―3-2
アズが落ち着いたところで、次の段階に移る。
「じゃあ次はアズから触ってみてよ」
「へっ」
「悪魔から触ったらどうなるか知りたい」
「でもまた今みたいになったら……」
「すぐ離せば平気だよ」
そしてまた俺はアズの前に手を差し出した。
アズはしばらく悩んでいたが、やはり自身の好奇心には勝てなかったようで、おそるおそる手を伸ばしてきた。その視線はやはり、じ‥と俺のそれに向いている。
本当にかすかに、触れるか触れないかというくらいそっと、アズの手が俺の手のひらを撫でた。
ぱち
「痛」
小さな気泡が弾けたような音。
大して痛みは感じなかったが反射的に声が出てしまい、それを間近で聞いたアズは「ごっごめん」と言いながらあたふたと離れた。
「アズは全然痛くないの?」
コク、と頷きだけが言葉を伴わずに返ってくる。
やはり痛みを感じるのは天使だけなのか。……それって不公平じゃないか?
もしかして悪魔は全ての痛みを感じなかったりするのだろうか。かなり突飛な想像だとは思うが絶対に無いとは言い切れない。これはぜひ確認しなければ。
すっかりしょげてしまったアズは不安そうにこちらを見つめている。
その頬を思いっきりむにっと摘んだ。
「ひにゃ!?」という困惑の声と肌同士が触れ合い爆ぜる音が重なる。あ、これはちょっとマジ痛い。
すぐに手を離すと、アズが頬を抑えながら涙目になって文句を言ってきた。
「痛い……ひどいよラース……」
どうやら悪魔でも物理的な痛みは感じるようだ。
しかし戦うことになったときは危ない。こっちは武器や術を行使しないと彼らを攻撃できないが、彼らはわざわざ反撃しようとしなくても、ちょんと触るだけでこっちを迎撃できるのだ。
……不公平すぎる。
「ごめん。でもこれで俺たちが圧倒的に不利だって分かったよ。」
何とはなしにアズの肩にぽんと手を置いた。
「ッ!?」
その瞬間、皮膚がそのまま張りつくかのような熱く鋭い激痛が俺を突き刺した。
思わず手首を抑えその場に座り込んでしまう。
「ぐ……っ」
「嫌な音した! ラース!?」
アズが身体が触れないように気を付けつつ心配そうに覗き込んでくる。
平気だ、と声をかけたいが唇から漏れるのは呻き声ばかりで言葉にならない。
アズの声も少し遠くに聞こえる。
ああ、俺何やってんだろ。
このままだと、きっとアズが泣いてしまう。
体を丸め眉間に皺を寄せ痺れるような痛みに耐えていると、凛とした気配が近付いてきた。
「ラース?」
「サファ……」
掛けられた声に反応して顔を上げるとサファが立っていた。
これはまずい。
「……またあなたは悪魔なんかと……どうしました?」
「あ……いや……ちょっと水脈探してたら源泉にあたっちゃって」
「意味が分かりません。見せなさい」
アズを横目に見つつしどろもどろに言い訳をする。
しかし急に良い言い訳なんか思いつかないわ右手は相変わらずズキズキ痛いわで、やっと思いついたものも意味不明すぎてサファに伝わらない。サファどころか誰にも伝わらない。
そんな俺が隠すように庇っていた右腕をサファがぐいと引っ張った。
「ラ……ラースに乱暴しないで!」
「……! この傷は……貴方、悪魔に触れましたね」
「え……あ、その……」
「そこの悪魔ですね」
アズの声を無視し、爛れた右手を見たサファは一度顔を歪め、そして冷ややかにアズを睨んだ。
あ、サファめちゃくちゃ怒ってる。長いこと一緒にいたけど、今までにこんな声聞いたことない。
アズはその剣幕に若干怯んだようだが、負けじとサファを睨み返している。
「貴方がラースを」
「違うって、俺が触ったんだよ。アズは悪くな……」
「ラースは黙ってなさい」
冷淡な声でピシャリと言われ、それ以上何も言えなくなる。
睨み合う二人を前に俺はどうすることもできなかった。
っていうか俺の手については……
「ラース大丈夫? ラ……」
俺の様子が気になるのか、アズがこっちを向いて不安そうに尋ねる。
それに対して俺が答えようとして――
――その瞬間、黒衣がアズを包み込んだ。
やはり今日もエルはどこかでアズの様子を窺っていたに違いない。
エルは鼻を鳴らしてサファに蔑むような目を向けた。
「純真でなくとも天使が我等の魔力にあてられれば耐え切れないのは当然のこと。教育が足りないんじゃないのか? サファエル」
「エルブランカ=ルーシュ……!」
「その名を呼ぶな」
「貴方こそ」
いつものように突然現れたエルに、サファは一瞬表情を硬くする。しかしすぐに一層きつく忌々しげにその悪魔を睨み付けた。
一瞬何か違和感を覚えたが、右手の痛みがそれをかき消す。
まるでサファのことなど気にもとめていないかのように、エルは自らの腕の中にいるアズに話しかけた。
「ケガは無いな」
「俺は大丈夫……でもラースが」
「いい勉強になったろう」
「エル……」
「俺は先に教えてやったな?」
「……うん……」
そのエルの喋り方は有無を言わせない。
でも確かにそうだ。
アズは俺を止めようとした。
それを無視した結果がこれだ。
灼け爛れた右手が疼く。
サファはサファでやはりエルのことなどもう眼中に無いというように俺を見た。
「帰りましょう。穢れを早く治療しないと……一人で飛べますか?」
「飛べる……けどちょっと待って。アズ、気にしないでね」
振り返って、黒衣に包まれたアズに言う。
「ラース……」
頼りなげな声が聞こえたが、そこにはすでに二人の姿は無かった。