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未来へのアプローチ   作者: シマ田 力大
2/8

彼は何と居るのか

イギリス行きのプライベートジェットの中、僕とミカは暇を持て余しながら隣り合って座っていた。

「おい」

「う〜ん?」

僕は少し下にあるミカの頭を見る。

「何で僕の肩に頭乗せてんだよ」

「いいじゃん私は楽なんだから」

「僕は重い」

昔はこうやって座ってたものだが、今はひどく久しぶりだ。ミカも同じことを思っていたらしく、

「久しぶりだね、こういうの」

「ああ」

事故後、僕が施設を出て、高校に入ってからは、僕はミカとの接触を意図的に避けた。ミカは中学時代からのスター。僕は機械の左手をした化け物。あまりにも違い過ぎた。しかし、これにミカは反発した。何も違いは無い、と。僕はきっと嬉しかったのだ。化け物扱いされるのは昔からのこと。でもミカに人間扱いされるのも昔からのことだった。

そして僕は人の見ていないところでだけ、ミカと会うことを許した。おそらくそれは僕の願いでもあったのだと思う。

「鳳は覚えてる?鳳って、小さい頃からいつも何か考えてて、しょっちゅう木の影とかで座ってたよね」

「……ああ」

「そういう鳳を見つけると、私は必ず隣に座って、こうやって寄りかかってたよね」

「ああ」

「今考えると笑えるよね。あの時先生たちはどんな気持ちで私たちを見てたのかな?」

五、六歳の幼児が、まるで恋人のように並んで座っているのだ。きっと面白い光景だっただろう。

「でも今なら違和感ないよね?」

「ああ」

たぶんな。

そしてミカは、自分で作った雰囲気を自分でぶち壊す。

「フワ〜ア……何か眠くなってきちゃった……おやすみぃ」

ミカはそのままスヤスヤと寝息を立て始めた。何がしたかったんだ……と思いながら、僕はずり落ちていた毛布をその肩まで掛けてやる。

その五時間後、僕たちはロンドンに到着した。


ロンドンに着くとすぐにベティから電話が入った。

『今回は前と違って、超急ぎってわけじゃないから、少しのんびりしてきてもいいわよ』

「?どういう意味だ?」

『そのままよ。二人でどこかに遊びに行ったら?』

「いいのか、騎士としての仕事は?」

『まあ騎士だって娯楽ぐらい必要でしょ』

たしかに、僕とミカはイークルに入ってから毎日毎日訓練ばかりだった。正直、少し飽きてきたところだ。

「そうか。それなら、ありがたくそうさせてもらう」

『はいは〜い』

そうして通話は終わった。

僕は今のことをミカに伝えるために振り返ると、そこには。

異常にニコニコしたミカの姿が。

「……聴いてやがったのか」

「もちろん!」

元気いっぱいでそう答えたミカは、十歳ほど若返って見えた。ハイハイとかしそう。

僕は思わずため息をつく。

「で、どっか行きたいとことかあんのか?」

「ん?無いけど?」

平然と答えやがったコイツ。そして次に飛び出した言葉が僕をさらに驚愕させる。

「それで、鳳はどこに連れていってくれるの?」

「はぁ?!」

僕が難色を露わにすると、能天気なこの女は、「どうしたの?」みたいな顔をしてこう言った。

「デートのプランを考えるのは男の役目でしょ?」

「何がデートだコラ!」

「えっ?違うの?」

「いい思考回路してんなテメェ!」

ミカは僕の反応に口を尖らせる。

「えー、連れてってよ〜」

「くっつくな暑苦しい」

ミカは僕の血が通っている右手に抱きついてくる。ここはロンドンの公園だ。周りの視線が非常に気になる。

「だぁ〜いい加減離れろ」

「いいよ、デートに連れてってくれたら」

「嫌だっつってんだろ!」

「そもそも鳳に断る権利は無いんだよ?」

「あ?」

ミカは僕の顔を見上げて不敵な笑みを浮かべた。

「忘れたの、あの約束?」

「約束?」

「ほら、あの幼稚園の時の……」

「幼稚園?……あ」

あれは、僕が年長、ミカが年中の時だった。


その時すでに僕に能力があることがわかって、友達もいなかった。そんな時唯一僕にアタックを仕掛けてきたのが、一つ下のミカだったのだ。いつもスポットライトから外れたところに立っている僕のところに、ちょこちょこと寄ってきて、遊ぼうと腕を引っ張った。そして決まってミカが指定するのが、『デートごっこ』なる物だった。内容はただ一緒に歩くだけだったのだが、ミカはそれだけで楽しいらしかった。

僕はそれが鬱陶しくて、たしかこう言ったのだ。

「デートなら将来いくらでもしてやるから今は離せ」

と。


どうして僕はこんなこと覚えていたのだろうか。そして今は、この約束を踏み倒せない理由もある。

「騎士の鳳が約束を破ったりしないよね?」

ミカはいたずらっぽく笑う。

どうやらこの勝負は僕の負けのようだ。

「……はぁ」

僕は深いため息をついた。


何て条件を出したんだ年長の僕は。だいたい、幼稚園児のセリフじゃないだろそれは。

と、文句を言っても始まらない。

今は午前十時といったところなので、昼食込みのデートを計画しなければならない。

「本当に行きたいとことか無いのか?」

僕は困り果てて、ミカに尋ねる。するとミカは腕を組んで答えた。

「う〜ん……せっかくロンドンに来たんだから、大英博物館行きたいかな?」

「博物館?」

「?そんなに意外だった?」

「結構な」

まあとりあえず、これで計画は楽になった。

「じゃあ早いとこ行くかぁ。規模もハンパねぇだろうしな」

「うん!」

僕たちは、バスを待つ人の列の後ろについた。


「うわ〜広〜い!」

それが大英博物館に入ったときのミカの最初の感想だった。

「たしかに、コイツァ広ぇなぁ」

そこはグレートコートというロビーのようなところで、入ってすぐのところにある。

「一日で回るのが無理って言われるのもわかる気がするな」

「う〜ん……よく考えて行かないとね」

来てから言うなよ。

「で、まずどこ行くんだ?」

「今ここ、古代エジプト展っていうの開いてるっぽいよ」

ミカが壁に貼ってあるポスターを指差す。

「ふ〜ん……じゃあそれ行くかぁ」

「うん!」

ミカは幼稚園児みたいな返事をして、いくつか繋がっている通路の一つに入っていく。その通路にも、沢山の写真や絵が飾られていた。

「うわ〜」「お〜」「ほ〜」など、様々な声を発しながら、ミカは廊下を進む。やがて、人がたくさん集まっているホールに出た。中央に作られた古代エジプトの巨大ジオラマがいやに目を引く。

「よく作ったなぁ、これは」

近くで見ると、なかなか細かいところまで再現してあって、僕でも感心せざるを得なかった。そんな模型を見て、ミカはというと、

「……、」

ガラスケースに張り付いて目を見開いていた。

「おい……ミカ?」

たしかにこのジオラマはすごい。でもそこまでか?

「す、すごい」

「あ、ああ……すごい……な」

いやすごいけどね?

「で、デッカイ」

「そりゃ……デッカイ……な」

いやデカイけどね?

「す、すごい」

「……ああ」

さっきも同じこと言ったよな?

「で、デッk「もういいわ!」

頭に来た僕は、後ろからミカの頭を掴んでガラスケースから引き剥がす。

「イヤンッ」

「何だその声⁈」

公衆の面前で何言ってんだ恥ずかしい。

「もうちょっと優しく扱ってよねぇ」

「黙れ。そんなキャラじゃねぇだろ」

ミカの抗議を軽く受け流しつつ、ジオラマの周りにある展示物を眺める。

「もう、ケチ」

ミカは頬を膨らませながらも、しっかりと僕の後ろについてきた。

「そもそも、これはデートなんだから、鳳は私をエスコートしなきゃいけないんだよ?」

近くにいたアジア系の観光客であろう人が、チラッとこちらを見た。僕は視界の端のそのアジア人から、中央の日本人少女へと焦点を移す。

「それが気になってたんだ」

僕の言葉に、ミカは眉をひそめる。

「どういうこと?」

僕は周りの目を確認しながら、ショーケースに寄りかかって答える。

「お前が僕に好意を持ってたっつー記憶はねぇ。何を企んでやがる?」

するとミカは目を丸くした。

「鳳がそれに気づくなんて、ビックリ!」

「黙れ。真面目に答えろ」

ミカはすぐに真剣な表情に戻った。

「私は何も企んでなんかないよ。デートって言ったのにも、深い意味は無いんだと思う」

「だったら」

「でも」

僕の言葉をミカの一言がかき消す。

「鳳と一緒にいると、落ち着く。それは確かだから」

僕は言うべき台詞が見当たらなかった。そんなことを言われるなんて予想もしてなかったし、ミカがこんな風に気持ちを口にするのは珍しかった。

「お前、何か変わったか?」

ミカは乾いた笑いで応えた。

「ハハ、自分でもそう思うよ」

原因があるとすればあの事件だろうと、僕は思う。でもそれがどう影響したのかはわからない。

「変なヤツだな、お前は」

「前からでしょ?」

「そうかもなぁ」

僕は若干の疑問を残しながらも、適当にミカに同意した。この話題はここで終わりだった。

その後僕たちは、博物館を出て、その辺のファストフード店で適当に腹を満たし、適当にロンドン市内をぶらぶらした。そして気がついたら、街灯が灯る時間になっていた。

「思ったよりも時間経つの早ぇなぁ」

「うんそうだね」

取り留めもない話をしながら、ロンドン市内の川に沿って歩く。こういうのも悪くはない。突然、ミカはふと立ち止まって僕の袖を引っ張った。

「ねぇねぇ」

「アン?」

「あれ乗ろうよ」

そう言ってミカが指差したのは、日本ではまず見ることはない大きな観覧車だった。あれが有名なロンドン・アイか。

「まあ、いいんじゃねぇ?」

僕たちは川をまたぐ橋へと進んだ。


乗ってみて、改めてその大きさに驚いた。一度に二十人は乗れるであろう大型のカプセルには、車が一台スッポリと収まってしまいそうだ。

「ねえねえ」

「アン?」

またしてもミカが僕の袖を引っ張る。そして次に、どうでもいいような、すごく重要なような、どうでもいいことを言い出した。

「パンツ見えそう」

「……は?」

誰の?と言いそうになって、気づいた。ミニスカートのミカと、カプセルのガラス張りの床を見て。

「ヤバイヤバイどうしよう⁇」

「とりあえず落ち着け。注目を集めるぞ」

わりとマジで焦るミカと、わりとマジでどうでもいい僕。

「だってこんなとこでそんなファンサービスする気なんてなかったしっ」

ファンはいるのだろうか。

「じゃあ、あそこのベンチに座ればいいじゃねぇか」

僕は中央を備え付けられたベンチをミカに勧める。しかしミカは、

「イヤ!だって景色が遠くなっちゃう!」

「ずいぶんワガママなお姫様だな」

「うっさい!」

ミカは顔を真っ赤にして、とりあえずスカートの裾を押さえつける。もう観覧車は四分の一ほど進んでいる。

このままミカは羞恥を胸に三十分の旅を終えるのだと思ったとき、ヤツは何かを思いついたように顔を上げた。

「ねえねえ!」

「アン?」

そして、

「肩車して!」

「……はぁ?!」

それが解決策?!

「冗談じゃねぇよ!僕まで注目の的になるじゃねぇか!」

「鳳は私のパンツと自分の平和のどっちが大事なの?!」

「自分の平和に決まってんだろ!!」

「もぉー!」

どうしてそれで悩むと思った?!

つか、もういよいよ面倒くさくなってきた。

「もういい。気にするな。誰も見てないから」

「でも〜」

体をくねくねとさせるミカ。僕はこれから完全に投げやりモードでいくことにする。

「じゃあもう床に座れ」

「あ、それいいね!」

「いいのかよ?!」

まさかの一発OK。まあいいならいいけど。

そしてミカが腰を下ろしたとき、ちょうどゴンドラが頂上へ。

「うわぁ〜…キレイ……」

「……ああ」

まあ、キレイ……か。でも実際、こんな景色ブースターで飛べばいつでも……

「またそんなこと考えて」

「アン?」

見下ろすと、ミカが僕に白い歯を向けていた。

「どうせまた『ブースターを使えば〜』とか考えてたんでしょ?」

僕はやましいことを当てられたわけでもないのにドキッとした。

「どうしてそう思う?」

ミカは無垢な笑顔で答えた。

「カンよ」

そういえばコイツはそういう能力だったな。

「まったく、恐ろしいヤツだ」

「でも鳳じゃなきゃこんなことわからないよ」

「どういうことだ?」

ミカはニッと笑う。

「何年一緒にいると思ってるの?」

ああ。敵わねぇな、コイツには。

僕はミカから意識を切り離し、遠くまで続く街の光を、ぼんやりと眺めた。


翌日。日時は九月十日午前十時。

「さて、仕事だ」

僕たちはホテルを出たところで気を引き締めていた。

「でもさあ、どうするの?相手は引きこもりなんでしょ?」

「まあ、それは僕も考えてたんだが……」

詳しい場所は、ローランドから聞いている。問題は、どうそのミュータントに接触するかだ。

「正面から行ってチャイム鳴らしてもいいんだけど……」

「親とかはいないの?」

「それだよなぁ」

そのミュータントは僕たちと同じくらいの少女らしいので、親が一緒にいる可能性が高い。

「とりあえず、下見に行こう。聞いたところによると、行けばすぐわかるらしい」

僕はまたバスに乗ることにした。


「ねぇ鳳……ここ?」

「ああ……ここ」

行けばわかるというのは、本当のことだった。

「こんな豪邸に引きこもってるなんて、なんつー幸せ者だよ」

そこは見たこともないような大きな家だった。まず門から玄関までの距離が恐ろしいほど長い。

「ねぇ……このチャイムを押すの?」

ミカが門に付けられた小さなインターホンを指差す。

「そのつもりだったんだが……」

これだけの豪邸だ。まず見知らぬ人間は入れないだろう。

「押すのは辞める。飛び込むぞ」

「了……解」

ミカはいつまでもこのスケールに押されて、放心状態だ。

「下見に来てよかったな」

僕は一人で呟いた。


僕たちはホテルに戻って早速作戦会議を始めた。

「予想外の展開だったな」

「ホント、うらやま……困らせてくれるわね」

きっと裏山に何かあったのだろう。僕はスルーする。

「これでチャイム作戦はできないことは分かったけど、ますます難しくなっちまった」

「飛び込むって言ったって、きっと防犯も最高クラスだよ?」

「窓割っただけでジ・エンドってか?」

どうせ窓にも衝撃に反応するセンサーとかが付いているに決まってる。

もう結構八方塞がりっぽい。ビアンカでもあれば、何とかなるかもしれないが。

その時、

『ピンポーン』

部屋のチャイムが鳴った。

僕は腰掛けたベッドから立ち上がり、ドアを開ける。そこには、台車に大きめの箱を乗せた係員が立っていた。

「珞間様、お荷物が届いております」

係員は日本語で話す。やはりそういうホテルにして正解だった。

「荷物?」

それにしても、荷物が贈られてくるのに心当たりはない。

「ハイ。贈り主は、東京のベテイ様となっております」

ベテイって……。随分雑な偽名だな、と思いつつ、

「ああ」

とりあえず荷物を受け取っておく。係員は一礼して去って行った。

「何だったの?」

ミカがすぐに食いつく。

「これだ」

僕は大きめの箱を、ベッドの上にドサッと置いた。

「何、これ?」

「荷物だってよ。ベティから」

「ふ〜ん……何だろう?」

「さあな。とりあえず開けてみるか」

僕は包装紙を破り、箱をこじ開ける。

そして、その中にあった物を慎重に持ち上げる。

「これは……」

そのいかなる光も寄せ付けない『純潔』は、同じく光る鞘に包まれていた。

「これで、解決したんじゃない?」

ミカが横から僕の顔を覗き込む。僕は頷いた。

「ああ。この『ビアンカ』があればな」

僕たちは、強行突破で行くことにした。


そして、時は僕たちが待つ夜へと進んだ。昼間とは違い、バスが無いため持ってきたブースターで飛んできた。改めて見ても、その館の大きさには驚かされる。

「これだけ部屋があったら、どこにターゲットがいるのかもわからないよ?」

と、ミカ。

たしかに、これだけの部屋からその少女が引きこもっている一部屋を探し当てるのは至難の技だろう。だが知る方法もない。

「しょうがねぇから、今回は運を信じようぜ」

「ふ〜ん、鳳にしては珍しいこと言うね」

「しょうがねぇだろ」

まあ普段の僕はあんまりチャレンジとかしないからな。

「それよりも」

これからの作戦を伝えなければ。

「これから僕たちは、窓から侵入する。コイツがあれば、振動なしで窓を破れるだろ」

僕は腰に刺したビアンカを指差す。するとミカは首を傾げた。

「その剣あるなら、壁を破れるって入ればいいんじゃないの?警報機も付いてないだろうしさぁ?」

これは予想していた質問だ。

「ダメだ。壁の向こうがどうなってるかわかんねぇし、柱とか切ったらシャレになんねぇよ」

「なるほどね。鳳も案外考えてるのね?」

「ブッ殺すぞテメェ……」

「ジョーダンよ、ジョーダン」

「フン」

こんなやり取りのあとで、僕たちは明かりのついていない窓の前まで移動した。

「さあ、行くぞ」

「うん」

僕はビアンカを窓の端に突き立てた。


窓はまるでパンの耳を取るようにキレイに取れた。僕は収穫したガラス板を割らないように慎重にその部屋の床に置く。

僕たちが侵入した部屋は、やはりかなりの広さがあった。その中に、本棚や机、ベッドなどが、綺麗に整頓されて置かれている。

「よし、じゃあ探すぞ」

僕は後ろを振り返り、ミカが頷くのを確認してからその部屋を出た。

僕はまずカンを頼りに、車一台分ぐらいの幅の廊下を左に進もうとしたのだが、

「待って」

後ろからの声に止まる。見るとミカが僕の体の向きとは逆を指していた。

「こっち」

一瞬僕は、なぜ?となったが、窓辺ミカを考えて理解した。

「わかった。じゃあお前が前を飛べ」

ミカはコクリと頷くと、右に向かって飛び出した。その後を僕は黙ってついていく。

ミカは速度を落とさず、迷路のように広い館を迷いなく飛ぶ。こういうときはミカの能力は凄まじく便利だ。

五回ほど角を曲がったところで、ミカが合図をして一つのドアの前に降り立つ。

「ここ……だと思う」

「じゃあここなんだな」

ここまで使用人などに見つからなかったのは運がいいと言うしかない。まさか使用人がいないということはないだろう。

「予定通り行くぞ。お前も少しは手伝えよ」

僕たちの計画では、とりあえずそのミュータントと交渉する。あくまで相手の意思を尊重するのだ。でももし、交渉決裂したときは、力で何とかするかもしれない。

「わかってるわよ」

ミカの返事を聞いて、僕はドアノブをゆっくりと回した。


そこは暗い部屋だった。時間的には当然で、壁につけて置いてあるベッドが使われている。

ただし、ベッドの上の布団は少しも膨らんでいなかった。

「だ、誰??」

ベッドに寄りかかって体育座りをし、涙の痕を月明かりに光らせている少女がいた。彼女が噂のミュータント。ある意味予想通りだが、思ったよりも重症そうだ。

「僕たちはイークル連合騎士団の珞間と、窓辺ってモンだが、今日はお前を連れに来た」

僕は少女の質問に正直に答える。少女がその意味をどの程度理解したかは謎だが、『連れに』という言葉は理解したようだ。

「だ……だれか」

少女は掠れた声で助けを呼ぶ。恐怖で大声を出すこともできていない。正直、ここで大声で叫ばれたら、僕たちとしてはかなり面倒なことになったのでラッキーだった。

「別に私たちはあなたに危害を加えるつもりはないわ。ただあなたの力を貸して欲しいの」

ミカがあのときのベティを思い出さすような調子で語りかける。そんなことできたのか。

「私の……力……」

少女はミカの言葉を繰り返す。たしか能力はこの少女の引きこもる理由だったはずだ。

「うん。それをちょっと見せてほしいんだけど」

ミカはいつもの調子に戻って言う。

すると予想外のことが起きた。

「ふざけないで!!」

今まで静かだった少女が突然大声で叫んだのだ。しかしどういうわけか人が来る気配はない。少女は続けて捲し立てる。

「私の能力知ってる?知らないなら教えてあげる。私の能力はね、人を操ることなのよ!」

少女の声はすでに自嘲気味になっていた。それにしても、

「人を操る?」

「そうよ」

少女は投げやりに説明する。

「私はそういう“意志”が少しでもある者を操ることができるの。物理的にね。関節なんて関係ない。人間だってことすら忘れるような動きもさせられるのよ」

意志とは、操られてもよいという意志だろう。

「どうしてお前に能力があることがわかったんだ?」

今わかるということは、今まで試したことがある可能性が高い。

少女は涙を流しながら僕たち以外のところへ視線を向ける。

「ここに来る間、館の中で誰かにあったかしら?会わなかったわよね、そりゃあ。だっていないんだから」

「いない?どういうことだ?」

これだけの豪邸に使用人一人すらいないのか。

「いるのは私と私のお母様と、たった一人の召使いだけ。あとは私の力を恐れて逃げたわ」

「詳しく聞かせろ」

僕の要求に、少女は息を深く吸って語った。

「昔はこの館にもたくさんの召使いがいたの。私も何人もの人に世話された。その中でも特に私を可愛がってくれた人が私に言ったの、『あなたになら、操られても構わない』ってね」

僕は黙って話を聞く。少女は続ける。

「それがその人の運の尽きよ。まだ幼かった私は、彼の言った通り操ってみようと思った。操れたわよ、簡単に。でも具体的にどこをどう動かすとか、考えないで操ったから、思考の混乱に合わせて彼の体もバラバラになったわ。私は何が起きたか、すぐには理解できなかったけど、誰がやったのか気づいてぞっとした。そしてとにかく人と会うのが怖くなった」

少女は再び息を深く吸って僕たちをひたと見た。

「だからあなたたちもすぐに出ていった方がいいわよ。私、結構簡単に操れちゃうんだから」

だがこんな話程度で諦めるわけにはいかない。わざわざイギリスまで飛んで来たのだ。

「それはできない。僕たちはお前を連れてくのが仕事だからな」

「……命が惜しくないの?」

少女が非難の目を僕に向けてくる。

「あいにく僕には」

突如、僕の言葉は、何かが窓を割って入ってくるガシャンッ!という音にかき消された。

僕もミカも予想外の事態にそちらを振り向く。

「はぁなし声がきぃこえるとおぉもったらやぁっぱりここだったかぁ」

一人の男がブースターを背負って滞空していた。しかも気味の悪い笑いで口が歪んでいる。

「誰だ⁈」

僕たちは少女を背中に回して身構える。そいつはそのままの表情で答えた。

「おぉれがだぁれかなんてどぉだっていい。たぁだの傭兵さぁ」

「傭兵?騎士じゃないのか??」

男は肩を震わせて笑った。

「騎士だぁ?そぉんな窮屈なしぃごとやってられっかぁ」

何なんだよこいつ。傭兵って、傭兵がミュータントの家を襲撃しに来た?

「誰に雇われたんだ?」

僕の頭によぎったのは、ミカの家を襲った冷たく笑う男だった。

「そぉれは言えねぇなぁ。おぉれもプロだしなぁ」

まあ期待はしていなかったが。

それにしてもコイツ。明らかにイかれてやがる。目がいつもあらぬ方向を向いているし、喋り方も独特すぎるアクセントで喋る。

「おぉれは芸術がだぁい好きなんだぁ。おぉ前らもおぉれのさぁく品のいぃち部にしてやるぜぇ」

ただの狂った傭兵なら、僕たちの敵ではない。だが本当にただの傭兵なのだろうか。

「鳳、なんだか嫌な予感がする。気をつけて」

ミカが僕の耳元で囁く。ミカが言うならそうなんだろう。

「そぉれじゃあその娘をいぃただくとしぃよぉかなぁ」

男は首をパキパキと鳴らし、腰からハンドガンを引き抜く。そのハンドガンはやはり騎士が使う最新の物だった。

これでやつがミュータントである可能性が高くなった。

「ヒャァハァア!死ねェえ!」

広いが狭い室内に、小さな銃声がこだました。


僕たちは少女を抱きかかえて窓から飛び出る。室内では戦闘には向かない。

ビアンカに月明かりが当たって光る。

「逃ぃげるなよぉ」

男が僕たちを追いかけて飛びだしてくる。

「そいつを頼む!」

僕はミカに少女を任せて男に左手を向ける。そして適当な力のエネルギーを熱と光に変えて打ち出す。

「おお美しいぃ」

男はそれに見とれながら手を伸ばす。

やはり狂っていたのか。その破壊力に気づかずにあっという間に男は溶けてなくなった……はずだった。

たしかにミュータントだということは警戒していた。でもどういうわけだろうか。僕の放った光線は、男の手に触れた瞬間、天に向かって不自然にカーブしたのだ。これだけではまだ男の能力はわからない。

次に僕は、腰から男と同じ型のハンドガンを取って引き金を引く。しかし今度の実弾も、明後日の方向に飛ばされてしまった。

「もぉ終わりかぁ?ならこっちの芸術を見ぃせてやるぅ」

男は館のコンクリート製の壁に手をつき、壁を掴むようにして、そのまま手を体の前へ持ってきた。するとどうだ。館の硬い壁はまるで粘土のようにグニャリと曲がり、男の手のひらに張り付いた。男は反対の手もその粘土のようになった壁に付けて手の中でそれを遊ばせ始めた。

男は嗤う。

「ほら、知りたいか?俺の能力が、うん?」

「……」

僕はあえて黙っておく。これが何かの罠かもわからない。

男の口は止まらない。

「ほぉんとは知りたいんだろぉ?おぉしえやるよ。おぉれはなぁ。直線をきょぉくせんに、曲線をちょぉくせんにでぇきるんだぁぜぇ」

「?!」

それが本当なら合点がいく。エネルギー砲と銃弾の軌道という直線を曲線にして、壁という直線を曲線として操る。気持ち悪い能力だ。

「芸術家のおぉれにふぅさわしぃ能力だろぉ?」

そんなことはどうだっていい。が、とにかく厄介だ。これでは、エネルギー砲も、ハンドガンも使えない。下手をすると、ビアンカですらかわされてしまうかもしれない。

だが相手も僕の体を切る方法はないはずだ。今はビアンカで何とかしよう。

僕はビアンカを構えて男に斬りかかる。

「はぁ!」

僕は力一杯ダイヤモンドの劔を振り下ろすが、

「おっと」

男が後ろに飛んだのであっさりとかわされてしまった。だが逆に言えば、かわさなければならなかったのだ。さすがに劔の軌道を都合よく弄るのは難しいらしい。

戦える。このビアンカなら。

僕はビアンカを強く握り直す。

「うっざいなぁその剣。たぁだお値段だけするんじゃなぁかったのかぁ」

「知ってるのか、この劔?」

「あぁあ知ってるぞぉ。テェレビでやってたかぁらなぁ」

それはそうだが、

「どうしてこれが本物だとわかった?」

ビアンカは、インテリアとしての複製品も数多く世に出回っている。たしかにそのインテリアで戦おうとするのはバカだろうが、それでも出会った一本が本物である可能性に比べれば、バカに出会う確率の方が高いだろう。

男は愉快そうに笑う。

「依頼人がそう言ったのさぁ。バァカ高い剣を持ったヤツとたぁたかうかもしれないってなぁ」

僕たちがビアンカを盗み出したのを知っていて、ここにミュータントがいる情報を持ち、そのミュータントを狙う者。依頼主が乾だとしたら、乾はそれだけの情報を得る力があるということだ。

突然、僕の思考に男の狂気じみた声が乱入してくる。

「でぇもお前はいぃい物を持ってきてくれたぁ。お前を殺す唯一の手段で、しかもお前を殺せば報酬になるモンだからなぁ」

「これの回収は仕事じゃないのか?」

「いぃらい主はそんなのにはきょぉみ無さそうだったぜぇ」

やはり依頼主は騎士ではない。まあ、傭兵を雇う騎士など最初っからいないのだが。

「気をつけろよぉ。ヘタに振るとお前の首に飛んでくぞぉ」

男はビアンカを指差しながらケタケタと笑う。事実、この男と戦うときはそれを十分に気をつけた方がいいだろう。

「はぁなしは終わりだぁ。大人しくそいつをよこせェエえ!!」

男は狂気を隠そうともせず突っ込んでくる。剣が怖くないのか!

「フン!」

僕は劔を振って応戦する。だがヤツは、精神とは対象的に、的確にビアンカの切っ先をかわし、度々僕の手首を脅かす。男は素手と拳銃で、僕の手首を狙って剣を落とそうとする。

そしてついに、

「みぃつけたぁ!」

僕が男の拳を左手でガードした瞬間、男は反対の手に握ったハンドガンで、僕の右手首を正確に射抜いた。筋肉が切られ、物を握っていられなくなる。

僕の手から白く輝く劔が滑り出たのを、男は見逃さなかった。空中でそれをキャッチし、得意気にクルクルと回す。

「ヘッヘッ、形勢逆転だぁ」

「クッ」

ヤベェコイツ、かなり戦闘慣れしてやがる。ただのキチガイではなかった。この時点で僕にも死の危険性が出てきた。僕の唯一と言ってもいい弱点である『切断』。それ専門の武器が向こう側に渡ってしまったのだ。

さらに悪いことに、僕たちは射撃と剣術は習ったが、体術はまったくと言っていいほどの素人だ。今までの喧嘩など役に立たない。

とにかく今は逃げるしかない!

「クソ!」

「待てよぉ」

男はゾンビのようにしつこく僕を追い回す。このままでは、いつか追いつかれて八つ裂きにされるのがオチだ。

だが、先に折れたのは男だった。

「ったく、めんどくせぇなぁ」

僕がなかなか捕まらないことに業を煮やした男は、別の狙いを定めた。

男はニヤリと笑うと、館を見た。

「いいモンいぃるじゃねぇか」

……さっき少女は何と言った?

『いるのは私と私のお母様と、たった一人の召使いだけ……』

お母様と召使いがいるじゃねぇか!

しょうがねぇ!腕の一本か二本、くれてやる!僕は騎士だ。その誇りに賭ける!

「止まれぇえええ!」

僕は館へと飛ぶ男の背中を追う。

「キヒッ!」

男は僕のその姿を見て体を反転させ、劔を振りかざす。

また義手が一つ増える。僕がそう思った時、

「鳳!」

下方から僕を呼ぶ声がした。ミカだった。アイツは必死に何かを見せていた。それを見て僕は理解した。

「そういうことか!」

次の瞬間、僕の体の一切の自由が奪われ、男の持つビアンカが振り下ろされた。


普通なら僕の右腕は根元から無くなっていただろう。しかし、ゴリッというイヤな音がして、僕の腕は通常ではありえない方向に曲がった。それにより、男の鋭い刃は空を切る。

「アン⁇」

この状況を理解できていないのは男ただ一人である。

僕の体の所有者は今は僕ではない。この体を操っているのは、ミカと一緒に地上で待っている少女だ。たぶん、ミカが説得したのだろう。僕の能力と、さっきの状況の打開策、そして、男が狙ったもので。

僕の動きはトリッキーというにはあまりにもグロテスクすぎた。僕の五感は必要ない。体中の関節は意味がない。スライムのような動きで劔をかわし、予測不可能な拳で相手にダメージを蓄積させていく。

僕の右の拳が男の頬に食い込む。

「グアッ!」

男が僕の体の後ろに回る。

「食らえぇ!」

男はビアンカを横薙ぎに振るうが、僕の背骨はもはや針金と変わらない。バキバキという音とともに、普通と逆向きに折れる。ビアンカの切っ先は再び空を切る。

そして僕の、いや、少女の強烈な回し蹴りが男の腹を捉えた!

「ガアッッ……」

男は目を見開き、ビアンカを落として、力無く地面へと落ちていった。

ドサッ。

地面に刺さったビアンカの横に、仰向けに倒れた男が見える。

僕の体は丁寧に地面に着地させられてから僕の支配下に帰ってきた。

ダイヤモンドの柄を握り、男を見下ろす僕のところに、笑顔のミカと少女が駆け寄ってくる。

「へへ……華やかな応援だな」

「だろ」

口の端から血を流して笑う男の言葉に、僕は得意気に返事をしてみた。

「どうだ、僕の勝ちだ。ちょっとは喋る気になったか?」

僕はしゃがみ込んで男の顔を見る。こうして見ると顔自体は悪くない。

男は首を横に振った。

「おれはこぉれでもプロなんだよぉ……絶対言わねぇ」

まあ期待はしていなかった。男は僕から視線を切り、夜空には届かなさそうな視線を天に向ける。

「でもまあプロが負けたんだぁ。責任の取り方ぐらいわぁきまえてる」

男はそう言って、懐からハンドガンを取り出す。つまり、そういうことだろう。

「安心しろぉ。サイレンサーは付いてるぜぇ」

視界の端で二人の少女が目を覆ったのが見えた。

「バァイ」

男はその一言と、最小限の銃声だけを残して、息をするのを止めた。

名前、聞いとけばよかったな。


僕たちはその死体を僕の左手のひらから出る熱と光で処分した。たぶん、この男なら事情はわかってくれるだろう。狂ってはいたが、本物の傭兵だったのだから。

「終わったね」

ミカが口を開く。

「ああ」

僕はミカへの返事もそこそこに、ミュータントの少女の方を振り返った。

「まずサンキューな」

この戦いは、この少女無しでは勝てなかった。実際、騎士としてこの戦い方はファウルスレスレだが、まあ一対一として認めてもらえる……だろう。

僕の言葉に少女は首を横に振った。

「ううん。礼を言うのはこっちだよ」

僕はミカに目配せする。どうせ、ミカが何か言ったのだろう。少女は微笑む。

「ミカのおかげで自分が何をすべきかわかったし、鳳のおかげでそれを実行できたんだから」

さっきまで座って俯いていたとは思えないほどの明るい笑顔だった。

「私はやっぱり、お母様とドノヴァンを守りたかった」

聞きなれない名前を僕が聞き返すと、残った一人の使用人の名前だと教えてくれた。少女の望み通り、今回は守ることができた。でも、

「たしかに今回はたまたま何とかなったけど、次はどうなるかわからないぞ。またお前の力を狙って別の奴が来る」

そして僕は最後に、今の状態を正確に表した言葉を放つ。

「世界はお前を放っておかない」

少女は途端に悲し気な表情になって答えた。

「わかってる……わかってるけど、それでもここから離れたくない……」

僕は黙って聴く。僕に言えることは言い尽くした。

「鳳たちはどうだったの?騎士になるのは寂しくなかったの?」

この質問はあまり嬉しくない質問だった。僕はいいが、ミカはまだあの事件の傷が完全に癒えたわけではない。夜、隣のベッドから静かに泣く声を僕はいく度となく聞いている。

「僕たちはもう親がいなかったからな」

これが最大限の答えだろう。

少女は驚いた顔をしたが、すぐにもとの悲し気な表情に戻った。

「そう……なんだ。じゃあ私は、大切な人がいるだけ幸せ……なのかな?」

「そう思うよ」

答えたのはミカだった。

「私は、たとえ一緒にいれなくても、お母さんたちには生きててほしかった」

ああ。僕にもまだしっかりした人間の心が残ってたみたいだ。あの事故で無くしたと思ってた。こんなに胸が痛いなんて。

僕がミカなら、まずそんなことは語れない。そんなにすぐには立ち直れない。

強えヤツだよ、ホント。いや、あるいは……。

ミカの言葉を受けた少女は、少し考えてから返事をした。

「……そうだよね。私も、そうかもしれない」

「じゃあ」

「うん」

少女は顔をあげて、決意のこもった目を見せた。

「入ります。騎士団に」

僕たちの任務が完了した瞬間だった。

「よろしく……えっと」

そういえばまだ知らなかった。それを察知して少女が答える。

「アレシア。アレシア=ヴァッセル」

「よろしく。アレシア」

僕たちの騎士団に、また一人仲間が増えた。


その夜のうちに、アレシアは荷物をまとめて団長のいる日本へ飛び立った。覚悟の堅いうちにという彼女自身の考えだった。

僕たちは夜が明けてから出発する予定だ。

ホテルに戻ってから僕たちはすぐにシャワーを浴びてベッドに潜った。しかし、

「鳳……起きてる?」

ミカは眠れないようだった。

「ああ」

僕は気づいていた。今日アレシアに話をしたことは、ミカにとっては辛いことだったのだ。

「あのさ……」

「ああ」

「そっちに行っても……いい?」

「……変わってねぇな……まったく」

そう。変わってない。寂しくなると人のベッドに潜り込む癖も、弱いくせに他人のために傷つくところも。

僕の隣に、久しぶりに人の温もりが入り込む。

「昔みたいに……して」

僕は無言でミカを抱きしめる。ミカは僕の胸に顔を埋めてつぶやく。

「鳳……私やっぱり弱いよ……やっぱり……一緒にいたかったよ」

ミカの声はすでに涙に濡れていた。僕は思わずため息を吐いた。

「まったく……強がってんじゃねぇよ……」

僕はより強く、少女を抱きしめる。

今日は僕の腕の中から泣き声が聞こえた。


僕たちは、予定通り騎士団のプライベートジェットで帰国した。今は部屋でゆっくりしている。が、

「オイ」

「うん?」

僕はミカに言う。

「何でテメェはそこにいる?!」

「落ち着くから」

「簡潔に返してんじゃねぇぞコラ!」

僕は今ベッドに腰掛けている。ミカはその僕の上に腰掛けているのだ。

「重いんだよ!どけ!」

「うわ!」

僕は無理やりミカを僕の上から降ろす。ミカはドタッと床に落ちて文句を言った。

「ひっど〜い!乙女に重いは禁句なんだよ!」

「知るかボケ」

「ますますひどい!」

そんな感じでギャアギャアやっていると、部屋のドアが開いた。

「相変わらず仲いいわね」

そこには、いつも通りスーツをビシッと着こなしたベティがいた。

「何の用だ?」

僕は襲いかかるミカを引き剥がし、ベティに向き直る。ベティはため息を吐いた。

「その言い草はないでしょ……。まあいいわ、仕事の功績で大目に見てあげる」

「そりゃどうも……。で、要件は?」

ベティはもう一度ため息を吐く。

「帰ってきたばっかりで悪いんだけど、仲間が増えてきたから歓迎会みたいなのしようと思ってるの。二人は来ない?」

「行きます!」

それにいち早く応えたのはミカだ。

「……はぁ」

今度は僕がため息を吐く番だった。ミカはもともと祭り好きなヤツだから、こう言うだろうとは思っていた。ミカは僕のため息を無視して輝く目をベティに向ける。

「何人ぐらい参加するんですか?」

「う〜ん、このビルにいる人ほぼ全部だから、六十人ぐらいかしら」

「六十人!」

ミカは驚きの声をあげる。たしかに、そんな数のミュータントがこのビルにいるなんて驚きだ。ミカとしては、人数が多いことに感激しているだろう。でも、

「僕は遠慮しとく」

僕はミカとは違い、祭りは嫌いだ。そもそも人が好きじゃない。

「え〜行こうよぉ」

ミカはいつものように僕の袖を引っ張る。

「イヤだ。一人で行ってこい」

「ぶー」

ミカは口を尖らせる。ここでベティが口を挟んだ。

「そういえば、歓迎会では賞品ありのペアで参加する催しをする予定なんだけど……」

「賞品?」

ミカが首を傾ける。ベティは頷いて答えた。

「そう。あのビアンカの使用権をね」

「何?」

これは僕にとっては魅力的だった。実は、初めて使って以来、僕はあの切れ味をかなり気に入っていたのだ。できればずっと使っていたいと思っていたところだ。ベティがニヤリと笑う。

「ブースターを使う予定だから、その台数の関係で抽選での参加になるけど、それでもいい?」

まあ参加できなかったら帰ってこよう。いや、やっぱり参加してぇ!

「おいミカ、僕と組めよ」

ミカはとても嬉しそうに言った。

「もちろん!」

ベティはニヤニヤしたまま部屋の出口を開けた。

「それじゃあ行きましょうか」


会場は、インティア騎士団のビルの地下に作られた巨大講堂だった。そこには、たくさんのテーブルと、ご馳走と呼ぶにふさわしい料理が並んでいた。

「こいつはすげぇな」

「ホント……」

僕もミカも、予想以上のスケールに呆気にとられていた。するとそこに、

「あらあら、お二人さん。ご機嫌麗しゅう?」

聞き覚えのある声が近づいてきた。僕たちは同時にそちらを振り返るが、一瞬、我が目を疑った。

「テルマ……なのか?」

「そうよ♪」

驚いた。

華やかな黄色のドレスに身を包んみ、丁寧に化粧をしたテルマは、いつもの彼女からは想像できないような気品があった。ミカも、

「キレイ……」

と一言。そんなミカの反応に、テルマは二カッと笑った。

「ありがと」

僕はテルマの第一印象と今の彼女の姿のギャップに言葉が出なかった。僕の様子を見て、テルマはいたずらっぽく僕の顔を覗き込む。

「あれあれぇ?もしかして、私の美しさに惚れちゃったかな?」

「バカ言え。誰がテメェなんかに惚れるかよ」

テルマは僕の悪態も笑って流した。そして少し視線を下げたかと思うと、僕にこう質問した。

「最近の義手の調子はどう?」

「ああ、まったく問題ねぇよ」

たぶんそれを聞きに来たのだ。プロとして、騎士として、自分が手掛けた物にかなりの誇りを持っているはずだ。

「そう。良かったわ」

しかしテルマは、事務連絡を受けたときのような調子で返事をした。それからテルマは、「あっちにいるから」などと適当な方を指差して去っていった。僕たちが人ごみに消えるその背中を見ていると、

「みなさん。今日はようこそお集まりくださいました」

スピーカーからベティの声が聞こえてきた。僕たちはすぐに台の上でマイクを握る彼女を発見した。参加者の拍手が止むのをみてベティは続ける。

「今日は我が騎士団が誇る最高の名剣、ビアンカの所有権を賭けて、みなさんに二人一組のゲームに参加していただきます」

「イェ〜イ!!」

「待ってました!」

会場が一気に盛り上がる。誰もがビアンカの行方が気になるということだろう。

「これから参加ペアを決める抽選をします。箱を持った係りがみなさんが回りますので、その箱からカードを一枚取り出してください」

ベティの指示通り、箱を持った数人の女性たちが、僕たち参加希望者のところにやって来た。

「どうぞ」

僕たちの前に穴の開いた箱が突き出される。僕はミカに目配せして、ミカは箱に手を入れる。この抽選を考えたヤツは、ミカのことを知らないと見える。

「う〜ん……これ!」

ミカは一枚のカードを勢いよく取り出した。そこには大きく「A」とだけ書かれていた。ベティの声が告げる。

「『A』と書かれたカードが、このゲームの参加権です」


それから参加を勝ち得た三十人の騎士たちは、別の場所へ移された。そこはかなり大きな体育館のようなところで、バスケットコート四つ分はありそうだ。観戦者たちは、別室でモニター観戦となる。

「それじゃあルールを説明するわ」

ベティがいつもの調子で話す。

「まずこれでペアの手と手を繋いで」

そういって、ベティは参加ペアそれぞれにある物を配った。それは、

「手錠?」

ミカはしげしげと二つの輪っかを眺めた。手錠が全員に行き渡ったのを確認してベティは続ける。

「今回のゲームに使うこの手錠は、真ん中の鎖の部分が柔らかいプラスチックでできてるの。だから、左右に引っ張れば簡単にちぎれてしまうから気をつけてね」

ベティはそう言って、自分の右手につけた手錠を振ってみせた。

「それでルールなんだけど」

参加者たちの注意が、手錠からベティの言葉へと向く。

「基本的なルールは鬼ごっこに近いわ。サドンデス方式で、この手錠を壊したペアの負け。能力の使用はありで、相手の手錠を壊すのもあり。ペアの体に触れるのはなしで、最後まで残ったペアの勝ちよ」

なるほど。

ブースターを使ってやるのだから、もしペアが別々の方向に動いたら、あっと言う間に手錠がちぎれてリタイア。つまり、チームワークが大切ということだ。そして能力の使用がありだから、攻撃系の能力の無い僕たちは少し不利だ。

しかしルールはこれだけではなかった。

「そして、相手を怪我させても失格よ」

会場にどよめきが起こる。たぶんモニタールームでも同じことになっているだろう。

能力の使用がありでも、それならかなり縛られる。攻撃系能力でも、動き回る相手の手錠だけを狙って攻撃するのはリスクが高い。逆に、保身に役立つミカのような能力はかなり有利になった。

「それじゃあ早速始めるわよ」

そう言ってなぜかベティは今まで説明のために乗っていた台を降りた。そして、僕の知らない浅黒い肌の少年のもとに向かう。僕と同い年ぐらいのその少年は、この騎士団でも上の役職についているベティに向かって言った。

「足引っ張るんじゃねぇぞ!」

ベティはやれやれという感じで答えた。

「ハイハイ」

そしてベティは手錠のぶら下がった右手を突き出した……え?

少年はその手錠のもう片方を、自分の左手首につけた。それってつまり……

「お前も参加するのか?!」

「そうよ」

僕は途方に暮れた。ベティの強さは僕なりにわかっているつもりだ。それは今回のゲームでも活かされるだろう。……勝てる気がしねぇ。

「大丈夫」

そんな僕にミカは小さな声で呟いた。ミカはもう一度繰り返す。

「大丈夫。勝てる気がする」

僕はその言葉に自分の頬が緩むのを感じた。

「お前が言うならそうかもな」

顔を上げた時、ベティではない別の声のアナウンスが会場に響いた。

『十秒後にゲームを開始します。参加ペアは、それぞれ会場に散らばってください』

僕たちは言われた通りに会場内に広がる。僕は歩きながらミカに言った。

「お前は思った通りに飛べ。変に僕に合わせるな」

ミカもそれにしっかりと頷いた。アナウンスがカウントダウンを始める。

『五秒前……四……三……ニ……一』

僕は飛ぶイメージを作った。

『スタート!』

十五組三十人の騎士たちが、一斉に飛び上がった。


飛び上がった瞬間に早くもニつのペアが手錠の鎖を切った。切れた手錠に赤いランプが点灯し、彼らの敗退を示す。残り十三ペアとなった僕たちは空中で膠着状態となった。しかしその状態は長くは続かない。

「うぉおお!」

僕たちの後ろから若い男女のペアが迫ってきた。そして男の方が手刀を構える。

「は!」

男はその手刀を僕たちの手錠の鎖へと振り下ろすが、僕はそれを金属の左手でガードする。

「イッテ!」

男は僕の義手に思いっきりチョップをして痛そうに手を抑えた。僕はその瞬間に完全な隙を見つけた。

「ミカ!」

「任せて!」

ミカもすでに見つけていた。素早く右手を構えると、相手のペアの鎖に強烈な一撃をお見舞いした。

「オワァ!」

「キャア!」

繋がりを切られた男女は別々の方向に飛び、自分たちの手錠の赤いランプを見て肩を落とした。僕は最初の相手を退けたことに肩の力を抜いたが、

「鳳!後ろ!」

ミカの一喝でこれがサドンデスだということを思い出す。僕は手錠を守るように体を捻じった。

「クソ!」

若い男ニ人のペアが不意打ちに来ていた。ちょっと暑苦しい。

「行くぜ!」

体勢を立て直し、気合い十分の彼らだったが、

「ちょっと失礼!」

後ろから来た若い女性ペアに間を割られあえなく失格。サドンデスの恐ろしさを痛感し、呆然と立ち尽くす(浮き尽くす)若い男ニ人。ざまぁみろ。でも次は僕たちが危ない。若い女のペアはそのまま僕たちの鎖目掛けて飛んでくる。

「アナベラ!見て!」

女の片方が相方に向かって叫ぶ。たぶんそこで能力が発動されたのだろうが、僕たちにはわからなかった。

「大丈夫。いける!」

「OK!」

アナベラと呼ばれた方がGOサインを出して、さらにスピードをあげる相手ペア。

僕たちも負けてはいられない。

「迎え撃つぞ、ミカ!」

「OK!」

僕たちは相手の手や足をかわしながら、チャンスを窺う。そして、

「ここだ!」

そのチャンスがやって来た。左手の握力で相手の鎖を握り潰す!だが、

「おっと♪」

それを待っていたかのように彼女らは鎖を少し後ろに引く。おかげで僕の左手は十センチ手前で空を切る。

「もらった!」

僕がバランスを崩したタイミングで、アナベラではない方が僕たちの鎖に手を伸ばす。でも、

「舐めんなァ!」

僕の左手はただの義手じゃない。僕は素早く左手のひらに力を貯めて、なるべく細くエネルギー砲を放つ。

ジュッ!と、少しイヤな匂いがしてプラスチックが溶けた。目の前で鎖が溶けるのを見たアナベラと、何が起きたかわからないその相方。

そしてアナベラが一言。

「反則でしょ……」

僕たちは彼女らに背を向けて残りのペア数を確認する。すると、

「ウワッ!」

という声がしたのでそちらを見た。そこではベティのペアが三組を相手に戦っているところだった。声をあげたのはそのうちの一組で、鎖を切られたようだ。他に生き残りは無く、僕たちとベティと、その相手のニペアだけが残っていた。

「チクショウ!」

このままでは不利と判断したのか、ベティたちと戦っていた一ペアが僕たちに狙いを変える。しかし、

「よそ見するな!」

ベティの相方の浅黒い肌の少年がそれを許さなかった。突然腕を突き出したかと思うと、能力を発動した。その能力が奇妙だった。彼の腕から、柔らかい灰色の金属のような物が飛び出して、背中を向けていた相手の鎖を綺麗に切ったのだ。

「何だありゃあ?」

当たり前だが初めて見る能力だった。

僕と同じように、ミカも、そしてベティたちと対峙したもう一ペアも動揺した。

「ヤバイぞ!」

「逃げろ!」

そこでペアの間に溝ができた。その溝は別々の方向へと彼らを飛ばせ、自ら鎖を切ることになった。

「しまった!」

そのペアが退場する中、僕たちとベティたちは向かい合う。

「これは予想外ね」

ベティが言った。

「それはこっちのセリフだ」

そもそもベティが参加するなんて聞いてない。黙って僕たちを見ていたベティのパートナーの少年がベティを見て言う。

「誰だコイツらは?」

「ほら、この前言ってた君と同じ新入りよ」

「ああ、あのヴァンパイアか」

これにはツッコまざるをえない。

「どういう説明してんだテメェ……」

「あらダメだったかしら?」

ダメに決まってんだろ。それより、

「そいつは誰だ?」

僕はベティに目で少年を指す。

「この子は君たt「おっと俺が自分でするぜ!」

ベティが答えようと口を開いたが、それを少年が盛大に横取りする。

「え〜オホン」

少年は咳払いを一つして、どこかにあるカメラを意識して自己紹介を始めた。

「俺様は、この騎士団の守護神、ラブロフ=ローザさ!覚えときな!」

……。ツッコむ気すら失せたわ。

そんな僕の代わりにミカがツッコむ。

「守護神とか意味わかんないんだけど!」

「あん?俺の言葉がわからないってのか?」

ラブロフは、ミカをビシッと指さして憤慨する。

「いいだろう!教えてやる!俺の能力はなぁ」

「ちょっとラブロフ!」

ベティが慌てて止めに入る。

「おっとヤベェヤベェ、これ以上は喋れねぇ!」

「いや止められなかったら喋ってたでしょ?!」

だいぶツッコミが上手くなったな、ミカ。

ラブロフは指を振って言う。

「そこまで言うなら仕方ない。見せてやろう、俺の能力を。ベティ!準備はいいか?」

「ハイハイ、そんなに急がなくても……」

「行くぞ!」

人の話をまるで聞かないラブロフ。ブースターの推進力を得て、一気に僕たちとの距離を詰める。そのスタートだって、パートナーがベティでなかったら速攻でゲームオーバーだ。

「食らえ!」

ラブロフは先ほどと同様に空いている右手を伸ばして、そこから正体不明の灰色の物質を突き出してくる。

「食らうかよ!」

僕たちもブースターの力でその物質をかわし、相手の背後を取る。そのまま手錠目掛けて急降下して鎖を断ち切る!

しかし、思うようにはいかなかった。

「舐めるな!」

ラブロフが吼えたかと思うと、なんとヤツの首筋から、先ほどと同じ灰色の物体が飛び出してきたのだ。

「危ねぇ!」

僕たちは紙一重でその物体をかわす。

「逃がすか!」

だがかわした後も、その物体は触手のようにうねり、僕たちを追いかけてくる。それはすべてラブロフの意思のようだ。そして僕の左手が灰色の蛇の餌食になった。機械の腕はぐるぐる巻きになって、すごい力で引っ張られる。

「鳳!」

ミカが叫ぶ。

「大丈夫だ!」

僕は手首を返し、その灰色に向かってエネルギー砲を撃つ。ズバン!とその灰色の物体は溶けて切れた。

「何だそりゃ??」

ラブロフは首筋から出した灰色の物体を体にしまい、目を丸くする。僕はそれに答えず、左手に付着した灰色の物体を観察する。少量だが、それはずっしりと重かった。そして見たところ金属のようだ。これと似たようなのを前に見たことがあるような……。

「重り」

「え?……あ!」

ミカの突然の呟きで、ピースのはまる音がした。この灰色の金属は釣りに使う重りそっくりだ!ということはおそらく、

「鉛か」

「へぇ〜よくわかったな」

ラブロフがニヤリと笑う。どうやら当たりらしい。

それにしても、なんつー能力だ!鉛はもともと人体には毒のはずなのに。

「俺はな、体のどこからでも鉛を出して自由に操れるんだ。羨ましいだろ?」

羨ましいかと聞かれたら微妙だ。厄介なことは確かだが。

「それじゃあ、分かったところで再開だ!」

ラブロフは僕たちとは距離を取ったまま、右手から鉛を出して僕たちを追う。まさかベティじゃない方にこんなに苦しめられるとは。

「狙うならミカの方だ!」

「?」

ベティの声が飛ぶ。しかしラブロフは困った顔をした。

「女の方!!」

「ああ!OK!」

ベティの補足でやっとラブロフは理解したようだ。まあそんな悠長なことを言ってる場合じゃない。さすがと言うべきか、ベティのアドバイスは適切だ。僕狙いなら左手で撃退できるかもしれないが、ミカを狙われるとなると単純に左手のエネルギー砲を当てるのは難しい。

さてどうする。一番は左手の狙いを直接ラブロフに向けられればいいのだが、忌々しいルールのせいでそれもできない。

「次はどっちだ、ミカ!」

「こっち!」

相手の攻撃をかわすにはミカの能力だけが頼りだ。予測できれば、よほどの事がない限りかわせる。

……ん?待てよ。予測できればかわせる。逆に予測できれば当たれる。そしてあの忌々しいルール……!いける!

「次はどっちだ⁈」

「こっち!」

ミカが指差す。

「じゃあこっちだ!ついて来い!」

「え?ちょっと⁉」

ミカは僕の予想外の方向転換に戸惑いながらも、何とか鎖を切らずについて来た。だが僕は知っている。ミカ以上に戸惑いを感じた人間がいることを。

「ちょ!?待てオイ!」

ラブロフだ。僕たちが進みそうな方向に鉛の槍を突き出していたラブロフだったが、ミカに読まれたことが運の尽きだ。

「何とかしろ!」

ベティの鋭い声が飛ぶ。

僕はスピードに乗って槍に突き進む。

「ム、ムリだぁああ!!」

ラブロフの叫びが聞こえて、槍が僕の頬を掠めた。


ポタポタと僕の頬から血が垂れる。会場は静まり返っていた。僕は頬の血を右手の甲で拭った。

『勝者、珞間、窓辺ペア!』

アナウンスが僕らの勝利を宣言する。スピーカーを通してモニタールームの歓声が聞こえてくるようだった。

「やったよ!鳳!」

ミカが無邪気な笑顔で僕の首に巻きついてくる。手錠の鎖は千切れていた。

「ああ、やったな」

僕はミカの頭を軽く撫でる。今回はミカに助けられたと言わざるを得ない。

勝った僕たちと、負けたベティたちの構図は対照的だった。

「あ……」

ラブロフが声にならない声を漏らす。呆然としている、という表現がピッタリだった。

そんなラブロフを、ベティはチラリと見てからため息を吐いて言った。

「また今度だね」

アイツらが、どういう関係なのかは知らない。でも僕には、仲のいい姉弟のように見えた。親子と言ったら、ベティは絶対怒るだろう。

僕は時が経つに連れて、徐々に勝ったことに対する実感する。

「やった……」

一人でに口をついて出ていた。

「やったぞ!」

「うん!勝ったんだよ鳳!」

ミカが僕に頬をピッタリとくっつけてはしゃぐ。

これで、あの美しい切れ味は僕の物だ!

アナウンスが僕の目的を叶える合図を出す。

『これから表彰式をします。ゲームの参加者は地下一階第一講堂まで集まってください』


「ほら、約束通りのビアンカだ。受け取ってくれ」

「……」

僕たちは表彰式で団長のバルドから鞘に収められたビアンカを受け取った。軍隊一つ分の重さは、左手が特殊でなければ落としてしまいそうだ。

「何回か使ったことがあると思うが、また改めて練習に励むといい」

「ああ、わかってる」

バルドはゆっくりと頷くと、僕に手を差し出した。僕はビアンカを腰に刺してからその手をがっちりと握った。

会場が破れんばかりの拍手で包まれる。たぶん、その場にいた全員が祝福してくれたのだろう。いや、訂正。一人を除いて全員、だ。アイツはどう思ってるんだろう。ベティのパートナー、ラブロフは。

「ラブロフ君のこと考えてる?」

ミカが小声で囁く。

「ああ」

恐ろしい能力だ。いや、能力が無くてもミカなら見抜くかもしれない。ミカは僕に笑いかける。

「そんなに気になるなら直接会ってくればいいじゃん」

「あ?」

それは僕が一番最初に消した選択肢だ。それでもミカは言う。

「もう知らない仲じゃないよ」

「……」

もともと人と接するのが得意でない僕としては、素直に賛同できないところだ。

『二人は降壇してください』

アナウンスは僕に考える暇を与えず、舞台袖へと流す。

『それではこれで表彰式、および歓迎会は終わりです。解散してください』

とりあえず、これでゲームを含めた一連のイベントは終わった。あとはこれから僕がどうするかだ。

僕は考えながら、この講堂が空になるのを待つ。ミカは先に部屋に戻った。とそこに、

「お悩みのようね」

聞き慣れた声が飛んできた。僕はその主を確認程度にチラリと見る。

「ベティ……」

ベティは僕と目を合わせて、穏やかな表情で鼻から息を吐いた。

「悩んでることはだいたい想像がつくけど、その前にさっきのは見事だったわ。おめでとう」

「そりゃどうも」

「これでも本心から褒めてるのよ?」

ベティは苦笑いを浮かべて続ける。

「あのゲームは、単なる遊びじゃなくて、ビアンカの所有を賭けた試験でもあったのよ」

「試験?」

僕には何のことだかわからなかった。

「わかってると思うけど、あの劔はとても危険な物よ。下手をすれば、仲間の首を跳ねるぐらいね」

たしかに、ちょっと触れただけで傷つくほどの切れ味だ。仲間に当たればそれくらいはなる。

「だから、ここで試したのよ。チームワークはどうか、状況判断は適切か、とかね。君たちは、見事それに合格したってわけ」

「なるほどなぁ」

「でもあなたちが、落ちた他のメンバーに、負い目を感じることはないのよ」

「……ああ」

僕の心はそんなに透けているのだろうか。コイツも、僕の悩みの種をわかっている。

「何者なんだ、あいつは?」

僕は思い切って訊く。ベティは一息入れてから答える。

「ちょうどあなたちと同じくらいの時に入ってきた新人で、見た通りやんちゃ坊主って感じ」

まあそんな感じだな。

「あの子は生まれてすぐ捨てられたらしくて、孤児院で育てられたの。ついこの間までその施設にいたらしいんだけど、自分の役割を求めてそこを出た。そして放浪してたあの子を、私たちが引き込んだってわけ」

「ふ〜ん」

最近入ったことといい、親がいないことといい、何だか僕に似てるな。まあ性格まで似てなくてよかったけど。

「とにかく、アイツはこんなことでしょぼくれるヤツじゃない。かと言って、スッパリと諦めるようなヤツでもないけど」

「じゃあ」

「ええ」

僕の予想を、ベティが肯定する。

「たぶん、もう待ってる頃じゃないかしら」

「そぉかよ」

僕は扉の方につま先を向ける。

「行くの?」

ベティは僕の背中に声をかけた。

「待たれてるんだろ?」

僕の返事に微笑みながら、ベティは最後の忠告をする。

「仲良くね」

「ハイハイ」

僕はそれを受け流して、廊下へと踏み出した。だいぶ人が少なくなった廊下を、自室に向かって歩く。これからミカを呼んでラブロフに会いに行く“予定”だ。しかし僕が自室にたどり着くことはなかった。なぜなら途中で一人の男が立ちふさがったからだ。

「おう!待ってたぜコノヤロウ!」

「……」

そいつは早速喧嘩を売ってきた。予想通りと言えば予想通りだ。僕が黙っているのを見て、その男は眉を吊り上げてがなり立てる。

「やいやいこのラブロフ様のことを忘れたのかぁ⁈!」

「覚えてるよボケ」

「おおそうか」

「何で照れてるんだよ……」

ラブロフは一言で言うとバカなヤツだった。見たまんまですねハイ。それにしても、これから会いに行こうと思ってたのに、こんなところで待ち伏せされているとは。

「で、僕に何の用だ?」

するとラブロフは目を泳がせた。

「いや、な?ほら、あれだよ。さっきの勝負の感想を言おうと思って……な」

「感想?」

「うん」

ラブロフは幼稚園児的な動きで頷いた。

「いや〜さっきのアレは正直納得いかないけど、一応俺も騎士だからなぁ。素直にやられたってことにするよ」

「そぉかよ」

「何だ?反応薄いな?」

「お前他に言うことあんだろ?」

「えっ?何でわかった?!」

「顔に書いてある」

「え?マジ?お前鏡持ってる?」

「銅鏡でも使ってろアホ」

ベティの言う通りだな。

ラブロフについてもう一言付け加えるなら、こいつはドアホだ。見たまんまですよ、ええ。

「まあ確かにそうなんだよ」

ラブロフは頭の裏をぽりぽりと掻く。それからビシッと僕を指差して言った。

「ズバリ!それはお前と俺がこれからライバルだってことだ!!」

「……はぁ?!」

ヨソウガイデス。

「ちょっと待て脈絡が無さ過ぎんだろ!」

「必要無いだろそんなモン!」

「ある程度は必要だ!」

コイツといると疲れる。

そしてコイツはさらにとんでもないことを言い出した。

「黙れ!ミカちゃんは俺のモンだ!」

……ライバルって、

「恋か何かのかよ?!」

「当たり前だろ!!」

わけわからん。わかるのはコイツは死んだ方がいいということだ。

「つかそんなことでライバルにすんじゃねぇよ。勝手に持ってけや」

「え?!いいの??」

「いいからそんな目ぇキラキラさせんじゃねぇよ、鬱陶しい」

「イヤッホーイ!」

バカは飛び上がって喜ぶ。

「今俺のことバカって言っただろ!」

「エスパーかお前は!」

「うんそんな感じ」

「ウゼェ……」

とそこに、

「あ!鳳!」

今ここで一番聞きたくない声が。

「何でここにいるんだミカ……」

「ひどいなぁ。せっかく探しに来たのに」

「たとえそうでも……!」

その時。僕は背中に冷たい物を感じた。ジメジメとしていて、しつこくまとわりついてくるようなこれは……

「嫉……妬……」

何これ恐ろしい!

そうして僕が動けなくなったところでヤツは飛び出した。

「やあ初めましてミカちゃん!」

何早速手ぇ握ってんだ、離れろ!

「え、ええと……ラブロフ君……だよね?」

「……」

そしてこの表情!名前覚えらてただけで喜び過ぎだろ!

「ラブロフ……君?」

ミカも困ってんじゃねぇか!

「ゴメン、もう一回言って?」

何要求してんだテメェ……!

「え?……ラブロフ……君?」

何でお前もニーズに応えてんだよ、ミカ!

「……鳳……俺もう死んでもいい」

「都合いいところで僕を解放するな!そして死ね!」

ホントキメェなこいつ!

「そういえば、どうして鳳とラブロフ君が一緒にいるの?」

まあ確かに不思議だよな。

「それはだな「それは俺がs「引っ込んでろ!」

非常にわかりづらくて申し訳ない。アホの乱入を食い止めるのに必死だったんだ。

「今俺のことアホって言っただろ!」

「ああそうですね!エスパーですね!」

「うんそんな感じ」

「……」

やっぱ……ウゼェ。

「あの〜ちっとも話が進まないんだけど〜」

「ごめんねぇミカちゃん。コイツg「テメェは帰れ!」

僕はいろいろな物を込めてラブロフを突き飛ばした。

「ゲヘェ?!」

「いやどんなザコでもその叫びはねぇよ!」

最後までキモイヤツだな。

とにかく、これで邪魔者はいなくなった。僕はミカに向き直る。

「どうして一緒にいたかというとだな」

「ふむふむ」

「……待ち伏せされたからだ」

「へ?」

正しい反応だな。

「誰が?誰に?」

「僕が、ラブロフに」

「へ、へぇ〜……何で?」

「知るか、そんなモン」

僕はたった今起きたという感じで腰を下ろしているラブロフを睨む。

「俺はまだ何も悪いことはしてねぇぞ!」

僕の視線に気づいたラブロフは抗議する。

「ほう。会って数秒で早速ミカに取り入ろうとしたのにか?」

「そ、それは悪いことじゃないだろ?!お前だって持ってけって言ったじゃねぇか!」

ラブロフの抗議は激しさを増す。

「だいたい!俺とミカちゃんがどうなろうがお前には関係ないだろうが!」

……確かに。

じゃあ何で僕はこんなに必死になってるんだ?

いくら考えても答えは出そうになかった。……気分悪りぃ。

「とにかく!お前みたいなヤツはダメだ!」

「関係ないだろって!」

ギャーギャーと喚き出すラブロフ(と僕)を前に、ミカはただただ困惑していただろう。

そしてついに、言い合いに飽きたラブロフは僕たちに背中を向けて駆け出した。

「チクショー!今度決着付けてやる!ミカちゃん!愛してるよおおぉぉぉ」

最後にとんでもないセリフ残して行きやがった。

「へ?あ、はぁ……はぁ?!」

当然、ミカは目を丸くする。そんなミカの肩に僕は手を置いて真実を伝えた。

「僕とアイツは恋のライバルらしいぞ」


それから僕たちは自室に戻った。

「はぁ……疲れた」

入るや否や、ミカはベッドにドサッと腰を下ろした。

「はぁ……僕もだ」

狙ったわけではないが、僕も全く同じ動作でベッドに座っていた。どうやら、アイツには出会った人間を疲れさせるという特技があるらしい。

「そういえばそれ、重そうだから筈したら?」

「ああ、そうだった」

ミカに言われて、腰に刺したビアンカの存在を思い出した。僕はミカの言う通りにビアンカを筈して側の机に載せた。

「それにしても、今日はいろんな事があったね」

座った状態から上半身を寝かせた状態になったミカがすかさず話しかけてくる。寝るつもりはないようだ。

「ああ、あったな……いろいろと」

僕もミカと同じ大勢になって、横に置いた目覚まし時計をチラリと見た。短い針は八を少し過ぎたところを指していた。

ベティに歓迎会に誘われてからすでに六時間が経過していたが、今日一日は本当に色々なことがあった。狂った芸術家と戦い、アレシアを助け、プライベートジェットで帰国し、歓迎会に参加。ゲームに勝利し、ビアンカを獲得。さらにラブロフというおかしなライバル(?)ができた。

これらの出来事のどこからどこまでが「一日」で区切れるのか、時差の前では謎だが、少なくとも、僕にとってはこれら全てが濃くて、忘れられない出来事だった。

「疲れたね」

「ああ」

疲れた。本当に疲れた。でも、

「悪くないな」

「うん……悪くない」

確かに、命を賭けた戦いなんてなるべく無い方がいい。でも終わったあとのこの鈍い時間が、僕は好きだ。それが僕の戦う理由なのかもしれない。

「ところでさぁ」

「あ?」

ちょうどこっちを向いたミカと目が合った。

「どうして鳳は、あんなに必死になってラブロフ君を止めようとするの?」

答えが出ない問題は、僕の思考を全て持っていく。

「さあな」

僕は思わず寝返りをうった。

きっとラブロフと言い争うことも一種の戦いだ。ただし、勝っても僕の好きな時間は訪れない。じゃあどうして戦う?

これが僕に与えられた問題。僕一人では到底解くことのできない難問だ。……ムカつく。

「わかんねぇけど、はっきりしてることもある」

「?」

ミカが疑問の目を投げかけてくるのが背中越しにわかる。少しだけ、目を見てみようか。

僕はミカの方を向き直った。

「僕は戦わなきゃならない」

あるいは、“戦いたい”。それが僕の気持ち。過程をすっ飛ばした結論だ。

「ふ〜ん……変なの」

ミカの目が天井へと移る。

「ああ……変だな」

でもしょうがねぇ。結論だけは出てしまっているのだから。

「もう寝よう……おやすみ」

気が変わったのか。ミカは布団に潜り込み、目を閉じた。僕は寝る気にはなれなかった。カーテンの隙間から漏れる光にやけに目が行く。一瞬、カーテンを開けて光の正体を確認しようかとも思ったがやめた。朝が来ればどうせ開けることになるのだ。その時でも遅くない。

ベティ、テルマ、バルド、アレシア、ラブロフ……騎士になってから増えた繋がりは多い。

「これでよかったのかもな」

僕は独り言を呟く。

騎士になる前とはえらい違いだ。

僕は目を閉じる。寝る気はなかったが、僕の体は休憩を欲しがっていたようだ。

その夜、僕は夢を見た。


そこは小学校の校庭だった。

周りでは小学生たちが元気に走り回っているが、僕自身はガラスケースに閉じ込められかのように彼らには触れられず、僕の声も届かない。

別にそれで問題はなかったが、それはある一人の子どもを見つけるまでだった。

その少年は木の影で体育座りをしていた。何をするわけでもなく、ただ座っているのだ。その子どもはみんなと同じスポットライトの下にいることを許されていなかった。そして僕にはその子の気持ちがよくわかった。

本当は入りたかった。あそこで腕を組んで回る輪の中に。日陰は気持ちがいい。眩しくなくて。

そんなおとなしい子どもの所に、三人の別の子どもがやってきた。僕には彼らが、いわゆるいじめっ子であるのがすぐにわかった。

「おいおい、こんなところでなにやってんだよ?」

一人が顔を突き出して言う。

「おまえ、きのうころんでたよな?だいじょうぶかよ?」

いじめられっ子は咄嗟に右膝を手で隠した。しかし遅かった。いじめっ子たちはその膝を見て言う。

「あれれぇ?きのうはあんなにいたそうだったのに……もしかして、なおったとか?」

「いやいや、いちにちでなおるなんてそんなのにんげんじゃないよ」

一人が態とらしく手を振る。

僕はこの時点でこのケースをぶち破っていじめっ子をひっぱたいてやりたかった。しかし、それも叶わない。

もう一人が大げさに相槌を打つ。

「そうそう、そんなの、ばけものぐらいしかいないって」

「じゃあばけものなんだ!」

「そうだ!」

僕は奥歯を噛み締めた。それこそ、歯がすり減りそうなくらいに。

「ばーけもの!ばーけもの!」

そして始まる化け物コール。

僕と囲まれた少年は、込み上げる熱くドロドロしたものを抑えるのに必死だった。気を抜けば、相手の幼く光る瞳を潰してしまいそうで。

少年を囲むのに飽きた三人は、どこかへ行ってしまった。残された男の子は膝に顔を埋めた。悔しかった。こんなことで涙してしまう自分に、腹が立った。

本当はこの後、優しい少女が来てくれるはずだ。少年がいじめられた時、決まってその少女が慰めに来てくれた。しかしこれは夢だ。場面は、その女神の登場を待たずして進む。

今度は中学校だった。僕は同じようにケースの中だ。

教室は授業の合間の休み時間のようで、それぞれが気の合う仲間の机に行っておしゃべりをしている。そんな教室の一番窓側の席で、ぼんやりと窓の外を眺めている少年がいた。

僕だった。

中学生の彼は心を空っぽにして、黄色く色づいた木の葉を視界の端で流す。そんな彼に近づく人間がいた。クラスメイトの男子。名前はたしか、福 竜司。そいつは、中学生の僕に向かって何かをお願いしているようだ。ここでは向こうの音も聞こえないが、はっきりと覚えている。あいつは僕にテレビに出てくれと言ってきたのだ。

アイツには小学生の弟がいて、その子が重い病気にかかったらしい。でも福の家は貧乏で、弟を治療する金がない。そこで目を付けたのが異能力者である僕だった。アイツは僕の能力を見せ物にして、金を得ようとしたのだ。

だが僕は断った。僕の能力的に、必ず血を見ることになる。番組では、視聴率は取れないだろうと。でもそれは建前で、本当は、単純に僕が「化け物」であることが、これ以上世間に知れ渡るのが嫌だった。

それでも福は、しつこくつきまとってきた。確かに弟を思うその行為は絶対悪ではなかっただろう。それでも僕は断り続けた。

やがて卒業の時が来て、福と会うこともなくなった。だから今は、弟がどうなったのかも、福自身がどうなったのかもわからない。

中学生の僕が首を横に振った。福は机を叩く。

このことに関しては、ミカは何も言わなかった。おそらくミカも、どの選択が正解なのかわからなかったのだろう。

そしてこの舞台は、何事もなく次のステージへ動く。

次は妙に暖かい場所だった。四人乗りの車の中で、今度は僕自身が運転席の後ろに乗っている。隣に僕の2つ下の妹、助手席には母さんが座り、運転席では機嫌良さそうな父さんがハンドルを握っている。母さんが時々笑って、チャームポイントであるえくぼを作る。それに合わせて妹も同じえくぼを作って微笑んだ。僕には会話が聞こえない。聞こえるのは、隣の妹の笑い声だけ。

わかっていた。これは“あの時”のシチュエーションだと。できることなら叫びたかった。

だめだ……進んじゃだめだ!!

しかし僕の声は届かない。彼らには、明るい未来しか見えていない。

車は進み、問題の踏切へと差し掛かった。

あの時、父さんがもっとよく確認していれば。

あの時、きちんと踏切の整備がしてあれば。

あの時、僕に能力が無かったら……。

僕が気づいた頃にはもう手遅れだった。列車は、車の助手席側に迫っていた。そして……


「うわァあああ!!」

僕は自分の叫びで目が覚めた。今のが夢だとわかり、グシャグシャと頭をかく。この夢を見たのは久しぶりだった。昔はよく見たものだ。

「わかってんだよ……」

独り言を吐いた。隣ではミカが寝息を立てている。時計は、午前六時を指していた。

わかってる。わかってるんだ。

あの時どうにもならなかったから今こうなってるんだってことは。でもしょうがねぇだろ。僕の意志であれを見るわけじゃないんだし、むしろ見たくないんだ。

ていうか、何で今日だったんだ?昨日、騎士になる前のことを思い出したからか?とにかく、目覚めのいい朝ではない。

僕はベッドから這い出て、少しでもマシになるように洗面所へ向かった。


ミカが目覚めたのはそのニ時間後だった。

「おはよう……」

ミカはまだ夢心地で、半分しか開かない目を擦った。

「……よう」

僕は適当に返事をして、特に面白くもない新聞を読み続ける。

「……機嫌悪いの?」

「……は?」

これには僕も新聞から顔を上げた。するとミカが目をパッチリと開いて僕を見つめていた。

「なんッ……いや、まあそんなところだ」

「悪い夢でも見たの?」

コイツはホントに……、

「その通りだよ」

「ふ〜ん」

僕はこれ以上この話をしてなるものかと、新聞を持ち上げて顔を隠した。

「……あのさぁ」

「アァン?」

珍しいと思った。普段ミカは僕が嫌そうなそぶりを見せたらそれ以上追及しないヤツだからだ。でもきっと聞きたかったのだろう。

「その夢で、私は鳳の助けになれてた?」

「え……」

『なれてなかった』が答えだろう。でもそれは夢の話。実際は……とか言ったってミカにそれは通じない。

「なれてなかった」

「……そう」

ミカはわかりやすく落胆した様子を見せた。

「でも」

僕は新聞を畳んで放る。

「夢と現実は違う」

「!」

ミカの表情がみるみる明るくなる。そして、

「鳳!!」

「うわぁ!」

ベッドに腰掛けた僕に飛びついてきた。そのままベッドで抱きついてくる。

「やっぱりぃ!やっぱり鳳大好き!」

「何でいきなり告白なんだよ!」

久しぶりに聞いたわ!治ったと思ってたのに!

昔……そうちょうどあの夢の中ぐらいの時はよく聞いた言葉だ。あの頃はことあるごとに告ってきたものだ。

僕は無理矢理ミカを引き剥がしながら言う。

「お前なんか騎士団に入ってからおかしくなってねぇか?!」

「なってないよ!」

ミカは頬を膨らませたかと思うと、今度は急にもじもじし始めた。

「ただちょっと自分に正直になったっていうか……」

……わかった。……やっぱりコイツおかしくなってる!

僕はミカの肩にそっと手を置きなるべく優しく微笑んだ。

「病院に行こう」

「ほーう?!!」

「ちょ、まっ!」

ミカは僕の手首を捕まえて、その手をミカから見て手前に引き、ミカ自身の顔、もっと言えば唇を突き出した。

もうわかっただろう。

現在、僕とミカはキスをしている。

最初の感想は、『懐かしい』だった。高校生になってからは、数えるぐらいしかしていない。

……ったく。

僕はミカの頭の後ろに手を回して慣れた大勢に変わる。

僕たちのキスは短い。ほんの五秒程度だ。

「っぷは」

ミカが唇を離す。

「したいならしたいって言えよ」

「言ったら鳳はしてくれた?」

「さあ、そりゃわからねぇけどな」

「でしょ?」

ミカはニヤリと笑った。

僕は無視してベッドに潜り込む。

「どうしたの?」

「寝る」

なぜだか急に眠くなった。夢のせいで眠りが浅かったのかもしれない。

「じゃあミカも」

そう言って、ミカは当然のように僕の隣に収まった。

自分のことをミカというのは、昔からだ。もしかしたら、ミカがお姫様のように振舞っていたのは、僕の前でもそうだったのかもしれない。

僕はわざとミカに背を向ける。ミカは僕の背中に張り付く。

何かが元に戻った。

そんな、暖かくて甘い、秋の朝。


時が進むのは早く、気がつけば秋の気配は、冬という新しい季節によって追い出されようとしていた。

「ハァイ、元気?お二人さん」

「元気だから仕事内容を教えてくれ」

あの歓迎会からニヶ月が過ぎ、その間にやらされた仕事はまともな物がなかった。もっぱら、テルマの手伝いがほとんどだった。そして、おかしくなった、いや、昔に戻ったミカの様子は再び変わるようなことはなかった。

「何でそんなにせっかちなのよ」

ベティは渋い顔で呟いて、仕事内容を告げた。

「今度は久しぶりにデカイ仕事よ。あなたたちにはアメリカに行ってもらうわ」

「アメリカ?」

また遠いな。

ベティは頷く。

「極秘任務なんだけどね。アメリカの北に五大湖ってあるでしょ?あれの側に私の知り合いの技師が住んでるんだけど、その人から頼んでた品ができたから取りに来てくれ、って連絡があったのよ」

「それを取りに行けってか?」

「そう」

要するにまた雑用じゃねぇか。

「郵送じゃダメなのか?」

「ええ。とても高価な物だから直接行った方がいいわね」

「一体何を頼んだんですか?」

ミカが質問する。

「まあただの通信ツールなんだけど、今までのものとは比べ物にならないぐらいの機能なのよ」

「へぇ」

僕は正直呆れていた。何がデカイ仕事だ。

僕のそんな様子を見て、ベティは笑ってごまかす。

「これだって騎士団に十分貢献できる仕事よ。ね?」

チッ。頼まれたのが運の尽きだな。

「どうせ断れねぇんだろ?」

「よくわかってるじゃない」

「……はぁ」

僕は思わず大きなため息を吐いた。

「まあまあ。出発は明後日だから、余裕あるわよ」

「はいはい、周到に準備しますよ」

「よろしくね」

僕たちは首を捻りながら部屋を出た。


「ったく、何でアメリカなんだよ」

「う〜ん、かなり遠いね」

自室に続く廊下を歩きながら、僕たち、と言うか僕は文句を言った。

「五大湖っつったらカナダとの国境のとこだろ?結構寒いんじゃねぇか?」

「うん、きっとここよりは寒いね」

「……お前、コートか何か持ってるか?」

「ううん……鳳は?」

「ねぇな」

こうなると、明日の予定は決まったようなものである。

「買い物行くかぁ」

「うん!」

ミカが嬉しそうに返事をした。


翌日、僕たちは近くのショッピングモールに来ていた。

「さすがに広いな」

僕は突き当たりまで続くコートの区画を眺めた。

「うん、他の階にもコートあるらしいよ」

ミカは、パンフレットに顔を埋めて応じた。

「とりあえず、見て回るしかねぇわけだが……」

「わかってるよ、ちゃんと選んであげるから」

「サンキュー」

僕は今まで街に繰り出すということがほとんどなかった。だから当然選ぶなんていう高等技術は持ち合わせていない。

「じゃあまず鳳のから行こう!」

「ああ」

僕たちは少し移動して、男物のコートやジャケット売り場にやって来た。

「一応、これ全部が候補なんだけど……鳳はどんなのがいいの?」

「そうだな……目立たねぇのなら何でもいいな」

するとミカは血相を変えて首をブンブン振った。

「ダメダメそんなんじゃ!ある程度目立たないとやってけないよ!」

「何でだよ……」

「じゃあ鳳はこんなのとか、こんなのとかを着るつもりなの?」

ミカはその辺にあった深緑と茶色のジャケットを取った。別に悪くはないと思ったのだが。

「オーケーわかったからとりあえずそれ戻せ。店員の目が痛い」

「わかればよろしい」

「……お前もいつか殺す」

「そんな……ラブロフ君と一緒にしないで!」

「何でラブロフが確定なんだ!そうだけど!」

「私ならそうするな、と」

「お前もなかなかひどいヤツだな」

「冗談はさておき」

ここでミカはまた別のジャケットを手に取った。

「私の本当のオススメはこれ!」

「……冗談だろ?」

ミカが取ったのは、まさかの赤と白の縞模様だった。

「失礼ね!人のセンスをバカにする気?!」

「黙れこのピエロフェチが!」

「そんなことないし!」

こいつ絶対ぇパーティのとんがり帽子とか被せてくる気だ!つか作る側もセンスねぇ!

「もういい!自分で選ぶ!」

僕はその方がマシと判断した。

「ちょ、ちょっと待って!」

ミカがガシッと僕の腕を掴んだ。

「……なんだよ?」

僕が振り返ると、ミカは咳払いを一つした。

「ま、まだ候補はあるよ。ほら、これなんかどう?」

ミカは黒のライダースーツのようなデザインのを広げた。

「まあ……普通だな」

「で、でしょう??」

ミカはそう言って、明らかに安堵のため息を吐いた。

「何安心してんだよ」

「してないし!」

ミカはさらにもう一つ別のを取った。

「じゃあこれ……」

もうかなり恐る恐るという感じだ。

「う〜ん……」

「……」

僕が考えている間、ミカは次第に小さくなって、しまいには消えて

「ない!」

「人の心にツッコミを入れるな!」

とりあえず、ミカが出した真っ黒なジャケットは、僕の趣味に一番合っていた。

「防寒も良さそうだし、それにする」

「うん!いいと思う!」

ミカはその辺から取ってきたカゴにジャケットをバサッと入れた。

「次はお前のだな」

「うん!ちゃんと選んでね!」

「うん?」

今この娘は何と言った?

え・ら・ん・で・ね・?

「お前、この僕が選べると思ってんのか?」

「え?選べないの?」

「僕が何のためにお前に選ばせたと思ってる?」

「う〜ん……ラブラブだから?」

「よし死のうか」

「待って待って冗談だから左手を降ろしてお願い!!」

「チッ」

「舌打ちやめて!」

ったく、コイツは……

「僕がお前に選ばせたのは自分で選べないからだ。お前のなんて、なおさら選べねぇよ」

「でもね、その……ね」

「なんだよ、珍しく歯切れ悪いな?」

ミカは目をウヨウヨさせながら、胸の前で左右の人差し指を突き合わせて言った。

「一応私も女の子だし、好きな人に選んでほしいなぁ……なんてね」

「……ふ〜ん」

本音を言えばまあまあ可愛いんだよなぁ、コイツは。

「しょうがねぇなぁ」

「選んでくれるの??やった!」

「だぁもう引っ付くな!」

あの店員うぜぇ!そんな目でこっち見んな!

「ねぇ!ねぇ!どれがいいと思う?これ?それともこっち?」

ミカは柄も何も考えないでその辺にある選択肢をいくつも取る。

「選んでやるから少し落ち着け。そんないっぺんに見れねぇよ」

「じゃあ早く選んでよぉ」

「だから急かすなって。急ぐ用事もねぇだろ」

僕は売り場を隅々まで回り、ミカに合いそうなのを探す。その間、ミカは終始僕の後ろについていた。

「これなんかどうだ?」

僕はその中で一番いいと思ったのをミカの前に広げる。

「ううん……白かぁ」

「気に入らねぇか?」

僕は真っ白のジャンバーを手に取っていた。僕の中で、ミカのイメージカラーは白なのだ。

ミカは難しい顔をする。

「悪くはないんだけど、黒っぽいのがいいなぁって」

「?何で黒なんだ?」

正反対だろそれは。

「だって、鳳が黒だから」

「僕と似たのがいいってか?」

ミカはコクリと頷いた。

ハッキリ言って、人を見る目がねぇよ。

「やめとけ、お前に黒は合わねぇよ。それに白だっていいぜ?黒と白って、光と影で、一心同体みたいな感じするだろ?」

「!いい事言うね鳳!決めた!私それにする!!」

そんなつもりで白を選んだんじゃない。ただ、選んでみたらそういう組み合わせだったってだけだ。もう一度言う。そんなつもりで選んだんじゃない。

「他に買いたい物ねぇのか?」

「う〜ん、特にないね!」

「そぉか」

「鳳はないの?」

「僕もねぇな」

「じゃあ、これ買って帰りますか!」

「おう」

「……ていうかさぁ」

「アン?どうした?」

いやに深刻な顔してるなぁ。

「鳳、お金持ってる?」

ああ、そのことか。

「持ってるぞ。今回の仕事でベティから資金が出てるんだ」

「へぇ、いくら?」

その質問を待っていた!

「百万」

「ひゃ、ひゃくまん⁈」

「いい反応だ」

普通はそうなるだろうけどな。

「まったく、ベティは僕たちをどこに泊める気なんだろうな」

「う、うん」

まあ何はともあれ百万(移動費は別)だ。ジャンバーの一着や二着は出費には入らない。

「ていうかそのお金はどこから出てくるんだろうね?」

「あ?……確かにそうだな」

ミカが口にした疑問ももっともだ。騎士団の人間は基本無職だ。それなのに、騎士団はジェット機を持っていたり、ホイホイ百万が出てきたりする。

「まあ帰ったらベティに聞きゃぁいいだろ」

「うんそうだね」


その後僕たちは会計を済ませ、まっすぐ騎士団のビルに帰った。

「思ったよりあっさり決まったね」

「そうだな」

ミカは買ってきた僕とミカのジャンバーを並べてクローゼットの中に掛けた。

「とりあえず、明日の準備をしよう。何泊で行くの?」

「まあ三泊五日じゃねぇのか?遊ぶなら別だけど」

僕はてっきり、『遊ぶ』の方に反応すると思っていたのだが、

「三泊五日?」

ミカが反応したのはそこではなかった。

「ああそうだ。何かあったか?」

「いや三泊四日じゃないのかなぁ、と思って」

「いや三泊五日だろ?」

「どうして?三泊と四日ってセットじゃないの?」

「……あのなぁ」

そう来たかぁ……。いるよなぁこういうヤツ。

「〜泊〜日っていうのは、現地に何日泊まって、日本時間で何日かかるかってことなんだぞ」

「え?そうだったの?」

「そうだったんだよ」

「ヘェ〜テストにも出なかったから知らなかったなぁ」

出るわけねぇだろ。一般常識だ。

「へへ、まあテストに出てもどうせカンで答えるから覚えないけどね」

「便利過ぎんだろ、お前の能力」

僕の記憶では、コイツは常に成績上位だったから頭はいいと思ってたんいたが。そういうことだったのだろうか?

ミカはゴソゴソと持っていく物をスーツケースに詰め始めた。それじゃあ僕も準備しよう。僕は一冊の本を手に取った。

「何その本?」

ミカが畳まれた服から顔を上げる。

「これもベティから渡されたんだ」

僕は本の表紙をミカに見せる。

「『旅行で役立つ100の表現』?」

「そう、ベティが多少英語できないと困るからってな」

「ふ〜ん」

まああまりにも今更って感じだが。

「でも、何でこの前のイギリスの時にくれなかったのかなぁ?」

「さあ……入団してすぐだったから、そこまで気が回らなかったとか?」

「う〜ん何かそうじゃない気がするんだよねぇ」

「それ、カン?」

「うん、カン」

……早くも不吉な兆しが……。

僕は不安を取り除くために、役立つ英語を叩き込む。


僕たちは翌日の午後0時に東京を出発し、同日の午前10時35分にデトロイトの空港に到着した。

「あ〜なんか変な感じする〜」

「時差ボケには早いぞ」

でも確かに、昼間に飛行機に乗り込み、12時間後に降りたらまだ昼間、っていうのは不思議な気分だ。

「でも少し得した気もするね!」

「まあ……わからなくもないけど」

でもたぶん帰りは逆に激しく損した気になるんだろうな。

「これからどうする?適当なホテル見つけて、明日仕事とかっつーのでもいいんだけど?」

「いや、今日のうちに行こう」

「意外だな」

ミカなら、遊んでから行きたいとか言うと思ってた。

「確か、ヒューロン湖の畔だったよね?」

ヒューロン湖というのは、五大湖の一つで、五つの中で最も人が少ない湖だ。ベティの知り合いは、その畔に一人で住んでいるらしい。

「ああそうだ」

「じゃあさ、今日はそこに泊めてもらおうよ」

「アン?」

都会好きなミカにしてはずいぶんと変わった提案だ。

「今日は何か、自然に触れたい気分なの」

「ふ〜ん……まあいいけどよ」

「やった!」

「断られたら諦めろよ」

「うん!」

とりあえず、やることは決まったようだ。外に出て、タクシーを拾うとしよう。金ならいくらでもあるし。

「それより鳳、よくわからないけどいやな予感するから、気をつけてね」

「昨日からだよな?」

僕たちは、外に向かって歩き出した。


僕たちはタクシーに乗り込み、簡単な英語で行き先を告げた。その時の運転手の顔は心なしか嬉しそうだった。

ニ時間走ったところで、タクシーは突然止まった。

「来れるのはここまでだ」

運転手は、ゆっくりとした英語でそう言った。

現在地は、どう見たって林の中で、湖の『み』の字も見えない。

「湖はどこだ?」

僕は中学校で止まった英語で聞いた。すると運転手はまっすぐ前の林を指差して言った。

「この向こうだ」

僕もミカも口を開けて固まった。

「どうする?戻るか?」

僕たちの様子を見て、運転手は心配そうに言った。できることならそうしたい。でもこれは仕事だ。

「いや……降りる」

僕たちは日本円でニ万円ほどの運賃を払って地面に足をつけた。

「そう言えば、この辺りには怪しい噂がある」

僕はこれを聞き取れなかった。しかし、

「噂?」

ミカは聞き取れていた。運転手は頷く。

「そうさ、この辺りにはgoatsuckerが出るっていう話なんだよ」

「そうなんだ。気をつけるわ」

ミカが答えると、運転手は軽く頷いてアクセルを踏んで走り去った。後には僕とミカが残された。

「お前英語できたのかよ」

「なんとなくね」

ミカは適当に答えた。

「それよりも鳳、goatsuckerって何かな?」

「ゴートサッカー?」

「うん。あの運転手さんがこの辺で出るって言ってたんだよ」

「出るってことは、幽霊とかその類か?」

「そうかもね」

ミカはポケットからスマートフォンを取り出して調べ始めた。間も無く、ミカは怪訝な顔をした。

「チュパ……カブラ?」

「何?」

ミカはスマートフォンの画面をぐいっと突き出した。

「ほら、goatsuckerで検索したら出てきたよ」

確かに、スクリーンには二足歩行する奇妙な怪物の画像と、その説明が載っていた。

チュパカブラなら知っている。長い舌を持ち、家畜や人間の血を吸って殺す化け物だ。

「こんなのが出るわけ?」

ミカが甲高い声を上げる。

「バカバカしい。そんなのどこにでもある迷信だろ。ネッシーと同じだ」

「今回はずいぶん強く否定するね?」

「化け物なんて、人間だけで十分だ」

「またわけのわからないことを」

「いや結構マジメな話だぜ?」

実際、あのビルにいる人間は全員化け物なのだ。僕と、ミカも含めて。

「それより、どうすんだ、これ?」

僕は眼前に広がる林に向き直った。続けてミカもその問題を直視する。

「折角の新品なのに……」

ミカが自分の白いジャンバーを見て悲しそうにつぶやいた。かわいそうではあるが、仕方が無い。

「また新しいの買ってやるから、今は進むぞ」

「うん!」

ミカは途端に嬉しそうになって僕の後ろについた。

「あ」

「うん?」

草をかき分けながら、後ろのミカが何かを思いついたようだ。

「渡されたお金って、もしかして苦労手当てってこと?」

「だろうな」

あの上司、いつか殺す。

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