かっていた。
けれど、お給金は渋い。
悲しい事実である。
ともかく、銀千匁ももらえたら、カヤは数年はお金の心配をしなくて済むだろう。
正直、とても、魅力的な報酬。
けれど、
「だ、ダメです! 玉姫は騙そうとしています! どうせ上杉領に着いたら、知らぬ存ぜぬで通すつもりなんでしょう! 賀茂家の財産を使えるならともかく、玉姫個人でそんな大金動かせるはずありません」
「あら、それは私を甘く見すぎじゃないかしら? 何なら前金としてこれを上げるわ」
そう言って玉姫が渡してきたのは、姫君の長い金髪を留めていた髪留めだった。
カヤは今まで玉姫の装飾品をまじまじと見たことがなかった。
とはいえ、所詮単なる髪留めである。
そう大したものじゃないだろうと受けとり。
「わぁ……きれい――」
そして、カヤは思わずため息をついた。
それは全体を漆で塗った赤い髪留めで、真ん中には螺鈿細工の杜若が描かれていた。
杜若は賀茂家の家紋でもある。
端に付いた、角度を変えると美しい縞模様が現れ、万華鏡のように輝く石は瑪瑙だろうか。
間違いなく、匠の一品と言える代物だった。
「こ、こんなの受け取れません!」
カヤは半ば反射的に髪留めを姫に突き返す。
「なんで?」
「なんでって……だって、これは」
これは――何だっただろう?
続きが出てこなくて、カヤは言葉に詰まった。
カヤにはこの髪留めに見覚えがある。
どこかで見たものだった。
とても大切なものだった。
玉姫が持っておくべきものだった。
それはわかるのに、そんな確信が胸の奥で渦巻いているのに、けれど、なぜこれが大事なのか思い出せない。
「とにかく、これは受け取れません。それに、こんなの、わたしには似合いません」
これもまた事実だった。
こんな贅沢な髪留め、カヤのおかっぱ頭に挿したら絶対に悪目立ちする。
玉姫みたいに派手な美人なら似合うかもしれないが、カヤでは豚に真珠もいいところである。
「そうかしら? あなた確かに色々貧相だけど、顔の作りは結構良いし、似合うと思うけど」
麗しい姫君はさらりと言って、カヤの言葉を失わせた。
たとえ相手が女性でも、きれいと言われれば嬉しくなる。
頬が熱くなる。
カヤは恥ずかしさを隠すために何か口にする言葉を探した。
「何でそんな歯の浮きそうな言葉をさらっといえるのですか! 姫様は!」
「さらっとも何も、思ったことを言っただけだけど……いいから持っておきなさい。別にあなたが使わなくてもいいわ。最悪売ればいいじゃない。割と良い石もついてるし、それなりのお金になると思うわよ」
躊躇うカヤの手に玉姫は髪留めを握りこませた。
反射的に口を開きかけたカヤの唇に手を当て、玉姫は続けた。
「それに、私が報酬を払わないことを心配することなんて、あなたには心配する必要ないじゃない。あなたの方が力があるのでしょう? 私が言うことを聞かないなら、その時はノヅチに襲わせでもしたらいいだけよ」
「……」
別に、容姿を褒められて嬉しくなったからというわけではない。
立て板に水を流すような弁舌に圧倒されたというわけでもない。
けれど、確かに玉姫の言うことは正しいかもしれない、とカヤは思い始めていた。
「だいたい、あなただって、このまま城下に戻るわけにはいかないでしょう? あなたは主家を裏切って逃げ出したことになっているのよ? 言っておくけど、この世の中、ご主人さまを裏切るような下女を雇うやつはそういないわよ」
「別にわたしは賀茂家を裏切ってはいません。むしろ裏切ったのは玉姫の方じゃないですか!」
「六郎太が戻ってこない間に、雷太郎がどれだけ話を盛るのか見ものだわ……あなた、きっとすごい極悪人に仕立て上げられてるわよ」
「ひどい!」
「それにあなたは六郎太を殺した! そのせいで私は窮地に立っている。その責任も取らずに逃げるつもりなの? 最初からあなたに選択肢はないのよ!」
再び、カヤは言葉を失った。
今そのことを言い出すとは思わなかった。
一瞬沈黙の天使が舞い降りる。
いつの間にか、洞窟の入り口からは明るい陽射しが差し込むようになってきていた。
どうやらノヅチたちの寝床でだいぶグダグダしてしまったらしい。
「きゅいー!」
その時、洞窟の外から鳴き声が聞こえた。
昨日今日だけでずいぶんと聞きなれてしまったノヅチの声。
だけれどその声の中には今まで聞いたことのない何かが含まれていた。
「何?」
二人は洞窟から顔をのぞかせた。




