第五話~追憶の青山⑤~
山田でございます。
追憶編、完結回となります。
虐待や傷害行為を示唆させる描写がございますので、ご注意ください。
兄の晶と妹のメメ。二人の過去が交差して、お話は大詰めを迎えていきます。伏線の回収(と言っていいのか?)みたいなものもあります。
どうかお付き合いくださいませ。
[side:蒼樹 メメ]
五年前
自分が殴られる分には、我慢もできた。
耐えがたいものがあるとするなら、父の矛先が母に向けられた時だ。
『ごめんなさい、ごめんなさいっ!』
だって、綺麗な髪をくしゃくしゃになるほど乱暴に掴まれて引きずられる母の声は、思わず耳を塞ぎたくなるほどに悲痛なものだったから。
『謝ってほしいんじゃないんだよ! わっかんないかなぁ?』
父は母を壁に押し付け、口を塞いだ。マンションのリビングという狭い世界の中で、王者として君臨する男が、無慈悲な拳をゆっくりと振りかぶる。
これまでに何千何万回と繰り返されてきた動作。
そして恐らくこれからも、命尽きるまで繰り返されるであろう行為。
その連鎖を断ち切る事を決意して、わたしは一歩を踏み出した。
コマ送りのごとく流れゆく視界。目を見開く父と涙を散らして叫ぶ母、二人の顔がこちらを向いて、それぞれ意味合いの違う恐怖に染まる。
わたしの手に握られていたものは、銀の輝きを放つ……
※ ※ ※
その頃のわたしは云わば人ではなく、飼い犬だった。
主たる父の虚栄心を満たすためだけに、けばけばしい装飾で悪趣味に着飾った、外面ばかり小綺麗なペットに過ぎない。
新しいブラウスやワンピースを月一単位で買い与えられるのも、別に愛情なんかではなく、単なるカモフラージュのためだと知っていた。家の中で行われている事から世間の目を欺くには、子供が毎日同じ服を着ているようでは怪しまれると考えたのだろう。
実際、父はうまくやっていたと思う。
わたしや母を殴る時には、顔や手足といった目立つところに痣をつけないように気を配っていたし、防音機能の高いマンションにわざわざ引っ越したりもした。いかなる時も周囲の目に細心の注意を払い、『子煩悩な善き父』のイメージを頑なに守ろうとして、決して努力を惜しまなかった。
『ごめんね。でもパパを許してあげて。悪いのは全部ママなんだから』
父が失敗して口元に残した裂傷痕の上からファンデーションをふり、必死にごまかしながら、母は繰り返す。
可愛くて可哀想な人だと思った。無論感謝はしているが……夫との間にかつてはあったかもしれない愛情なんてものを未だに信じ、すがっている様は幼いわたしには理解できない。
恋をしていた頃の二人は、片や高校教師、片や翌年に受験を控える女子高生。わたしを身ごもった事で母は中退せざるを得ず、実家からも勘当を言い渡された。父もまた煙たがられて職を辞し、つてを辿って中堅企業に籍を置いた。共にゼロからの生活で、軌道に乗るまで相当の苦労があったらしい。
母への暴力が始まったのはその時期からだった。
父が振るう『それ』は単純な発散としてだけでなく、社会で生き抜くための手段という重要な意味合いを持つ。
外部から持ち帰ってきた悪意やストレスを妻子にぶつける事で、優越感や自尊心などの感情に変換する。充填した活力を職場で遺憾無く発揮して、消費すればまた家で同じ行為を繰り返す。そうしたライフサイクルが有益に働いたのか、彼は社内でもそこそこのポストへとのし上がっていけたという。
つまるところわたしと母は、父の人生のため捧げられた生け贄に過ぎず、それ以上でも以下でもなかった。
物心つく時期から習慣付けられた痛みは、抵抗の意志などそもそも抱かせないほどに心を蝕んだ。
助かりたい気持ちがあれば手近な隣人や警察に泣きつけば済む話だろう、とあなたは思うかもしれない。
だがその後はどうする? 世帯主と引き離される事になれば路頭に迷う未来は明白であるし、無力なわたしは母の足枷にしかならない。抵抗は無意味どころか、命を縮める。
だから、恐怖を少しでも和らげようと父の顔色をうかがってばかりいた。そのうちに、わたしは自然と他人の心を読む事ができるようになってゆく。この人はどうすれば怒り、どうすれば気を良くするか、思考パターンを常に分析する癖が本能的に身に付いていったのだ。
家での自分の惨めさを悟られぬよう平気で嘘をつき、人格を偽り、好ましく思われるために人と呼吸を合わせる術も覚えた。
だが自意識が育ち始めると、わたしは誰かに尻尾を振る事にも嫌気がさして、しばしば非現実に逃避するようになる。
ゴミ捨て場から拝借し、初めて目にした少女漫画雑誌。
描き出される刺激的な世界は、灰色の日々の中でなんと眩しく映った事だろう。
わたしにとって『夢』を見る事は、現実と戦うための手段になった。
この場合は幻想とか妄想とかと同じ意味だが、頭の中でならどんな自分にだってなれる。
夢こそがこの世で最も尊い『真実』であり、『力』だ。
綺麗事なんて要らない、用は強くなれさえすればそれでいい。そして、真っ黒な感情が行動の原動力に変わるという事を、わたしは父から教わった。
闇の力は、ほんとうにある。
※ ※ ※
わたしの握る包丁が、母に向かって伸びかけていた、父の拳の肉を裂く。
『ひあぁぁっ! メメェ! ……なんて事っ! 親にこんなあああっっ!』
敵は血を吐かんばかりに絶叫を張り上げた。
直後、騒ぎを聞いて駆け付けた隣人達によって、奴がひた隠しにしていた虐待の証拠は次々と明るみに出る事となる。その際、とっさに動いた母がわたしを庇うように抱き締めて、硬直する手から包丁を奪い取っていた。一方のわたしはというと、誇らしさから、口角がつり上がるのを止められない。
現実に勝った!
あいつの世界を、この現実を壊してやったぞ!
わたしは母を守ったのだ!
警察に羽交い締めにされ、狂ったように暴れながら連れていかれる男の姿を、愉悦と共に見送った。それからの事は、あまり記憶には残っていない。
※ ※ ※
五年後 三月二十二日 十二時四十五分 青山邸二階
『早
く
目 そ ニ
を の セ
覚 世 モ
ま 界 ノ
せ は だ』
案内されたその部屋で、わたしはその黒いノートの一ページ目を見下ろして、確信めいたものを感じた。
この人も同類だ。わたしと一緒で、闇を隠して生きている人。
そしてこれは血の叫びだ。現実における無力な自分を認められず、必死にもがいている人間の。
奇妙な懐かしさを覚えつつ、ページをめくる。そこには、たくさんの幻想がところせましと描かれていて、わたしの心を魅了した。
暗黒の創造神……漆黒……闇の力を持つ工作員……。
嗚呼、これが『あなた』なのね。もっと見せて、もっと知りたい。
「うわぁ! それダメ! 見ちゃらめぇー!」
涙目の男の子が部屋に飛び込んで来て、ノートを奪い取ってしまう。
新しい家族。
わたしの兄になる人。
怯えた眼差しを向ける彼の姿に、わたしは願う。
この人の『夢』に、もっともっと近づきたいと。
いかがでしたでしょうか。
鬱な話が続いてここのところは「ラブコメってなんだっけ」状態ですが、次回から突入する「第六話~全力の青山~」ではギャグもお色気も胸スカ展開もフルスロットルで参ります! めざせ大団円です!
ファミレスで冒険者の真似をして肉を注文する遊びをして店員に冷たい目で見られつつ、「寒い時代だと思わんかね」と呟きながら、ご意見ご感想お待ちしてます!
それでは、次回にご期待ください!




