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レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜  作者: 烏賊


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18話_屋敷の日午前

『こんなこともできないのか』『できて当たり前だろ』『情けない』『これも出来ない…か』『貴女本当に可愛いわね』


『お前って何も出来ないんだな』


 幼いアナベルは顔を上げることが出来ずにいた。


『ごめんなさい。もっと頑張ります』


 この家では"できることは当たり前"。

 "できて当たり前"は"当然"だ。

 足らない事も、わからない事もたくさんある。訳がわからなくなって、泣きたくなることも多い。

 それでも、心を奮い立たせて進んできた。ここでめげてはいけない。もっと、もっと頑張らないと。


 アナベルは精一杯、走り出す。両手に教科書や課題、資料などを抱えて。


(もっと、もっと、もっと)

(あれができなきゃ、これもできなきゃ)

(はやく、もっと、たくさん)


 時間が足らない。もっと1日が欲しい。あっという間に過ぎていく。


 アナベルは立ち止まった。息を切らしながら、小さな身体は震えている。いつの間にか、両手で抱えているものは増えている。立ち止まっている間にも、だ。


(ダメだわ。どれか選ばないと)


 ただがむしゃらに毎日を過ごしてはダメだ。1日にできることは限られている。


 アナベルは、腕に抱えているものを広げた。そして選ぶ。1つずつ見極める。

 やるべきこと、必要なこと、すべきこと、出来ないといけないこと。家族のこと、友人のこと、学園のこと、先輩や後輩のこと。


 選んで、分けた。時計板と、パズルのように組み合わせながら。

 重要なことと、それら以外。

 予定に組み込まないといけないことと、それ以外。

 時間の区切りも明確にした。筋道は立てた。

 完璧だ。


 必要なものだけを抱え、アナベルは再び走り出す。


『アナベル!1位だ。優勝だよ!すごいすごい、すごいすごいすごい!』


 突然、イーサンが現れた。目をキラキラと輝かせ、彼の手の中にはアナベルが取った大会の優勝トロフィーが、大切に大切に抱きしめられている。

置いて行ったものなのに、どうしてイーサンが持っているのだろう。いや、そんなことより。アナベルは慌てて否定しようとした。ニコルとは僅差で勝っただけ。誰でも獲れる物だ。アナベルでなくても。


『勝ったんだから堂々としろ!私にも、馬にも失礼だ!』


 不意にニコルの声がした。真っ赤に顔を染め、怒る友の声だ。アナベルは慌てて口を閉じる。


『ねぇアナベル。私は"得意"や"出来ること"は言ったほうが嬉しいと考えているんだ』


 すこし低い男性の声が聞こえてきた。初めて聞くが、何故かイーサンの声だと分かる。


『歳を重ねると『できて当たり前』って考えがちだし、他の人と比べがちだけどさ。何かできるようになるとさ、心がワクワクする。口に出せば、本当なんだって実感できて嬉しくなるじゃないか』


『これはわがままだけど、アナベルからもっと『できた』って言葉が聞きたいな』


 気がつけば、目の前のイーサンは随分と背が高くなっていた。声も低い。知らない大人の姿だが、喜びに満ちた笑顔は変わらない。彼はトロフィーだけでなく、馬の小さなぬいぐるみも抱えていた。

 彼は何も言わず、ただアナベルを見つめていた。

 アナベルは何度も口を開けては、閉じた。足元を見つめ、スカートをキツく握りしめる。胸が苦しく、溺れそうな感覚に逃げ出したくなる。


 するとキラキラと胸元に光る物があった。

 ブローチであった。イーサンの瞳によく似た、美しい緑の宝石飾りに、アナベルの決意は固まった。


「そう、1位を獲ったの。好きな乗馬で、初めての大会で」


「私でも、できたの。できたのよ」



「私ね。すごく、すごく、嬉しかったの」








「ぽーら…?」


「はい、わたくしですよ」


 頬に何か温かいものが伝う感覚に、アナベルの意識は浮上した。重たい瞼を開けると、ぼやけた視界に誰かがいた。見慣れた髪型に、背丈からポーラだと思い名前を呼べば、のんびりとした声で返される。

 アナベルは身体を起こそうとしたが、とても重い。ベッドの上で四苦八苦していると、指先に何か硬いものが触れた。目を凝らして見えたのは、ブローチが入っている箱だ。


「いい子、いい子」


 ポーラの手がアナベルの頭に触れると、ゆっくり、丁寧に頭を撫でられる。

 アナベルは心地良さに、目を瞑った。優しい陽光の中、気持ちよさそうに眠る猫になった気分だ。微睡みに引っ張られていく。


「もう少し、おやすみなさいな。まだ起きるには早いですからね」


 優しい声に、アナベルは頷いた。箱を抱き、再びベッドに横になる。


「起きたら、むかーし食べてみたいと言っていた絵本のパンケーキでも焼いてもらいましょう」


すると寝具はパンケーキに変わった。ふかふかとした生地に挟まれ、甘い香りが漂う。


「おやすみなさい、アナベルおひいさま」



✴︎



「夢を見たんだけどね、貴方が出てきたの」


 アナベルとイーサンは、夏季休暇の課題に取り組んでいた。


 2日に1度の屋敷の日に加え、バーベキューや夜会への参加もあり、3日間は屋敷で過ごすことになった。


 朝食と身支度を済ませたアナベルとイーサンは、図書室の机に教材や書籍を広げ、黙々と課題に励んでいた。2人の付き添いにはポーラがおり、入り口に備えてある椅子に座り本を読み耽っている。

 紙に書く。ページを捲る。時々、小さな声で話が交わされるぐらいで、図書室は静かであったが、呟かれたアナベルの言葉によって静寂は破られることになった。


「……ぇ?」


「ちょっと…なんて声を出してるの」


 返ってきたイーサンの声がなんだか気が抜けて可愛らしく、アナベルはくすくすと笑う。


「いや、びっくりして。君の夢に、私が」


「そうなの。本当におかしな夢だったわ」


 彼女は覚えていることを話し始めた。


 幼い自分が大きい何かに潰されそうになったこと。

 必死に荷物を抱え、大きな時計に追われていたこと。

 途中、多すぎる荷物から必要な物を厳選すると、突然子供のイーサンが姿を現したこと。

 さらに子供時代のニコルや、成長したイーサンの声が聞こえてくること。

 ブローチに勇気をもらったこと。

 できたと話せたこと。

 へんてこな空間から部屋に戻ったと思えば、一面パンケーキへと変わり、カラスや子馬と跳ね回ってたこと。


 話せば話すほど、可笑しな夢だ。アナベルは笑いが止まらない。夢は過去の出来事を整理していると聞くが、どんな経験を出力したというのか。アナベルは不思議でたまらない。

 いつもなら6時半には目が覚めるアナベルだったが、今日は9時半までぐっすり熟睡した。寝過ぎたのか、夢のせいか。はたまたまだ眠いせいか、朝食にたくさんパンケーキを食べて糖分を摂取しても、勉強をしていても夢現な気分が抜けないでいた。

 おかげで夢の内容にも自信がない。

 しかしイーサンが現れた部分からはよく覚えている。夢の中、アナベルの『できた』に、イーサンは自分自身のことのように顔を輝かせた。


「嬉しかった。貴方が笑ったこともそうだけど、やっぱり自分にとっても。言う通り、もっと話した方がいいのね。気づかせてくれてありがとう、イーサン」


「君のためになったなら嬉しいよ。心の底から」


「ふふふ」


 またアナベルは笑いを漏らす。「あぁ、そういえば」とアナベルは話を続けた。


「ポーラに頭を撫でられたのよね」


「え」


「それは現実ですよ」


 ポーラは本を閉じ、アナベルと向き合う。


「メイドでも年寄りですからね。良い子がいれば頭を撫でますよ」


「ふふふ。ありがとう。あと起きたら腕の中にぬいぐるみがいたんだけど、もしかして貴女?」


「そうですとも。宝物いっぱい。ブローチにぬいぐるみ、朝のパンケーキも。おかげで良い1日を迎えましたでしょう?さすが私」


 腰に手を添え、ポーラは堂々と胸を張った。

 机に置いていたカラスと小馬のぬいぐるみが、ブローチの箱と共には腕の中にあった。寝ぼけて自ら取ったのかと思っていたが、ポーラの仕業だと分かり、アナベルはますます肩を揺らした。


 楽しげに話すアナベルとポーラ。その隣に座るイーサンは、衝撃に動けずにいた。いつも7時に起きるアナベルが、珍しく9時半まで寝、朝食にパンケーキを沢山頬張っている時からずっと上の空であった。いつもハツラツと動く姿も今日はゆったりとしている。様子の違いに使用人の中には「体調が悪いのではないか」と心配する声が上がったが、ポーラが諌めた。


『夢を引きずり寝ぼけて過ごすぐらい誰にでもあります。今は大丈夫。過度の心配はかえって毒になるから落ち着きなさい』


 魔術の才を持ち合わせているポーラは、中でも第六感が優れている。目に見えない問題にも真っ先に気が付いてきた。今は一線を退いているが、長年メイド長を努めていた彼女が言うならと、一同見守ることに場は収まった。


 イーサンには『本人が話すまでじっくりお待ちなさい』ともう1つアドバイスがあったため、彼はぐっと聞くのを我慢していたのだ。

 おかげでアナベルは包み隠さず夢の話をしてくれた。

 アナベルを捉えて離さない重みが、彼女をせき立てる夢。ポーラが、アナベルが喜びそうな事を行う必要性を感じた夢。

 まさか自分も登場するとは思っていなかった。どうやら夢の中の自分は、アナベルの気持ちを軽くしたようだが、今は素直に喜べない。そもそも夢を見た原因は、昨日の会話のせいかもしれないからだ。

 イーサンはキツく拳を握る。長く願ったアナベルと婚約できた今、自分が負担になることは絶対に避けたいのに。


 午後の練習の件も相まって、現実の自分の頼りなさにイーサンはひっそり項垂れた。

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