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トラウマ、逃げ出した夜

アタシの長い一日は未だに終わっていなかった。


商人ギルドで疲れきっていたので、夕飯を食べたら直ぐに休もうと考えていたのだが。


宿屋に着くなりエリーさんに捕まり、あの薄くて甘いパンを作って欲しいだとさ。


クレープの事ねと理解はしたが、シロップの残りもわずかしかないし、そもそも疲れているので作る気にもならない。


頭が疲れている時は甘いものが一番。シロップはお茶に入れてアタシが飲むのよ。だからエリーさんの分はないのである。


アタシは聖人では無いので、自分を優先するのよ。


昼のおやつの時は、ジャムモドキに興味を引かせるために演出しただけ。


おじいさんとエリーさんが降りてきていたのは振動感知で知っていたのだから。



と言うことで、

「ごめんね。材料が無いから作れません」


一蹴した。


マリアンヌさんは宿の受付カウンターに座っている。


足が不自由で機敏に動き回れないからだろう。


親父は厨房にこもりきりだ。料理に集中できるらしく、盛付けも良くなっている。


その分、エリーさんが出来上がった料理と飲み物を持ってテーブルを回っている。


流石に親子だ初日から良い形が出来上がっている。


治療費を仕送りしないですむなら、このままやっていけるのでは無いかと考えつつ、アタシも席に座り夕飯を注文する。



宿泊者用の夕飯を食べ終えてリラックスする為に紅茶を注文する。


これは当然別料金、紅茶と交換で料金を払う。


小さ目のポットに入った紅茶はカップ三杯分はある。


残り少ないシロップを紅茶に混ぜて、ゆっくり口に運ぶ。


紅茶の香りと甘味を楽しみながら至福の時を過ごせた。


最後の三杯目は口の中をすっきりさせるため、シロップは入れないつもりだから、この二杯目は甘くしよう。



その考えを実行しようとした時に対面に誰かが座った。流石に振動感知は接近する人物を認識していたが、至福の時を邪魔されて腹ただしく思いながら相手をする。


「何のごようですか?」


対面に座ったのは、あのおじいさんであるマリアンヌさんのお父さんであった。


名前は聞いていないから知らない。


おじいさんはアタシの言葉に返事ととれない返答をしてきた。


「そのビンの中身はなんだ?」


断りもせずに座るだけでも腹ただしいのに、『なんだ?』とは、いったいなんなんだ?


おじいさんだからと言っても、アタシには関係無い人。


おじいさんだし仕方がないかと思うが、相手をする気は無いので「これはアタシの薬です」と返すだけにした。


今日は一日働きっぱなしの脳細胞を癒すための糖分を得るための薬なのだから嘘は言ってない。



それで話しは終わりと、二杯目の紅茶をカップにそそぐ。


ビンからシロップを紅茶に入れようとしたら


「それは昼に食べたパンの材料ではないのか?さっき材料がないとエリーに言ってなかったか?それがあれば作れるのではないのか?作れるのに断るなんてエリーが可愛そう……」


どうやら愛する孫の希望を叶えないアタシに不満を持ったようだ。

その後も淡々と不満をぶつけてくる。


煩わしい、しつこい、男に興味を無くした時のトラウマが呼び起こされる。

おととい戦場から帰り、昨日は二つ名に衝撃を受けたが夕方はリフレッシュ出来たつもりだが、今日は朝から憂鬱で、午後は打合せしてから商人ギルドで説明を大量に聞いて、今は本当に疲れていたのだろう。

アタシは大人だからと思い話しを聞いていたが知らず知らずの内に鼓動が激しく胸を叩き、更に気持ち悪くなってきた。


「アタシは頼まれただけで……関係無い」


トラウマを刺激されたからか、元の世界でしつこく付きまとってきていた男に言っていた常套句をもらし、その時と同じ様に立ち上がりそのまま店から飛び出した。


店を出る時に誰かにぶつかりそうになったけど、なんとか避けることが出来たのは幸いだ。


今は気持ち悪い人物から離れたい、それだけを思いながら走った。



ふと気が付くと大広場にいた。



あちこち走り回ったような気がするが、馴染みの場所に来てしまったようだ。



走ったことにより大分落ち着いたが、飛び出した手前、すぐ宿屋に戻って休むなんて考えられない。


装備を確認すると、砦内用の作業着の下に腰装備がある。籠手とすね当ては標準装備だが、背負い袋とマント、ホウキは置いてきてしまったようだ。でもハタキはあるから問題ないだろう。


重要度が上がったギルドカードは、背負い袋のポケットから腰袋に移してあったので外に出られそうだ。


少し緊張したが門兵に声を掛けて開けてもらう。


夜中に出発する冒険者も多いので、カードさえあれば出るのは問題ない。



アタシは、真っ暗な草原を駆けて北の森に向かった。


詳細に振動感知を行い、魔物が居ないことを確認してから蜘蛛糸警報装置を張り巡らせた。


その上に乗り横になる。


アタシは何をやっているのだろう。


当初の目的は果たした。

アタシの存在を知らしめる事だ、人に接触して自分はこの世界で生きていたと証を残そうと考えていた。

アランさん達『青い閃光』、冒険者ギルド支店長、『漆黒の鉄槌』のダンさん、他のパーティ達、宿屋の親父達、守護騎士、砦兵達。


この世界からすれば狭い範囲だけどアタシが生きていた事を、記憶に残させることが出来ただろう。


こんなに沢山の人に存在を知らしめる事が出来たのだから蜘蛛君が見ればうらやましがるに違いない。



もう良いかな。


落とし物を届けに行くのも前に進むために目標が欲しかっただけだから、どうでも良いし。


それにしても今日は疲れたな。次にまぶたを開いたら、元の世界でありますように。



マッキーは、そう願いまぶたを閉じた。真っ暗な森の中を木漏れ日の様に中天に輝く月が優しくマッキーを照していた。



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