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甘やかなとまり木《1》 ※カーメルルート前提




 ――わたくしの小鳥、とあの人は呼ぶ。






「歌ってください、わたくしの小鳥」


 ふと時間が空いた穏やかな午後。あるいは就寝前のくつろぎのひととき。

 おしゃべりをするでもなく、心地よい静けさを楽しんでいる時に、彼はお気に入りの楽器を取り上げては望んでくる。

 結婚して一年近く経つけれど、一人で歌わされるのはまだちょっと恥ずかしい。私は眉をひそめて、読んでいた本から顔を上げた。


「えー……またですか」


 カームさんは手遊びのように軽く弦をつまびきながら、そのまま絵になりそうな美しい微笑みを浮かべた。


「また、ではなく、今宵も、ですよ。明日も、あさっても、その先も――きみと共にすごす日々毎日に、その愛らしい歌声を響かせていただきたい。わたくしの人生に舞い降りた小鳥、どこへも飛んでゆかず、この枝で歌い続けてくださいね」


 いや、あなたの方がよっぽど歌ってますから。

 この天然ポエマーめ。普通に考えて寒い台詞なのに、美しすぎる容姿とフェロモンボイスのせいで、なんかアリかもしれないという気分になってしまう。他の人間が口にしたら黒歴史間違いなしなのに。

 弦が軽快に鳴って歌をねだる。私はため息をついて、今日は何を歌おうか考えた。もう思いつくかぎりの歌をうたってきたから、そろそろネタ切れなんだけどなあ。

 いや、ストックがないこともない。でもここはやっぱり、ムードのある曲を選びたい。ロックだの演歌だのネタソングだのは場違いじゃないか。


「……どれがいいんですか?」


 すぐには思いつかなかったので、リクエストを取ることにした。お気に入りの歌を選んでもらおうと思ったのに、その手には乗らないとばかり微笑みを深くされる。


「まだ聴いたことのない、新しい歌がよいですね」

「もう歌い尽くしましたよ」

「そう? まだまだ知っていそうなお顔ですが?」


 席を前から隣に移し、面白そうに覗き込んでくる。私は口をとがらせて、花の香りを押し返した。


「雰囲気を壊すような、変な歌をお聴きになりたいんですか? 私の故郷にはいろんな音楽があって、こっちの人には絶対になじめないようなものもあるんです。そういう歌を、ここで歌いたいとは私も思いません」

「そう言われると、逆に興味がわいてきますね」

「ちゃんと伴奏がないから無理。伴奏ありきの歌ばっかなんです」


 ぷいと顔をそむけた瞬間、いい考えが浮かんだ。すぐに振り返り、私はカームさんに笑顔を見せた。


「そうだ、今日はカームさんが歌ってください」

「――わたくしが?」


 花のかんばせがきょとんとなる。ふふん、と私はほくそ笑んだ。


「ええ、たまにはそちらも歌ってくださいな。故郷の歌ばかりでなく、この国の歌も覚えたいです。教えてくださいませ、旦那様」


 そっちばっかり要求するのはずるいでしょ。たまには私にもおねだりさせてよとお願いすると、カームさんはくすりと笑いをこぼした。


「そのように言われては、応えないわけにはいきませんね。では、最愛の妃がわが国にもっとなじんでくれるよう、今宵はわたくしが歌を捧げましょう」


 姿勢を正して楽器を構え直す。しなやかな指先がいつものように楽を奏で始める。こぼれ出す優しい旋律にじっと耳を傾けていると、そこへ静かな歌声が重なった。

 甘くやわらかな声が耳をくすぐる。しっとりした響きは、歌う時さらに艶を増すのだと知った。紡がれる(ことば)は恋人を慕うもの。今すぐあなたを抱きしめ、口づけたい。もう二度と離れることはないと、約束をくれますか……。


 絵も上手ければ演奏も上手な旦那様は、当然歌だってお上手なのだと知りました。この甘ったるい歌を、色気ダダ漏れのフェロモンボイスで歌われると破壊力が半端ない。思わずうっとり聴き惚れてしまう。でもアメジストの瞳がじっと私を見つめているものだから、なんだか落ち着かなかった。じわじわと顔が熱くなってくる。今さら何照れてるんだろうね、結婚してから一年も経つのにさ。


 でも、ああ、本当にいい声。私なんかに歌わせるより、この人の歌の方がよっぽどいいじゃない。扉の向こうで女官や侍従が聞き耳を立てているのが、気配でわかった。その気持ちはわかる。録音できないのが心底残念だ。この歌声は録音して何度でもくり返し聞きたいよ。そう思う傍ら、ライブだからこそのよさも感じていた。目の前の人へ――私へ向けて歌ってくれる、彼の想いが伝わってくる。ちょっと恥ずかしいけれど、速いリズムを刻む胸は温かかった。


 なんて贅沢で幸せな時間だろう。今この時だけは、公王も妃もない。私たちは、ただの奥さんと旦那様。世界のすべてを忘れて、ふたりだけの時間を楽しめる。とても当たり前でささやかな楽しみに思えるけれど、奇跡によって導かれた幸せだ。出会うはずのなかった人。生まれるはずのなかった想い。それがこうして、手の中にある。不思議で、幸せな、今だ。

 余韻を残して歌と旋律が終わる。私はほう、と息を吐いた。


「もっと早くお願いしていればよかった……これまで聴かせていただけなかったのが恨めしいほどです」


 私にばっかり歌わせてさ。本当にずるいよねと思いながら言えば、カームさんは楽器を脇へ下ろして私を抱き寄せた。


「なかなかなびいてくれなかったきみに、これほど効果があると知っていたならば聴かせていましたよ。歌に弱かったとはね……こちらこそ、もっと早く知りたかった。さんざん苦労させられたわたくしの方が、恨みごとを言わせていただきたいですよ」


 触れるほどに唇を寄せて、耳元で囁く。吐息がかかってくすぐったい。笑いながら押し退けて離れようとしたのに、やけに強く抱き寄せて放してくれない。と思ったら、どんどん身体ものしかかってきて、そのまま長椅子の上に押し倒されてしまった。


「……ちょっと、カームさん」

「お望みどおり、歌って差し上げましたよ。次はきみの番です」

「え、やっぱり歌うの?」


 なんだよ、今日は聴くだけだと思ったのに。


「わたくしの可愛い小鳥、きみのさえずりを聴かせていただかねば、心地よい眠りは訪れません」


 ……いや、ちょっと待って。この体勢で歌うって、さえずりって、それってつまり。

 ほんの少しかすめるくらいの距離で唇が肌を滑っていく。耳の下を柔らかく舐められて、ぞくりと身体が震えた。

 思わず私は身じろぎした。


「まだ早すぎませんか? そんな時間じゃ……」

「ええ、夜明けの女神が袖を広げるまで、まだたっぷりと時間があります。存分に歌っていただきましょう、わたくしの小鳥」


 夜明けまでって、一晩中する気!? 無理だから、そんなに元気ないから! 明日もお仕事あるし! てかそっちこそなんでそんなに元気かな三十路のくせに!

 扉の向こうの気配が、あわてて退散していった。気付けば早くも服がはだけられ、中へ忍び込んだ手が背中を撫でている。だめだってば、背中弱いんだから!


「ちょ、くすぐったいから、それやめてって……」

「くすぐったくしているのですよ」


 いっそう艶を増した声が耳元で笑う。私が身悶えするのを楽しむように、指先が素肌の上で旋律を奏でる。熱くなる吐息を奪われたあと、唇と舌はゆっくり下へと辿っていった。

 もう……本当にこのエロ魔人、どうにかして。


「せめて寝室へ行ってから!」


 夜に鳴くならば不如帰(ホトトギス)小夜啼鳥(ナイチンゲール)か。今宵も翻弄されるばかりな時間のはじまりだ。






 外国の大使夫妻主催のお茶会から帰る道、私は止まらないあくびを扇の陰に隠していた。どこぞのエロ公王のおかげで、すっかり寝不足だ。


「お疲れさまです。本日のご公務はこれで終わりですから、お部屋にお戻りになりましたら、ごゆっくりお休みくださいませ」


 随従の侍女が優しくいたわってくれる。気持ちはうれしいけれど、何のせいでお疲れなのかばればれだから恥ずかしくていたたまれない。向けられる笑顔が生ぬるく感じるのは被害妄想だろうか。


「ゆっくりできるといいんですけど……」


 ため息まじりに答えると、侍女たちはくすくすと笑った。


「陛下は視察にお出かけですから、晩餐までお顔を合わされることはありませんでしょう」

「夜に備えて少し仮眠を取られては?」

「料理長に、晩餐には精のつくものを頼んでおきましょう」


 ……いや、そんなあからさまな提案しないでくださいお願いだから。ほっといたら怪しげな精力剤とか出して来られそうで怖いよ。

 王族ってプライバシーないよね。私生活が周囲に筒抜けってどうにかならないんだろうか。贅沢な暮らしを民はうらやむけれど、両方経験した身としては、気楽な庶民暮らしの方が絶対いいよ。


 正門をくぐってからずいぶん走って、ようやく馬車は停まった。侍女の手を借りて降りる。目の前には壮麗な宮殿がそびえ、背後には広大な庭園がひろがっていた。規模は大きくても個々の建物はこぢんまりとし、周囲を山の緑が取り巻いていたエンエンナ宮とは大違いな眺めだ。この、どこもかしこも豪華な宮殿風景を、大分見慣れた自分に感心する。根っからの庶民なつもりだったけど、人は環境に順応するものだ。

 護衛の騎士たちとはここでお別れだ。宮殿内ではまた別の騎士が護衛してくれることになっていて、すでに扉のそばでスタンバイしている。彼らの労をねぎらって中へ入れば、いくらも歩かないうちに嫌な相手に行き合ってしまった。


「これは公妃様、ごきげんよう。今お帰りにございますか」


 昼間っからキンキラキンに飾りたてたおばさまたちが、私に気づいて挨拶をしてくる。うげえと舌を出したい内心は隠し、私も丁重に挨拶を返した。降嫁した王族女性や有力貴族の奥方だ。身分はこっちが上になるとはいえ、おろそかにできる相手ではない。


「ごきげんよう。そちらもお集まりでしたか。今日はお天気もよく、お茶会日和ですね」

「ええ、本当に」

「花も見頃で、よい季節ですわねえ」


 中身のない会話がにこやかに頭の上をすべっていく。身形や口調がおセレブなだけで、やっていることは近所の人と変わりない。ようするに暇なおばちゃん達が集まって井戸端会議をしていたわけだ。会場がコミュニティセンターか宮殿かっていう違いなだけ。

 そして、おばちゃん集団が若い嫁に会ったなら、言い出すことも決まっている。


「公妃様は毎日ご公務を頑張っていらっしゃいますのね。ご立派ですこと。お輿入れから一年近く経ちましたし、少し慣れていらっしゃいましたかしら?」

「まだ周りに助けられてばかりですが、なんとか」

「そうですの、それはようございますわね」

「まあ、ご出身を思えば最低限のことをしていただければ十分ですが、いちばん大事なお務めは……なかなか、ですわねえ?」


 ねっとり笑顔でさっそく嫌味が繰り出される。言われるのは予想していたので、私は特に動じなかった。


「ご公務に慣れるのに時間がかかるのはかまいませんけれど、お世継ぎはあまり時間をかけられましてもねえ。国中が待ち望んでおりますのに」

「小耳に挟んだところでは、陛下はとても熱心にお励みあそばしているとか。それでできないなんて、不思議ですわね。何か問題があるのではございませんこと?」

「公妃様は少々お身体がお弱いそうですし、もしかしてお世継ぎを望むのは難しいのでは」

「ペルラ夫人、公妃様に向かってお言葉が過ぎるのでは」


 私の後ろに控えた侍女が、顔色を変えて踏み出してきた。侍女とはいえそれなりに位の高い貴族の娘だから、胆も据わっている。私への侮辱は許さないとおばちゃん達に食ってかかってくれる。けれど私は閉じた扇で彼女の前を遮り、下がるよう目線でうながした。

 悔しそうな顔で渋々従う侍女たちを確認したあと、私はおばちゃん集団に向き直る。


「失礼しました。心根の優しい者たちで、私を気づかってくれるのです。許してやってくださいな」


 キンキラおばちゃんは、フンと鼻息で笑って流した。私に攻撃したくて話しかけてきているんだから、侍女なんてほとんど眼中にはないだろう。


「ええ、周りの者が気を遣うのはよく理解できますわ。むしろ気の毒に思います。なかなかお世継ぎができないのは世話をする者がいたらないせいでは、などと言う者もおりますものね。とばっちりで非難されて可哀相なこと」

「公妃様のことも、お気の毒に思っておりますのよ。お身体のお弱い方に、あまり無理強いするのもねえ。ご公務は頑張っていらっしゃるのですから、いっそお世継ぎ問題は他の方にお任せしてもよろしいのでは」


 子供は他の女に産んでもらえってか。すごい提案されているようだが、普通の夫婦の話じゃないからな。公王の場合子作りも一種の仕事と言えるから、この意見は非常識というほどでもなかった。

 ――個人的な感情は別としてね。

 多分いちばん言いたかったのはこれなんだろう。他のおばちゃんもそうだそうだと乗ってきた。


「公妃様も重荷に感じておいででしょう? まだかまだかと催促されたところで、できないものは仕方ありませんものねえ」

「別に、珍しい話でもございませんし。陛下ご自身も、お母君は先代のご正室ではございませんでしたからね」

「ロウシェン公の養女とはいえ、もとは素性もはっきりしないお生まれですし。そんな公妃様がお産みになる御子よりも、由緒正しいお血筋から次代様が誕生される方が、皆も安心しますわ」


 私が黙って聞いているものだから、おばちゃんたちも言うことにどんどん遠慮がなくなる。侍女たちが目を吊り上げて、今にも飛びかかりそうな雰囲気になっていた。こらえてよ。ここで大ゲンカとかまずいから。どんだけいけすかない意地悪ババアでも、身分だけは高い連中だ。下手な真似をしたらこっちが立場を悪くする。

 わなわなと身を震わせながらも、彼女たちは必死にこらえていた。私のために怒り、私のために我慢してくれている。その気持ちに主として報いなければならないのだけれど、さてどう反撃したものか難しいね。


「お生まれはともかく、今はリヴェロの公妃様なのですから、そのお立場にふさわしい行動をしていただきませんとね。陛下にご進言するのは、公妃としての義務にございましょう?」


 私から妾を作れとカームさんに言えってか。笑顔で威圧してくるペルラ夫人に、私は薄い笑みで返した。


「必要と判断なされたならば、誰に何を言われずとも陛下ご自身でお決めになるでしょう。あの聡明な方が、人に勧められなければ動けないとでも?」

「それはもちろん、公王様のご判断を疑うものではございませんが、ロウシェンに対して遠慮せざるを得ない事情もございますからねえ」


 相手も負けていない。肉付きのよい顔が形ばかりの笑みを作る中、細められた目が不気味なほどの迫力をたたえて私を見据えていた。


「正妃をないがしろにしているなどと、こちらの事情を無視して抗議されては困りますし。そうした問題が起きないように、公妃様が率先して動かれるべきでは?」

「まあ、ペルラ夫人は陛下だけでなく、我が父ロウシェン公のことも軽視しておいでですのね」


 私は呆れたという表情を作り、扇を開いてわざとらしくため息を隠した。


「事情を汲み取ることもできず、身内感情だけで口を挟んでくると思われているのですか……そう思われるような、愚昧なふるまいをしたことなど一度もないはずなのですが、なぜ疑われるのでしょうね。悲しいこと」


 公王たちを馬鹿にするのも大概にしろよと言外に告げれば、ペルラ夫人はむっと一瞬笑顔を引っ込めた。この小娘生意気な、と言わんばかりだ。


「まあ、お務めも果たせないのにお口だけはご立派ですこと。そうまでおっしゃるのなら、公妃様もご異存はないと受け取ってよろしいのですね? リヴェロの末永い繁栄のため、何が必要とされているのか、ちゃんとわきまえておいでですね?」

「もちろん」


 扇をずらし、私は笑顔でうなずいた。


「陛下がお決めになりましたなら、文句など言いません。問われもせぬのにしゃしゃり出て、差し出口を叩くような真似はしませんが、陛下から望まれたなら従いますよ。当然のことです」


 出しゃばりババアと暗に皮肉りながら答えれば、通じたのかどうか、夫人は尊大にうなずいた。


「そう、おわかりなら結構です。そのお言葉、ゆめお忘れになりませんように」

「心します。皆さんのお言葉も一言一句胸に刻み、今後の参考とさせていただきましょう。陛下とともに真摯に考えていくことをお約束します」


 とりあえずしおらしげに返事しておく。カームさんにチクるぜという意味に受け取るかどうかは、彼女たちの勝手だ。こんなのいちいち報告する気はないけどね。でも本当にチクられたらどうする気なんだろうと、ちょっと呆れる気持ちもあった。いくら有力貴族とはいえ、まともに王の不興を買うのは避けるべきだろうに。

 会釈をして私はその場を離れる。おばちゃんたちが満足そうにしているか、腹立たしそうにしているか、確認はしなかった。どちらであっても心地よいわけではなかったので。


 あれしか思いつけなかったけれど、正直自分では満足できる返しじゃない。夫の愛情にすがり、夫の権威を頼みにしているだけ、と言われたら反論できない。私自身の力で彼女たちを黙らせたわけではないのが情けなかった。

 でも、今の私には黙らせる力なんてないからなあ。優れた血筋でもなく世継ぎも産めない妃なんて、価値を認めてもらえない。こっちの世界じゃそういう問題に配慮すべき、なんて意見は出てこない。女性の人権とか言われる社会じゃないからね。

 まあ、現代日本でも子供のできない夫婦は何かと嫌な思いをさせられるらしいから、根っこの部分は一緒なんだろうな。


「なんという無礼なことでしょう。公妃様に向かってよくもあれだけ言いたい放題! いくら王族のお血筋とはいえ、思い上がるにもほどがあります!」


 ようやくおばちゃんたちが見えないところまで来ると、たまりかねた調子で侍女たちから文句が噴き出した。


「宮廷のご意見番を気取って、勝手な口出しを。あまりに僣越なお言葉に耳を疑いましたわ。あちらこそ、立場をわきまえるべきでしょうに」

「公妃様、このことは陛下にお伝えして、きちんと罰していただきましょう。自国の公妃を軽んじるなど、断じて許されるべきではございません」


 私は足を止めないまま、首を振った。


「言いません。あなたたちも陛下には何も言わないようにね」

「なぜですか!? あの方たちは不敬罪で投獄されても文句を言えないほどですよ!」

「我慢なさる必要はありません! あんなの、うんと厳しく罰して思い知らせてやればいいんです!」


 エキサイトする侍女たちの後ろで、護衛の騎士たちがなんともいえない表情を見交わしていた。女同士の陰湿なケンカを目の当たりにして、さぞドン引きしたことだろう。美人も良家の奥様も、実はこんなもんですよ。あまり夢を見すぎないようにね。


「誰もがあなたたちのように怒ってくれて、ああいう意見はごく一部の例外だというなら、それもありなのですが」


 若いだけに感情にストレートな侍女たちを、私は笑顔でなだめた。


「でもじっさいのところは、ペルラ夫人の意見に賛同する人の方が多いと思いますよ」

「そんな!」

「けしてそのようなことは!」


 とっさに否定してくれるけれど、きっと彼女たちも内心ではわかっているはずだ。あそこまで露骨に言ってくる人は少なくても、陰で批判している人はたくさんいる。そもそも私が公妃になることを、何の抵抗もなく歓迎してくれた人の方が少ないのだ。いくらロウシェン公の養女とはいえ、素性のはっきりしない女を公妃に迎えるのは、プライドの高いリヴェロ人たちにとって不満が多かった。


 そんな状況の中、痛いところを突かれて腹を立て、有力貴族の奥方を処罰なんてしたらどうなるか。誰にも同情なんてしてもらえない。きっとさらに反感を買い、陰口だけでは済まなくなる。

 つまりは保身のため、我慢せざるを得ないということだった。私だってできれば反撃してやりたいけれど、こればかりは仕方がない。じっさい子供ができないのだから、妃の務めを果たしていないと言われてもごめんと頭を下げるしかない。


「しかたのないことです。あなたたちがそうやって、私のために怒ってくれるだけで十分なぐさめられます。ありがとう」


 お礼を言うと、侍女たちは悲しそうな顔をしていた。おばちゃんたちのイビリにはいちいち傷つかないけれど、私のせいで周りの人に嫌な思いをさせてしまうのは申しわけなかった。私が王子を産みさえすれば、みんな堂々と胸を張っていられるのにね。

 部屋へ帰り着くと、晩餐まで休むことを周りに告げた。眠いし疲れた。ちょっと休まないと身がもたない。

 化粧を落とし、着替えて布団にもぐり込む。静かに休めるよう、侍女たちは控えの間にさがってくれた。

 ひとりになって、目を閉じる。そうすると、どうしてもさっきのやりとりを思い出してしまった。


 まだ結婚して一年足らず。ペルラ夫人のようにせっつく人もいるけれど、ほとんどの人はそう深刻に問題視していない。けれどこの状態が続けば、きっと批判の声は高まるんだろうな。

 ペルラ夫人の言葉は、実は的を射ている。私、元々生理不順なんだよね。サイクルが一定していない。環境の変化でストレスを受けたせいか、こっちの世界へ来てからはさらにひどくなって、初めの頃なんて完全に止まっていた。今でもたまにまるっと一ヶ月飛んだりする。そういえば前回はいつだっけ。また飛んだのかな。


 こういったことが無関係だとは思えない。多分、私は本当に子供ができにくい体質なのだろう。

 異世界人だから子供ができないという可能性は、一応排除しておく。祖王たる瀬戸さんは、ちゃんと子孫を残した。日本人とこの世界の人との間に子供が作れると証明されているので、原因はあくまでも私個人にあるのだと思う。


 長年の偏食がいけなかったのかなと、頑張っていろいろ食べるよう努力しているけれど、身体はすぐには強くなってくれない。相変わらず熱を出しやすいし、疲れやすい。不順も治らず。

 身の回りの世話をする侍女たちも気付いているはずだ。だからなおのこと、ああした言葉に反応してしまうんだろうな。

 カームさんはどう思っているんだろう。毎晩のように私を抱くのは、やっぱり早く世継ぎがほしいからなのかな……。


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