10:野の槌
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「ノヅチ」
毛虫もどきたちから解放された玉姫は疲労の色濃く残る顔でそう告げた。
「ノヅチ?」
カヤは同じ言葉を繰り返す。
「野の槌と書いてノヅチと読むの。野原にいる妖怪の一種よ」
カヤはあたりに目をやった。
暗い洞窟の中には長い毛が生えた蛇の様な、毛虫の様な生き物が無数にいる。
「こいつらがノヅチなのですか?」
「ええ、たぶんね。本の挿絵で見たことがあるわ」
「……毛虫もどきじゃないんですね」
カヤがつぶやくように言った。
「毛虫もどきって……」
そんなわけないでしょう、と玉姫は呆れたように首を横に振る。
別にカヤだって、本当に「毛虫もどき」が彼らの名称だとは信じていたわけではない。
けれど、なんというか、そんなよく知られた通称があるほど著名な妖怪だとも思っていなかったので、少し意外に思ったのだ。
これで正しく伝わるか分からないけれど、自分だけが価値を知っていると思っていた芸者が、実はすごい花魁だったみたいな、そんな感じ。
……こうやって書くと、まるでわたしが毛虫もどきに首ったけみたいに見えてなんか癪ですね。
別に好きなんかじゃないのに。
ふと、カヤは思い出したことを口にする。
「生贄の穴の底にいましたよ」
「生贄の穴?」
「カミの生贄を捧げる、本当は姫様が落ちるはずだった穴のことです」
「ああ……あそこにもいたの? ノヅチが?」
カヤはこくんと頷いた。
「穴の底に落とされて、今みたいに手籠めにされたのです……姫様のおかげですね?」
「ふーん」
カヤの当てこすりに対して、玉姫は眉一つ動かさずに相槌を打った。
図太い人です。
きっと玉姫の神経と神社の注連縄を比べたらいい勝負に違いない。
玉姫はノヅチたちの方を見ながら、
「山のカミの正体見たりってとこかしら」
カヤは意味が分からず首を傾げた。
「きっとそいつらが山のカミなんでしょう」
「そいつら……ノヅチが山ツミ岳のカミの正体ということですか?」
玉姫は頷く。
「そんなこと」
ある、のかもしれない。
その可能性を完全に否定することはカヤには出来なかった。
カミとは、ヒトよりも高き存在である。
その高さは単純に力だったり、何らかの業であったり、異常な知能であったり……普通のヒトにはできないことを引き起こす存在のことをカミという。
そしてそれは決して神聖な存在ばかりとは限らない。
ノヅチという強大な妖怪に襲われ、その存在を畏れたヒトが彼らをカミとして祀ったということは十分あり得る話に思えた。
カヤはあたりを見回した。
毛虫もどき――ノヅチたちは折り重なるようにして地面に寝転がり、高いびきを上げて眠っていた。
これがカミサマ。
身体に手を伸ばすと、ノヅチはかすかに身じろぎし、幸せそうに「きゅぃ~」と鳴き声を上げて寝返りを打つ。
休日、家でダラダラしている中年のおじさんの様な動きである。
これがカミサマだとするとあんまり信仰する気にはなれないな、とカヤは思った。
「くしゅん」
不意に可愛らしいくしゃみが破裂した。
玉姫はカヤの方を見る。
「カヤ、大丈夫?」
「大丈夫です。でも、ちょっと体が冷えてきたみたいです」
「ああ」玉姫は頷いた。「最中って体温上がるものね」
「……ええ、そうです。運動中は暑くなるのです。文句ありますか」
「エロい事してる最中って体温上がるものね」
「なんで言い直したのですか!?」
「そのほうが淫猥かなって思ったのよ」
「なんで淫猥にしたかったのですか!?」
「でも別に嘘は言ってないでしょ?」
「くぅ……」
カヤは視線を逸らせた。
言い返せなかった。
カヤは手近な場所にいた一匹のノヅチを拾い上げた。
八つ当たりでもしてやろうかと思ったのだけれど、ふわふわとした体は湯たんぽのように温かくて、思わず抱きしめてしまう。
毛虫の様な体はよく乾燥した干し草のようなにおいをしていて、吸い込むと幸せな気分になってしまった。
こいつら変態のくせに、見た目や触り心地がいい感じなのだ。
ほんとたちが悪い。
「……よくそんなことできるわね」
ノヅチにぐりぐりと顔を押し付けていたカヤは、玉姫の薄気味悪そうな声で我に返った。
「べ、別に、このモフモフたちに気を許したわけではないですから!」
ジトっとした目線がカヤを捉える。
カヤはバツが悪そうに視線を逸らした。
なぜノヅチに手を伸ばしてしまったのだろう。
それはもちろん、この毛玉が無駄に温かそうだからである。
つまり、寒いから手を伸ばしてしまったのであり、全ては今自分が服を着ていないのが悪い!
「くっ……服を溶かされなければこんなことには――」
カヤは臍を噛んだ。
「本当にそうかしら……」
玉姫は首に手を当てて考え込む。
「……そういえば、さっきもあなた結構気持ち良さそうだったわね」
「さっき?」
カヤは首を傾げた。
「ほら、ノヅチとしている時、自分から体押し付けてた」
「いきなり何言ってるんですか、姫様!?」
「なんだかんだ言いながら、実はそういうのが好きなんじゃない?」
「違いますから! 人を異常者みたいに言わないでください!?」
「別に隠さなくてもいいのよ? 私、性的志向で人は差別しないように教育されてるし、そういうの結構寛大よ? 世の中には犬や馬に欲情する人もいるのだもの。別にいいじゃない、相手が妖怪でも」
「そういう教育は良い事なんでしょうけど! 何か! ここで言っているのとは何か決定的に違う気がします!」
玉姫は虫愛づる姫君を眺める生温かな目でカヤを見た。
カヤは薄暗い闇の底で突っ伏した。
「ていうか、こんな暗い中でわたしがどんなことしてたかなんて、姫様に見えるはずがないじゃないですか!」
「あ、ばれた」
カヤはがっくりと肩を落とした。
なんでこの姫は、こういう意味のない冗句を挟むのだろう……
そんなカヤをしり目に、玉姫は二、三度、首を横に振り、小さく息を吐いた。
「はぁ、これからどうしようかしらねえ」
「これから……そういえば姫様はいったい何をするつもりだったのですか?」
「何をする?」
「あの侍と怪しい会話をしていたでしょう?」
カヤは森の中で盗み聞きした会話を思い出す。
カヤは玉姫が賀茂家を乗っ取るため犠牲だとか……あの粗暴な侍、六郎太は言っていた。
玉姫はとぼけた顔で、「……何のことかしら」と首を傾げた。
カヤは続ける。
「賀茂家を乗っ取るとか、何とか」
「……」
「わたしを犠牲にしたのはそのためだとか、そんな会話を耳にしました」
「そこまで聞かれていたとは」
すっと玉姫の声の温度が下がる。
普段の玉姫が春の日差しくらいだとしたら、今の玉姫の声は二月の川の流れくらいになっていた。
「……なんですか、この物騒な空気は」
「あなたがそれ以上の何かを知っているとは思わないけれど、でも、万に一つの可能性でも排除する必要があるの」
鋭い目がカヤの身体に狙いを澄ます。
どうやらカヤは聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。
剣呑な雰囲気の玉姫を前にしても、けれどカヤは慌てなかった。
「……姫様、何か忘れていませんか?」
カヤは玉姫をむやみに刺激しないように、落ち着いた声で尋ねる。
「何よ? 命乞い?」
ケンカ腰に玉姫が問い返す。
カヤは視線を地面に向けた。
「足元足元」
「足元? ぎゃああ!」
玉姫の元には目を覚ました毛むくじゃらが集まってきていた。
反射的に飛びのこうとした玉姫より一瞬早く、ノヅチはその細長い体を玉姫の足首に巻き付けていた。
突然足を引っ張られた玉姫が安定を取り戻すことはなく、びたーん! と、痛々しい音と共にその場で盛大にすっ転んだ。
「そういえばこいつらのこと忘れてたわ!」
「忘れるの早すぎでは?」
カヤは呆れる。
玉姫をすっ転ばした毛虫もどきたちはカヤの元に集まってくる。
「きゅぅ~」
威嚇するように唸り声をあげるノヅチたち。
「やっぱりこの子たちはわたしの味方みたいです」
「なんでよ!?」
「分かりません」
「やっぱり人間のくせに妖怪と交わる変態は、妖怪にも好かれるのかしら?」
「誰が変態ですか!」
「じゃあ何が理由なのよ?」
カヤは少し考え込んだ。
「もしかしたらわたしのことをお嫁さんだと思っているのかもしれませんね」
カヤは思いついた考えを口にした。
カヤはモフモフたちとちょっと特殊なことを行った。
普通、そういう行為はつがいでやるはずである。
つまり、今のわたしはノヅチたちの妻? 嫁? 奥さん? 的な何かとノヅチたちに思われているのかもしれない。
「自分の嫁なら、まあ守ろうとするのは自然なんじゃないですか?」
「でもそれだとしたら私も同じように守ってもらえないとおかしくない!? 私もエッチされたのに!」
「それはそうなんですけど……体の相性が悪かったとか?」
「理不尽!」
麗しい姫君は地団駄を踏んだ。
「もう! なんでこんな大変な時期に大変な事ばかり重なるのよ! 六郎太は裏切るし! 料理番は言うことを聞かないし! 私は、賀茂家を守らないといけないのに! なんで――」
不意に言葉が途切れる。
「……いや待てよ」
玉姫は顔を上げた。
「これって結構使えるのかもしれないわ」
玉姫はまっすぐカヤを見ていた。
カヤは、何となく嫌な予感がした。
そして不幸なことに、カヤの嫌な予感は結構な命中率を誇るのである。
「……今のカヤはノヅチにお願いしたら色々やってもらえちゃう状態なんじゃないかしら?」
「え? どうしてそう思うのですか?」
「だってさっき、ノヅチたちはあなたの言うことを聞いて、私を捕まえたじゃない」
「言われてみると、そうですね」
「それなら多少の荒事でもあなたがいれば切り抜けられるんじゃないかしら?」
それはそうかもしれない。
玉姫はカヤをまっすぐに見つめていた。
「カヤにお願いがあるの」
「何ですか?」
「護衛をして欲しいの」
「護衛?」
カヤはきょとんとした顔で玉姫を見返した。
「そのノヅチたちの力を使って私を守って、私を隣国まで連れて行って欲しいの」
と玉姫は告げた。




