めぐる季節
汚れてもいい木綿の服にエプロンをつけて、大きな桶を持ち上げる。野菜や穀物がたっぷり入った桶は、ずしりと重かった。手に提げて歩くのは辛いので、胸の前で抱える。それでも長くは歩けないけれど、目的地はすぐ近くだから大丈夫。
「おはよう、リアちゃん」
一の宮の隅に作られたばかりの小屋へ向かえば、中にいた若い飛竜が私を待っていた。
餌箱に桶の中身を移せば、すぐ食べにくる。大分おなかが空いていたようだ。リアちゃんがごはんを食べている間に水入れを持ち出す。外で洗って新しい水で満たし戻れば、早くも餌箱は空になっていた。
「ずいぶん急いで食べたわね。そんなに腹ぺこだった?」
話しかけても、リアちゃんはあまり反応しない。私のことはただの世話係としか思っていないようで、主人を相手にするようななつこさは見せない。
水を少し舐めたあと、さっそくリアちゃんは外へ出たがった。私は彼女が出られるよう、両開きの扉を全開にした。
「今日はいいお天気だから、空のお散歩は気持ちいいでしょうね。でも夜には帰ってきてね」
私の言葉を聞いているのかいないのか、ばさりと翼を広げたリアちゃんはすぐに飛び立ってしまう。いつものことだ。一日のほとんどを、彼女は外へ出て山のどこかで過ごしている。飛竜隊の隊舎やふもと近くに姿を現すこともあるらしい。戻ってこない主人をさがし、待ち続けている。それでもここがねぐらであることは理解しているようで、日が暮れる頃にはちゃんと帰ってくるから、私たちは彼女の好きにさせていた。
メイはかならず帰ってくる。でもそれはまだ先のこと。あと三回春を迎えるまで、ここで一緒に待とうねと私はいつも彼女に語りかける。どこまで理解してくれているかな。毎日メイを探し回っている姿は切なくて可哀相だけれど、私には語りかけることしかできなかった。
山へ帰ってしまうのでもなければ飛竜隊から離れないわけでもない。ちゃんとこの新しいねぐらに戻ってくるのだから、多分わかってくれているのだろうと信じて。
さて、住人が出かけたので小屋の掃除だ。寝に戻るだけだからリアちゃんはあまり汚さないけれど、ダニがわいたら困るからね。古くなった寝藁をかき集めて床をきれいに掃き、餌箱も洗って干した。しばらく小屋の中にたっぷり新鮮な風を送り込んでから、乾いた新しい藁を敷きつめる。夕方帰ってきたリアちゃんが、気持ちよく眠れるように。体調を崩さないかぎり、毎日の掃除は他人にはまかせず私がしていた。
メイと約束したもの。三年間、私がリアちゃんをお世話するのだ。
遠い北の空の下にいる友へ祈りを送る。私たちはここで待ってるよ。だからメイも、きっと元気に帰ってきてね。
今日は体調がいいし、特に予定もないので、もう一頭竜を訪ねることにした。
二の宮から出て少し下りたところにある、竜の飼育舎へ向かう。
ここは騎士団で働くことができなくなった竜を保護し、世話するための施設だ。単に年をとっただけの竜は、リアちゃん同様ねぐらにしているだけで昼間は好きに行動しているが、怪我や病気で動けない子もいる。私は後ろ脚に障害を負った地竜の部屋を訪れた。
「こんにちは」
顔を見せれば、ディンは立ち上がり私を迎えてくれる。不自由な脚を引きずって、ゆっくりとこちらへやってくる。
「よう、見に来てくれたのか」
部屋の中には先客がいた。ディンの後ろから現れた大男が、やはりこちらへやってくる。
「こんにちは。アルタも来てたんですね」
「ああ、ちょっと仕事が一段落ついたんでな。今日は天気がいいし、少し外へ出してやろうかと思ってたところだ」
「出られるんですか?」
目の前に迫る顔をなでてやる。アルタも横からディンのお腹をぽんぽんと叩いた。
「庭に出る程度だがな。ずっと部屋にこもってて平気なのは嬢ちゃんくらいだ。こいつだって、天気がよけりゃ外へ出たがる」
私たちは庭につながる扉を大きく開いて、ディンが出られるようにしてやった。アルタに励まされながら、ディンはゆっくりゆっくり外へ出る。暖かい日射しをあびて、気持ちよさそうに草の上に伏せる。私たちもその近くのベンチに腰を下ろした。庭には他にも、竜の姿があった。
今現在、飼育舎にいる竜は地竜と飛竜あわせて十一頭だ。うち、老齢の竜が九頭。ディン以外にもう一頭、まだ若いけれども動けない竜がいる。
「オール君の具合はどうなんでしょうか」
私は扉が閉ざされたままの部屋へ目を向ける。病気の地竜を見舞ったことがあり、その主の騎士とも知り合った。彼は懸命に相棒を看病しているが、地竜は日に日に弱っていくようだった。
アルタがなんともいえない息を吐いた。
「かわいそうだが、もう無理だな。今日いっぱい、もつかどうか」
「……治らないんですか」
アルタはだまって首を振る。怪我ならまだ治療のしようもあるけれど、病気の場合難しい。元の世界では動物にも高度な治療が行われていたけれど、ここにはレントゲンもエコーもないし、効き目の高い薬もない。手術もできない。たとえば腫瘍ができたりした場合、原因不明なまま死ぬのを待つだけだ。
それは人間も同じだ。この世界の平均寿命は、けして高くない。多分私も、あまり長生きはできないだろう。
そういう世界に生きている人たちはにとっては当たり前のことで、しかたがないと受け入れている。でも高度な治療を知っている私には、目の前で弱っていく竜に何もしてあげられないのがもどかしく、かわいそうでならなかった。
「竜は滅多に病気にならないんだがな……たまにこういうことがあると、つらいな」
アルタは竜の主である騎士の方を憐れんでいるようだった。卵の時から大切に見守り育ててきた相棒を失う騎士は、どれだけ悲しいだろうか。
しばらくして、建物の中から人の声が聞こえた。悲痛な叫び声だった。何が起きたのか、嫌でも悟らされる。アルタは息を吐いて立ち上がり、飼育舎の中へ戻っていった。
私は行けなかった。辛い現場を見たくない。見たら、きっと泣いてしまうから。
ディンのそばに残って、大きな身体に頬を寄せる。小鳥がやってきて、ディンの背中にとまった。それをうるさげに追い払うこともせず、静かにディンは目を閉じている。鼻先を蝶がひらひら飛んでいた。
明るい季節。生き物たちが歌い、命を謳歌する季節。
その片隅で、命を終えるものたちもいる。そうして世界はめぐる。生まれては死に、何度も季節はめぐっていく。
山の端に夕日が消えかける頃、リアちゃんは小屋に帰ってきた。ご飯をあげたあと、お湯でしぼった布で身体を拭いてあげる。今日はどこまで行ってきたのだろう。ずいぶん疲れていたらしく、拭いている最中に寝入ってしまった。
竜を失った騎士が退役したと聞かされたのは、それから十日ほどあとのことだった。
私は少し体調を崩していた。熱はないのだけれど、ひどくだるくて起きているのが辛いのだ。もう三日ほどそんな状態が続いていた。
「他の症状はないのか? 腹の調子はどうだ?」
お見舞いに来てくれたイリスが私の額に手を置いて尋ねる。大丈夫、と私は答えた。
「ただだるいだけ……そういう時期なんでしょ」
「時期って」
「お母さんもそんなことがあったって言ってたわ。私がまだ小さかった頃、ものすごくしんどくて辛い時があったんだって。何かの病気というわけでもなく、ただ体調不良が続くっていう……よくわからないけど、そういう時があるんでしょ」
「病気じゃなければいいんだけど」
イリスは心配そうな顔だ。私にだって断言はできないし、変な病気だったら嫌だけど、だるい以外特に問題はないしねえ。たとえば癌ならめまいがしたり体重が急激に減ったりするらしいけれど、今のところそういう症状もないし。
ちなみに病気以外でこういう状態になるパターンもひとつ知っている。でもそっちの可能性は皆無なので除外だ。私はまだキヨラカです。
「暑くなったり冷えたり、このところ気候が不安定でしょ。その影響もあるんだと思う」
「食事はちゃんとしてるか?」
「ええ。お肉も魚も食べてるわ」
「……月のものは?」
私は無言で微笑み、そばの本を持ち上げてイリスの頭を殴った。当然角を使った。女の子に向かってなんてことを尋ねるんだ。
「そういうのも大事だろ。おめでたじゃないかって言うやつもいるし」
頭をさすりながらイリスがむくれる。
「つまり、私が誰か他の人と浮気しているんじゃないかって疑っているわけね」
「いや、違うちがう! そんなつもりじゃなくて! ……そうだよな、何もしてないのにできるわけないよな」
なんだ、まさかキスで子供ができるとか思っていたんじゃないだろうな。二十五の男がそんなピュアなこと言っても気持ち悪いぞ。
……ああ、でも、そうか。
「ひょっとしたら、それが原因かも」
「えっ」
思い当たって言った私に、イリスがぎょっとした顔になった。
「心当たりがあるのか!? え、まさか、本当に誰かと……」
私はもう一度本を振り上げる。
「女性の身体は繊細なのよ」
「……はい」
さっきより力を入れたので、イリスは本気で痛そうだった。
「そういう時期に体調が悪くなることもあるの。病気じゃないけど、ものすごく辛いのよ」
「あ、今ちょうど?」
三たび本がうなる。今度はかわされた。ちっ。
「ちがうけど、多分もうじき」
ああもう、これ以上言わせるな。無言でにらみつける。
さすがにこちらの気持ちを察したか、イリスはそれ以上突っ込んでこなかった。
「……本当に、病気じゃないんだな?」
「断言はできないけど、違うと思う」
もともと私は不順な方で、重いのだ。前回から数えて一ヶ月以上経過しているし、この不調はおそらく前兆なのだろう。
病気の可能性がうすれて、私自身ほっとした。ここではちょっとした病気でも命取りになりかねないから、原因もわからず具合が悪くなるとひやりとする。
そしてこの間の地竜のことを思い出した。あの子も、現代日本でならちゃんと治療されて助かったかもしれないのに。
そういえば、主人の騎士はどうしたのかな。
気になってイリスに尋ねてみる。他の隊のことなので知らないかもと思ったが、イリスはちゃんと知っていた。
「彼は退役したよ。竜を失った騎士は、たいてい退役する。希望すれば他の隊へ移ることもできるんだけど、やっぱり竜騎士であることにこだわるからな。相棒がいなくなって、自分ひとりでやっていく気にはなれないみたいだ」
「そう……」
竜騎士にとって竜はただの家畜でなく、己の半身と言ってもいい存在だ。半身を失うのは、騎士生命を失うのと同じなのだろう。
「そういえば、竜って何年くらい生きられるの? 飛竜隊も地竜隊も、けっこう若い人ばかりよね? それってつまり、竜の寿命が短いってこと?」
普通は寿命を迎えて死ぬわけだから、年長の竜と騎士から抜けていくことになる。現役の騎士のほとんどが二十代から三十代であることを考えると、竜の寿命はあまり長くなさそうだ。
「普通の動物にくらべれば長い方だけど、そうだな、人よりは先に死ぬな」
イリスは私の予想を肯定した。
「個体差があるけど、大体のところ飛竜が三十年くらい、地竜は四十年くらいだな」
「……それなら、四十代の騎士とかもっといそうよね?」
十代で竜を得ても、引退まで三、四十年としたら、もう少し年齢層が上がりそうなものだが。
「いや、決まりがあるんだ。竜が元気でも、飛竜は二十五歳まで、地竜は三十五歳までしか働かせない。イシュは今九歳だから、あと十六年だな」
十六年――たったそれだけか。その頃イリスは四十代に入ったばかり。働き盛りに竜騎士の身分を失うことになるのか。
「まあ騎士なんて体力勝負の仕事だし、そのくらいでいいと思うぞ」
イリスはけっこうあっけらかんとしていた。期限のある身分だとはじめから承知の上で、気にしていないと言う。退職金もあるので、早くに退役しても騎士が暮らしに困ることはないらしい。それもあって、退役を選ぶ人が多いんだろうな。
「僕の前のサリード隊長は、四十代半ばで退役されたな。地竜隊のラガン隊長は竜騎士になるのが遅かったから、六十に近かったらしいけど」
「ちょうど代替わりの時期だったから、イリスやトトー君みたいに若い隊長が誕生したわけね?」
「まあ……先輩たちを差し置いて、とは思ったけどな」
イリスは苦笑する。騎士の世界は単純な年功序列ではないから、そういう人事もありなのだろう。
「最初からジェイドを選んでくれればよかったんだ。そうすりゃ、僕のせいでもめることもなかったのに」
「そのジェイドさんは、あなたを隊長に戻してくれと署名を集めてハルト様に提出したわよ」
ハルト様から聞いたことを教えると、イリスは頭を抱えた。
「あいつは……いい加減あきらめてくれればいいのに」
「まだ時期尚早じゃないかって意見もある一方で、戦で功績を立てているし、これだけ部下たちから望まれる人物なんだから、やっぱり指揮官にした方がいいんじゃないかって意見もある。ハルト様も悩んでいらっしゃるわ」
「あれからまだ一年も経っていない。今僕が隊長に復帰したら、形だけの処分だったのかって追及されるぞ」
「じっさい形だけの処分だしねえ」
イリスを竜騎士のままでいさせるための降格処分だったのだ。ハルト様もアルタも、イリスを守る方向で考えていた。
「どうしたものかって相談されたから、戻してもいいんじゃないかってアドバイスしておいたわ」
「……おい」
「オリグさんも同意見よ」
私の個人的な希望を言ったわけではない。状況を考えて答えたまでだ。
「時期が早いというけどね、アンチにしてみたらたとえ五年後十年後でも許す気はないと思うわよ。もとから竜騎士に反発していて、機会があれは攻撃してやろうと狙っている人たちだもの。一度ポカをして降格させられた人物をもう一度隊長にって話が出れば、絶対に反対して騒ぎ立てる。だったら遠慮しても無駄でしょ。戦の記憶がまだ新しいうちに、功績を理由にした方がやりやすいんじゃないかしらって話をしたの」
「ずっと復帰はなしって選択肢はないのか」
「イリスはそれを望むの?」
私個人の希望を聞かれるなら、どうでもいいと答える。私はイリスが隊長だから好きになったわけじゃないし、本人が望まないなら無理強いしたくもない。たとえ飛竜騎士全員が懇願しても、イリスの望みをかなえる方が私には重要だった。
でも、もともと若い身で隊長職を受けたのだ。嫌がる気持ちはないんじゃないのかな。
「……ジェイドにも十分指揮官としての能力はある。何も問題ないんだ……けど、こんな状態が続くのはよくないってわかってるよ」
騎士たちはイリスを隊長に望むし、今でもいちばん頼りにしているのはイリスだ。隊の中に隊長がふたりいるようなもので、統制に影響が出そうだし、ジェイドさんも居心地が悪いだろう。
イリスもそれはわかっている。隊長に戻るべきという気持ちと、でもそれは許されるべきでないという気持ちの板挟みになって、悩んでいる。
多分、今彼に必要なのは、背中を押してくれる手なのだろうな。
「私からイリスにひとつ、条件を出すわ」
「条件?」
いきなり何を言い出すのかとけげんな顔をする彼に、私にしか言えないことばを伝える。
「アンチに付け入られるようなポカを、二度としないこと。隊長として立派に勤め上げること。それが約束できないなら、結婚しないから」
「えええ!?」
がたりと椅子を鳴らして彼は身を乗り出す。私はベッドの上でつんとあごをそびやかした。
「同じ失敗を何度もくり返したり、それをおそれて尻込みするような男じゃ、頼りなくて旦那様にはできないわ。なんでここで、挽回しようって奮起しないのよ。周りがお膳立てしてくれてるのに、いつまでもぐずぐず言ってたら見捨てるからね」
「言いません捨てないで!」
必死の形相でイリスは私の手を取る。どこまで本気でやってるんだか。
本当はお前が言うなって話なんだけどね。私こそ、同じ失敗をくりかえしている。多分これからも、いろいろ失敗するのだろう。
でも今は棚上げだ。イリスの背中をどーんと突き飛ばさなければ。
「頼れる旦那様でないと困るのよ。頼りない人を引っ張っていけるほど、私に力はないんだから。約束してくれないなら、結婚の話はなし」
「約束します。だから結婚しよう今すぐしよう」
「三年後に考えるわ」
「なんで三年後!?」
悲鳴のような声を上げるイリスから顔をそむける。いや、笑いそうになっているのがばれないようにね。でもそうしたら、窓の外に大きな影があることに気付いた。
「……イリス」
「三年も待てない! せめて三ヶ月後!」
「何がせめてよ普通結婚準備なんて一年くらいかけるものでしょうが。じゃなくて、ねえあれ誰かしら」
「一年なんて! ――え、誰だって?」
私が見る方をイリスも見やる。首をかしげた彼は、立ち上がって窓辺へ行き、カーテンを開いた。
強い日射しが頬に照りつけ、まぶしさに顔をしかめる。手をかざしてよく見ると、バルコニーにいたのは若い飛竜だった。
「……リアちゃん?」
イシュちゃんかと思ったら、リアちゃんだった。私はベッドから下りて窓へ駆け寄った。
バルコニーへ出ても、リアちゃんは逃げなかった。そこにお座りしたまま、私を見下ろしている。
「どうしたの」
今までここへ来ることなんてなかったのに。ここにメイがいるかと思って来たのだろうか。
でもリアちゃんは、ずっと私を見ていた。メイの姿をさがすようすはない。うしろから歩いてきたイリスが、私の肩に手を置いた。
「ここ数日、世話を人に頼んで行かなかったんだろう? だからきみがどうしたのか、心配して見に来たんじゃないかな」
――そうなの?
私はリアちゃんに目を戻す。好き好き光線は出ていない。彼女はただ静かに、私を見返すばかりだ。リアちゃんが慕うのはメイ一人だけ。主だけを、ひたすらに待っている。
でも私のことも、仲間くらいには思ってくれているのかな。
私は手を伸ばし、リアちゃんの首筋をなでた。
「ごめんね、ちょっと具合が悪くて行けなかったの。明日はかならず行くからね」
お世話以外でさわっても嫌がらない。喜ばないけれど、拒絶もしない。それが今のリアちゃんの気持ちなんだな。
私の言葉がわかったのか、元気な姿を見て得心したのか、リアちゃんはすぐに飛び立って行った。なんだかうれしくて、姿が見えなくなってもずっとバルコニーに立っていたら、イリスにいきなり抱き上げられてしまった。
「ほら、寝台に戻ってやすまないと」
「病気じゃないんだから大丈夫よ」
「たぶん、だろ? やっぱり病気だったらまずいじゃないか」
強引に連れ戻され、ベッドに寝かされる。かと思ったら、そのままイリスがのしかかってきた。
「ちょっと」
「どうしてきみは平気で僕を焦らすんだろうな。もういっそ、結婚せざるを得ない状態にするしかないかな」
そんなことを言って顔を寄せてくる。あごや耳の下にくちづけられて、くすぐったさに身が震えた。
「やめて。病気かもって言いながら、そういうことするの?」
「だいじょうぶなんだろ?」
「……今しても子供はできないからね」
イリスの身体に腕を突っ張って、うんと押し退けようと頑張る。でも彼は意地悪な笑顔を見せて、私の上からのいてくれなかった。
「へえ、ずいぶん詳しいみたいだな」
「ちょっと、もう本当にやめてよ」
寝間着越しに彼の手が背中をさまよう。やだもう、背中弱いのに。くすぐったいってば!
「そういう顔されると、本気でこのまま僕のものにしたくなるんだよな」
のどからあごへ、そのまま唇へ、ぬくもりが伝ってくる。深く口づけられて、身体から力が抜けていく。私の抵抗が弱まると、ますますイリスの手は大胆に動きはじめて、もうどうしたらいいのかわからなくなる。
本当に絶対に嫌ってわけじゃないんだけど……。
好きな人だもの。結婚まで考えている相手だもの。そうなったっていいとは思うんだけど……。
でもこのまま流されてしまっていいんだろうか。こんな流れではじめてを迎えるのは、なんだかいやだと思ってしまう。
そんなふうに考えるのは堅すぎる? こういうのは勢いで決心してしまうもの?
どうしよう……。
……あ――
「――いっ!」
力いっぱい振り上げた足が、イリスの下腹にヒットした。男にとっていちばんやばい場所は外れたけれど、けっこう痛かったらしく彼はお腹を押さえてうめく。
「なんだよ……そこまでしなくても」
文句を言う彼を、しかし私は問答無用で押し退けついでにベッドから蹴り落とした。
「ちょっ……チトセ」
「出てって! 今すぐ出てって!」
私に拒絶され、彼はざっと青ざめる。
「え、いや、あの――ごめん、ちょっと悪ふざけがすぎたな。本気じゃなかったんだ。ごめん、謝るから……」
「さっさと出てって! 誰か! イリスを追い出して!」
私の声を聞きつけて女官たちが駆け込んでくる。うろたえるイリスが追い出されるのを確認するや、私は衣装箪笥に飛びついた。必要なものを取り出してトイレへダッシュ。急げいそげ、今なら汚さずに済む。
――タイミングがいいんだか悪いんだか。
もちろん詳しい説明なんてしたくなかったから、イリスは無理強いして私を怒らせたと思ったままだった。ま、それでいいんじゃないのかな。やっぱりああいうことは、お互いの気持ちがきちんと盛り上がってからだよね。結婚に持ち込むための手段にするなんて、許しちゃいけない。
私の機嫌を取ろうと甘いお菓子をたくさん持ってきたので、キスだけは許してあげたけど。
イリスの隊長復帰が発表されたのは、それより少しあとのこと。
私は変わらず毎日リアちゃんのお世話に通う。彼女も一日中どこかへ出かける生活は変えない。淡々とした関係だけれど、だんだんそれも心地よくなってきた。
リアちゃんの大事な人はメイだもの。私になつく必要はない。ただ、一緒に待つ仲間とだけ認めてくれればいい。
地竜隊は三年に一度の新人募集を開始した。いくつもの試験を経て、最終試験に挑む候補者が選ばれる。竜の卵を求めて山へ入っていく彼らを、トトー君やアルタと一緒に見送った。挑戦者の半分も成功しないと聞いているけれど、せめて全員生きて戻ってほしい。
「そういえば、もうひとつ疑問に思っていたことがあるんだけど」
ふと思い出して尋ねてみる。
「なに……?」
「竜より主が先に死んでしまった場合は、どうなるの。そういう竜も、飼育舎でお世話されるの?」
必ず竜が先に死ぬとはかぎらない。主人以外になつかない竜が残されてしまった時どうなるのか、リアちゃんを見ながら考えていた。
トトー君は首を振った。
「いや……主を失った竜は、山へ帰るよ」
「解放してあげるの?」
これにも否定が返ってくる。
「竜をとらえておくことはしないし、できないよ……主がいなくなってしまったら、竜は自分の行きたい場所へ行く。姿を消して、もう戻ってこないんだ」
「竜は賢いからな。主が死んだことを、ちゃんと理解するんだ」
アルタも言った。竜が人の社会にいるのは、そこに主がいるからだという。じゃあリアちゃんは、メイが帰ってくるってことを、ちゃんと理解しているのかな。
どこへ行っても夜にはかならず戻ってくる。あそこで待つんだってことは、わかっているんだね。
あと三年。長いようだけれど、きっとすぐだ。さみしくても、待っていようね。きっとメイは、今よりもっと立派な騎士になって帰ってくるから。いろんな話をお土産に持ち帰ってくれるから。
カル君がやってきてトトー君にじゃれかかる。地竜に体当たりされたら人間なんてひとたまりもない。トトー君はうまく受け流しつつ、同時に躾も行う。竜にとっては好意でも人間には危険だから、ふざけないよう教え込む。
空を見上げると飛竜が一頭飛んでくる。イリスのお迎えだ。今日はこれから、久しぶりのデートだ。先日のお詫びもかねて、何かプレゼントを用意してくれているらしい。
今日は夏至の日。私は、十八歳になった。
***** めぐる季節・終 *****
騎士団の竜について本編中であまり語られなかったので、スポットを当ててみました。
設定資料集とかいって箇条書きにするよりも、物語の中で読んでいただいた方がいいかな、と。
竜騎士が若いのは、実はこんな理由だったんです。まあそれでもイリスとトトーは若すぎますが。




