はたらく王女さま 《5》
いつものように仕事を終えて、外へ出る。今日は考えることが多くて、身体より精神的に疲れた。
店長にはまだ話していない。先にハルト様と話し合ってから決めるべきだろうと考え、保留にした。でもハルト様とどう話し合うかも、悩むところだ。
私に自覚がないのがいちばんいけない、とトトー君に言われた。自分の立場を正しく理解してさえいれば、働いていてもかまわないのだと。でもそれならどういう立場なのかと、詳しく聞くことはできなかった。
仕事中でゆっくりできなかったのもあるが、そこは自分で考えろという意味もあると感じられたからだ。
王女としての自覚……そんなものが自分に必要になるなんて、かつての生活からは想像もつかなかったことだ。
これが漫画とかなら、将来政略結婚をするだの身分にふさわしい教養と気品が必要だの、お約束なパターンがあるけれど、今の私にどれだけ当てはめられるのだろう。少なくとも、政略結婚はないはずだし。
単なる保険としか思っていなかった肩書が、急に重く感じられる。もしかして、私はなんとしてでも養子縁組を断るべきだったのだろうか。でも私のためにとハルト様たちが考えてくれたことだったし、すでに決定事項として伝えられただけで私の希望なんて通る余地はなさそうだった。
今さら元には戻れない。受け入れた以上、責任を持って向き合うしかない。
でもそれ以前に理解もできないんじゃ、どうしたらいいんだか。
「チトセ」
視線を落としてとぼとぼ歩いていると、声をかけられた。表通りに出たところで、イリスが待っていた。
あれだけ面子が揃ったのに、彼は店に来なかったんだよね。ザックスさんも来なかったけど、あの人の性格を考えれば当然だ。冷やかしに来るような人ではないし、今日も真面目に仕事をしているだろう。でもイリスが来なかったのは意外で、不思議に思っていたらここで会ったか。
「ずっと待っててくれたの? お店に来ないからよっぽど抜けられない仕事があるのかと思ったわ」
近付いていくと、イリスは苦笑した。
「いや、僕まで入ってったら収拾がつかなくなるんじゃないかと思って」
「とっくにカオスだったわよ」
私も苦笑する。普段いちばん能天気なイリスにこんな気遣いをさせるだなんて、今日の他の人たちの行動がいかに突飛だったかという話だ。
「そうか、なら行けばよかったな。正直、チトセがどんなふうに働いているかはちょっと興味あったんだ」
「普通よ」
並んで歩き出す。じっさいにイリスが店に来たら、それはそれでひと騒動だろうな。どうやらこの街で竜騎士はちょっとしたアイドル扱いらしく、イリスのように目立つ容姿の人はとりわけ注目されている。トトー君も最近背が伸びて大人っぽくなってきたから、女の子たちに騒がれているそうだ。
彼氏しか目に入らないミモティさんはともかく、コリーさんは騒ぐだろうな。イリス目当てに女性客が押しかけたら、かなり迷惑な事態になりそうだ。
「うん、やっぱり来ないで。来ても追い返す」
「冷たいな……」
「他の女の子に見せたくないの。独り占めさせといて」
半分以上冗談のつもりで言ったのに、そんな言葉でたちまち機嫌がよくなるからわからない。ミモティさんたちを笑えないかも。傍から見ると私たちもバカップルなんだろうか。
護衛の人はイリスが先に帰したらしい。この間のようにイシュちゃんの元へ行ってすぐ宮殿へ帰るのかと思ったが、イリスは別の道へ私を連れて行った。
「どこ行くの?」
「ちょっと紹介したいとこがある。ハルト様たちへ何を贈るかは、もう決めたのか?」
「……ううん」
力なく首を振ると、イリスは笑顔で背中を叩いた。
「ならよかった。決めかねてるようすだったから、こういうのはどうかなって目をつけたのがあるんだよ。ほら、あそこだ」
示されたのは、小さな建物だった。ショーウインドウもなく、店という雰囲気ではない。ドアの上に小さな看板が出ていて、そこには「ジャクラ工房」とあった。
「なんの工房?」
「入ればわかるよ」
イリスは扉を開いて私を中へ入れる。六畳ほどもなさそうな狭い室内に棚がならび、箱や装飾的な置物が陳列されていた。
いちばん多いのは箱だ。手の平に乗るようなものからひと抱えもありそうなものまで、さまざまな種類がある。ほとんど飾りもなく木を組み立てただけの簡素なものもあれば、絵を描いた上にニスか何かで艶出し加工されたものや、ビロード張りの高級そうなものまであった。
ちょっとおしゃれな雑貨を作っている工房だろうか。
「いらっしゃい……おや? 騎士様ですか。うちにどういったご用で?」
奥からおじいさんに近いおじさんが出てきた。イリスを見て客ではないと思ったらしく、少し緊張した顔をみせる。安心させるように、イリスは笑いかけた。
「いや、調査とかじゃないから。この子に商品を見せてやってくれないか」
「へえ、どうぞ」
奥が工房になっているのだろう。おじさんは前掛けをしている。小柄で細く、柔和な感じだけれど、職人さんらしく手はごつごつしていた。ここに並んでいる品は、全部このおじさんが作ったのだろうか。
「ここって直接買いつけできるの? こういうとこは、小売店に卸すのが専門じゃないの?」
棚に並んでいる品は、他の店でも買えそうなものばかりだ。わざわざここへ来た理由は何だろう。
「自分の希望を伝えて、それに合った品を作ってもらうんだよ。贈り物用に注文する人がほとんどじゃないかな」
イリスの言葉におじさんがうなずいている。オーダーメイドのお店なのか。なるほど、それなら納得する。並んでいるのは商品見本というわけだな。
「お祝いのメッセージでも入れてもらうの?」
「ああ、それはもちろんやってもらおう。でも本題はそこじゃないよ」
いたずらをしかける時のような楽しげな顔で、イリスは手近の箱を手にとった。何か確認した後、私の目の前でふたを開いてみせる。
――そういうことか。
何を言われずとも理解した。これでわからない人はいないだろう。
ふたが開いたとたん、その場に澄んだ音が流れ出した。オルゴールだ。こちらでは「歌仕掛け」と呼ばれている細工物だ。
ここはオルゴール工房だったのか。
「楽譜さえ用意すれば、好きな曲を歌仕掛けにしてもらえるんだ。以前おふたりのために君が歌った、あれを作ってもらったらどうかな。きっとすごく喜ばれるよ」
「……イリス天才」
驚いた。目の前の空が突然晴れ渡り、天から光が降り注いできたような気分だった。いったいどんなものにすればいいのかとさんざん悩んでいたのに、こんなにあっさり素晴らしい提案をしてくれるなんて。
人前じゃなければ抱きついて感謝を示していたところだ。キスもおまけにつけてあげる。すごい、これいい、絶対いい!
王宮にあるような金銀宝石を使われた芸術品じゃない。でも世界に唯一の、私からふたりへ向けたお祝いの曲だ。十分付加価値はある。元が乙女ゲームのエンディングテーマだとか、そこは気にしない。普通にいい曲なんだから。
「カエル土偶だけじゃなかったのね。ちゃんとまともなセンスも持ってるんじゃない。見直したわ」
「……それ、ほめてる?」
「もちろんよ。ありがとう。すごくいいアイデアだわ。絶対これにする……って、おいくらかしら……?」
注文するのはいいが費用が問題だ。オーダーメイドなんだから普通より高くなるはずだ。私はおそるおそるおじさんの方を振り返った。
おじさんは見本をあれこれ示しながら、値段のランクについて説明してくれた。やはり大きいものの方が長いフレーズにできるそうだ。オルゴールの構造を考えればそこは当然と納得する。でも大きくなればなるほどお値段は上がる。箱の装飾などによっても変わる。サンプルを見つつ、私はどの程度なら手が出せるか計算した。
「どうだ?」
「……今現在買えるのは、この辺りね」
いちばん小さくて箱の装飾もない、最低ランクを示す。今日までのお給料では、これ以上のものは買えない。
「仕事は月末までだろ? もっと出せるんじゃないのか」
「予定どおりに働けばね……でも、続けられるかどうか、わかんなくなったし……」
喜んでいた私が急に勢いを失ったので、イリスは不思議そうな顔をした。とりあえず検討してからまた訪れるとおじさんに告げて、その場は店を出る。
「続けられないって、どうしてだ? あんなに頑張るって息巻いてたじゃないか。熱も出さなかったし、まだやれるんじゃないのか」
イリスが気にしていたのは私の体力についてだったので、続けられるとわかってからは特に反対されていなかった。こうしてあらためて話すと、むしろ応援する側に回ってくれたのがわかる。他のことについてはどう考えているのだろう。一旦広場で腰を下ろし、私はトトー君との会話を話した。
「護衛が必要だなんて思っていなかったの。ほとんど馬車で移動しているし、明るいうちに帰るし。ハルト様にも何も言われなかったから、そんな手配されてるとは思わなかった」
「うーん……」
イリスは頭をかきつつうなる。
「そこはたしかにトトーの言うとおりかな……まあ君の気持ちもわかるけど、護衛は必要だよ」
「そんなに危険な状況なの?」
「そうじゃなくて」
少し考え込んだあと、イリスは言う。
「ええと……今日さ、ハルト様たちが店に来られた時、君はどう思った?」
「どうって」
「あの方々が街に下りて普通に歩き回ることを、だ」
おしのびに対してか。暴れん坊将軍とかローマの休日とか、そんなイメージだけど。
「……まあ、正体は気付かれないようにしないといけないわよね」
「うん、なぜ?」
「……混乱が起きそうだし、もしおかしな人間がいたら危険だし」
「そうだな」
でも私が街を歩いたって、同じ状況にはならないと思う。
「ハルト様たちはわかるけど、私が誰かって聞いても、みんな気にしないんじゃないの?」
「なんでさ。王女が街に来ても驚くだろ」
「まがいものの王女よ?」
「そこだよな」
何かひとりで納得している顔で、イリスはうなずく。そこってどこだ。偽物と言ったことがいけないのか? そりゃあ書類上は正式な王女だけれど、王家の血なんて一滴も引いていないのに。
「君の認識は、育った環境から来るものなんだろうな。たしか身分制度がない国だって言ってたもんな」
「身分や血筋にこだわるのは、こっちの常識でしょ。それをふまえて言っているつもりだけど」
元の世界にもそういう意識を持つ人たちはいたけれど、一般的には薄れつつある価値観だ。私はこっちの人が気にしそうなことを取り上げたつもりだった。
「うん、だから……ええと、君の国には身分差がなかったから、上の人間に対しても言いたいことが言えたってわけだろ?」
「……そうね」
よほど逸脱した、個人への侮辱とならないかぎり、表現の自由は保証されていた。首相を批判しても皇族を批判しても法的に処罰されることはない。週刊誌なんて見出しを見ているだけでも好き勝手な書き方だったものね。
「それと情報が広く出回って、下々の民でも政治に詳しかったりする。そういう社会では、王の取り決めについても民があれこれ話すようになるんだろうな」
「こっちではちがう?」
「違うね。王の行動に対する議論なんて、民のすることじゃない。せいぜい税金に文句を言うくらいで、それ以外は自分たちの考えることじゃないって認識だよ。そもそも詳しい情報なんて出回らないし」
「…………」
「基本的に上の決定は絶対って認識だ。ややこしい事情なんか気にしたってしかたがない。よくわからないけど王女ができたらしい。王様の子供じゃないけど、そういうことになったらしい、で終わりだよ」
「そんな簡単な話なの?」
アバウトだな国民。いいのかそれで。自分とこの王家なのに、もうちょっと気にならないのか。
「民にとっていちばん大切なのは、目先の自分の生活だ。それがおびやかされないかぎり、王族が一人増えようがどうしようが、大した問題じゃない」
「…………」
「民から見ると、君は立派に王族だということは理解できたかな?」
まだ半分納得いかない気分のままうなずく。そんなに無条件に受け入れていいのかという思いがあるものの、この世界の人にとっては普通の認識なのだということだけは、どうにかわかった。
「よし、じゃあ次。貴族や役人といった、ちょっと立場が上の人間だ」
「うん」
「平民よりは得られる情報も多いし、自分の身の振り方にも関わってくるから、まるきり無関心ということはない。君が言ったように血筋を気にする人間もいる。でも王の決定は受け入れるという点については、民と変わらない」
……それは、公然と逆らうわけにはいかないからであって、心情的に認められるのとは別ではないのだろうか。
私の抱いた反論を読み取ったか、イリスは肩をすくめた。
「どういう感情を抱くかは人それぞれだな。でもたいていの人は認める方向に向いているよ。というのも、あえて反対するほどの問題が君にないからだ」
「ない?」
平民出身ということは、問題にはならないのだろうか。
「はじめに継承権を与えないと言った時点で、そこは解決しているんだよ。女であることも大きいな。自分で家を興すのではなく、どこかへ嫁ぐわけだから、王族としての身分は一代かぎりの話だ。だったら、重視する必要はない」
……そういうものか。
ふむ――王族の名を持つ新しい家系が増えるのではなく、私個人に与えられた身分にすぎないから、影響は小さいと判断されたわけだな。
ひょっとして、イギリスのナイトみたいなものだろうか。あれもたしか一代限りの称号だったはずだ。
「君の素行によっぽど問題があるとかなら話は別だが……以前はそういう誤解からもめたけど、今となってはむしろ功労者として称賛されている。素行を理由に反対する者はいない」
あれか。どこぞの参謀室による聖女説か。恥ずかしいの通り越して痛いばかりで、私はもう考えたくもないのだが。
思わず顔をゆがめてしまうと、イリスは少し笑った。
「龍によってこの地へ導かれ、人々を平和へ導いた聖女……ちょっと出来すぎな話ではあるけど、じっさいに戦場での姿も見られているし、王族として迎えることを人々に納得させる材料にはなる」
私はため息をついた。現実を知らずに噂だけ聞いていれば、そういうことになるのだろう。噂される当人のいたたまれなさなんて、誰も知りはしない。
おかげさまでもう魔女呼ばわりされることはなく、国内が分裂するおそれもなくなった。参謀室の功績は大きい。そこには感謝しているが……。
オリグさんたちは、絶対面白がって噂を流したよね。やるならせいぜい派手な噂に仕立ててやれと、おもいきり盛りまくったよね。そういう人たちだよ知ってるよ。
甘い匂いのする屋台を引いた物売りが通りがかったので、イリスが呼び止めて買ってくれた。鈴焼きのような一口サイズの焼き菓子で、まだ温かかった。疲労と空腹にとてもありがたい。砂糖より蜂蜜の味を強く感じた。おいしい。
温かい包みをかかえてモグモグする私に、イリスは続きを聞かせる。
「もともと王族に生まれついた人々へ対する認識と同じではないけど、君は君でちゃんと認められているよ。それなりのいきさつがあって、王が正式に定めた以上、臣として従うのは当然だ。相応の礼をもって君に接する。反感を隠し持ってる連中がいるとしても、大きな声では言えずにせいぜい仲間内で陰口を叩くくらいだ。それくらいしかできない少数派だ」
「んー……(モグモグ)」
「というわけで、貴族たちにとっても君は王族だ。さて、質問は?」
鈴焼きを食べながら私は首をひねる。イリスが手を伸ばしてきたので、少しだけ分けてあげた。たくさん取ったら嫌だよ。
「……で、結局護衛の必要性は?」
「それはわかってるはずだぞ。ハルト様やユユ妃が護衛をつけずに出歩くなんて、君も考えないだろう。何が起こるかわからないし、どういうところで狙われているかもわからない。十分に用心しないと、本人たちが危ないだけでなく周りの人間にも迷惑だ」
「……私もなの?」
平民からも貴族からも王族として認められている以上、私も狙われる可能性があるのか。もう戦は終わり、魔女疑惑も払拭し、表舞台にはほとんど顔を出さなくなっても、それでも危険はつきまとうのか。
「用心と言ったろ。念のためだよ。じっさいに何か心当たりがあるなら、もっと厳重な警護がつくし、そもそも働きに出る許可なんて下りないよ。特に問題が起きているわけじゃない。それでも、完全に無防備に出歩くことはできない。そういう立場になったんだってこと。わかった?」
「…………」
普通のサラリーマン家庭に生まれ、名門私立へ通うこともなく地元の公立校に通っていた。成績はいい方だったけれど、全国レベルでなら埋没する程度。運動は苦手で常に帰宅部。趣味はゲームと漫画とアニメ。カラオケがちょっとだけ得意で、その他特技はなし。
そんな佐野千歳はもういない。あの事故で、船とともに海に沈んでしまった。ここにいる人間は、もう別の人生を生きている。
どこかで、まだ受け入れたくない気持ちが残っていたのかもしれない。自分がまったく違う立場になることを、認めたくなかった。これだけ周りの環境が代わり、いろんなできごとがあり、私だって変わらずにはいられなかったのに、往生際悪く目をそらしている部分が残っていた。王女と呼ばれようとどうしようと、私はただの佐野千歳だと。
トトー君にも現在から目をそらすなって言われたね。いつまでも過去にしがみついていないで、今の私を認めないといけないんだ。
「王族か……」
あきらめと、反省と、覚悟と。さまざまな想いがため息とともにこぼれ出す。名前だけだなんて言っていちゃだめなんだな。そう呼ばれる以上、ふさわしい意識を身につけないといけないんだ。
ハルト様をお父さんと思い、ここで暮らすと決めたのは私だ。自分で決めたことには責任を持たなければいけない。なのに嫌なことだけ否定していたから、トトー君に叱られたんだ。あいかわらず私は、わがままだったんだな。
「なんとなく、わかった気がする……急にちゃんと意識できるとは思えないけど、努力する」
イリスを見上げると、優しい微笑みのうなずきが返ってきた。
「でもそれなら、バイトは続けていいの? 王族ならそういうことは、しちゃいけないんじゃないの?」
「王族だってばれなきゃいいだろ。ハルト様が許可されたんだからかまわないさ」
「護衛の人に申しわけないんだけど」
イリスは笑いながら私の背中を叩く。うながされて立ち上がり、また歩き出した。
「騎士に護衛をさせて申しわけないって言うのは、あの店の客が君に料理を運ばせてごめんって言ってるようなものだよ。それが仕事の人間に対して、申しわけなく思う必要なんてない。まあ、突飛な行動をしないようには心がけてほしいけど、君に関してはそういう心配はほぼ必要ないしな」
そういうものか。
「あとでちゃんと紹介しよう。どういうやつがついているか、知っておいた方がいいだろう」
「竜騎士なの?」
「いや、近衛騎士だ。ひょっとしたら、見覚えくらいはあるかもな」
王宮警護の騎士なら会えばわかるかもね。でもこっそり後をついてきていたことには、全然気付かなかった。
イリスのおかげで抱えていた悩みが解決した。新たに考えなければいけないこともできたけれど、気持ちは軽い。贈り物についても素晴らしい提案をしてくれたし、なんだか今日のイリスは頼りになるな。
いや、いつもは頼りないって思っているわけじゃないよ。もちろん頼りになるアニキだ。ただ、頭を使う難しい問題ではあまりあてにならないと思っていただけだ。
なんてことはもちろん口に出さず、私は感謝の気持ちだけを伝えた。オルゴールに着目したことも、うんとほめちぎる。敬意と感謝を大盤振る舞いしたら、たちまちデレてくるんだから単純だな。どこかで旦那は上手にほめて使えとか目にしたっけ。普段きつめな自覚はあるから、ここはめいっぱい持ち上げてご機嫌取っておこう。
「役に立った?」
「ええ、とっても。やっぱりイリスがいちばん頼りになるわ」
「ふふん、惚れ直した?」
「ええ、大好きよ」
「もう一回言って」
「大好き。世界でいちばん、イリスが好きよ」
「じゃあ今すぐ結婚しよう」
「それとこれとは別の話」
十分ほめたからもういいよね。調子に乗り出したら打ち止めだ。
なにやらぶーぶー言うのは無視して、私は暮れ始めた空の下、両親の待つ王宮へ帰った。
「はじめはこんな子が続くのかと思ったが、よく頑張ったじゃないか。ほら、今日までの給料だ。ご苦労さん」
店長がお金を渡してくれる。この世界で、はじめて私が稼いだ自分のお金だ。なんだか予想以上に感動してしまった。
「ありがとうございます。お世話になりました」
お金をにぎりしめ、店長と店のみんなにも頭を下げる。今日でこの仕事もおしまいだ。病欠していた人が明日から復帰する。
「お疲れ。まあ猫の手よりは役に立ったわ。あの面白いご両親に、しっかり親孝行しなさいね」
コリーさんの言葉はほめ言葉だと受け取っておこう。
「今日で終わりか、あっという間だったな。また来なよ、ティトは真面目だからいつでも歓迎するよ」
「ウィルナが戻ってくるんだからその必要はないわ。お疲れさま、元気でね。ケイのは社交辞令だから真に受けないでね」
ミモティさんは相変わらずのヤキモチ焼きだけれど、まあふたりで幸せになってください。ついでに私にも婚約者がいることを言っておこうか。少しは安心できるかな。
「ティトに婚約者!? 嘘だろ、口説こうと思ってたのに……」
向こうでなんか驚いているバーリーさんは、当分彼女募集中だな。お客さん口説いてまた店長に怒られないようにね。
「贈り物は決まったの?」
エリーシャさんに聞かれて、私はうなずいた。イリスの提案でオリジナルの歌仕掛けに決まったと報告する。
あのあと王宮の楽士に手伝ってもらって楽譜を作り、注文したのだ。ランク的には中の下くらいだけれど、きれいな模様のある箱を選んだ。今日、これから受け取りに行く。
「ちょいお待ち! これ持ってきな!」
テルマおばさんが追いかけてきて、私に籠を押しつけた。まだ温かい包みが入っている。
「なんですか、これ」
「山鳥のパイだよ。あんた結局食べなかっただろ。婚約者がいるんなら、もっとしっかり食べるんだね。こんなほっそい腰じゃ、子供を産めないよ」
お尻の上をバシンと叩いて見送られる。おっかないけど世話焼きなおばさんだ。お礼と挨拶をして、私は外へ出た。
「お待たせしました」
外で待っていた近衛騎士を伴い、ジャクラ工房へ向かう。工房のおじさんはちゃんと用意をしてくれていた。私に仕上がりを確認させた後、化粧箱に入れてリボンまでかけてくれる。騎士がパイの籠を持ってくれたので、私はオルゴールの箱を大切に抱えて王宮へ帰った。つきあってくれたお礼に騎士にパイを一切れあげて、残りは厨房へあずける。今夜はちょっとしたパーティだから、メニューが増えても問題ないだろう。私のお疲れさまパーティという名目で、お父様たちには内緒のサプライズだ。
「熱も出さずによく頑張ったな。いつの間にか、そなたも大分強くなっていたようだ」
お父様がこの一ヶ月の頑張りをほめてくれる。そうね、自分でも自分をほめてあげたい気分だ。あんなにしんどかったのに、結局倒れなかった。ここへ来たばかりの頃より、ずっと強くなっている気がする。いろいろ経験したのと、最近頑張って肉も食べているおかげかな。
「それで、仕事をした理由というのは、まだ教えてくれないの?」
お母様に聞かれて、私はイリスやトトー君と視線を交わしつつ、テーブルの下からプレゼントを取り出した。ちょっと照れくさいけれども、ふたりに差し出す。
「遅くなりましたけれど、ご結婚のお祝いです」
「…………」
「え……あの? え? ええ?」
受け取ったお母様が、なぜかうろたえて視線をさまよわせる。お父様は驚いて固まっていた。
サプライズは計画したけれど、予想以上の驚きっぷりだな。そこまで驚かれるとは思わなかったぞ。
「まあ……」
言葉が出ないといったようすで、お母様は手の中の箱を見下ろす。お父様との間に置き、ふたりで目を見交わして、そうっとリボンをほどいた。
「――ほう」
「お、あの時の歌か」
「ああ、いいね、これ……」
「あの夜を思い出しますね。記念の品として、これはよい」
歌ったのはプロポーズの時の一度きりなのに、みんなけっこう覚えていたようだ。流れ出たメロディに、それぞれがなつかしむ顔を見せた。宰相も今夜は辛口コメントが出てこない。アルタとトトー君とザックスさんは、私のチョイスをほめてくれた。
「イリスが提案してくれたんです」
「はあん? さてはイリス、お前自分がほしかったんだろ」
アルタにからまれて、イリスは知らん顔でパイを頬張った。
「何にするかチトセが決めかねていたからだよ。ついでに僕の分も手に入ると思ったことは否定しないけど」
「なにそれ、イリスも注文してたの? いつの間に」
世界でひとつだけの限定オリジナルのつもりだったのに。もうひとつあるんじゃ意味ないじゃないか。
「いいだろ、僕が持っていたって。たのんでもなかなか歌ってくれないんだから、このくらい許してくれよ」
「他の曲にしてよ。これはダメ。これはお父様たちのための歌なんだから」
「だってもう作っちまったし」
「事後承諾は認めないわよ。回収させてもらいます」
「そんな」
「待ちなさい」
けんかする私たちをお父様が止める。
「そのようなことをする必要はない。そなたの気持ちは、十分に伝わった。ありがとう。またとない贈り物だ」
微笑みながら、お父様はお母様の肩を抱く。お母様はなんと涙ぐんでいた。ふたの裏に彫られたメッセージを、何度も指でなぞっている。
こんなにも喜んでもらえるとは、うれしいけれど驚きだな。「お父様、お母様、いつもありがとう」という父の日母の日みたいなありきたりのメッセージなのに。
いや、いちおう色々考えたんだけどね。でも変に凝った文章にすると、のちに黒歴史になりそうだから。こういうのはオーソドックスがいいかと、ひねらないことにしたのだ。
喜んでもらえてよかった。頑張った甲斐があったよ。紹介してくれたデイルと、イリスにもあらためて感謝だ。それから私みたいなトロ亀をちゃんと指導してくれた店のみんなにも。
その後はもう、和気藹々とホームパーティだ。集まっているのは親しい仲間ばかりなので、遠慮もない。
「ちょっと宰相、ひとりでそんなに取らんでくださいよ! 店でさんざん食って持ち帰りまでしたんでしょうが。ただでさえ少ないのに俺の分がなくなるではありませんか!」
「年長者には譲るものであろうが。引っ込んどれ」
「ジジイのくせにどんだけ食べる気だよ!」
「……おふたりとも、そもそもこれは姫がもらってきたものだということを、お忘れでは」
「かまいませんよ、ザックスさん。私は味見さえできれば。それよりその姫っていうのは……」
「王女となられた以上は、以前と同じにお呼びするわけにはまいりません。規律の問題です」
「でも他の人は誰も、そこんとこ気にしてないんですが」
「……団長、宰相」
「あー、まあ公式な場ではちゃんとするさ。今夜は無礼講だろ、細かいことは気にすんな」
「今さらじゃの」
「イリスのようなことをおっしゃらないでください」
「そこで僕を引き合いに出す?」
「出されて当然だろ……ほらティト、味見とか言わないでちゃんと食べなよ……せっかくテルマさんがくれたんだから」
「あ、うん」
「ぬおっ!? お前いつの間に取った?」
「む、わしのパイが……」
「リュシー、たしかに食べ過ぎだぞ。好物にしても、ほどほどにしてはどうだ」
「そんなにおいしいの? わたくしも……あら、もうないのね」
「私の半分こする?」
「もともとティトのものなのに、申しわけないわ」
「別にいいけど」
「ご心配なく。店の味はしっかり受け継いだこのさすらいの料理人が、あらたなパイを焼いてまいりました。どうぞご賞味あれ」
「出たー!」
――限定オリジナルのはずだったプレゼント曲は、その後広く知られることになり、やがて国境を越えてリヴェロやアルギリにまで伝わっていった。楽譜を作る時に協力してもらった楽士が、あちこちで披露したせいだ。禁止していなかったので文句を言うわけにもいかない。希少価値が減って少し残念だったけれど、みんなが知ってくれた方がうれしいとお母様は言っていた。まあいいか。
しかし歌詞はずいぶんと改変されていた。私が歌って聞かせたものは趣がいまひとつで、意味の通じない部分もあったそうだ。多分直訳的に伝わったんだろうね。メロディに合わせていい感じに意訳してくれるほど、龍の加護も気が利いてはいないだろう。
おまけに作曲者が私にされていて、本来の制作者にごめんと土下座したい気分だ。海賊版がこの世界でどれだけ出回っても著作権を侵害することはないだろうけれど、大変にうしろめたい。そう思うと、いろんな人に頼まれても歌いにくい。
滅多に聴けない聖女の歌ということで、さらに価値が高まっていくとかなんとか本気で制作者ごめんな顛末になるのだけれど、それはずっと後の話だ。
とりあえず、パーティの翌日に熱を出して寝込んだことだけ追記しておく。
「全部終わって気が抜けた頃に、一気に来ると思ったんだよな。予想どおりだ」
イリスに笑われて、非常にくやしい。
キャリアウーマンへの道は、まだまだ遠そうだ。
***** はたらく王女さま・終 *****




