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俺たちが住んでいる世界は、白と黒、そして灰の三つの領域に分かれている。
白の領域には俺たち天使が。
黒の領域にはアズたち悪魔が。
お互いの領域に迂闊には近寄れない。天使と悪魔は体の造りが違うから、天使は黒の領域に入ることはできない。いや、入るだけならできるが、黒の領域に充満している瘴気に聖気が拒否反応を起こしてすぐに倒れてしまう。逆もまた然りだ。っていうことを昔教育係に聞いた気がする。
そしてこの灰の領域は白と黒を繋ぐ中間地点。唯一、白と黒の者が共存できる領域だ。もっとも灰に暮らしている奴なんて誰一人としていない。
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ずっとアズの後を追うようにして飛んでいたが、灰の領域まで来て横に並んだ。
ちらっとアズの方を見ると、「そういえば、この前ベルとリッタがね……」と世間話をし始めたので、いつの間にか機嫌は直ったみたいだ。
一通り話を聞き終えたところで、ついでにふと疑問に思ったことを投げかける。
「今日はお守り、いないの?」
「おもり? ……ああ、エルのこと? あっ」
その名前を口にした途端、アズはしまったとい表情になり両手で自分の口を塞いだ。
だがそんな些細な抵抗に意味はなく、突如出現した長身の男が後ろからアズの体を抱き締めた。
「あ~……名前言っちゃった……」
アズが肩を落として呟く。
「ここに来るなといつも言っているだろう」
「ちが……違うよっ」
男の問い掛けをアズは慌てて否定する。
腰よりも長い蒼みがかった黒髪、六枚の漆黒の羽を持ち、肩から足までをすっぽり覆い隠す黒衣を身に纏う、怖ろしく整った顔の男。
そこらへんの雑魚なんて一睨みしただけで殺せるだろう。そんな迫力がある。
この男がアズの上司、名前はエル。アズがその名前を口にすると、どこからともなく現れる。
俺の教育係にそんなGPS機能ついてなくてよかった。
「学習しないよね、アズ」
今までにも何回かこういうことがあった。そしてアズはその度に連れ戻される。
こうなるともう遊ぶことはできないので、今度こそおとなしく帰ることにしよう。
じゃあ俺はこれでと二人に背を向けると、アズが名残惜しそうに俺の名前を呼んだ。
少しだけ振り向いて小さく手を振る。
「ラース……」
「来い」
少しだけ微笑んだように見えたアズの腕を引っ張ってエルは飛び立った。アズは何度かこちらを振り返りつつ去って行った。
エルは俺とアズが一緒にいても俺をどうにかしようとしたことは無い。天使を見たら食べようと襲い掛かってきてもおかしくないのに。
まあエルは上級な悪魔みたいだし、俺みたいな下っぱには興味も何もないのかもしれない。
でもそういえば上級な天使なのに襲われないのが一人――
アズの姿が完全に見えなくなってから前に向き直ると、いた。
「ラース」
「げ サファ……」
「『げ』とは何です」
出たよ……。
俺の上司兼教育係のサファ。外見年齢は二十五歳くらい。
よく人間が想像するようなゆったりとした布の衣ではなく、サイドに蒼いラインの入った白い詰襟の上着に動きやすいパンツルック。腰まであるストレートの金髪に碧眼、六枚の純白の羽、その瞳からは強い意志を持った輝きとプライドの高さが窺える。気高い雰囲気を醸し出す、まさに天使の見本のような男。
口うるさい性格が玉にキズ。
「またあの悪魔と会っていたんですね」
「あー……ないよ」
「見てましたよ。全部」
見られてた。
仁王立ちしているサファの顔が余計に険しいものになっていく。
サファは悪魔のことを異常に嫌っている。当然俺がアズと馴れ合っていることを良く思っていない。
まあ悪魔のことが好きな天使なんているわけないんだけどさ。
「何度も言っているでしょう。悪魔なんて近寄るものじゃない」
「向こうから近寄ってきた場合は?」
「離れなさい。特にあの男には注意しなくてはいけませんよ」
俺が仕事をサボ……休憩しているときにアズはよく寄ってくる。たまに仕事をしていても今日みたいに寄ってくる。つまり俺を見ればサファがいない限りいつでも寄ってくる。犬みたいだ。
逆に俺が仕事中のアズに寄っていくことはあまりない。行っても今仕事中だからとか何とか言って仕事を続けるからつまんないし、なんかむかつく。
「何考えてるんです? 行きますよ」
促されて、前を飛ぶサファの後に俺も続く。
相変わらずこの六枚の羽はでかくて邪魔そうだ。天使に幻想を抱いてる人間の瞳には、とても美しいものとして映るだろうが。
「罰掃除してもらいますからね」
「えぇー……」
前を向いたままサファが言う。
……天使なんだからもっと寛容になればいいのに。
ブツブツ文句を言ったり言われたりしつつ、俺たちも灰の領域を後にした。