―7-2
段々と耳に音が戻ってくる。
それと同時に、じわ、と耳まで熱くなっていくのが分かった。
思わず片手で口を押さえる。
なんか、視界がぐるぐるしてるような気持ちになって、考えがまとまらない。
好き? 俺が、アズを。
――あえて考えないようにしてきたのに。
「無い。無い無い無い無い。何かの間違い」
「あるだろ。その顔」
どんな顔になってるんだ。
一度深呼吸して、乱れた呼吸やら鼓動やらを整える。
「……そもそも好きって具体的にどういう感じなの」
「ラースが感じてる通りだよ」
俺が感じてる通り? 甘くて酸っぱくて?
俺が感じてるアズは、……なんかいつも小型犬がキャンキャン吠えてるようなイメージ。それから悪魔のくせに天使の心配するような変なやつ。あとは仕事に対する姿勢が真面目。性格は単純で俺の言葉に一喜一憂して、あとは結構よく泣く。ころころ表情が変わる。基本いつもバカなんだけど一緒にいて楽しくて、会えなかったりするとつまんなくて、うん、つまり、
「キャンキャンしてたり変なやつだなって思う」
「変な……」
「悪魔なのに俺のこと心配したりするし」
「まあ……いい子だね」
「うん」
ずっと一緒にいてほしい。隣にいてほしいと思う。サファや他の人たちよりも。
触りたいのもキスしたいと思うのも。他の人にべたっとくっついててイラつくのも。
泣かせたくなくて笑っててほしいと思うのも、怪我をしてまで触れたいと思うのも。
全部アズだけだ。これがつまり、好きってことなのかな。
あえて考えないようにしてきたのは、相手が悪魔だったからなんだろうか。
でも、この気持ちがもし「好き」って感情なのだとしたら、もう悪魔だの天使だのそういうことはどうでもいいと思えるくらいに。
――そうか。俺、アズが好きだったんだ。
俺を見つめたままの清の手を取る。
「……うん。なんか分かった」
返事の代わりに清は微笑んだ。初夏の空気を纏ったそよ風がふわりと髪を撫でた。
俺も何か返事をしようとしたけど、自分のこととなると何だか照れくさくて。
どうしようか迷っていたら、
「あっラース!」
ふよふよと渦中の悪魔が現れ、いつもと何も変わらない声を発しながら俺たちの横に降り立った。
「ずるいよっ一人で清に会いに行くなんて」
「ね? キャンキャンしてるでしょ」
アズの顔を見たらすっかり気が抜けてしまった。フ、と口端から笑いが漏れていつもの調子を取り戻す。
清があはは、と声を上げて笑うと、事情が飲み込めずに慌てた様子でアズが、
「何で仲良くなってんの! 清俺もっ」
と、清の腕を掴んだ。というか絡みついた。
「残念でした、清は俺の管轄」
ずるいよと慌てるアズを横目、両手に手袋を装着する。何気に初両手装備だ。
「ラースばっか清と遊んでずるいっ」
「アズには俺がいればいいでしょ」
くしゃり、とアズの頭を撫でる。アズの髪質は多分、柔らかい。
二つの朱色の瞳を大きくして、口をぽかんと開けたまま俺を見上げてきた。
「何」
「えっ……あ……ううんっ」
えへへ、と笑みを零しながらというよりはだだ漏らしながら、アズは清の腕をぎゅっと抱えた。清は急に肩ごと抱え込まれて痛がっている。
その光景にすこしムッとしてしまう。
好きな相手が(自覚したばっかだけど)自分以外の人といちゃついてることに対するアズへの嫉妬と、何のリスクを負うことなく悪魔に触れる人間への嫉妬が、胸をちくりと刺した。
なんだこれ。おもしろくない。
芽生え始めてしまった本来天使が抱くべきではない醜い感情を、無理やりかなぐり捨てて話題を変える。
「今だってエルに見られてるんでしょ、清と会ってていいの?」
「だ……だめだけどぉ……」
「怒られても知らないよ」
ターゲット以外の人間と喋っていることを咎められて、しゅんと落ち込んでいたのはついこの間のことだ。
本当に学習能力が無いな、と思うのはこれでもう何度目だったか。
しかし次の瞬間、全く予想もしなかった言葉が返ってきた。
「ラースがいるからじゃん……」
「え?」
「俺ラースを追ってきたんだもん」
俺を。仕事終わりに会う約束だってしてたのに何でまた。
二の句が継げないでいると、またアズが、
「いけない?」
と、じっと見つめてきた。別にいけなくはないけど、と首を横に振る。
アズの言葉の意味も、隠されているかもしれない真意も、さっぱり分からない。特に深い意味などなく天然で言っているのだろうか。それとも小悪魔とかいうやつなんだろうか。まあ目の前にいるのは小悪魔どころか普通に悪魔なのだが。
「じゃあいいじゃん。帰ろ」
すっかり口を挟めないでいる清の腕を放し、俺の手を取った。
「じゃまたね清!」
振り返ったアズが元気いっぱいに言った後の、清の「来ても声掛けないように……」という微かな呟きは聞かなかったことにしよう。
俺も清に向き直り、自分の宙ぶらりんだった状態に答えを出してくれたお礼を告げる。
「ありがとう」
「しっかりやれよ」
「うん」
何を? だなんて野暮なことは聞かない。こういう答えが出た以上、これからやることは決まっている。
そして二人同時にコンクリートを蹴った。