異世界ではエールを飲みます
この日も俺は、スライム退治で疲れた体と心を癒すべく、いつもの酒場にいつものビールを──いや、ビールじゃなくてエールだったな──エールを飲みに来ていた。
というような言い間違いをしてしまうほどに、俺はまだこの世界に慣れていない。ここは俺が30年の月日を過ごしてきた日本ではないのだ。ある日、目が覚めると家のベッドではなくこの世界の広場みたいなところにいた。
どうしてそんなことになったのかはわかってない。会社のいつもの飲み会に参加して、終盤を迎える頃には記憶が曖昧になってきていて(これはいつものことだが)、確信はないが家に辿り着いて、そのままベッドにダイブインしたかと思ったんだが──目を覚ますと異世界だった。
なんで異世界かって? だって日本には、というか地球上には、トカゲみたいなやつや犬みたいなやつ(あとで知ったが亜人ってやつらしい)が、きちんとした身なりで、二足歩行で、こちらが理解できる言葉を話してるなんてありえないだろ? なぜか日本語が通じたが、いわゆるチートってやつだろうと思って、深く考えるのはやめた。俺は物事を深く考えるのは苦手なんだ。
体を動かして額に汗して働いて、それで仕事あがりにうまいビールを飲んで、それが毎日続けばいい。そう思いながら生きている。
そんなわけだから、異世界で目を覚ましたばかりの頭で考えたのは『なぜこんなことになったのか』ではなく『どうやってここで生きていこうかな』だった。我ながら切り替えが良すぎると思う。だが、日本に戻るとかなんとか考えるより、どうやってその日の飯にありつけるかのほうが、俺にとっては重要だった。
幸いなことに、目覚めてすぐギルド長を名乗るチビのおっさん(ドワーフって種族らしく、その種族としては平均的な背丈らしい)がいろいろと世話を焼いてくれた。経緯もわからないまま、なんの後ろ盾もなく異世界に放り出された俺だったが、おっさんに会えたことは一番の僥倖だったかもしれない。
このおっさんも俺と同じで、深く考えるようなことは苦手らしく、その辺もウマが合ったのかもな。異世界から来たことも話したんだが返ってきた言葉は、
『知らん。おめえは田舎から出てきたばかりの世間知らずのバカ野郎ってことにしとけ』
深く聞かないでくれる優しさなのか、何も考えていないのか。後者だろうけども。
そして、冒険者の仕事を紹介してもらい、その日暮らしをする方法だけは教えてもらった。とりあえずは仕事をして、飯を食って、酒を飲んで、寝ることはできている。もっといろいろと考えないといけないのかもしれないが、それはこれから考えればいい。
それが大体、半年前の話。
今ではそのルーチンワークにも慣れ、恙なく生活を送っている。
そして今日もひと仕事を終え、仕事あがりのビール、いやエールを堪能していたのだが──。
「なんだ、ユウジ。まだ安っぽいエールなんか飲んでんのか。おまえ、泡火酒を知らねーのか?」
話しかけてきたのはトカゲの亜人だった。コイツの名前は覚えちゃいないが、いつも酒場で見かける常連の一人だ。
ユウジってのは俺のことで、フルネームは小田雄二なんだが、この世界は貴族以外に苗字ってもんがないらしい。変な勘違いをされても困るので、この世界の慣例に従って名前だけを名乗るようにしていた。
「うるせーな。俺はこのエールの喉越しが大好きなんだよ。んでもって火酒が嫌いだ。それと、泡水と火酒を混ぜて飲むのを発明したのは俺だろーが」
そう言って、俺はエールを一口、喉に流し込む。
泡水──いわゆる炭酸水だ。そして火酒というのは詳しくないからよく知らないが、ウイスキーとかバーボンとか、そういう洋酒みたいなものだった。それを混ぜ合わせたものが泡火酒──つまりはハイボールのことだが、これをこの世界に流行らせたのは俺だった。
『火酒を薄めるなんて、なんというバッカスへの冒涜──なんだこの感覚は!』
『火酒なんて喉がひりつくところがいいんだろうが──エールにも負けねえ喉越しだ!』
『泡水なんて女子供の飲み物だろ──泡水は火酒と混ぜるためにあったんだ!』
などと、様々な文句を言いながらも、飲んだやつはみんなハイボールにハマっていった。
泡水はその辺から、冷たくて美味しいのが湧き出している。夏場にはかなり重宝した。ちなみにエールはあまり冷えてない。そんな理由もあって、夏あたりにエールからハイボールに乗り換えたやつはすごく多い。まあ、ビール党の俺はエール一択なんだが。
「自分で発明しておきながら泡火酒が飲めないなんて、おまえも変わったやつだな。飲まねえくせに、なんでこんな飲み方思いついたんだよ」
それは──この酒場で嫌々エールを飲んでるやつを見かけて、ハイボールをすすめただけだ。ビールは飲めないけど、ハイボールなら飲めるってやつは結構いたからな。
「火酒なら薄めても、まあ飲めるもんになりそうな気がしたんだよ。俺は火酒の味が嫌いだから、エール一択だけどな」
見せつけるようにエールを煽る。
すると、相手もつられたように、手に持っていたハイボールを一口飲んだ。酒に強そうな顔してんだから、割ってねえでストレートで飲みやがれ。
「んー、やっぱりこっちの泡のほうがエールより喉にクルぜ! ユウジには感謝だな!」
上機嫌な顔をして言ってくるもんだから、
「まあ、そんなふうに言われちゃあイヤな気はしねえ。俺の発明した泡火酒を楽しんでくれや」
そう言って、俺は飲んでいたエールのジョッキをトカゲ男に掲げてみせる。
「おう!」
トカゲ男もそれに答えるようにジョッキを掲げ、ハイボールをクイッと口に含んだ。それで満足したのか、別のテーブルに混ざりに行ったトカゲ男を俺は見送る。
さて、俺もほかのテーブルに混じって、楽しく酒を酌み交わしたいところなんだが、あいにく先約があった。ところがその相手がまだ来ていないために、俺は一人、ちびちびとエールを飲まなきゃいけなくなっている。
なまじ酒場にいるから酒をどんどん煽りたくなるが、しかしどんな用件で呼び出されたかわからないので酔っ払うわけにはいかないというジレンマがある。ちなみに飲まないという選択肢は俺にはなかった。たった一杯であれば、まあ、まともに話も聞けるだろうと調節しながら飲んでいるんだが──。
こんなことならどっか別な場所で待ち合わせたほうがよかったな。飲みたいのに飲めないなんつー生き地獄を味わわずに済んだかもしれない。