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甘やかなとまり木《4》




 覚えておくとだけ答えてダヴィ卿たちを追い返したあと、私はすぐさま私室に引き返した。突然のスクープに侍女たちは落ち着かないようすだが、私にあれこれ聞いたりはしてこない。これ以上負担をかけさせまいと、気を遣ってくれているようだ。

 私はすぐにナディオを呼んだ。


「その子供が間違いなくウルディク王子の落とし(だね)かどうか、確かめよと? 真相など関係ないのでは。そんな存在を認めるわけにはいかないのですから、女の主張だけが根拠の話など取り合う必要はないでしょう」

「根拠がそれだけならば、ダヴィ卿はあんなに自信たっぷりに持ち出さないでしょう。何か証拠として出せるものを持っているはずです。それが何なのかをさぐってほしいのです」

「ふむ……さぐって、可能ならば奪ってきましょうか。それで問題は解決します」


 過激な提案に私は眉を寄せた。もし間違いなくウルディク王子の血筋なら、それなりの待遇が必要だろう。下手に闇に葬るような真似をすれば、旧派閥だけでなくあちこちから反感を買いそうだ。証拠を失ったって絶対にダヴィ卿は黙っていない。


「奪うのもひとつの選択肢ですが、まずは調べないと。場合によっては逆に利用して、向こうを追い落とす材料にできるかもしれません。単純に決めてしまわず、とにかく調査をお願いします」


 疲労を感じながら命じる。もういい加減嫌になってきた。次々問題が押し寄せて、じっさい私一人じゃ対処しきれないよ。

 てか宰相、結局ひとっ言も口を利かずに立ってただけだったよね! あの場で話に加われるのは彼だけだったのに、なんっにも言わなかった。フォローしてくれる気皆無か! わかっていたけど本当に私に対して冷たいな!

 私を歓迎できないのはしかたないとしても、ことは国の一大事なんだから協力してくれたっていいだろうに。というか、あんな話を聞いてよく黙っていられたな。驚いたりしなかったのか? ナディオと同じようなことを考えていたのだろうか。


 ……うん、なんかおかしいよね。


 目の前の衝撃に気を取られていたが、考えていると奇妙さに気付いた。そうだよ、なんで宰相は黙っていたの? 私が気に入らなくたって、職務を放り出すような人じゃない。国を思う気持ちはカームさんにも負けないほどだ。私が公妃にふさわしくないと思うのなら尚のこと、任せきりにはせず自分でダヴィ卿と話しただろう。普段はそうしている。


 ……最初から知っていた?


 なんとなく裏が見えてきた。知っていたのなら、あそこで宰相が何も言わなかったのも不思議じゃない。彼はダヴィ卿が爆弾を持ち込むことを、最初から知っていたのではないだろうか。

 それって……つまり……。


「ナディオ」


 私は改めてナディオに目を向けた。ゆっくりと微笑みを浮かべれば、なぜか彼は身をこわばらせた。


「ねえ、あなた本当に陛下の行方を知らないの?」

「…………」

「あなたを私につけたのは陛下だから、真の忠誠は陛下に向けられていると承知しています。それでもよく働いてくれていることに満足していましたが、実はあなたも私を認めることができなかったというわけですか? 私には何も話せないと?」

「…………」


 ナディオは目を伏せ気味にして、私と視線を合わせずにいた。(ひざまず)きじっとしている男を、笑顔のまま見つめる。沈黙が続いた。なかなか頑張るので椅子から立ち上がり、彼の前にしゃがみ込む。閉じた扇で顎を持ち上げ、強引に目を合わせた。無言でにっこりと微笑みを深くすると、観念した顔で目を閉じて、ナディオは懐に手を入れた。

 折り畳んだ紙片が差し出される。受け取って開けば、読むのにほとんど時間はかからなかった。そこに書かれていた言葉はごく短かった。


「ふふふ……」


 私は笑顔で紙片を握りつぶした。ああ、久しぶりに声を立てて笑ったな。なぜだか侍女たちやナディオまでが怯えているように見えるけれど、気のせいだろう。今とってもうれしいよ? すごく安心したからね。ええ、私は喜んでいますとも。

 私は侍女たちにお忍びで出かけることを告げた。ナディオは快く道案内を引き受けてくれた。






 『花咲く慈しみの園にて、愛しき小鳥の訪れを心待ちにしています』






 見慣れた流麗な文字で示されていたのは、ジーナの街外れに建つ小さな孤児院だった。素朴で古い建物を、たくさんの花が取り囲んでいた。

 植えられた木や壁を這う蔓が、いっせいに花を咲かせている。街の喧騒からは遠く、まるで童話のような風景だった。

 まだ夕暮れまでには時間があり、子供たちのはしゃぐ声が響いていてもよさそうなものだが、やけに静かだった。代わりに柔らかな音色が漏れ聞こえてくる。ギターよりも弦が多く複雑な音の、ウルルを誰かが演奏していた。

 

 私は勝手に玄関を開けて建物の中へ入った。まっすぐ奥へ行けば、食堂とおぼしき部屋がある。ウルルの調べはそこから聞こえていた。

 子供たちに囲まれてウルルを奏でる人を、窓からの光が柔らかく照らしていた。聖人画のような、清らかで慈愛に満ちた空間だった。


 ――弾いているのは甘ったるいラブソングだし、中身は腹黒のエロ魔人だけどね!


 最後の音を奏で終えると、伏せられていた長い睫毛が持ち上がり、アメジストの瞳が入り口に立つ私へと向けられた。

 驚くこともなく、ただうれしそうに彼は微笑む。私が来るのをずっと待っていたというように。


「もっとひいてー」

「あれだれ?」

「あたらしい子?」

「ねー、アヒルの歌やって」


 子供たちが口々にしゃべり出す。私に気付いて振り返る子もいた。私に会釈しながら入ってきた初老の男性が、子供たちに声をかけて外へ出るよううながす。物珍しげな目を私に向けながら、ちびっ子集団は部屋を出ていった。


「ようやくきみの顔が見られましたね。待ち焦がれましたよ」


 ウルルを置いてカームさんは立ち上がった。私は一瞬こめかみが引きつるのを感じた。


「……他におっしゃることはないんですか?」


 笑顔で尋ねれば、さらににっこりと返される。


「きみと離れてすごす日々は長く、独り寝の夜は切なかった。小さな身体を抱きしめ、柔らかな髪に頬を寄せて、全身にきみを感じながら眠れることがどれほど幸せなのか、あらためて思い知りましたよ。わたくしの小鳥、今夜は放しませんよ」

「…………」


 私はふっと息を吐き、すぐ近くにあった椅子を思い切りカームさんに向かって蹴り出した。耳障りな音を立てて床を転がった椅子に、カームさんが目を丸くした。


「珍しく乱暴なことをしますね。少々はしたないのでは?」

「私は元々こうです。アルタ辺りから足癖が悪いとお聞きになりませんでした?」

「自覚している癖ならば直しなさい。こういうことはいけません」


 カームさんは身を屈めて椅子を起こそうとした。彼が手をかけるより早く、私は再び振り上げた足を勢いよく椅子の上に落とした。


「それで、他におっしゃりたいことは? ないんですか?」


 ヤクザのごとく椅子に片足を置いたまま凄んでみせれば、カームさんは首をかしげた。


「怒っているのですか?」

「怒っていないとでも?」

「ここへ来たということは、もう事情を知っているのでしょう?」

「まだ誰にも何も聞いてはいません。ナディオを問い詰めて、あなたがここにいることを白状させただけです。一連の騒ぎがすべてあなたの自作自演だということは察しがつきましたが」

「ふふ、さすがです」


 うれしそうな顔にまたこめかみがぴきぴきする。こいつは私が本気で怒っているのを、ちゃんと理解できているのか!? 誰が怒らせたのかわかってるんだろうか。


「レジン卿の館を燃やしたのはあなたですね?」

「その言い方ではわたくしが火をつけて回ったように聞こえますが……まあ、指示したのは確かにわたくしです」

「行方不明という状況を作り出すために?」

「そう。事故や襲撃を装うよりも信じさせやすいでしょう?」


 ついでに館、すなわちレジン卿の財産を丸焼きにしてやりたかった。多少はダメージになるだろうし、公王暗殺を企んだのかと追及すれば、証拠不十分で処分にはいたらずとも世間の印象はぐっと悪くなる。旧派閥の発言力を弱めることができると、しれっと続けるカームさんに私は呆れて言葉が出てこなかった。


 よくまあ、そんな悪辣なことを平然と実行するよね。顔だけ天使だけど間違いなく中身は悪魔だ。さすがに今度ばかりはレジン卿に同情しちゃうよ。敵対勢力とはいえ今回は何もしていなかったのに、家を焼かれたうえに濡れ衣着せられるだなんて。

 深夜の大火災な割に、一人も犠牲者が出なかったのは当然だ。犯人が火事だぞと知らせて回ったのだから、そりゃ対応も早いよね。まさしくマッチポンプ。


「……それで、行方不明になればダヴィ卿が動き出すだろうとも読んでいたわけですか?」

「ええ」


 私の足を下ろさせ、カームさんは椅子を起こす。座面を軽く払い、私に座るよううながした。おとなしく従えば、カームさんも隣に椅子を引いてきて座る。私は座ったままずりずりと椅子を動かして正面に移動した。何不満そうな顔してるかな。こういう話をするのに隣り合わせってやりにくいじゃないか。


「ウルディク王子のご落胤についても、情報を入手していたわけですね?」

「ええ。常々ダヴィ卿の野心家なところが気にかかっていたのでね。おかしな動きがあればすぐわかるよう、密偵を置いて調べさせていました」


 由緒ある家柄と王族にもつながる血筋を自慢にしていたシャブリエ家だが、政治的には今いち出遅れて、これまで目立った活躍はしてこなかった。ロットル侯のように軍部とパイプを持っていたわけでもなし、身代が大きいだけで自称ご意見番の域を出ない。もっと実質的な権力を望むダヴィ卿には、それでは満足できなかったようだ。

 今思えば、ペルラ夫人が世継ぎ世継ぎとうるさく言って、カームさんに妾を持たせるべきと主張してきたのも、自分たちで用意した女性に世継ぎを産ませたかったんだろうな。そうやって影響力を持つ方法も考えていたわけだ。


 蓋を開ければよくある話かもしれない。ただ、そうした裏の動きを全て把握して、先手を打つのがカームさんだ。この人のもとに毎日どれだけの情報が流れ込んでくるのか、想像してちょっと怖くなった。


「読みどおり、ダヴィ卿はまんまと釣られてくれましたね。火災で行方不明になって何日も見つからなければ、普通死んでいると考えますもんね。今こそ切り札を出す時だと張り切って――今頃国をひっくり返してやった気分になっているんでしょうね」


 ほんの少しだけ、ダヴィ卿にも同情した。こうやって策を仕掛けられた時点で、すでに結末は確定している。


「結局、ご落胤っていうのは偽物だったんですか」


 わざと持ち出させたのは、すでに否定する材料が揃っているということだ。心配するまでもなかったかと私は肩から力を抜いたが、意外にもカームさんはうなずかなかった。


「さて、真偽は不明……まあわたくしの勘では、おそらく本物だろうと思いますが」

「え」


 目をまたたく私に、カームさんは優しく微笑む。手を伸ばしてきて、安心させるように頬をなでた。


「彼らが証拠とするものは、兄から下賜されたという指輪です。ちょっと珍しい品でね、記憶に残している者も多い。実はわたくしも覚えています。たしかに兄が持っていたものだと、証言は得られるでしょう。ただ、それだけでは兄の実子であると証明するには弱い。本人の外見も、兄にそっくりとまではいかず、似ているかもしれないという程度です。証拠として弱いことはダヴィ卿も承知していて、これまでなかなか発表できなかった。そもそもわたくしが健在であれば、兄の隠し子など持ち出しても逆に立場を悪くしますからね。どこで使うか、頭を悩ませていたようです」


 聞いていてふと私は引っかかりを覚えた。


「……そういえば、なんでダヴィ卿なんでしょう? ご落胤が保護を求めるなら、旧派閥の親玉であるレジン卿の方へ行くものでは? ダヴィ卿は旧派閥ではありませんでしたよね?」


 すぐには答えず、カームさんは入り口の方へ顔を向けて何か合図した。ここの奥さんらしい女性からお盆を受け取って、ナディオが入ってくる。私たちの前にお茶とお菓子を差し出し、彼は一礼して部屋の隅に控えた。

 せっかくなのでいただいて、ほっとひと息つく。なんか久しぶりに美味しいものを口にした気分だ。ここしばらく、何を食べてもろくに味を感じなかったからな。


「ずいぶんとやつれてしまいましたね。またほとんど食べていなかったのでしょう?」

「誰のせいだと思ってらっしゃるんですか」


 ぬけぬけと言うカームさんをにらみつける。なのに返ってきたのはうれしそうな表情だ。こいつ本当にどうしてくれようか。


「きみに不安な思いをさせたことは申しわけなく思います。ですが、そうまで案じてもらえたと知るのは、不謹慎ですがうれしいものですね」

「……今度は直接蹴られたいですか?」


 笑顔のままそっとカームさんは距離を取って、話を戻した。


「子供の母親は、残念ながら既に亡くなっていますが、なかなか賢明な人物だったようです。旧派閥に息子の存在が知られれば間違いなく利用されると考えたのでしょう。故郷にも帰らず、長く身を隠していたそうです。周りの者だけでなく息子自身にも出生の秘密を伏せていた。そうして口をつぐんだまま亡くなったので、本当に子供の父親のことは誰も知らなかったのです。亡くなったあと遺品を整理していた息子が指輪を見つけ、売ればかなりの金になるだろうと持ち出したことが発端です。幸か不幸か、たまたまそれがダヴィ卿の目についたのです」

「じゃあ、ダヴィ卿がご落胤を見つけたのは本当に偶然だったと」

「そのようですね。旧派閥とは関係のない土地へと、母親が逃れた場所がダヴィ卿の領地だったことから、めぐり巡って存在が発覚することになった。内乱当時を知る母親は、息子が権力争いに巻き込まれることのないよう願っていたでしょうに、皮肉な話です」


 他人事のように話しているけれど、ウルディク王子のご落胤はつまりカームさんにとって甥だ。いろんな問題があるとはいえ、実の甥をどうするつもりなのか気になった。


「カームさんが亡くなったなら、証拠が弱くてもごり押しでいけると思ったかもしれませんけど、こうしてご無事なんですから結局ダヴィ卿の計画は失敗ですよね。有効な決め手を欠いたままご落胤の存在を明かしてしまって、言い方は悪いですけどせっかく手に入れた駒を無駄にしてしまった」

「ええ。別にわたくしを暗殺して政権を奪おうとまで考えていたわけではないでしょうから、大きく咎めるつもりはありません。ただ、今後も彼が政治に関わる機会はないでしょう」


 ダヴィ卿から活躍の場は失われたと、カームさんはさらりと言う。本性を暴露させ、そして失態を犯させることで、ダヴィ卿の野望を封殺したわけだ。ダヴィ卿にとっては(はらわた)がねじ切れそうな話だろうが、物騒な結末にはならずちょっと恥をかいただけで終わるんだからよかったよね。マジな話、彼の目論見がうまく行く方が怖いことになっていたよ。下手したら内乱時代に逆戻りだ。だからこれでいいのだと思っておこう。


 全部聞き終えて、私はどっと息をついた。もう本当に、ここしばらくの苦労を返してほしい。結局私たちみんな、最初から最後まで全部、この人の掌で踊らされていただけじゃないか。


「……で、ご落胤の男の子については、どうなさるおつもりなんですか?」


 お茶を飲むカームさんは、目立たない服装をしていても宮殿にいる時と変わらず優雅で、静かな威厳を漂わせていた。安物のカップも質素な背景も、なんら問題にならない。どこにいてもこの人は王様だ。


「悪いようにはしませんよ。兄の実子と認められるより、間違いだったことにする方が本人のためですが、詳しくは人となりを確かめてからですね」

「直接お会いになるんですか」

「一度くらいはね。わたくしにも血のつながった甥になるのですから」


 なんでもないように言うけれど、カームさんの孤独をかいま見た気がした。両親は亡くなり、兄は自らの手で失脚させて島流し。いちばん親しくしてきた従妹も、やはり政争の結果遠ざけている。カームさんにはまともな親族が一人も残っていないのだ。表にあらわすことはないけれど、やっぱりそういうのは寂しいだろうな。

 実の家族とは二度と会えなくても、私にはハルト様やロウシェンのみんながいる。この世界で家族だと思える人たちがいるから孤独ではない。カームさんにもそんな存在を持たせてあげたい。


 ……やっぱり、お妾さんは必要だな。子供が産まれれば、ただの後継者ではなく家族ができたと喜べるだろう。カームさんに家族をあげたいと強く思った。

 ……ただ、その結果私への気持ちが薄れて、形だけの奥さんになってしまうかもしれない。それも仕方がないと受け入れられるほど、私も献身的にはなれなかった。

 胸の中で複雑な気持ちが絡み合う。無意識にうつむいていた顔を、しなやかな指がそっと持ち上げた。


「きみが悩む必要はありませんよ。どのように生まれようと、人生を決めるのは当人の生き方次第です。こちらにしてやれるのは、せいぜい道を乱す邪魔者を排除してやるくらい。そこをどう歩くかは、当人にまかせるしかありません」


 ――別に、ご落胤の行く末を案じて悩んでいたわけじゃないんだけどな。でもそういうことにしておこう。私の計画は当分内密に進めていく。


「王宮へはいつ戻られるんです?」


 気持ちを切り替えて私は尋ねた。ダヴィ卿も動いたことだし、そろそろ帰ってきてもらわないと困るんだけどな。


「数日中には。ダヴィ卿はせっせと宣伝して回っているようですから、じきに主立った貴族たちに話が知れ渡るでしょう。そうなってから、効果的に姿を現してやりますよ」


 楽しそうにカームさんは言う。意地が悪いなあと思いつつ、その時のダヴィ卿とペルラ夫人の顔を想像して私もちょっと楽しみになってしまった。さんざん嫌味言われてきたんだから、このくらい許されるよね。


「行方不明の人がいきなり現れたら、なんで今まで無事だと知らせなかったんだって言われますよ」

「そんなもの、命を狙われているようなのでこっそり帰ってきたと言えば済むことです」


 私の頬に口づけながら、カームさんは悪びれずに言う。ていうか、いつの間に近付いた? あまりにもナチュラルに接近してくるから意識してなかったよ。

 向かいに座っていたはずが、隣に移動してきて私を抱き寄せている。久しぶりのぬくもりと花の香りに、うっかり流されそうになるのをぐっと踏みとどまった。


「じゃあ、ご無事も確認できたことですし、そろそろ私は戻ります。あまり長く留守してはいられませんので」


 さらに密着しようとする身体を冷たく押し返して立ち上がる。説明したからって全部解決したと思うなよ。それはそれとして、私の怒りはまだ消えていないんだからね。

 立ち去ろうとする私の手を握り、カームさんはその場に引き止めた。


「大丈夫ですよ、あとのことはプラートがうまく片付けてくれます。きみも骨休めしてはいかがです? ここの管理人たちはわたくしの古い知人でね、十分に信頼がおけます。このようなところにいるとは誰も気付きませんから大丈夫、最高の隠れ家ですよ」


 宰相の名前を出されて、また私のどこかがぷちぷちいった。そうだよね、宰相もグルだったんだよね。だからダヴィ卿が来た時も余裕かましてたんた。知らなかったのは私だけですか。ふーん。


「侍女たちを心配させますし、いろいろ放り出したままでは気になって落ち着きませんから」

「内密に連絡させますから。ね? せっかく久しぶりに顔を合わせたのに、そうつれなくしないでください、いとしい人」


 甘い声を出しながら、強引に手を引いて私を膝に座らせる。抵抗する暇もなく唇が重なった。

 勝手なことばかり、と腹を立てても、わき上がってくる幸福感には勝てなかった。この腕を、この唇を、泣きたいほどに待っていたの。きっと無事でいるだろうと信じながら、それでも万一を考えずにはいられなかった。一人で眠る夜は寂しすぎて、一人で目覚める朝には失望しかなかった。もしこのまま帰ってこなかったらと、日増しに不安は大きくなるばかり。毎日祈る思いですごしていた。


 寄り添う身体が、混じり合う吐息が夢ではないとたしかめたくて、自分からも腕を伸ばしてしまう。安堵と喜びにこれまでの辛い気持ちが全て溶かされて、腹を立てていたのもどうでもいいような気分になりかけた、その時だった。


「あー、ちゅーしてる」


 甲高い子供の声が響いて、私は我に返った。


「ちゅーだ」

「いちゃいちゃしてるー」


 カームさんも気付いて顔を上げる。振り向けば、窓の外に小さな顔がいくつも並んでいた。

 連れ出されたはずの子供たちが、裏庭から覗き込んでいた。ああ、子供の好奇心を忘れていた。そうだよね、知らない人が来たら気になるよね。ていうか室内にナディオもいるんだっけ。あんまり静かで気配も殺しているから、うっかり存在忘れていたよ。見れば必死に知らん顔で目をそらしている。ごめんね見せつけて。TPOわきまえずに色気出したのはカームさんだから!


「なんでちゅーしてるの」


 無邪気につっこんでくる子供に、カームさんは余裕の笑顔で答えた。


「最愛の人を前にして、ただ言葉を交わすだけでは想いがあふれすぎて収まらないからです」

「子供相手に何言ってんですか!?」


 突き飛ばしてやりたいのに力に負けて拘束から抜け出せない。抵抗する私と笑いながら抱きしめるカームさんを不思議そうに眺める子供たちに、ようやく管理人の男性が駆け寄ってきた。


「こらみんな、お邪魔をしちゃだめだよ。向こうへ行こう」


 焦る彼を無視して、子供の一人がさらに大きく声を張り上げる。


「ヘンタイだ!」


 とんでもない発言に、一瞬大人たちが固まった。


「こ、こら、何言って」


 小さな指はまっすぐにカームさんを指差していた。


「だって先生言ってたよ? 子供に手を出すヘンタイがいるから気をつけなさいって」

「いやっ、あの方は違うから!」

「あー、ヘンタイかあ」

「ヘンタイだー」


 変態ヘンタイと合唱が始まる。さすがにカームさんも笑顔がそこはかとなく引きつっていた。ザマミロ、と言ってやりたいが言えない。自虐ネタにしかならない。

 ……いまだに私は小学生に見えるのか。たしかにね、お忍びで出てくるためスッピンになって、髪を下ろして膝丈の地味なワンピースに着替えたけどさ。しかし子供の目にも子供と見えるのか。それじゃ変態呼ばわりされても仕方ないよね! くそう。


「……とにかく、今日は帰ります」


 今度は簡単に拘束から逃れられて、私は立ち上がった。少し残念そうな顔をしながらも、カームさんは止めなかった。


「続きは城に戻ってからですね」

「そうですね」


 ため息まじりの言葉にうなずいて背を向ける。そう、まだ追及したいことが残っている。キスで全部ごまかせたと思うなよ。


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