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The story of “R”―怠惰天使の日常―  作者: ちりめんじゃこ
―4―
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―4-2


 気付くと最早行きつけになってきた清の高校に来ていた。

 一瞬どうしようか迷ったが、せっかくここまで来たので清に会っていくことにした。


 三階、左端の教室。

 窓際の席に清が座っていた。

 四十人近い制服姿の男女が板書したり教師の話に耳を傾けたりあるいは寝ていたりと、各々好きな形で授業を受けている。もちろん清は真面目に話を聞いている数少ない一人だ。


 窓の側まで近寄ってみる

 清がこちらに気付く気配はない。

 どうしようかな。このまま飛んでるのも疲れるし。


 あ、目が合った。


 清は一瞬ビクッとして「俺は何も見なかった」という感じで目を逸らしたが、俺が見続けているといたたまれなくなったのか観念したようにこっちを見た。


「屋上で待ってる」


 上の方を指差し口パクで合図する。

 「わかった」と清も小さく口を動かしたので、俺は一人屋上へ向かった。



 羽を消して可視状態になり、屋上のど真ん中を陣取って両手を頭の下で組んで寝転ぶ。

 これならもし清との会合を誰かに見られても、とりあえず清が一人でしゃべっている危ない人には見えないだろう。なんという気遣い。


 見上げた空は太陽こそ出ているものの雲が多かった。

 アズと真面目にケンカしたときはもっと雨が降りそうな雲が出てたっけな。


 俺は目を閉じるとその時のことを思い返した。




◆…◆…◆…◆…◆




「え? 契約が終わったとき?」


 灰の領域の大樹の上。

 適当な枝に二人で並んで座る。左隣に座るアズがこっちを見上げていた。柔らかそうな髪に木の葉がついていてアクセントみたいになっている。いつそれに気付くだろうかと思い、あえてアズには教えなかった。


「うん。悪魔の契約って願いと魂の交換して終わりでしょ。魂どうやって取るの。引っこ抜くの?」


 これは以前から疑問に思っていたことだ。

 サファも他の人も詳しくは教えてくれなかった。「貴方には関係ありません」とか「知らなくて良いことだ」とか言われたけど、そう言われると余計に知りたくなるのは種族関係無しに共通だと思う。


 アズならもしかしたら教えてくれるかと思った。

 しかしアズはしばらく焦ったように目を泳がせて俺から目を逸らし、


「うー……それは教えられないよ」


 と言った。


「何で?」


「規則だから……」


 規則なんてあるのか。契約者同士以外は知っちゃダメってことなのか? なんかむかつくな、それ。

 口篭るアズを何も言わずにじっと見ていると段々声が小さくなっていった。


「だ……っだめだよ……」


 伏し目がちに発したその声は、弱々しく頼りなげなものだった。

 なんかこれって。


「そのセリフなんかエロい」


「エ……!? そんなことないだろっ」


 俺のまさかの発言にアズはショックを受けたようでわなわなと体を震わせた。

 いや、でも正直に感想述べただけだし。


「ラースがエロいからそんなふうに聞こえるんだろ」


「悪魔ほど性欲強くないよ」


「天使がエロいとか性欲とかゆうなっ」


 アズは恥ずかしかったのかそういう会話に慣れていないのか顔を赤らめた。

 それにしても第三者が聞くとどっちが悪魔なのかよくわからなくなる会話だ。ここは普通、天使(おれ)が恥ずかしがるべき場面なんじゃないだろうか。


「天使だって普通に性欲くらいあるでしょ」


「あるの!?」


「ないの?」


「ないって習ったのに……」


「じゃあない」


「どっちだよ」


 その内容はちょっとアレだけど、他愛ない会話。

 人間界で遊んだり魔法界に侵入したり妖精捕まえて遊ぶのも楽しいけど、アズとこうしているのが一番楽しい。ずっとこうしていられればいいと思う。


 しかしこの後ミスった。


「あるにはあるけどめちゃくちゃ薄いんだよ確か。悪魔の性欲が百なら天使のは五くらいだったはず。例えば好きな人とキスしたいって思うのも性欲のうちでしょ。その程度」


 “堕落”と“淫欲”に飲まれるな、悪魔はその僅かな隙にすら付け入ってくる、ってサファか誰かに聞いたような覚えがある。……なんか俺の知識って「ような」ばっかりだな。そのうち勉強しとこ。


 俺のあやふやな発言を聞いて、アズはそんなの信じられないといった表情になり、身を乗り出してきた。


「薄っす! ラースもそんな感じなの?」


「多分そうなんじゃないの。ていうかそんなこと今まで考えたことないけど。アズはあるの?」


「悪魔は小さい頃から性について学ぶんだよ。誘惑するのも立派な仕事だからね」


 アズは人差し指を立て首を少し傾げすました様子で答えた。

 しかし言ってることと普段のアズの言動が全く結び付かず、思わず吹き出してしまった。


「誘惑……アズが……?」


「なんで笑ってんだよ!」


「だってアズが誘惑って……ちゃんとできんの? っと」


 笑い過ぎて木から落ちそうになった。とっさに枝を両手で掴み体勢を立て直す。横ではアズができるよ! と頬をふくらませた。


「強がらなくていいよ」


「強がってないっ」


「じゃあちょっとやってみてよ」 


 その言葉にアズは「えっ」と声を詰まらせた。


「ちょっとって……ラースに? 無理!」


「やっぱりできないんだ」


 挑発するように言うと、アズはぷいと横を向いた。


「天使にしてもしょうがないし、ラース笑うだけじゃん」


 口調は刺々しく口は尖っている。俺はよく分かってるなと思い、「アズに誘惑なんて無理でしょ」と言った。アズの頬は更にふくれた。

 それを覗き込もうとすると、アズは意地でも見せないというように体を捩った。


「……あれ、怒った?」 


「俺、仕事バカにされんの大嫌いだから。ラースといたくない」


 そう言うと羽を伸ばし枝から降りていった。しまったと思いその後を追うと、静かに「来ないでよ」と言われた。

 いつもの怒り方とは違う淡々とした喋り方は不快感を露わにしている。

 言い訳はせずに、まず謝った。


「ごめん」


 調子に乗りすぎてしまった。誰にでもバカにされて許せない部分はあるのに。アズの場合はそれが仕事だった。ていうかアズは仕事熱心だし少し考えれば分かるだろ、数分前の俺。

 アズは押し黙ったまま立ち止まっている。


「ごめん、無神経だった」


「……そうだよ、無神経だよ」


「……ごめん」


「……もういいよ」


 俺の方を見ずに言った。僅かな怒気を孕んだ声に、少し戸惑う。

 その後どう言葉を続ければいいのか分からなくなってしまうと、アズもそのまま口を閉ざして、しばらく沈黙が二人を包んだ。


 それに耐え切れなくなって少し距離を取る。するとアズはゆっくりと顔をこちらに向けたが、その瞳は俺を捉えていないようだった。それからぽつりと「今日は帰る」と言った。

 俺はもう一度謝ったが、アズは何も言わなかった。


 「またね」も「また明日」も言わずに別れたのはこれが初めてだった。


 それから一週間は顔を見ない日が続いた。仕事が終わるタイミングが合わなかったようで、それが偶々だったのか避けられていたのかは分からない。



 仕事終わりに、アズの待たないいつもの大樹へと向かう。

 適当な枝に座ってしばらくぼーっとして、暗くなってきたら帰る。これが最近の日課だった。だから今日もそうするつもりでいた。

 そしてそこに着くと、俺の心臓は飛び跳ねた。あ、と小さく驚きの声が漏れた。

 樹の上に、紅い後ろ姿を見たのだ。


(――アズだ……)


 一瞬足が止まる。しかしすぐに傍まで行き、できるだけ自然にアズの右横に座った。

 不意に影ができて、何だ?という感じでアズが右を向く。そして目を軽く見開いた。


「ラース……」


 俺はとっさに謝ろうとしたが、少し考えてやめた。いきなり謝罪の言葉を列ねても、何だかそれがひどく軽いものになってしまうような気がしたからだ。それにアズからは「もういい」と言われている。


 アズから視線を外し、やや黒く曇った空を見上げた。


 そして代わりに、


「つまんなかった」


 正直に、


「え?」


「アズいなかったから、つまんなかった」


 ここ数日思っていたことを言った。

 一日二日なら会えないこともあったが、一週間以上も顔を合わせないなんて初めてだった。日常生活がなんだかとても平坦なものになった気がして、何をしても今ひとつだった。いつの間にか、アズは俺の中に深く浸透していたらしい。


 アズはしばらく無言で俺を見つめていたが、やがて同じように空を見た。


「……うん、俺も」


 それきりアズは何も言わなかったので、俺はまたアズを見て口を開いた。


「もうあんなこと言わない。だから、また仲良くして欲しい」


 息が詰まりそうになる。俺が持てる、精一杯の言葉を告げる。


「……うん」


 アズは俯いて応えた。その横顔は、小さく微笑(わら)ったような気がした。


 ほっと胸を撫で下ろす。ふと気がつくと、自分でも気付かないうちに結構緊張していたようで、手のひらには汗が滲んでいた。


 その後何とはなしに前を見ていると、小さくて茶色い鳥が一羽、目の前を横切っていった。ずっと前に下界で食べて美味しかったのを思い出して、焼き鳥食べたいなと呟く。

 アズが「焼き鳥!?」と震えだしたので何事かと思った。誤解を解くのに苦労した。下界の焼き鳥は、生きたまま鳥を炙り殺し、頭から喰らいつく類の物ではない。



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