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The story of “R”―怠惰天使の日常―  作者: ちりめんじゃこ
―5―
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―5-1


 期待通りの快晴だった。燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光が気持ちいい。こんな日はふかふかした雲の上でごろごろするのが一番良い過ごし方だ。

 しかし今日はその前にやらなければならないことがある。俺はそのためにちょっとした準備をしてから灰の領域へ向かった。


 あれから六日経ち、右手には未だ若干の違和感はあるものの痛みは大分薄らいだ。

 それに比例するように、アズに避けられたらどうしようという気持ちよりも、アズに会いたい気持ちが随分強くなった。

 実は三日前くらいからいつもの大樹でアズが来るのを待っていたのだが、日が暮れてもおやつを用意してもアズが現われる気配は一向になかった。なんかもう避けられてる感満載なんだけどそっちが来ないならこっちから行くことにしたのだ。


 灰の領域のど真ん中にある大樹を越えて、黒の領域に近づいていく。黒の領域はほとんど毎日、分厚い雲に覆われていて薄暗く、灰の領域でも黒の領域に近いところは仄暗い。

 それまでは穏やかだった空気が、少しずつ冷たくて張り詰めたものになっていく。


 その中をひとり、ひたすら飛び進む。辺りがすっかり仄暗くなって、瘴気も濃くなってきた。

 あるところは暗緑の木々が鬱蒼と茂り、あるところはゴツゴツした岩や砂しかない。姿が見えない何かの、薄気味悪い鳴き声が微かに聞こえる。もちろんサファから「ここから先へは行かないように」と言われた場所はとっくに通り過ぎていた。

 白の者なら普通ならこの辺りまで来れば、まとわりつく瘴気に気分が悪くなり先へ進めなくなってくる頃だろう。だけど俺には余裕だった。ちっとも体調を崩す気配がない。まだまだ奥へ進めそうだ。

 なんでだろう? いつも悪魔(アズ)と一緒に過ごしているから、瘴気への耐性でもついたんだろうか。多分そうだな。


 しかしあまり奥に行きすぎて、魔獣や見知らぬ悪魔に遭遇するのは避けたい。めんどくさいし。

 近くにアズがいるといいんだけどな。


 こういうときは携帯が欲しくなる。以前下界に遊びに行ったときに立ち寄ったケータイショップで衝動買いしそうになったが、天界に電波が届くわけないことに気付いて諦めた。そもそも届いたとしても、アズには携帯なんて使いこなせるはずがない。せいぜい糸電話がいいところだ。


 こんなところを天使が飛んでいると目立つだろうから、俺はとりあえず地に降り立った。ここからは歩いて行く。何かあったときにすぐ逃げられるように、羽は出したままだ。


 枯草を踏み、乾いた音を立てながら歩く。それが心地よくてちょっと楽しい。


 少し触れただけで肉や骨を切り裂く、葉の片側がナイフのように鋭く尖った草。

 猛毒のガスを噴き出す泉。

 甘く腐った果実のような匂いを出し、獲物を誘う食肉植物。

 紅い髪の悪魔。


 どれも白の領域には無いものばかりで、あちこちに目を奪われる。

 種族が違うだけで、棲み着く環境はこうも違うのか。このおどろおどろしい雰囲気も、天使が悪魔を毛嫌いする要因の一つかもしれない。


 ……紅い髪の悪魔?


「ラース!? 何でこんなところに? 手は……っ」


 見間違いかと思ったがそうではなかった。多分向こうも同じ気持ちだろう。いるはずのない俺を見て目を丸くしたアズが駆け寄ってきて、微妙な距離を開けて前に立った。

 うん、たまにはこう都合よく話が進むのも悪くない。


「いつものところで待ってたけどアズが来ないから会いに来た」


「あう……だって……ていうか平気なの? ううんそれより手は……」


 アズはばつが悪そうに目を逸らしたあと、すぐにまた俺を見つめ、続け様に質問してきた。


「ああ……こんな」


 右手の手のひらがよく見えるようにアズの目の前に突き出す。

 手首から先がぐずぐずに爛れてどす黒く変色し、今にも腐り落ちそうになっている。それを見たアズは眉間に皺を寄せ顔を歪めた。


「……っ」


 ……ちょっとやりすぎたか。


「嘘」


「え?」


 俺は右手にはめていた少し大きめのゴム製の手袋を外すと、そのままアズに投げた。

 アズは俺の手から手袋がずるりと剥離した瞬間に、ひっと短く悲鳴をあげて顔面蒼白になった。


「うわっ! なな何!?」


「騙された」


「え……っ」


 このグロテスクな手袋は、ずっと前に手に入れたはいいが使い道がわからず持て余していたものだ。アズはそれを抱き抱えたまま、聖布でぐるぐる巻きの俺の右手を見た。

 俺もつられて右手を一瞥する。


「このくらいすぐに治るよ」


「うそ……悪魔と触れ合った傷は治りが遅いって……」


 眉を八の字にしてそう言いながら、じりじりと後退していく。微妙な距離はさらに開いた。


「……何この距離感 こっち来れば」


「そんな滅相もない!!」


「意味わかんない」


 おいで、と手招くとアズは一瞬ほわっと嬉しそうな顔をしたが、すぐにはっとした様子でふるふると顔を横に振った。

 来い来い作戦は失敗したようだ。

 じっと見つめるとアズは焦って下を向き、それならと近付くとさっと後ろに下がった。


「……だめだよラース……」


 やはりアズは気にしているようだ。それも思った以上に。

 なるべくいつも通りに、何事もなかったかのように振る舞おうと思ったが、それも難しそうだ。


 ……アズが悪いわけじゃないのに。

 気にすることない。悪いのは面白がった俺なんだから。


「あ……ラース……?」


 なぜかアズは急におろおろし始めた。


「え、何」


「だってラースが寂しそうな顔するから……」


「……え」


 思わず頬を触ってみるが別段いつもと変わりは無い。

 寂しそうな顔ってどんなだ? 大体アズの方がよっぽどそういう顔してる。


 アズは大きな二つの瞳でまじまじと俺を見つめてきた。

 そんなに見られるとなんだか背中がむず痒くなってくる。


 ふと、向かって右奥に生えているちょっと背の低い木に、熟れた赤い実がたくさんなっているのに気がついた。

 きっとあれを食べればアズも少しは元気が出るだろう。食い意地はってるし。

 それをもいで来ようと飛び立つと、途端にアズが前に立ち塞がった。それも3メートルくらい前に。


「い……行っちゃうの?」


「……この距離がある限り?」


 別に帰ろうとしたわけではない。しかし距離を置くアズになぜか苛立ちにも似た感覚を覚え、なんとなく意地悪を言ってみた。

 するとアズは悲しそうに目を伏せた。


「だって俺……俺だってもっとそばにいきたいし……」


 静かに言葉を続ける。


「なんか……触れないと思ったら触りたくなるし……」


 その瞳は涙でじわりと潤み、もう少しで悲しみが零れてしまいそうだった。


「でも俺が触ったら傷つけるし……っ」


 例えばサファの腕に掴まるように、例えば犬猫を撫でるように。


 触れたら。

 触れるなら、アズが泣いても涙を拭ってやれるのに。


 意地悪を言ってしまった自分に嫌気が差す。

 頭をがりがり掻き、ため息をついた。


「……帰らないよ。ちょっとそこの木の実がおいしそうだったから」


「木の実?」


 真っ赤に熟した木の実を指差すと、アズもそれを見た。その途端にアズは顔色を変えて叫ぶように言った。


「あっあれは絶対取っちゃだめ! えっと……天使でも食べられるやつは……」


 辺りをキョロキョロ見回す。そして葉が人の手みたいな形をした木に近寄り、その木からこぶし大の黄色くて丸い実をいくつかもぐと戻ってきた。


「あの実は取った瞬間に爆発しちゃうんだ。これなら大丈夫だから」


 さらりと不穏なことを言いながら俺に木の実を手渡すと、また3メートルくらい前に離れた。


 とりあえず渡された黄色の木の実をかじってみると、硬めの果肉はほんのり酸味がきいていて甘酸っぱい味がした。きっとアズはもっと甘ったるい味の方が好きなんだろうけど、これしかないならしょうがない。


 木の実を手に持ち直すとアズの目の前まで近付き、そのままかじりかけのそれをアズの口に突っ込んだ。


「むぐ!?」


「おいしい?」


 アズが「何すんの!」と涙目で訴えてくる。しかし俺がそのまま動かず見ていると、口の中の果実をもぐもぐ咀嚼して飲み込んだ。


「ぷあ……。すっぱい」


 アズは少し口をすぼめた後、唇に付いた果実の汁を舐め取った。

 俺はアズの唇から目を離すと自分の手のひらを見た。


 手のひら。

 手袋。

 黄色い実。 


 ……もしかして。


 ちょっといいこと思いついたかもしんない。

 やばい。早く試してみたい。


「明日仕事終わったらいつものところに来て」


「え?」


 目をぱちくりさせているアズに残りの木の実を半分持たせる。


「絶対だよ」


「わ、分かった……?」


 よく状況を飲み込めていないアズに念を押すと、そのまま白の領域に向かって飛び出した。

 ――うまくすれば、もしかしたらアズに触れられるかもしれない。



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