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漆黒の青山  作者: 山田遼太郎
メインエピソード
3/22

第二話~屈服の青山~

新キャラ登場の第二話となります。

この場を借りて前もってお詫びしたい事があります。今回はR指定とは言いませんが、ご覧の方によっては、不快感を催す可能性のあるシーンが含まれます。特にお食事中の方には、申し訳ありませんがお勧めできません。

地球を嘗めんなとお叱りを受けそうです。

ちなみにお母さんの名前は、蒼樹 うみです。

[side:蒼樹 メメ]


 四月二十二日 十八時十三分 青山邸


「メメ、ただいま帰宅いたしました~!」


 蝶番ちょうつがいを軋ませて勢いよく門を開けますと、ちょうど母が、お庭のプランターに水を注いでいるところでした。


「あぁメメさん、お帰りなさ~い。今日もおべんきょ、お疲れ様ね~」


 エプロン姿の母は、先日開花したばかりの可愛らしい冬アジサイに囲まれて、いつもよりご機嫌な様子です。


「あ~ら? 晶さんは一緒じゃないのかしら~?」


「お母さん、何を仰ってるのです? 今日はお兄さん、学校お休みになったでしょう?」


「そうなの~? ママ、ぜんぜんまったく気付かなかったわぁ……。晶さんどこか具合でも悪いの?」


「常人にはわかりません。戦い疲れた戦士には、たとえ束の間であっても癒しが必要なのです。というか、お母さんちょっと天然すぎじゃないですか? せめて、お兄さんが帰ってきたのには気付きましょうよ、もう」


 わたしは呆れてしまいました。母はいつもこうです。どこかぼんやりとしていて、大人って感じがしません。


「あら~怒られちゃったわ、ごめんなさいね~。ところで、戦士ってなんの事~?」


 清んだ瞳で首を傾ぐ母を見て、わたしは、しまったと口を覆います。

 いけませんいけません。彼との二人だけの秘密を暴露しそうになるとは、なんてうっかりさんな事でしょう。


「なっ、なんでもありません! なんでも!」


 はしたないと思いつつ、セーラー服のスカートを振り乱して玄関に駆け込みます。学校にいる間じゅう、お兄さんの安否がずっと心配でしたので、日直の仕事を即刻すませて飛んで帰って来たのでした。

 すると母の、やや間延びしたような、のんびりとした声が追いかけて来ます。


「あ~、冷蔵庫にね~、ご近所様からいただいたケーキがあるから、晩御飯食べたらみんなで分けましょう~」


「えっ、ケーキ? わぁい、やったぁ~」


 お菓子が主食の乙女にとってすごく魅力的な情報に、わたしは思わず扉から顔を出し、にやけてしまいます。

 

「そ。だから、晶さんにも教えてあげて~。あと、女の子がそんなバタバタしちゃダメよ~」


「む……はぁ~い」


 そんなのお母さんに言われなくてもわかってます! 今はただ、一刻も早くお兄さんのお顔が見たいのです!

 わたしはすぐに身を翻し、彼の部屋まで向かいます。



「フッ……クハハハッ! そこに……いるのだな? 俺にはわかるぞ、貴様も俺と同類の……闇の住人だ」


 扉の前に立ったわたしの耳に、室内にいるお兄さんの笑い声が聞こえてきます。ただならぬ様子。なにか邪悪なものの気配を察知したのでしょう。邪魔をしてはいけないと、ノブを回しかけていた手を止めます。


「確かに、闇は神よりも寛大だ……。罪人だろうと亡者だろうと全てのものを受け入れ、包み込む。だがな……同じ黒のインクでも品によって差が出るように、この世には反発し合う闇というものも確かに存在するのだよ。故に、俺は貴様を拒絶する、根絶する。貴様の生存を、俺は決して許しはしない! さァ姿を見せるがいい!」


「いったい何が始まるんです……?」


 わたしは扉の僅かな隙間から、中の様子を覗きます。

 そこには、『えもの』を手にして強烈な殺気を放つ、お兄さんの姿がありました。

 その時です。彼の前にあるタンスの下から、黒い外骨格を有する禍々しきクリーチャーが這い出て来たのは。

 お兄さんはただ、不敵な笑みを浮かべます。


「ようこそ、我が晩餐会へ! 俺の右手は……悪食あくじきだ」


 で、で、出ました~! お兄さんの決め台詞です! あれを聞いた者に、明日の朝日が昇る事はありません。

 ふおおおお、カッコイー!

 次の瞬間、容赦なき裁きの鉄槌が降り下ろされ、怪物を叩き潰します。それは彼の右手が握るバットでした。汚れてもいいように、あらかじめ新聞紙で包装してあるところが偉いなと思います。


「フハハッ、因果を食むもの(カルマイーター)の味はどうだ? 俺の手の下で足掻け! 最後の夢を見ろ!」


 わたしは、無惨な屍をさらすゴ〇ブリに、ささやかな黙祷を捧げました。かわいそうだけれど、全部あなたがいけないのよ。敗因は、たった一つのシンプルな答え。あなたはわたしの兄を敵にした……。それだけの事よ。


「フハハ……クハハハッ……はぁーあ、うげ、しまったカーペット汚れちゃったよ。落ちるかなこれ」


 ふと真顔になり、気だるげに溜め息をつくお兄さん。かっこいい! もう何を言ってもかっこいいだけです!

 罪なおかた……♡


「さすがお兄さんですっ!」


 思わず部屋に飛び込んじゃいました。新聞紙で虫の死骸をくるんでいたお兄さんは、青ざめて振り向きます。


「わ! いつからいたの!」


「心配のあまり、翔ぶがごとく帰ってまいりました! お腹の具合はもうよろしいのですかっ?」


「あ……えっと……ま、まあな。問題ない、大丈夫だ」


 なぜか歯切れの悪い答えが返ってきますが、わたしは気にしません。お元気であれば細かい事はいいのです。


「よかったぁ、それでしたら食べられますね! 母が、ケーキあるからみんなでいただきましょうですって!」


「あぁ、蒼樹さんが……って、ああ、悪い。変か。いつまでもこんなよそよそしい感じだと……」


 お兄さんはなんだか気まずそうに呟きました。ちなみに、わたし達の苗字はお互いに元のままです。母と青山さんは、子供達が外でやりづらくなってはいけないと、入籍の前に話し合って、変えない事を決めたそうです。


「あ、お兄さんが気にする事ではありませんよ。それを言うならわたしの方こそ呼び方が変ですし。今は、お兄さんにとっても実のお母さんでしたよね……あは……」


 焦ってフォローするわたしも、どことなくぎこちない言い方になってしまいます。


「一緒に暮らし始めて一ヶ月と少しですから、慣れないのは普通です。徐々に徐々にで、いいんです」


 などと無理な笑顔を作っていますと、お兄さんが手を伸ばし、わたしの頭の上にぽんと置きました。

 あっあっ、うそ! わたし今、撫でられてます!


「……なんかさ、メメちゃんの方が俺よりもずっと大人だね。気をつかわせちゃったみたいで……ごめん」


 男のかたにしては丸くて大きな目を細め、彼がはにかみます。なんと言いますか、すごく母性をくすぐる無邪気な表情で、ひどくお可愛いです。でも面食らっているわたしには、眺める余裕がありません。


「こっ、こういうのはちょっと! 困ります! わたしお兄さんと一つしか違わないんですよっ? お言葉とは裏腹に子供扱いなさってるようにも、聞こえますっ!」


 恥ずかしさのあまり強い口調で反発してしまいます。きっとわたしの顔は今、真っ赤になっているでしょう。


「あっ……! し、失礼……!」


 お兄さんは申し訳なさそうに眉を曲げ、手を引っ込めます。傷付けてしまったでしょうか?

 違うんです! 本当は嬉しいんですよ! 素直に喜べないだけなんです! 複雑なんです!

 双方押し黙った室内に、なんとも落ち着かない空気が漂い始めます……。すると突然、


「……なにイチャイチャしてるのよ……」


 知らない女性の低い声が、半開き状態の扉の隙間から聞こえて来ました! なにやつ!


「お邪魔だったかしら、晶くん」


 静かにノブを引いて、一人の女の子が現れます。うちの高校指定のセーラー服姿で、地味な丸眼鏡をかけてはいても不思議とやぼったさはありません。それどころかミルク色をした肌や腰まで届く黒髪は、思わず釘付けになる美しさ。ですが、瞼を伏せがちにした無機質な表情はどこか人形めいた印象を与えます。


宇佐美うさみ……きっ、来てたのか……」


「随分な言いぐさね。プリント持ってきてあげたのに。あと、はいこれ。今日の分つけておいたから」


 彼女は通学鞄から一冊のノートを取り出し、及び腰で身構えるお兄さんにずいと押し付けました。な、なんかお二人とも、親密なご様子です! どんな関係ですか!


「あのお兄さん、このかたは……?」


恋野こいの 宇佐美……。まったく不本意ながらこの男の幼馴染みをやっている者よ。どうぞよろしく」


 恋野さんはお兄さんより先に答えると、わたしの顔をまじまじと覗き込んできました。


「ふぅん、普通に可愛いじゃない。キミが噂の妹ね? 挨拶したいと思ってたからちょうどよかった」


 意味ありげな事を言って髪をかきあげる仕草が、たいへん大人っぽく、ガキっぽいわたしと約一歳くらいしか違わないとは到底思えません。見惚れてしまうほどですが……それは別として、どことなく不快になりました。

 まるでこちらに対して牽制か何かを仕掛けるような、挑発的な態度を感じたからです。


「よ、よろしくお願いします。わたし、蒼樹 メメと申しま……」


「ところで、聞かせてもらおうかしら晶くん。どうして今日、ズル休みなんてしたの?」


 わたしが差し出した手をあからさまに無視して、恋野さんはお兄さんに向き直ります。カチン、ときました。


「ちょっと、わたし、名乗っているんですけれど」


「ああ……ごめんなさい。私、握手はしない主義なの。それより悪いけど、少し席を外してくれない? 彼と二人で話がしたいから……。で? どうなの、晶くん?」


「え? あっ、そのっ……えと……」


 冷ややかな眼差しを向けられて、お兄さんは明らかに萎縮しているようです。二人の間に何があるのかわたしには計りかねますけれど、弱る相手に一方的に詰め寄る感じは、端から見てて気分のいいものでもありません。


「なに? まごついてちゃあ、わからないでしょう? はっきりものを言いなさい」


「いや、そっ、それが……きょ、今日はー……」


「敵と戦っていたんですよね! お兄さん!」


 わたしは勢いよく前に出て、胸を張ってみせました。


「……はぁ?」


「うええっ?」


 恋野さんが形のよい眉を寄せるのと、お兄さんが声を裏返すのは、まったく同じタイミングでした。


「悪の勢力と一戦交えた後で疲弊し、お腹が痛くなり、やむを得ずお休みしたんです! そうですよね?」


「キミ、いきなり割り込んで訳わからない事言わないでくれる? 私は彼に聞いているんだけど」


 睨まれても構わずに、わたしはお兄さんの顔をじっと見つめます。


「お兄さん、どうして本当の事を言わないのです? あなたは闇の工作員エージェントじゃないですか!」


「あ……ぐっ、う、ううぅ……っ!」


 わたしと目が合った途端、お兄さんは激しく葛藤するかのように、苦しげにうめいて震え始めます。

 よくわかりませんけど、お、お怒りなのでしょうか。

 ごめんなさい。秘密をバラしてしまいましたね……。それでも、言わずにはいられなかったのです。恋野さんはあなたの苦しみも何も知らない一般人なのですから。


「なるほど……わかった。妹さん、キミ何かくだらない事を吹き込まれたのね? この男に……」


 恋野さんは呆れきったふうな溜め息を漏らして、淡々と言葉を紡ぎ始めます。


「まあ信じる方も驚きだけれど……いい? よく聞きなさい。キミのお兄さんは、本当に、むかしっからね……何の取り柄もない事を恥にも思わず努力を忘れ、臆病で自信がない事を言い訳にして周りの評価から逃げ続けたあげく自分の殻にとじこもって、実現できない強い自分を妄想して一人で膨らませた恥ずかしい絵空事をノートに書き綴っては自己満足して悦にいっているような……人間のクズでカスでゴミなのよ。私はよく知ってるわ」


 まさに『けんもほろろ』といった言い様に、わたしは二の句が継げなくなってしまいます。

 ほとんど息継ぎもなくまくし立てたというのに疲れた素振りも見せず、彼女は、お兄さんを睨みつけました。


「私、何か間違った事言ってるかしら? 反論なら受け付けるわよ、晶くん?」


「あ、う……反論もなにも……」


 お兄さんは力なくうつむいて、


「はっ、はは、ハハハ……その通りだよ……」


 それから笑い出しました。


「その通りだ、よっ! 貴様の兄は闇の工作員エージェント! そしてこの世を裏から統べる暗黒創造神・漆黒ニゲラを前世に持つ者! 邪悪を使役し、邪悪を必滅する、孤高の戦士なのであるわぁっ!」


 肘と手首の間接を目一杯曲げて、顔の前で交差する、筆舌につくしがたいほどかっこいいポーズを決めます。

 ふおおおお……さすがです、お兄さん!

 わたしは、自然に笑顔を浮かべていました。やはりあなたは、信じていた通りの素敵なお人だったのですね!


「それが答えなの……? ふぅん、そう来るわけ……。ほとほと呆れたわ、あくまでそんなごっこ遊びみたいな事を続けたいのね? だったら勝手にするといい……」


 一方の恋野さんは変わらずの無表情で言い放ちましたが、心なしか、語尾が震えているように感じます。


「私も勝手にするからね。こうなったら、二度と妄言を吐けないくらい論破するのみよ。純粋な妹さんの前で今以上の生き恥をさらしたくないのなら、その邪悪な力とやらで私を泣かせて、部屋から追い出してみせなさい」


 まあ無理でしょうけど、と付け加え、彼女は鼻で笑います。口元だけがひきつるように緩んでいるけど、瞳は全く笑ってはおらず、ただ煌々と冷たい炎を宿すのみ。

 控えめに言って、かなり怖いです。


「いやあのっ、ご、ごめん宇佐美、つい……あっ」


 お兄さんは一瞬笑顔を崩し、もごもごと不明瞭な事を呟きながら目を泳がします。

 だけど、わたしの顔が目に入ると、またぎこちなく口角を上げました。闇の力が不安定なのでしょうか?


「面白い! ならば望み通りにしてくれる! さァ往け闇の力のしもべ達よ! 奴を泣かせて追い出すのだ!」


 前方に手を伸ばし、近所迷惑もかえりみず声高に叫びます!

 出ました~! 使い魔を召喚する時の呪文です!

 しかし、なにもおこりません。闇の力が不十分なのでしょうか?


「調子に乗るなバカ男」


 ああーっと! しびれを切らした恋野さんからのローキックが、漆黒ニゲラの弁慶の泣き所に炸裂ゥッ!


「ぐああああ! えっなにこれ超痛いぃぃああーっ!」


 さしものお兄さんも堪らずもんどりうって倒れます。

 振動ですぐそばにあったゴミ箱が倒れ、くしゃくしゃに丸められた新聞紙が床の上に転がりました。

 あ、あら?

 紙のモン〇ターボールの中から、小さな何かが、もぞもぞと這い出て来ます。

 わたしもお兄さんも、もちろん恋野さんも、蠢く黒い物体を、青ざめた顔で見下ろします。

 それは、この世でもっとも汚いポケ〇ンでした。

 先程、バットの一撃によってぺしゃんこになったはずの『Gの付く彼』は、まだ生きていたのです。

 艶めく外骨格を半ばまで破損させ、毛深い手足を欠損させたおぞましい姿に成り果てながら、強靭な生命力によって死ぬ事も許されない。さながら生きた呪いです。


「ひぃっ」


 わたしは立ちくらみを起こし、


「うぶ……っ」


 お兄さんは口元を押さえてえづき、


「ぴゃああああああああああああああああああっっ!」


 そして恋野さんは、揺らぐ気配も見せなかったクールな鉄面皮を完全に崩壊させます。


「やぁだあああっ! こないでイヤああああーっっ!」


 大粒の涙を撒き散らしながら、彼女は部屋を飛び出していきました。

 正直に申し上げますと、わたしはこの後の事をあまり覚えておりません。

 ただ、愕然と立ち尽くすお兄さんに向けて、次のような言葉をかけた事だけは、明確に記憶しています。


「……追いかけて、お兄さん。謝りましょう、全力で」


 ※    ※    ※


[side:青山 晶]


 同日 十八時三十九分 青山邸リビング


「申し訳、ありません」


 五体投地というものを人生で初めてした瞬間だった。


「もういいわよ……もうぜんぜん怒ってないから……」


 嘘だゼッタイ嘘だ。ぼくの前でリクライニングチェアに全身を預け、トロピカルジュースをストローですする宇佐美は、まだ目に涙を溜めている。罪悪感だけで絶命する最初の人間になってしまいそうなほど、心が疼く。


「そもそも何について謝っているの? 黒い害虫を完全に始末せず放置していた事? それとも、わざわざプリントとノートを届けに来た健気な幼馴染みに変な芝居うって、悪役におとしめた事? 一体どれなのかしら?」


「全部で、ございます」


 完膚なきまでに、悪いのはぼくだ。


「私、あの女嫌いよ。何あれ、頭がわいてるとしか思えない。あんな戯言信じるなんて完全にどうかしてるわ」


 ちなみに今ここにメメちゃんはいない。Gの地獄絵図を見た直後、見事に卒倒してしまったのだ。とりあえず部屋のベッドに寝かせ、ぼくは一階に降りたのである。


「確かにちょっと変わった子だな、とは思う。最初は、もしかしてバカにしてからかってるんじゃないかって、後で笑い者にする気なんじゃないかって疑った。でも、なんかさ、本気で信じてるみたいなんだよ、あれ……」


 フローリングに顔をぺったりくっつけたまま、ぼくは喋る。


「期待を裏切れなかった。あの目を見てとっさに思ったんだ、がっかりさせたくないって。理性が屈服したんだよ。あの子がバカみたいに素直だから」


「あのね、申し訳ないの意味、わかってる? 何も言い訳しませんって事よ? キミ、実は反省してないわね」


 的確極まりない指摘に、胸が物理的にも抉れそうだ。


「そんなの、らしくないじゃない……。誰かに評価されたり期待されたりするの、疲れたんじゃなかったの? 昔、そう言ってたじゃない。だから今みたいになったんでしょう? 変わったね、悪い意味でも良い意味でも」


 謝り始めた時点から数えて何度目かの、深い溜め息をついてから、彼女はどこか遠くを見る目付きになった。


「私、キミの事なら何でも知ってるって思ってたのよ。でも違ったみたい」


「えっ、それってどういうこ……ぶっ?」


 ほぼ上げていた顔をさらに起こそうとしたら、椅子から立ち上がった宇佐美に、思いきり後頭部を踏まれる。


「私行きます。ジュースごちそうさまです、おばさま」


「あら~お粗末さま。もう帰っちゃうの~?」


 台所に立っていた母さ……蒼樹さんが、にこやかに返す。先程までの様子を見ておいて、仲良く遊んでいるとでも思っていたのだろうか。いくら事情を聞かされてないとはいえ、天然で片付けられる呑気さではない気が。

 そういう意味で、娘とよく似ている。いや逆か。


「今日はありがとう。もうちょっとお話ししたかったなぁ~。また遠慮せずに遊びに来てちょうだいねぇ~?」


「ええ、ご迷惑でなければまた。あとケーキ、お早めに召し上がってくださいね。生地は鮮度が命だし、うちの商品は完全無添加。着色料や保存料は一切使用してませんから!」


 眩しいと言える笑顔で、宇佐美は言った。さりげなく『自分の店』の営業文句を並べる辺り、抜け目がない。

 彼女はリビングの扉を開けて玄関に向かう。

 蒼樹さんがジェスチャーとアイサインで、『見送れ』と伝えてきたので、ぼくは慌てて追いかけていく。


「あ、おっ、送ってくよ。外暗いし」


「家、隣よ。それに、そういう小生意気な気づかいは、将来付き合うバカな女にでもしたらどう? ……そうそう、言い忘れてた」


 扉が閉まる前、宇佐美は首だけで軽く振り向く。


「……ズル休みするだけの理由があるのなら、はぐらかさずにちゃんと言いなさい。見栄張ってないでね……」


 罪の意識とは全く別の意味で、心がざわめいた。

 別れを告げた後、一人になった玄関にて、誰にも聞こえぬ小さな声をぼくは呟く。


「……言わずにすんで、よかったよな……さすがにさ」

いかがでしたでしょうか。ご覧になって下さった皆様には、感謝と謝罪を同時に行わなければいけません。遠慮のないご意見ご感想をいただければ、作者は失神して喜びます。ありがとうございました。

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