はたらく王女さま 《1》
本編後日談ということになりますが、時間軸はあまり気にしないください
目的の店を見つけるのには、さほど苦労しなかった。
教えられた通りを行けば、目印はすぐにわかった。店の前には看板が立てられている。今日のおすすめランチは海鮮サラダとキノコのシチュー、そして山鳥のローストらしい。
ローシェンの首都エナ=オラーナの、下町より少しだけ山の手地域――お金持ちでもなければ特別貧乏でもない、普通の庶民の街に、その店は建っていた。
私は入り口の扉を開き、そっと中をのぞき込む。時刻は午をすぎたばかりで、ちょうどランチを食べにきたお客さんでほぼ満席だった。
「いらっしゃいませ」
店員のお姉さんが私に気づき、声をかけてくれる。でもすみません、お客じゃないんですよ。私は内心ドキドキしながら、お姉さんに来訪目的を告げた。
「あの、今日からこちらでお世話になる予定の、佐野千歳と申しますが」
「お世話?」
お姉さんはいぶかしげに首をかしげる。その後ろから見知った姿が現れた。
「ああ、ティトシェちゃん来たのね。悪いけど裏へ回ってくれるかしら? 外に出てすぐ横の路地から裏へ行けるから」
元気のいいはきはきした声に、私はうなずいてまた外へ出る。言われたとおり裏へ回れば、おそろしく狭くごちゃごちゃした通路に面して、小さな扉があった。
ノックをして、またそっと開く。中にはたくさん人がいて、入ってきた部外者にいっせいに誰だコイツという目を向けてきた。うひぃ。
「なに、あんた」
近くにいたおばさんが聞いてくる。私はおじぎをしてさっきの言葉をくり返した。
「今日からこちらでお世話になる予定の、佐野千歳と申します。この時間に来るよう言われましたので、うかがいました」
「お世話って……ああ、なんか新しい子が来るって言ってたっけ。あんたなの?」
「はい。デイルさんとエリーシャさんの紹介で」
それでみんな納得したらしく、私に集中していた視線が離れていった。声をかけてくれたおばさんだけが私の前に残り、腰に手を置いて値踏みする視線で私を見回す。
「人手不足だからねえ、新しい子が来るのは歓迎だったんだけど……こんなちっこい子にちゃんと働けるのかね。なんかトロくさそうだし」
……いきなり遠慮なく言われてるな。
私が小さいのはまあ、事実だからしかたないけれども、そんなにトロくさそうに見えるのだろうか。普通に挨拶したぞ。簡潔明瞭に目的を伝えるべく、頭の中でシミュレートしてきた台詞だ。すらすらと、つっかえずに言えたのに。
「店長さんでいらっしゃいますか?」
「ちがうよ。呼んできてやるから、そっちの隅にいってな。そんなとこ立たれると出入りの邪魔だ」
「はい」
私は示された部屋の隅へ移動する。そこは厨房と土間が一体化している空間で、出入り口の近くには食材が入った木箱が積まれ、奥の方では料理人がせわしなく働いていた。
今は忙しい時間だものね。こんな時に来るのは迷惑だってわかっていたけれど、バスの時間に融通が利かないからしかたがない。いちおう朝の便を使うことも提案したけれど、それだと店長は仕入れに出て不在だと言われ、この時間になったのだった。のっけからわがままなバイトでごめんなさい。
おばさんが呼びに行くより早く、表の方から恰幅のいい男性が現れた。エリーシャさんも一緒で、あれが店長だとすぐわかる。
「あんたかね、マッシュさんとこの推薦で来たのは」
「はい、佐野千歳です。お忙しい時間に申しわけありません。よろしくお願いいたします」
私はもう一度おじぎをする。店長さんは複雑そうな顔をしていた。
うーん、面接すっとばしていきなり初出勤だもんね。お互い顔を見るのはこれが初めてで、向こうも予想していたのとはちがうと困惑しているのだろう。
「エリーシャ、この子で間違いないかね」
「もちろんよ、店長」
エリーシャさんに確認しても、まだ納得がいかないという顔だ。私は不安になってきた。
なんだろう、いきなり採用取り消し? 私のどこがそんなに問題なのだろう。子供っぽく見えるから? でも今日はリボンもフリルもないシンプルな服を来てきたし、できるだけ大人に見えるようちょっぴりお化粧もしてきたぞ。飲食店で働くのだからと、清潔感にも気を配った。爪の手入れをし、髪は落ちかかってこないよう顔の周りは編み込んでピンで留めた。
トロくさそうなところがいけないのか。まだ何もしていないのに、いきなりトロくさいと判断されるとは、私どんな見た目なんだろう。
「店長、ティトシェちゃんはすごく頭のいい、しっかりした子だから。まあこういう店で働くことには慣れてないと思うけど、すぐに覚えてくれるわよ」
エリーシャさんがフォローしてくれる。店長はうーん、と首をひねった。
「そいつはまあ、最初なんだから仕方ないが……なんつうか、えらくおっとりして上品そうな娘じゃないか。うちの店でやってけるんかね」
言葉を選んでくれてありがとう、店長。でもやっぱりトロくさいって思ってたんだな!
生まれて十七年、対人関係には問題だらけで、社交的な性格とは対極だと自覚していたけれど。
自分がトロくさいと知ったのは初めてだよ。なんだかものすごく、ショックです。
さかのぼること数日前、私はとある頼みごとをしにマッシュ家を訪れていた。
「あぁ? 働き口を紹介してくれだと?」
デイルは大げさなほどに呆れた顔をし、犬でも追い払うようにしっしと手を振った。
「ガキの遊びにつきあってる暇ねえんだよ。帰れ、帰れ」
ろくに話も聞かないうちからこの態度である。私はちょっとむっとした。
「失礼ね、なんでそんなこと言われなきゃいけないの。街の顔役として、そういう口利きもするって聞いたからお願いに来たのに。なぁに? 仲介料でも払わないといけないの?」
「そんなんじゃねえ」
ソファに尊大にふんぞりかえって、デイルは鼻を鳴らした。いくら男でも脚を開きすぎじゃないですかね。なんだかすごく下品に見えますよ。うん、上品なやつだとは思っていないけど。
「真面目に働きたがってる奴なら、紹介もしてやるさ。けどなんでお前に紹介しなきゃなんねえよ」
「私も真面目に働きたがってるんだけど」
「はたらくって言葉の意味わかってんのか」
どこまでも馬鹿にした態度だ。私をどれだけ子供あつかいする気だろう。トトー君と同い年だって知っているくせに。
「労働力を提供して、対価として賃金を得ることでしょう」
「小難しい言葉だけは得意だな。そういうことじゃなくてよ、なんのために金がほしい? 寝るとこにも食うもんにも不自由してないくせに、なんでお前が働かなきゃなんねえよ。お姫様の遊びなら周りの迷惑になるだけだ、おとなしくお城へ帰れ」
終始デイルは取りつく島もないが、話していくうちになぜ彼がまともに聞こうとしてくれないのかがわかってきた。
たしかに、私は生活のために働く必要がない。ハルト様の庇護を受けていて、今や王女の肩書までもらってしまった。街へ出てバイトする王女様なんて、普通ありえないだろう。ちょっとした好奇心で庶民の真似事をしようと出てきた、というふうに解釈したんだな。
しかし、そうではない。私は私なりに、ちゃんと理由があって収入を求めているのだ。
「たしかに生活には不自由していないわ。でもお金は一センも持ってない」
私はデイルが理解してくれるよう、真面目に言った。
ちなみにこの島の通貨はセンで統一されている。日本人には非常に聞き覚えのある単位だ。何百年も昔、まだ貨幣というものが使われていなかった時代には金や穀物などで取引していたらしいが、祖王が貨幣制度を作り人々に定着させた。センとは銭――彼が故郷で使っていた通貨単位を、そのまま持ち込んだのだろう。
そこで円じゃないあたりに時代を感じる。第二次世界大戦当時、もちろん円も使われていたけれど、今とは貨幣価値が違って十円がけっこう高額だったりした。日常使うお金として、銭の方が親しみやすかったのだろう。
習った時には面白い偶然だと思ったけれど、実はそういう理由があるのだった。
「こうして街へ出てきても、駄菓子ひとつ買えないの。私はお金がほしいのよ」
「んなもん、公王様に頼めばいいだろうがよ」
デイルの反論はもっともだが、私は首を振った。
「ほしいのはお小遣いじゃなくて、収入なの」
「……違いがわかんねえよ」
スキンヘッドの舎弟がお茶菓子を持ってきてくれる。デイル以外のこの家の人々は、私に対していつも親切だ。当主であるベイリー親分とは、いまだ面識を得る機会がないのだが。
「若、そんなつれねえ態度取ってねえで、嬢ちゃんの話を聞いておやんなさいよ」
スキンヘッドの強面が私を援護してくれる。ティーカップを取り上げて、デイルは顔をしかめた。
「うるせえな、聞いてるじゃねえかよ。おいちびミカン、小遣いと収入の違いってなんだ」
……その呼び名には非常に不快ないわれがあるのだが、この場は我慢しておこう。こちらは頼みごとをしに来た身だ。
「お小遣いは私が努力して得たものではないわ。単なるもらいものでしょう。そうじゃなくて、自分で稼いだと言えるお金がほしいの」
「…………」
「自分のためのお買い物をするのならね、お小遣いでもいい。ちょっと気が引けるけど、それほど散財する気もないからお小遣いをもらってきてもいい。でも今回はそれじゃだめなの。贈り物をするために、お金が必要だから」
ハルト様とユユ姫の婚儀からもう大分経った。私はもちろん心から祝福したし、ふたりもそれを受け入れてくれている。特に問題があるわけじゃないんだけれど。
でも、私の気持ちとして、何か形に残るお祝いを贈りたいのだ。
さんざんお世話になってきた人たちの慶事だもの、お礼の気持ちも込めて贈りたい。
――しかし、何かを贈るとなると、当然先立つものが必要になる。自分で作る能力なんてない以上、店で買ってくるという結論にいたる。
その買い物をするためにハルト様にお小遣いをねだるだなんて、意味ないじゃない。そこはちゃんと、自分で稼いだお金でなくては。
私の説明をだまって聞いていたデイルは、聞き終えたあと難しそうにため息をついた。
「気持ちはわからねえでもねえが……お前よ、公王様とお妃様に贈るものを、ちょっと働いただけの金で買えると思ってんのかよ。いったい何を贈る気だよ」
そこを突かれると弱い。私は視線を落としてしまった。
「……まだ決めてないけど、ペアのカップとか」
「んなもん、お城じゃ最高級の品を山ほど揃えてんだろうが」
なにごとかと興味津々で舎弟たちが部屋をのぞいている。初めて見る顔もある。けっこういい年なのに少年みたいに快活そうな、小柄なおじさんが面白そうに入ってきた。
「……この国じゃ、結婚祝いにはどんなものを贈るの」
「お前、そんな一般論聞いてどうするよ。新婚家庭で使える台所器具とか、服縫うための布とか、言われて参考にできるか?」
「そういうのじゃなくて、記念品的な」
「金持ちなら絵とか壺とかになるんだろうが……それだってお城にゃ腐るほどあるだろうしなあ」
「…………」
私もため息をついてしまった。そう、高価な品なら、国内外の貴族王族から山ほど贈られていた。カームさんやクラルス公からの贈り物なんて国宝級の宝飾品だった。お値段いくらか、世界が違いすぎて想像もつかない。
私がちょっとバイトして買えるものなんて、宮殿の下働きが使う品より安物かもしれない。
ちがう方向で考えるべきかなあ。でもどんなものを贈ればいいのだろう。これが現代日本の一般庶民なら、家電製品とかお役立ちグッズとか、記念品にするなら時計とかフォトスタンドとか、いろいろ選択肢はあるのに。
異世界の、しかも王様に何を贈ればいいのだろう。
落ち込みつつ悩んでいると、肩に勢いよく手が置かれた。さっきの小柄なおじさんがすぐそばに立っていた。
「難しく考えるこたぁねえ、なんでもいいんだよ。親にとっちゃな、子供が自分で頑張って手に入れたもんを贈ってくれたら、それだけで泣けるほどうれしいもんよ」
顔をあげた私と目が合うと、おじさんはバチリとウィンクした。なんか、愛嬌があるというか、ブイブイ言わせてそうな人だな。
「お前が木から落っこちてでけえタンコブこさえながら俺にくれた、セミの脱け殻だってまだ大事に取ってんぞ」
「捨てろよいい加減! 五歳の時の話をいまだに持ち出してくんじゃねえよ!」
「なに言ってる、貴重な思い出の品じゃねえか。あの頃は素直で可愛かったってな。今じゃこんなだけどよ。あとお前が三歳の時に描いてくれた俺の似顔絵も取ってんぞ。人なんだか芋なんだかわかんねえ絵だけどよ」
「そうやって笑い話にしたいだけだろうが! 隠し場所教えろ、俺が始末してやる!」
「そう言われて教えるかい」
真剣に嫌がるデイルに、楽しそうに舌を出している。このおじさんが誰なのか、聞かなくてもわかってしまった。
「……はじめまして、ベイリー親分さん」
「おう」
デイルのお父さんであるベイリー親分は、にっと笑って私の挨拶に応えた。
「こっちは実ははじめてでもねえんだがな。お嬢ちゃん――いや失礼、姫様のことは前から知ってたよ。挨拶が遅れてすまなかったな」
「いえとんでもない。千歳でけっこうですよ」
姫様と呼ばれるのには、どうにもなじめない。察してくれたのか、親分は「そうかい」と軽く流してくれた。
デイルは母親似なのだろうか。見た目はあまり似ていない親子だ。親分は意外なほど小柄で、多分百七十センチもない。やんちゃ坊主がそのまま大人になったという雰囲気で、日焼けした顔にはいたずらっぽい生気があふれていた。
唯一、くすんだ金色の髪だけがよく似ている。身長ではずっと上でも、デイルは若いせいか貫祿に欠け、親分の前ではいかにも頼りない若様に見えた。
「リュシー様にはさんざんお世話になったからな、うちがお役に立てることがあるならなんでもするぜ。デイルよ、ティトシェ嬢様が働けるようなとこ紹介してやんな」
「つってもよ……」
デイルは困った顔で肩をすくめた。
「おいミカン、お前どんな仕事ならできる?」
難しいことを聞いてくる。そしていい加減名前で呼んでほしい。
「千歳と呼んでちょうだい。過去のバイト経験は郵便局の仕分けくらいだけど……」
年賀状シーズンの、アレだ。高校生を取ってくれるところは少なく、常時働くと勉強や萌えに差し支えるので、私のバイトというとそのくらいしか経験がない。
「郵便? お前が配達なんぞしてたのか」
「配達じゃなくて仕分け。内勤よ。短期だったけど」
さすがに配達は無理だ。
「ろくに働いたことはねえってわけか……そうだろうな。そもそもなあ、ちょっと無理したら熱出したり吐いたりしてぶっ倒れるひ弱な奴が、どんな仕事ならできるってんだ」
「…………」
うう、それを言われると弱い。いやでも、私だって前よりは強くなったし。戦場にも出たんだよ。死にかけたのは寒すぎたせいで、この季節普通に働いたくらいで倒れることはないはずだ。多分。
「身体に負担が少ない仕事ってなると、仕立てとかになるが、裁縫は?」
私はだまって首を振った。雑巾一枚縫うのがやっとです。パジャマは祖母に手伝ってもらいました。
「あとは代筆……読み書きのできねえ連中のかわりに手紙や書類を書いてやる仕事だが、貧乏人相手だから収入なんてないに等しいぞ」
それならできそうだけど、収入が少なすぎるのは問題だ。今回の目的のためには選べない。
私とデイルはうーんと考え込んでしまった。
そこにまたベイリー親分が助け船を出してくれる。
「お嬢の行ってる店が人手不足で困ってなかったか? 最近立て続けに人が抜けたんで、誰か紹介してくれって言われてただろう」
この場合の「お嬢」とは私のことではなく、きっとエリーシャさんのことだろう。
デイルはますます難しい顔になった。
「こいつに給仕なんぞできるかよ。見ろ、この骨と筋しかねえような腕。こんなんで重たい盆が運べると思うか?」
……人の腕を鶏ガラみたいに言わないでほしい。たしかに骨だけど。くそう。
「給仕でなくても裏方とか、いろいろ仕事はあるだろう。とにかく聞いてみな。お嬢と会える口実にもなるだろうが」
つつかれてデイルは「うるせえ」とか照れ隠しの悪態をついている。エリーシャさんが勤めているのはレストランだっけ。ウェイトレスか……やったことないけど、できるかな?
だめでもともとだ。私もデイルに、聞いてみてくれるよう頼み込んだ。あまり気がすすまないようすだったが、一応デイルはエリーシャさんに話をしてくれたらしく、その翌日には私の採用が決まっていた。
「ティトシェちゃん、本当に手伝ってくれるの? うちは大歓迎よ。二人続けて辞めて、さらに一人が病気でしばらく出てこられなくなっちゃって、もう忙しいのなんのって。交代で休みを取ることもできないのよ。だからって誰でもいいってわけにはいかないしね。やっぱり、ちゃんと信用できる人じゃないと色々不安じゃない? その点ティトシェちゃんなら安心だわ。ただ、公王様のお許しはいただいてるの? 街で働くなんてこと、よく許してくださったわね」
お客が少なくなる時間を見計らって抜けてきたというエリーシャさんは、私の顔を見るなり口早にまくしたてた。ちょっと呆気に取られていた私は、最後の質問に慎重に答える。
「採用していただけるかどうかわかりませんでしたので、まだハルト様にはお話ししていません。これから許可をいただくことになります」
「……大丈夫なの?」
たちまちエリーシャさんは不安そうになる。私もちょっぴり不安だったので、助っ人をお願いすることにした。
「トトー君も一緒にお願いしてくれるとうれしいんだけど。私だけじゃ聞いてもらえないかもだけど、トトー君も口添えしてくれれば、きっとハルト様は許してくださると思うの」
里帰り兼お付き合いで一緒に来ていたトトー君は、私とエリーシャさんの視線を受けて困ったように首をかしげた。
「……ボクとしては、あまり賛成できないんだけど……」
いきなりの反対意見だ。私は口をとがらせた。
「どうして。理由は説明したでしょ」
「ティトの気持ちはわかるよ……けど、姉さんが忙しいって言うほどなのに、ティトについていける……? 毎日街と城を往復するだけでも、疲れて熱を出しそうなのに」
出さないよ、そのくらいで!
山から自力で歩いて下りてくるわけではないのだ。朝昼夕と、無料の送迎バスが出ている。バスっていうか、馬車だけど。それに乗せてもらうだけだから、学校に通っていた時と変わりない。いくら私でも、その程度で熱を出すものか。欠席日数なんて年に十日もなかった。肺炎で入院した時以外、私は他の生徒と同じく普通に通学していたぞ。
私の反論を聞いてもトトー君は疑わしげな顔のままだった。なんなの、私どれだけひ弱だと思われてるの。一緒に戦場を駆け抜けたじゃないの!
くそう、こうなったら意地でも元気に働いてみせる。じっさいに行動で見せつけて信じさせるしかない。
「慣れない仕事で最初はご迷惑をおかけするかもしれませんが、精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いいたします」
エリーシャさんに頭を下げる私の後ろで、トトー君はため息をついていた。
その後宮殿に取って返し、ハルト様にしばらく街で働くことになった旨を伝えた。事後承諾です。そのくらい強引でないと簡単には許してもらえないからね。
「なぜ仕事など……しかも街でなど」
案の定ハルト様はしかめっ面になった。その隣でユユ姫あらためお母様も頬に手を当て、いぶかしげにしている。
「なにかほしいものがあるの? それなら街で仕事などしなくても、言ってくれればいいのに」
私は首を振った。目的はまだ言えない。でも働きたいという意志は理解してもらわねば。
「自分で稼いだお金がほしいの。勤め先はエリーシャさんと一緒の職場だから大丈夫」
「エリーシャ様と一緒なら、まあ心配はないでしょうけど……」
お母様はハルト様をうかがい見る。お父様は眉間にくっきりとしわを寄せていた。
「具体的には、どういう仕事なのだ」
「食堂の給仕です。厨房など裏方を手伝うこともあるようですが」
「そなたにできるのか?」
「なんだって最初は初心者です。できないことを、努力してできるようになるんです」
「つまりできぬのではないか。本当に大丈夫なのか」
大丈夫ですとも。別に危険な仕事をするわけじゃない。ごく普通のウェイトレスだ。仕事の手順や要領は、教えてもらったことをきちんと覚えればいい。ようはやる気の問題だ。私が頑張れば大丈夫。
「デイルやエリーシャさんに骨を折っていただいて、すでにお店の方にも話が通っているんです。朝の便で街へ下りて、夕方の便で帰ってきます。その時間帯でいいと先方の了承も得ました。夜遅くなるようなことはありませんから」
話が進んでいることをアピールすれば、ハルト様はため息まじりに「そういうことは事前に話しなさい」と言った。すみません、それが筋ですよね。でも事前に言ったら多分きっと、就職活動すら反対されていたと思うんです。
過保護な王様に一から十まで従っていたのでは、私は本気でお姫様暮らしになってしまう。それではいけないのだ。今回はふたりの結婚祝いのためだけれど、いずれ本格的に働きたいとも考えている。私はキャリアウーマンになりたい。
「施療院の査察はどうするのだ。そなたに任せた役目だぞ」
「もちろん、おろそかにする気はありませんよ。朝の便で出かけると、仕事の時間には少し早いんです。なのでまず施療院のようすを見に行って、それから食堂へ出勤します」
「それを毎日続けられるだけの体力が、そなたにあるのか」
「あります」
私はきっぱりと断言した。毎日通学していたんだから、できないわけがない。一緒じゃないか。
その後もなんだかんだと文句をつけてくるハルト様を根気よく説得し、どうにか許可をもぎとった。期間が一ヶ月ほどの短期ということもあって、ハルト様も最終的には折れてくれた。現在病気療養中の人が、そのくらいで復帰してくるそうだ。私はそれまでの臨時従業員である。ちなみにお給料は日当制で一日五百セン。三十日働くとして一万五千センか。私はまだこっちの貨幣価値や一般的な収入をよく知らないので、それが妥当な額なのかどうかわからない。でもあんまりひどい低賃金ならエリーシャさんが何か言ってくれているはずだから、新人の給料としては普通なのだろう。
一万五千センで何が買えるかなあ。そういうのも、全然わからないんだよね。街へ出るついでに市場調査もしなければ。
そんなこんなで初出勤の日、まずは店長と顔合わせをして話を聞いてからということで、この時間に出てきたのだが。
「臨時の手伝いってこの子? ちょっとエリーシャ、こんなトロそうな子で大丈夫なの?」
「あんたの弟に負けないくらいぼやっとしてるじゃない」
「トトーはあんなでも動きは速いけどさあ、この子は見た目どおりのんびりしてるし。使えるの?」
店の人たちが遠慮のないことを口々に言ってくれる。誰が見ても私はトロいのか。働く前からへこみまくりだ。
「慣れていけばいいのよ。気にしなくていいから」
エリーシャさんはそう言ってなぐさめてくれたけれど、トロいということを否定する言葉ではなかった。彼女も、そう思っているんだな。
ちくしょうぅっ! 絶対立派に働いて、役に立つと認めさせてみせるんだから!
「じゃ、まずこれを外に出しといて」
奮起した私に課せられた最初の仕事は、ゴミを裏口に出してくることだった。
……籠、重くて持ち上がりません。引きずってっていいですか?




