表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

トランジックアクター

さっき気づいたんですがワードで打った物をUPしてるのでルビが少しおかしい……○| ̄|_

気にせずにお読みください(笑

 デルバトスと最初に遭遇してから五日目の金曜、午後三時三十分。学校から帰宅した朱音は自宅の自室で一人物思いにふけっていた。家の中には、それぞれ、用事で出かけているのだろうか、彼以外の人の気配はない……

「最後に……いや、最後じゃないけど、行く前にみんなに会いたかったな」

 自室のベッドに座って、一人そんなことを呟いた。

(いや、もう完全に忘れてしまっているかもしれない……そんなみんなに会ったところで……)

 ふと、思い出して時計に目をやると、時刻は既に四時を回っていた。どうやら、座ったままぼーっとしてしまっていたらしい。今は、朱音の中にしか残っていない記憶の中で……母、瑞希がくれたデザインクロックはが贈り主がいなくなったことにも気づかず、初めて電池を入れた時と変わらぬ時を刻んでいる……

 「……そろそろ準備しなくちゃ」

約束している時間は五時。相手は当然のことながらキルハだった。彼女の家に五時にたどり着くには、今から準備すれば丁度いいくらいだろう。朱音は立ち上がると、まずクローゼットを開いた。帰ってきてから、制服のままだったのだ。着ていく服を品定めしていると、掛けてある服の下に、小さなスニーカーを見つける。子供用らしい、赤と緑の鮮やかなデザインが目を引くこの靴は、朱音が幼少の頃に、初めて父から贈られた、大切なものだった。


『おうアカネ!いい子にしてたか?今日はお土産があんだぜー、ほら!』


そう言って子供の様な笑顔でスニーカーの箱を取り出した父の笑顔を、朱音は今でも覚えている。朱音は、スニーカーを手に取ると、デザインクロックとそれを交互に見た。

(……お前らも、僕と一緒だな……)

 贈り主のいなくなった贈り物たち……しかし、確かにここに存在し、その記憶は朱音の中にしっかりと残っている……


 フォールダウンが始まってから六日目の昨晩。キルハの家での鍛錬を終えて帰宅した時のことだった。「新しい」体の使い方も覚え、剣術に至っては既にティルを凌ぎかねない程の上達を見せ、「身」の部分ではこれ以上無いというくらいに充実していた朱音の「心」を揺るがす出来事が起こっていた……


帰宅した朱音を出迎えた母、瑞希は開口一番こう言った……

『どちら様……でしたか?』

 瞬間……朱音は、足から力が抜けて、その場に倒れこみそうになるのを必死で堪えた。それは……例えようのない絶望感。何か言葉を発しようとするが、空気ばかりが漏れ出てまったく声にならない。

遂に来た・・・来るのは分かっていた・・・来て欲しくなかった・・・家族が自分の存在を忘れるこの瞬間を・・・

 朱音のエインヘリャル化はこの時点で最終段階に差し掛かっていた。

朝はかろうじて周りの人達に、「記憶」は残っていたようであった。父に朝の挨拶をすれば、「おはようアカネ」と返してくれた。妹達の名前を呼べば、「アカネちゃん」と自分の名前を呼び返してくれた。朝食はいつものように五人分用意されていた……しかし、家族との会話の端々に出る、まるで朱音が「居なかった」かのように話される家族の過去の話。朱音はそれを聞きながら、心に斧を打ちつけられるような鈍い痛みを感じていた……

学校に行けば、いつも挨拶を交わすクラスメイトが大幅に減っていた。廊下で都子に会い、挨拶をすると「おはよう神谷君(・・・)」……そう、優等生スマイルで言われた。ユウキが話しかけてきて、朱音は笑顔を作ったが、「神谷(・・)、宿題見せてくれよ」……そう、頼まれたことの無い、頼まれ事をされて無表情でノートを渡した。ヨシノに至っては、既に忘れてしまっているのか、教室で顔を合わせても、声を掛けられることはなかった……顔見知り程度のクラスメイトどころか、都子も、ユウキも、ヨシノも……「ただのクラスメイト以下の存在」として朱音に接するようになっていた……


瑞希を前にして、声を出せないでいる朱音。その顔色は蒼ざめていて、体は今にも崩れそうな砂の城のようであった。しかし、瑞希はその時はまだ、完全には朱音のことを忘れていなかった。母は、こう続けた。

『でも……私、あなたのこと知っているみたいです……だって……』

 そこまで言うと、瑞希の目から次々と涙が零れだした。

『だって……あなたを見ただけで、こんなに涙が出るんですもの……でも、ゴメンナサイ……思い出せないんです……』

 そう、擦れた声で言うと瑞希は、自分でもなぜ涙が出るのか分からないまま、その場に泣き崩れた。彼女の後方―戸の閉められたリビングの中からは、

『お母さん誰〜?』

『瑞希ちゃん、早く飯にしようぜ!俺、腹ペコペコだよ~』

 という、いつもの家族の声が聞こえてくる。そんな声を耳にしながら朱音は、瑞希に声を掛ける。

『その気持ちだけで十分だよ……ありがとう、母さん』

 「母さん」という言葉を聴いた瞬間、バッと顔を上げる瑞希。

『あなた……アカネちゃ……』

 しかし、アカネの姿は既に門の前を走り去るところだった。朱音は母に声を掛けるとすぐに、外へと走り出したのだった。朱音は走った。何も考えず、ただひたすらに走った。

(あそこにはいられない)

 その気持ちだけが、朱音を走らせていた。家に帰れば、朱音のことを思い出してくれるかもしれない。しかし、今は思い出してもらえたところで意味は無い……それが痛いほどに分かっていたのだった。どんなスピードで走っても、どんな長距離を走っても……疲れてはくれない体が今は怨めしくて仕方ない。

 ……どれだけ走っただろうか?気づくと朱音は、キルハの「工房(アトリエール)」の前に来ていた……その門の前には、驚くことにキルハが立っていた。キルハは、朱音に気づくと歩み寄り、

「そろそろ……いらっしゃる頃ではないかと思っていました……」

 そう言って、一枚の手紙を差し出す。朱音は、不思議そうな顔でそれを見る。差出人不明の便箋にはただ一言、

「INVITATION」

と、赤い文字で印字されていた。

「デルバトスからの招待状です。先程ウルヴァが私の元に届けに来ました。内容は……」


『親愛なる「メルテッドスノウ」……貴殿と、あの少年を招待しよう。もちろん、貴殿が望むものは用意してある。月が最も高く昇る時刻、この場所にてお待ちしている』


「……とのことです」

 読み上げるとキルハは手紙を宙に投げる。すると、手紙は霧となり一枚の地図を形成した。

「どうやらここが、彼女のここでの本拠地のようですわ」

 地図中に淡く光を放つ点を指してキルハが言う。

「これが送られてきたということは、アカネ君のフォールダウンが近いということ。『そろそろ』と言ったのはそういうことですわ」

 そう言って再び朱音に笑いかけるキルハ。朱音は、そんな彼女の笑顔を目にして、泣き出したい自分を必死に抑えていた……

その夜、朱音はキルハの邸宅で一夜を過ごした。キルハの家にいる間、彼女は朱音に何があったのか聞かなかった。それはきっとキルハの精一杯の優しさだったのだろう。朱音自身、聞いて欲しい気持ちはもちろんあった。しかし、聞かれたら泣きついてしまうかもしれない。デルバトスとの戦いを前に、気持ちを落とすことをしたくなかった朱音にとって、それはとてもありがたい心遣いだった。

結局一睡もできなかった朱音。通された客用の寝室のベッドは素晴らしい寝心地であったが、それすらも朱音には感じる余裕が無かった。明け方、キルハに断って、「工房(アトリエール)」を後にすると、朱音は自宅へと向かった。自宅の前でしばし、中の様子を伺う。まだ家族が起きていないことを確認して家に入ると、制服に着替え、鞄に必要な物を鞄に詰め込み、家を後にした。もはや、神谷朱音という生徒が、存在するという認識だけしか残っていない学校へと向かうために……

学校に着き、教室に入ると誰にも挨拶をせずに、自分の席に着く朱音。今日は朱音に声を掛けるものは一人もいなかった……分かっていても受け入れがたい事実に、眩暈を感じながらも朱音は必死に自分を保った。

授業中は、ひたすら、習得した動きのイメージトレーニングだけをして過ごした。時々、ユウキの背中を見るが、いつものようにその背中が振り返ってくれることは一度も無い……

昼休みに、廊下で口論するユウキと都子を見た。二人を止めるか止めまいか、おどおどしているヨシノの姿もある。一瞬、そこに混じりたい衝動に駆られたが、グッと堪えて屋上へと向かう。その後ろ姿を、首を傾げながら見ていた都子がいたことには気づかないで……

 

屋上ではキルハが待っていて、二人分のサンドイッチを買ってきていた。

「よろしければ、どうぞ」

 そう言って、サンドイッチの包みを差し出す。朱音はそれを「ありがとう」とだけ言って受け取り、サンドイッチに被りつく。

(……美味しい)

 出来合いのサンドイッチすら、キルハと一緒に食べるだけで特別なモノに感じる。いや、今はキルハだけが心の支えである朱音にとって、それは最早、「特別」ではないのだろう……

 昼食が終わると、キルハは早々と片づけをした。去り際に、

「私は、今夜の準備をしなくてはなりませんのでこれで失礼いたします。五時に私の家に来てください。そこで今夜の最終確認を行いますので」

 そう言って屋上の扉を閉めた。残された朱音は、授業に出る気が起きず、高校に入ってから初めてのサボりを敢行するべく横になって眼を閉じた……

 六間目の授業終了のチャイムで目を覚ます。昨日、眠れなかったせいか屋上のコンクリートだというのに熟睡してしまった。体の節々が痛む……かと思いきや、そうでもなかった。

「まったく……便利な体だね」

朱音は起き上がると、教室には戻らずに、そのまま学校を後にした……自宅の前まで戻ってくると、門の前から中の様子を伺う。幸か不幸か、灯りはついていないようだ。一応チャイムをして確認をすると、朱音は持っていた鍵で玄関を開け、自室へと入ったのだった……


 着替えと準備を済ませると、家を出るべく自室の扉を開き、歩き出す。途中、階段の手前にあるドアの前で朱音は足を止めた。扉の中ほどには「KIA&MIA」とポップな字体で印刷された丸いプレートが付けられていた。朱音は少し迷った後、扉を開くと中へと入った。中に入ると、放り出したままの通学鞄が二つ。恐らく二人は、鞄を置いてすぐに外に遊びに行ったのだろう。鞄をそれぞれの机の上に置いてやると朱音は、樹亜の机に張られたカレンダーに、

『   ちゃんとデート』

という書き込みを見つけた。「ちゃんと」の前の空白にあったのは恐らく……自分の名前。朱音は、マジックを取って、そこに大きく「あかね」と書き込んでみたが……すぐに消えてしまった……

「クソ……とことん追い詰めるな……」

 そう言って苦しげに息を漏らす。名前の記入を諦めて部屋を出ようとすると、今度は身亜のベッドの上に「海賊ビリーと天使の国」という絵本を見つけた。

(これって前に、実亜が言っていた……)

おもむろにそれを手にすると朱音はパラパラとページを捲り、あるページで止めた。そこには、涙を流す天使とビリーの可愛らしいイラスト共にこんなことが書かれていた……


『天使さまは言いました。

「私たちは、もともとは地上でくらすニンゲンだったのです。しかし、ある時神さまのつかいという方があらわれて私たちを天の国へとつれていきました」

べつの天使さまが言いました。

「そこで私たちは神さまに会いました。神さまは私たちに、悪いあくまとたたかうために力をかしてほしいといいました。私たちはよろこんで天使になることをきめました」

 また、べつの天使さまが言いました。

「しかし、天使になった人は、もうニンゲンにもどることはできません。みんなにわすれられてしまうからです。私たちはかなしくてたくさん泣きました。しかしいくら泣いても、もうもとにはもどれません」

 三人の天使さまは声をそろえて言いました。

「だから私たちは、ニンゲンだったときの思い出を、風の神さまにお願いしてのせてもらうのです。風はいろいろなところへ私たちの思い出をのせてふきます。そしていつか、私たちの大切な人たちが、その風にふかれたときに、私たちのことを少しでも思い出してくれるように、私たちはいつまでもここでおいのりしているのです」

 三人の天使はそこまでいうと、それぞれ一つぶずつ涙をながしました。それを見たビリーは、どうしようもなく悲しくなって、同じように涙を一つぶだけ流しました……』


 読み終わると、朱音は絵本をそっと、ベッドの上に戻した。そして……

膝を着いてその場に泣き崩れた……


「うぁ……うっ……くっ……」

 手は拳を握り締め、床に額を擦りつけ、声を殺して泣く……つい先程まで、ずっと耐えてきた涙が、崩壊したダムのようにあふれ出て、床の上に小さな池を作る。

親しい人たちとの楽しかった思い出たちが、走馬灯の様に流れ、次々と朱音を打ちのめす。

(忘れないで……忘れないでよ……)

 「忘却によるカオス」……それを、身を持って痛感し、耐え切れないほどの喪失感に見舞われる……

(こんなの……こんなの……)

 しかし、そんな極限の状態で彼の頭に浮かんだのは……なぜかキルハの笑顔だった……

出会ってから、常に傍で励まし、支えてくれた少女の存在を思い出して、無理やり涙を心の奥にしまいこむ朱音。

キルハの百合の様な笑顔が朱音のまぶたの裏に浮かぶ……

(あなたにその意思と覚悟さえあれば……残された時間で私があなたに戦う術を与えます)

キルハの笑う声が、耳の奥で響く・・・

(キルハ、と呼んでください。私も「アカネ君」と呼びますから……)


朱音は泣き止み、思い切り自分の頬を叩くと、立ち上がった。その瞳にもう迷いはなかった。妹達の部屋を出て、玄関へと向かう。玄関で靴を履いていると、飼い猫のミキが朱音に擦り寄ってきた。

(お前も僕を忘れないでいてくれるのかい?)

ミキの頭を一撫でして、外へ出る。見上げれば、雲ひとつない青空と、暖かい日差し、そして頬を撫でるゆるやかな風が朱音の心をそっと包んだ。振り返り、神谷家の屋根を見上げると、

「いってきます」

 何千回と繰り返してきた、いつものセリフを、いつものように呟いて家を後にした……


家を出てから数分後、少し狭い通りに入ったところで、突如、朱音は背後に異常なほどのプレッシャーを感じて体を固まらせる。

 振り向かずとも分かった……初めてではないそのプレッシャーの主は「エインヘリャル」ウルヴァのものに間違いなかった。

「……懲りずにまた誘いに来たのか?」

 振り向かないままで、すぐに動ける体勢を取る朱音。三度目とはいえ、強烈なプレッシャーを背後からかける鎧の男を相手に、パニックに陥らずに済んだのは鍛錬の賜物だろう。

「そんなに構えずとも良い。今回は主がお前と話したいことがあるそうなのでな」

「話したいこと?」

 聞くと共に振り向くと、両腕が健在のウルヴァの姿があった。相変わらず全身甲冑という、街中には相応しくない格好で。違うのは、復活した左手には爪ではなく、剣が装着されていることだろう。

(主というと……デルバトスか!?デルバトスが僕に何の用だ?)

 振り向くと共に朱音の前に霧が集まると、霧はデルバトスへと姿を変えた。どうやら本人ではなく「霧」を媒介にしての通信手段のようであった。「霧」のデルバトスが話し始める。


『……カミヤアカネ、だったかしら?あなたどうやらヒトに戻りたいそうね?せっかく名誉ある神の下僕になる機会を与えてやったというのに……残念だわ。どうしてそんなに「ヒト」なんて劣悪種であることに固執するのかしら?でもそうね……私は優しいから、あなたに一度だけ「ヒト」戻るチャンスを与えてあげるわ』

 そこまで言うと、ウルヴァが一本のナイフを朱音に差し出してきた。状況が飲み込めないまま、それを受け取る朱音。

『そのナイフは私が呪いを施したものよ。それで「メルテッドスノウ」を……刺しなさい!』

「!」

 朱音は意味が分からないという顔をする。

『別に死にはしないわ……少しの間、「魔導(アルスト)」を使えなくするだけよ。上手にお使いが出来たらあなたの中の「アガペー(神の寵愛)」を取り除いてあげる。なぁ〜に、簡単なことよ。あの「お人形さん(ベイビードール)」もあなたの前では油断しているでしょうから、そこをぶすっ……とやればいいだけよ』

 デルバトスがジェスチャーも交えつつ愉快そうに語る。朱音は怒りで手が震えるのを必死に押さえ込んでいる。

『あら?まさかとは思うけど……怒っているのかしら?せっかく喜んでくれると思ったのに……あなた、戻りたくないの?』

手にしたナイフを見つめたまま、動きを止める朱音。

『戻りたくないの?』

その言葉が朱音に重く圧し掛かる。

(戻れるなら戻りたい……でも……)


 少しの沈黙の後、朱音は顔を上げると……ナイフをアスファルトへ突き立てた!

「ギィン」という大きな音と共に直角に突き刺さるナイフ。

『……それは、「ノー」ということでいいのかしら?』

 穏やかな口調で言いながらも内には、怒りという名の感情が秘められていることをヒシヒシと感じる。そんなデルバトスに朱音は、

「ああ、こんなことで元に戻っても嬉しくない……それに何より……こんな卑怯なやり方しか出来ないあんたを……僕はぶちのめしてやりたくて仕方ない!」

そう言い放ち、力強い視線でデルバトスを睨みつけた。

『……そう、残念だわ……この私が取引を持ちかけてあげたっていうのに……いいわ、もし断ったらこの場で殺してあげるつもりだったけど……気が変わった……』

 デルバトスの頭に付けられた仮面が「憤怒」へと表情を変える。

『……あんたは、「メルテッドスノウ」をグチャグチャにした後で、私の下僕として死ぬまでこき使ってあげる……言っとくけど、楽に死なせてなんてあげないから、覚悟しときなさい!』

 そう、冷たい声で言い放つとデルバトスは、霧に戻り風に流されるようにして消えた……残されたウルヴァと朱音。二人の間に緊張感が漂う……先に口を開いたのはウルヴァだった。

「なぜ断った……?」

「えっ?」

「なぜ断った?神谷朱音!」

 突如声を張り上げるウルヴァ。朱音は気圧されそうになるのを必死に堪える。

「……何でと言われても、嫌だったからとしか言いようがないよ」

 公園の時よりもしっかりとした口調で答える朱音。

「なぜだ?お前は今ならまだ戻れるのだぞ?お前が今、心の底から望む場所(・・・・・・・・・)に!」

 言われて朱音は、家族のこと、友達のことを思い出す。数日前までは普通に接することができていた彼らが、少しずつ自分を「忘れていく」ことを実感し、恐怖した。身を灼かれるような、「普通の日常」への憧れも、無いと言えばウソになる。しかし、そんな朱音を、常に傍にいることで支えてくれた少女がいた。彼女がいたから朱音は希望を持つことが出来たし、彼女がいたから前を向くことの大事さを知った。

(……キルハ)

 そんな彼女を裏切ってまで、ヒトに戻りたいなどと思うことはしたくなかった……いや、出来なかった。例えそれが愚かな決断だと分かっていても……

顔を上げると朱音は笑顔を向けた。以前、キルハがそうしたような敵への穏やかな笑顔を。

「う〜ん、何ていうか……男の意地みたいなものなんだよね、最終的にはさ……ホントは死ぬほど戻りたいよ……カッコ悪いけど、今ここで泣き叫んで許しを乞えば助けてやるって言われればそうしたい気持ちもある……でもさ、そこにあの子が関わってくるだけで……それが出来なくなるんだ。自分のことなんかよりも「あの娘の笑顔がみたい」「あの娘を悲しませたくない」って感じでね……まだ会ってから、少ししか経ってないのに変だとは思うけど……」

(本当に変だ……今まで、誰かのことをこんなに想うことなんて無かったのに……)

「……惚れてしまったものは仕方ないでしょ?」

 自分のセリフに苦笑する朱音。しかしウルヴァは呆れるでもなく、ただその場にたたずんで朱音の言葉に耳を傾けている。

「だから……デルバトスに手を貸すなんてできない……それにまだ戻れないって決まったわけじゃない。僕は「ヒト」に戻るよ。キルハと一緒に……あんた達を倒して!」

……再び沈黙が訪れる……二人の間に流れるのは「無音」という名の空気のみ……

「……そうか、そこまで言うのなら私が言うことは何も無い……お互いに、大変な女に惚れたものだな」

 ウルヴァはおもむろにそう言うと、背を向けた。

(惚れた?)

後半の意味を理解しないまま、背中を見つめている朱音。去ろうとしていたウルヴァを慌てて引き止めると、

「あんたはなんで……なんでそんなに、僕のことなんか気にかけるんだ?」

そう聞いた。ウルヴァは立ち止まり、背を向けたまま答える。

「……今回の取引はお前にとって「日常」に戻れる最後のチャンスだったのだ。まさかそれを「惚れた女のために」などという理由で自ら棒に振るとは思わなかったがな」

 そこまで言うと、ウルヴァの背中が少しだけ笑ったように見えた。朱音はウルヴァの背中をじっと見つめている。

「……最後に聞いてもいいか?」

ウルヴァは無言で肯定の返事をする。

「あんたは、後悔していないのか?」

 ……「何に」対しての後悔なのか?どうとでも取れるその質問の意味を図りかねながらもウルヴァは、

「……していない、といえば嘘になるだろう。しかし……」

 答えた後、一瞬、朱音の方へ振り向こうとして……体勢を元に戻した。

「いや、辞めておこう……どうせもう意味の無いことだ。もう一度言わせて貰うぞ、お互いに大変な女に惚れたものだな、神谷朱音!」

そのままウルヴァは姿を消した。数時間後には、完全に敵となる男に向けて朱音は、

「なんで……なんであんたみたいなヒトが……」

 そう呟き……少しだけ涙を流した……


                幕間(カーテン)


その昔……ある男が一人の女性に恋をした。その女性は、この世のものとは思えないほど(・・・・・・・・・・・・・・)美しく、男はすぐに恋に墜ちた。男は、出会ってすぐに彼女にプロポーズをした。男には彼女以外考えられなかったのだ。女性は突然のことに驚きながらも、笑顔で男の申し出を受け入れた。男は女性の返答を聞くと天にも昇る気持ちで自らの幸せを神に感謝した。

……しかし、結末から言うならば彼らが結ばれることは無かった。

彼らにとって人生で最も幸せな日、結婚式の前日に突然町の住人達が彼らの家に押し寄せてきたのだ。理由は「魔女であるとの密告があった」……ただそれだけのことだった。

中世代にヨーロッパで頻繁に行われていた魔女狩り。その時代、ペストの大流行や国内の情勢の悪化により、人々の心は疑心暗鬼となっていた。そんな中、全ての元凶であるとして槍玉にあげられたのが、実在するかも分からぬ「魔女」達の存在。人々はこぞって隣人や、家族、恋人までをも「魔女」として密告し、密告された端から拷問に掛けられ、自白すれば裁判になり、多くの女性が生きたまま焼かれたという、中世の人々の心の闇が生んだ悪しき風習であった……

男は、やっとのことで住人達を家の外へ追い出すと、鍵をかけた。せめて捕まる前に結婚式だけでも挙げようと、彼女を花嫁衣裳に着替えさせ、家の中で結婚式をあげようとしたのだ……しかし住人達は、それすらさせまいと家に火をつけた。

それでも、構わず男と女性は式を続けた。男はこのまま二人で死のうとも構わなかった。愛するものと共に死ねるのだ。例え行き先が地獄であろうとも悔いはない、と……しかし女性は違った……女性は指輪の交換が終わり、誓いの口付けを交わすと……


『ごめんなさい、あなたと結ばれることが出来て、私…………幸せでした』


そう言って、男を気絶させた……意識が遠のく中で男が目にしたのは……彼女が放つ水の「魔導(アルスト)」……彼女は当然「魔女」などではなかった。しかし……「ヒト」でもなかったのだ。

次に男が目を覚ました時、彼女はこの世にいなかった……聞いた話によると、家に放たれた火を消した彼女は、外に出ると、


『私は……魔女です!あの方は私が惑わせただけに過ぎません……ですから、裁くなら私だけにしなさい!』


自らそう言うと、そこにいた全員から、抵抗することも無く、殴られ、蹴られ、罵られ……最後に、静かに涙を流しながら……ボロボロになった花嫁衣裳のまま大人しく焼かれたということだった……今際の際に、一度だけ男の名を呼んで……

絶望の果てで男は憎んだ……心の奥底から憎んだ!あんなに優しかった女性を平然と殺し「魔女が死んで良かった」などと言って笑い喜ぶ、醜い「ヒト」という存在を!愛するものを犠牲にし、おめおめと生き残ってしまった男にできることは、それくらいしかなかった……

そんな時だった、男の前に不可思議な格好をした「天使」が現れたのは。「天使」は男に一言、こう聞いた。

『ヒトが憎いか?』と


・・・・・・男は答えた


『憎い、今すぐにでも奴らを彼女と同じ……いやそれ以上の苦痛を与え、八つ裂きにしてやりたいほどに!』


それを聞いた天使は男に授けた。ヒトならざるものの「力」を……変わりに天使は、死ぬまでの忠誠を男に強い、男はそれを二つ返事で受け入れた。その後、存在を失い、「死せる魂」となった男は、主の命ずるまま村人を全員殺し、その後もひたすらに殺戮を繰り返した……理想も、信念も無く、自らの存在を疑問に思うことすら許されないまま……


 男は誓った。この憎しみが消えるまで「ヒト」を殺し続けることを……

 男は願った。自分の様な憐れな「ヒト」が出来るだけ現れないことを……



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ