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はたらく王女さま 《4》

 バイトを初めて十日後、はじめてのお休みがもらえた。

 バイト代を計算した時は三十日で一万五千センとか考えたけれど、三十日ぶっとおしで働くなんてしんどすぎる話だったよね。日本じゃ週休二日とかだったのに、何を勘違いしていたんだか。皮算用しちゃったなあ。

 でもエリーシャさんたちは、そういう状況に陥っていたらしい。私が少し慣れてきたため、ようやく交代で休みを取れるようになったそうだ。少しは役に立っているのなら、うれしいね。

 そして今日は私がお休み。時間を気にしなくていいってありがたいね! 何もせずのんびりしていていいって、うれしいね!

 ゆったり休日を満喫している私だけれど、主婦なら休日も忙しいんだろうな。普段手が回らず溜め込んでいた家事を、休みの日に一気に片付ける――結局一年中休みなんかないんじゃないのって結論になる。主婦は年中無休だって日本でよく聞いたな。思い返すに、やはり私には厳しい気がする。

 イリスの言うとおり、家事は使用人を雇って手伝ってもらうべきかな。その分頑張ってかせがないといけないけど。

 とか考えつつくつろいでいると、お母様がやってきた。

「今日はお休みと聞いたけれど、何か予定があるのかしら?」

 結婚以来ますます美しさに磨きがかかり、まさに女神のごとき輝きをまとったユユ姫と、久しぶりに落ちついて向かい合う。彼女は彼女で仕事があるし、一緒に暮らしていても実は顔を合わせる時間は少ない。夜の団欒? 新婚夫婦のせっかくのプライベートタイムに割り込めるものですか。

「ううん、今日はゆっくりする」

「そう、熱は出ていない?」

「うん」

 過去のできごとをふまえ、休みに入ったとたん熱を出して倒れると予測して一の宮では準備体勢が整えられていたらしい。なんだか災害対策本部みたいだ。

 しかしこのとおり元気だ。疲れているし慣れない立ち仕事で足も痛いけれど、熱は出ていない。ユユ姫も女官たちも驚いていた。

「はじめは、あなたに仕事なんて無理ではないかと思ったけれど、案外もちこたえているのね。おどろいたわ。食事量も増えたし、よかったのかもね」

 そう言いつつも、ユユ姫の顔はどこか不安げだ。なんだろうと思って私は待つ。きっとこうしてやってきたのは、何か話があるからだろう。

 どう切り出そうと考えていたのか、しばし考えるようすを見せ、彼女は口を開いた。

「ねえ、ティト? 聞きたかったのだけれど……どうして、急に働きたいなんて言い出したの?」

「急というわけでもないけど。いずれ自立したいとは、最初から話していたことだわ」

「それを実行に移したということ?」

 ますますユユ姫は悲しげな顔になる。なんだろう、私が働くのはそんなに問題なのだろうか。

「ううん、今回のは期間限定のアルバイト――アルバイトって、わかる?」

 ちゃんと翻訳されているかわからないので訊ねると、あいまいなうなずきが返ってきた。

「臨時に雇われたということでしょう。日雇いね」

 日雇い……まあ、そんなようなものか。

「あなたにそんな仕事をさせるなんて……」

「私からお願いしてデイルに紹介してもらったのよ。別にひどい職場じゃないわよ? ごく普通の食堂で、店員もお客さんもみんないい人だから」

 口うるさくておっかないおばさんや、はた迷惑なバカップルや、勘定をごまかそうとする客がいたりするけれど、おおむね気のいい人たちばかりだ。会話はあまりに威勢がよすぎて、聞いていて怖くなる時もある。でも当人たちは楽しそうで、あれが庶民流の交流なのだ。今はまだなじみきれないけれども、多分あたたかい職場というものなのだろう。

「ええ、そうね。エリーシャ様と一緒なのだから、大丈夫だろうとは思っているわ……でも、もしかして、ここから出ていくために頑張っているのではないかと……」

 はい? ――と、一瞬理解が追いつかず首をかしげ、そして思い出した。

 そうだったね。この国へやってきたばかりの頃、私は早く自立しようと、そればかり考えて、必死に勉強していた。いちばん間近でその姿を見ていたユユ姫は、私がまだ同じことを考えているのかと思ったんだ。

「いずれイリスと結婚して住まいを移すのに、今出ようとするのは……わたくしが、ここへ来たから?」

「ユユ姫?」

「わたくしに遠慮して、出て行こうとしているのではなくて?」

 ……ああ、そういうことか。

 ようやく彼女が何を考えたのか、全部理解した。

 相変わらず優しいお姫様だなあ。むしろ彼女の方がそれを求めて、私を追い出そうと考えてもおかしくない関係なのに。

「ちがうわ」

 誤解されないように、私はできるだけ優しい口調になるよう気をつけて、笑顔で答えた。

「自立するのと、別居するのとは別よ。それが一緒になる場合も多々あるけど、私の場合は働き出しても独身のうちは実家から出る気はないわ」

「…………」

「今回はお金がほしくてバイトをさがしたけれど、いずれ本格的にお仕事をしたいとは思ってる。でもそれは、ハルト様やユユ姫から離れるためじゃない。すべてを親まかせにして養われるだけの子供から、一人前の社会人になるだけよ。大体、一般家庭じゃないんだから、一つ屋根の下といっても四六時中顔を突き合わせているわけじゃないし、主婦として義理の子供の面倒を見なきゃいけないって状況でもないでしょ。特に意識して割り込もうとでもしないかぎり、それほどユユ姫とハルト様のお邪魔になるとは思ってないわ。それでもそばで暮らしているのが許せない、耐えられないって言うような、そんな仲の悪い関係だとも思ってないし」

「まあ」

 やっと少し、ユユ姫の顔に笑いが浮かぶ。

「そうなの。そう言ってくれるならよいのだけれど。でも、それならなおのこと、どうして今仕事を望んだのかが不思議だわ。お金がほしいというのは、なぜなの?」

 シャールの領主として実務に携わってきたユユ姫は、多分一般の令嬢や奥方よりもお金に関しては現実的だろう。働く意味、かせぐ意味はよくわかっている人だ。適当なごまかしは通用しないだろうと、私は考えて答える。

「……今は、全部は話せない。でもおかしな目的ではないから安心して。お金を使う時になったら、ちゃんと説明するから」

「ちゃんと足りるの? もし必要なら、遠慮なく言ってくれていいのよ」

 いくらあっても足りない状況だけれど、よりによってユユ姫にはお願いできないよね。苦笑しそうなのをこらえる。

「ありがとう。足りる範囲でなんとかする予定だから」

「……そう」

 微笑みながらユユ姫はうなずいたけれども、その顔はどこかさみしげだった。頼ってもらえないと思わせちゃったかな。うーん、でもあなたに贈り物をするために働いているんです、なんて言えないし。

 ハルト様もハルト様で、私がなぜ急にお金をほしがったのか知りたがり、それとなく探りを入れてくる。こうなると女官たちにもうかつに漏らせない。特にミセナさんには。イリスとトトー君にも厳重に口止めをしておいた。

 何を贈るかもまだ全然決まっていない。これだけもったいぶっておきながらしょぼいことしたくないし、ますますハードルが高くなって頭が痛い。

 翌日私の相談を受けたエリーシャさんは、うーんと笑いながら首をかしげた。

「相手が相手なんだから、金額を問題にしてもしかたないわね。そこはもう、気持ちの問題でしょ。心のこもったものなら、なんでもいいんじゃないかしら」

「それはそうなんですけど」

 その中で、少しでもランクを上げたいのだ。

「買ってきてそのままどうぞじゃなくて、ティトシェちゃんの手が加わったものにすればいいんじゃない? 刺繍とか」

「……今から練習したんじゃ、贈れるのが来年くらいになりそうです」

 以前やはり贈り物をするために練習した時の苦労を思い出すと、なぜか爆笑されてしまった。そんなにウケるとこですか?

「ティトシェちゃんって面白い子ねえ。頭が切れるかと思えば、当たり前のことができなくて、役に立つような立たないような、変な子だわ」

 ……この島の女性にとって、刺繍はできて当たり前の必須技能なのか。もしかして花嫁修行として私もやっておかなければいけない? 日常生活に必要でもないのに、文字を習った時ほど熱意を持てないなあ。

「ねえ、なんか変な客がいるんだけど」

 ミモティさんが厨房へ入ってきた。私たちはそちらへ顔を向ける。

「顔隠しちゃって、気持ち悪いのよ。注文取りに行ってもびくびくして、ろくに返事もできないの。どっかから逃げてきた連中かな」

 それはたしかに奇妙だね。ちょうど食事も終わっていたので、私とエリーシャさんは食器を片付けて表へ戻った。

「どれ?」

「あそこよ、あのすみっこ」

 こそっと指さす方を見れば、なるほど怪しい二人連れがいる。この暖かい季節に帽子やスカーフでしっかり顔を隠し、そのくせキョロキョロと周囲を見回している。あからさまに挙動不審で、周りの人もいぶかしげな視線を向けていた。あれでは顔を隠していても意味がない。

「身なりはいいわね」

「うん、貴族かも。でも貴族がこんな店に来るのもおかしくない?」

「逃げ込んだというより、うちに何か用がありそうな感じだけど」

 コリーさんもやってきた。なんだろうと気味悪げに話し合う彼女たちを置いて、私は問題の二人へ向かう。

「ティトシェちゃん?」

 私がまっすぐに近付いていくと、怪しい二人はさらにあやしい反応を見せた。身をこわばらせ、じっとうつむいて私と目を合わせないようにしている。

 私は彼らの前に立ち、にっこりと微笑んだ。

「なにをなさっておいでなのでしょう、お父様? お母様?」

 びくり、と二人が肩を揺らした。

「あ、あら? いやだわ、わたくし、あなたのような大きな子供がいる歳ではなくてよ。ほほほ……」

 ――ほほう、そう来るか。

「それは失礼をいたしました。では、金輪際お母様とはお呼びしないよう肝に銘じますね」

「えっ? いえ、あの、それは……」

 たちまちうろたえるのを無視して、もう片方へ冷たい視線を向ける。威厳のある背中を丸め、お父様は気まずい沈黙を保っていた。

「……で、ご注文は?」

「ち、注文? あ、いや、そうだな……うむ、その……どうすればよいのだ?」

「ええっ? そんな、わたくしだってこういう店は初めてですわ。以前チェンバでティトと店に立ち寄ったとおっしゃったではありませんか」

「あれは茶を飲んだだけで……ここも同じと考えてよいのだろうか」

「ですから、わたくしに聞かれても」

 こそこそ声をひそめているけれど、目の前でやってるんじゃ全然意味ないだろう。この二人、どこまでボケてるんだか。

「おふたりとも、お食事はお済みですか?」

「しょ、食事? 食事か、うむ、それは城で済ませてきた」

 おいこら、「城」とか言っちゃってるぞ親父。

「では、お茶と軽食くらいですね。お茶の種類はマサラ茶しかございませんがよろしいですか? それともお酒になさいますか?」

「昼間から酒というわけにもな。その茶でよい……マサラ茶とは初めて聞く銘柄だな。そなた知っているか?」

「名前だけは聞いた覚えが……飲んだことはありませんが」

 庶民御用達の安いお茶ですからね。王様やお妃様の口に入ることはなかったでしょうね。

「軽食はどのようなものを? 軽く焼いたパンか、あるいはお酒のおつまみ的なものしかございませんが」

「あ、うむ、パンでたのむ」

「わたくしもそれで……」

「かしこまりました」

 営業スマイルで礼をして背を向ける。足早に戻るとエリーシャさんにつかまった。

「ちょっと! お父様とお母様って……あの二人、まさか」

 顔が青ざめている。そうだよね、いきなり公王夫妻に乗り込まれたらパニくるよね。

「私のような大きな子供はいないそうですよ。赤の他人ということにしてやってください」

「そういうわけにはいかないでしょ!」

 あわあわと彼女は周囲を見回している。事情を知らないミモティさんとコリーさんは、私の両親と聞いて面白そうに目を輝かせた。

「なに? あれティトの両親なの?」

「こっそりようすを見に来たわけ? でもばればれじゃない」

 本当にね、あれでばれないと思っていたんだろうか。

「ね、ねえ、大丈夫なのかしら。こんな街中へ出ていらして」

 エリーシャさんに聞かれて、私は首をかしげる。

「まさか二人だけで来たということはないでしょう。護衛はいるはずですよ」

 店の外で待機しているんじゃないのかな。そう思っていると、

「やだ、なにあれ。気持ち悪い」

 またミモティさんの「気持ち悪い」だ。今度はなんだと見れば、入り口のドアに張り付いて中をのぞき込む、やたらとでかい人影があった。

「……普通に不審者で営業妨害ですね。警邏隊を呼びましょう」

「え、ティトシェちゃん、あれって……」

 人影の正体に気付いたエリーシャさんが苦笑いする。多分顔を隠してもあの体格ですぐばれるからと、外で待たされていたんだな。気の毒には思うが、入り口をふさがれたのでは迷惑だ。

 しかし追い払う必要はなかった。呼ぶ必要もなく、パトロール中の警邏兵が不審者を見つけて寄ってくる。なにごとか言い争った後、でかい人影は引きずられていった。

「ねえ、いいの? あれ……」

「この街の警邏兵は勤勉で有能ですね。おまかせして大丈夫でしょう」

 私は笑顔で答える。落ちついて話せば、自分たちの長官であるとすぐにわかるだろう。心配する必要はない。

「ええー。でも、あの方がいなくなっちゃったら、護衛はどうなるのよ」

「心配ないよ……こっちにいるから」

 厨房の方からのんびりした声が答えて、私たちは振り向く。出てきた赤毛の少年に、私は速攻文句を言った。

「ここで働いてるって、トトー君が教えたのね? わざわざ連れてくるなんて」

「ちがうよ……」

 うんざりした顔でトトー君は否定した。

「出向くとおっしゃるから、あわてて追いかけてきただけだよ……場所を報告したのは、ティトについていた護衛だよ」

「え?」

 私に護衛? そんな話は初耳だ。きょとんとなる私に、トトー君は肩をすくめた。

「毎日街へ通うのを、何も手を打たずに放っておかれるはずがないだろう……ただでさえ君は変なのに目をつけられやすいし、他にもいろいろ不安はあるしね……行き帰りを見守る護衛がついていたんだよ」

「…………」

 ――なんということだ。私がバイトをすると言い出したせいで、そんな事態になっていたのか。

 それって、周りに迷惑をかけていたということ? 私がバイトをするために、よけいな仕事を増やしてしまったのか。

 ショックを受けて私は言葉を失った。私、働いちゃいけなかったんだろうか。一の宮で引きこもっているのが、いちばん親切だった? だからみんな反対していたの? そんな……。

「あら、トトーじゃない珍しい。エリーシャに何か用があったの?」

 トトー君に気付いてコリーさんたちがやってくる。知り合い同士で盛り上がる横で、私はとぼとぼと厨房へ行ってハルト様たちの注文を伝えた。

 ……どうしよう。

 一生懸命頑張っていたつもりが、ただの独りよがりで周りに迷惑だったのだとしたら……今日でこの仕事を辞めるしかないのだろうか。

 約束の期限まであと半月以上あるのに。まだ半分も働いていないのに。

 落ち込んでいると、またトトー君がやってきた。

「どうしたの」

 私の顔をのぞき込む。彼に当たるのは筋違いだと知りつつ、私はうらめしくにらんでしまう。

「わざわざ護衛をつける必要があるなら、私今すぐ店長に辞めますって言いに行かなきゃいけないわ。せっかく慣れてきたのに……みんなも喜んでくれてたのに」

「辞める?」

「私のせいで護衛を命じられた人がいるんでしょ。迷惑をかけてるってことじゃない。私のバイトなんて、自己満足の独りよがりだったのよね」

 ああ、泣きそうだ。頑張っているつもりがただのわがままになっていたなんて。自分のうかつさにも腹が立つし、いちいち護衛なんて大げさにされることにも腹が立つ。だってバイトに行くのに護衛がつくなんて考える? そんなの、想定外だったよ。

「……自分が王女になったってこと、まだちゃんと理解してないんだね」

 腕を組んで壁にもたれ、トトー君は言った。

「名前だけじゃないんだよ……君はもう王族の一員なんだ」

「平民だからって理由で私を攻撃させないための措置でしょ。それ以外の意味なんかないじゃない。継承権も領地もない、ただの居候だわ」

「居候って……」

 呆れたようすでトトー君は息をつく。ああもう、情けないやら腹立たしいやらで言いたいことがうまくまとまらない。

「護衛がついて当然のお姫様なんかじゃないわ。そんなのみんな知ってることなのに。馬車で通ってるから危ないこともないし、わざわざ護衛なんてつけなくてもいいのに」

「……ハルト様にお礼をしたいと思うなら、もっとちゃんと自分の立場を理解するべきだね」

 トトー君はシビアだ。私がいじけていても甘やかさない。口調はおっとりしていても、言う内容は厳しい。

「たしかに、ティトが街へ出たいと言い出したことで、それに対応する必要が生まれた……護衛もつけられたよ……でも問題はそこじゃない。問題なのは、君が自分の立ち位置をきちんと把握していないことだ……いつまでも自分は庶民生まれの孤児だとか言って目をそらしてないで、今現在の状況を正しく理解するべきだよ」

「…………」

「生まれやいきさつがどうあれ、君はもうローシェンの王女として正式に認められたんだよ……領地や継承権がなくたって、以前の君とは完全に扱いがちがう。それをきちんと認識した上での行動なら、街へ出ようが働こうがかまわないんだ……護衛は別に迷惑じゃないよ。それが仕事なんだから……ただ、君に自覚があるとないとでは大きくちがう。自覚のないまま歩き回られるのは、たしかに迷惑だね」

「…………」

 自分で言ったくせに、相手の口からはっきり迷惑と告げられたことが胸にぐさりと突き刺さった。まっすぐにトトー君の目を見返せなくて、うつむいてしまう。

 自覚って、なんだろう。ハルト様の養女になって、形だけの王女になって……でも本当は王族じゃないことなんかみんな知っているから、誰もそんな目では見ないと思っていた。一の宮での生活に変化はないし、公務を任されることもない。あんな馬の骨に王女の肩書を与えるなんてと反感を抱かれることは予想したが、だからってうかつに手出ししてくる馬鹿はいないだろうと思っていた。私だけでなく周りの人共通の認識で、そういう保険のための養子縁組だったはずだ。私に危害を加えれば、王家に対する反逆罪になるからと。

 そういうことを考えるだけでは足りなかったのか。でもほかにどういう認識を持てばいいの? 護衛がつくほど、私は身辺に注意しなくてはならないの? 敵を減らすための養子縁組じゃなかったの?

「ティト? どうしたんだ、早く持ってって」

 ケイさんがお茶と軽食のセットを押し出した。私はそれをお盆に乗せ、表へ出る。だまって運び、もの言いたげなハルト様たちの前に置くと、さっさと背を向けた。すねているわけじゃないよ。いや、ちょっぴりすねているけど、そのせいじゃない。仕事中に親と話し込んでいられないし、向こうもこれ以上目立つべきじゃないからだ。

 今は仕事に集中しよう。終わってから、あらためてハルト様と話し合って今後のことを考えよう。

 ……そう思うけれど、暇があるとつい頭がそっちへ行ってしまうな。

「これ、いつまで待たせる気じゃ。さっさと注文を取りに来んか」

 鬱々としていると客から叱られた。あわててそちらを振り返った私は、しかし次の瞬間脱力してしまった。

「よう嬢様、頑張ってるかい」

 陽気に手を上げて挨拶してくれるおじさんと、やけに品がよくそして眼光鋭いじいさまの二人組だ。顔を隠す気もなく、堂々と座っている。

「……ご注文は」

「なんじゃそのやる気のなさそうな接客は。客商売は愛想が命であろうが。やりなおせ」

 まさかのリテイクですか。こんな場面でも厳しいな。

「失礼いたしました。ご注文はお決まりですか」

「おう、今日は海老のコッポ煮はあるかい?」

「はい、ございます」

「んじゃそれな。あとニンニクパンと根菜のスープ、それからエイン酒な」

 ベイリー親分は何度もこの店に来たことがあるのだろう。定番メニューをすらすら口にする。宰相はどうするのだろうと思ったら、

「山鳥のパイとマサラ茶を」

 迷うようすもなく注文した。あっちの主君夫妻と大違いだ。

「お一人で召し上がられますか? それとも大きいのをお持ちしておふたりで分けられますか?」

 パイは一人分に切り分けたものと、大きいまま持ってきて複数で分けて食べるものがある。二人で分けるにも少々大きいけれど、この世界のしかも男性だから余裕かな。

「大きいのにせよ。わし一人分だがな。こやつの皿はいらん」

「ちょっとくらい分けてくださいよリュシー様」

「ほしくば自分で注文せい」

 ……仲良さそうだね。さすが昔なじみ。

「食べ残されると困りますので、お一人分なら切り分けた方をお勧めしますが」

「ならん、大きいのじゃ」

「嬢様、山鳥のパイはリュシー様の好物なんだよ。このために昼飯抜きで来てるんだ、でかいの持ってきてさしあげな」

「……お歳を考えますと、やはりお勧めできません。暴飲暴食は健康に悪いですよ」

 いくらこの世界の人が食欲魔人でも、さすがに一人で食べるには大きすぎるんだよ。肉だけでなく野菜や木の実もぎっしり詰まっていて、かなり食べ応えのありそうな料理なんだから。カロリーもさぞ高いだろうし。

「残った分は持って帰る。いつもそうしておるゆえ、店の者も承知しているはずじゃ。よいからさっさと持ってこんか。こちらは空腹なのじゃ」

「……かしこまりました」

 お持ち帰り予定か。筋金入りの常連だな。宰相って役職が偉いだけでなく生まれも屈指の名家で、見るからに貴族的な人だ。セレブ中のセレブなのに、下町のヤクザと付き合いがあったり庶民の店に出入りしていたりと、知れば知るほど謎なじいさまだ。

「山鳥のパイ、まだありますか。あちらが丸ごと一皿ご所望です」

 ちょうど厨房から顔を出した料理人に伝えると、了解と笑顔が返ってきた。

「いつものじいさんか。毎回山鳥のパイを注文するんだよ。どれ、持ち帰り用の籠も用意しとくか」

 宰相が言ったとおり店の人はよくわかっているようで、いちいちたのむ必要もなかった。他の注文も伝えつつ、そんなに山鳥のパイは美味しいのだろうかと考える。肉が入ってさえいなければ食べてみるんだけどなあ。木の実が入っているあたりはそそられるけど、肉汁がけっこう脂ギッシュで見た目からしてアウトなんだよね。

 ……しかし、この状況。お父様とお母様に、宰相とベイリー親分。護衛としてトトー君とアルタ(退場)……こうも顔が揃うと、絶対続きがあると思うよね。

 私は店内をぐるりと見回した。他にも知り合いがまぎれ込んでいないかと客を一人ひとり確認していく。昼のピークが過ぎて落ちついた店内に、他の客は三組。どれも普通に街の人だ。私の知り合いではない。

 あれ? 考えすぎだった? アレとかアレが出てくると思ったんだけどな。

 拍子抜けして首をかしげていると、背後からすきま風のような声が聞こえた。

「ニンニクパンとスープ、マサラ茶とエイン酒です。お願いいたします」

「そっちかい」

 思わず声に出してしまった。てっきり客で来ると思ったのに、厨房にまぎれ込んでるとは思わなかったよ。

「私は包丁一本で渡り歩く、さすらいの助っ人料理人にございます。山鳥のパイと海老のコッポ煮はただいま温めておりますので、しばらくお待ちねがいます」

 しれっと言いきったゾンビはそよそよと厨房へ戻っていく。ツッコミも入れられずに呆れていると、

「ああ、なんかバーリーの代理だとかで来てる人よ。店長の知り合いらしいけど」

 コリーさんが教えてくれた。こっちはこっちで顔が広いな、参謀官!

「ちゃんと料理できるんですか?」

「できないのが来てどうすんのよ。そんなのだったらとっとと追い返してるでしょ」

「そうですね……」

 そして参謀室長は変装だけでなく料理も特技と知った。主婦だけでなく参謀官にもそういうスキルが求められるのだろうか。これで刺繍もできますとか言われたら私どうしよう。

 なんかいろいろ落ち込んだ。もう何に落ち込んだらいいのかわからないくらいダメージくらいすぎて、逆にふっきれてしまった。

「聞いてくれ嬢ちゃん、あいつらひどいんだよー。俺の顔見てすぐにわからず変質者扱いするんだよ。減俸にしてやっていいか? それとも訓練しなおしでしごき倒してやるか。なあ、どっちがいいと思う?」

「職権濫用だと思いますそして抱きつくなセクハラ親父」

 やかましく飛び込んできたライオンの頭を、お盆でおもいっきりはたいてやる。私もこの店の流儀に大分慣れてきたようだ。


長くなってしまって終わりませんでした。

次回で終わりです。今度こそ。

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