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勘違いした侍女は愛する王子から逃げ出したい!~変態趣味はお断りいたします!~【改訂版】

作者: 丸山はこ

初短編です。

よろしくお願いします!

『ララ、好きだよ。……君と手を繋ぐ許可を、どうか僕にくれないか?』


 年に一度王宮で開かれる大夜会。そのパーティー会場の外にある庭園で、ララは、隣に立つ緊張した様子の第三王子にそっと手を差し出されながら、そう告げられた。


 けれど、ララの顔は真っ青だった。


 王子の差し出す手を愕然としながら眺めていたララは、王子が一歩ララに近づいたその瞬間、弾かれたように顔を上げ、そして――ダッシュでその場から逃げ出したのだった。



~~~~~~~~~~



 傾国と謳われる側妃によく似た甘い顔立ちに、蜂蜜色の髪、そしてエメラルドの瞳を持つ、第三王子キース・クラヴァルト御年十六歳。

 その第三王子付き侍女として働くララは、十八歳の貧乏伯爵令嬢だ。薄茶色の髪に金色の瞳の、どこにでもいそうな良くも悪くもない容姿をしている。


 そんな平凡なララがなぜ第三王子に見初められるほどの仲になったのか。それには王子の『秘密の趣味』が大きく関わっていた。



 王宮の第三王子付き侍女という激ホワイトな職場に就職できたララは、当初、それはもう幸せだった。

 同僚たちは気立てがいいし、問題児が来てもすぐに別部署へ異動させられるので、職場環境は平和そのもの。

 古参の侍女たちはそれはもう人格者揃いで、厳しくも優しい先輩ばかりなのだ。

 食堂のごはんは美味しいし、お茶の時間に余ったおやつを貰えるし、なにより定時で帰れる。


 そんな幸福な生活に暗雲が立ち込め始めたのは、忘れもしない、三年前の(セント)アルシェの日。


 恋人たちの祭日ともいわれるこの日、ララは、婚約者のいる侍女仲間から頼まれてシフトを交代し、第三王子の私室の掃除をしていた。

 黙々と手を動かすうちに、極限まで集中した無防備な状態のララは、突然王子に背後から覗き込まれ、心臓が止まるかと思うくらいにビックリしたのを覚えている。


 ララは、帰ってきた王子に気づかなかったことに青褪めたけれど、温厚な第三王子はそんなララを叱責することなく、朗らかに笑って許してくれた。


 お茶にしたいという王子の要望に応えて、ララは素早く支度を整え、無駄口は叩かず、最低限の動作でお茶を淹れ、静かに壁際に控えた。

 王子が一杯目のお茶を飲み終えれば、もう一度カップにお茶を注ぎ、また壁際へ。その繰り返し。


 そんなララの態度を気に入ってか気まぐれか、王子がベルを鳴らして侍女長を呼び、ララを趣味部屋の管理係に加えるように言ったのだ。


 残業をしない主義のララではあるが、単にオンオフの切り替えをきっちりしたいだけであって仕事には誇りをもっていたし、その時は特別な任務が与えられることを純粋に心から喜んだのだが――。



 第三王子に案内されたのは、寝室の隣にある比較的小さな部屋。

 窓のないその部屋に入ると、壁には金属の輪っかが大量に掛けられていた。

 その異様な雰囲気に、ララは少し気圧された。

 輪っかが何なのかは分からない。

 芸術品か何かかもしれないが、なんせ壁一面輪っかだらけ。

 ララの頭の中では疑問符が乱舞していた。


「実はこれ、全部僕が作ったんだ」


 はにかみながらそう教えてくれた当時十三歳だった二つ年下の第三王子は大層可愛らしく、ララはほっこりしたものだ。

 よく分からないけれど、これが王子の趣味ならばララはそれを支えるのみ。

 ララは指示された通り扉番をした。

 第三王子の作業音が静かな部屋に響く。

 相当集中しているのだろう。真剣な横顔は、年下の男の子であるにもかかわらず、ドキッとさせられるほど綺麗だった。

 なるほど、『見染められたい』と列をなす令嬢が多いのも頷ける。

 ララはここに来て初めてそう納得した。

 第三王子は一心不乱に魔鋼を溶かし、削り、成形していく。

 王子の指先からは、虹色に輝く魔力が溢れ出し、細く細く制御されたそれが、くるりくるりと腕輪に染み込み定着していく。

 その光景は幻想的で。ララは気づけば息を呑んでそれを見守っていた。

 そうして一刻ほど経った頃。

 作業音が止み、第三王子が大きく伸びをしてララを見た。


「見て、ララ! 今度のはなかなか上手くできたんだ!」


 王子はララに、完成した輪っかを見せた。


 ララは、王子から『ララ』と名を呼ばれたことにドキッとしたが、それを王子に悟らせることなく、王子の差し出した輪っかに顔を近づけた。


 近くでよく見ると、輪っかには精巧な文様が刻み込まれ、その文様は先ほど見た王子の神秘的な魔力の余韻を残すかのように、淡く虹色に輝いていた。

 芸術に疎いララにもそのすごさが伝わってきて、こんな素晴らしいものを生み出せる主を誇らしく思った。


「とても綺麗です! ……ただ、お恥ずかしいのですが、私、芸術に疎いものでして……こちらは、どういった物なのですか?」


「ああ、そうか、ララは伯爵家出身だったね! これはね、主に王家や公爵家、侯爵家で使われるもので、手首に嵌めて使うんだ。夫婦や婚約者たちを赤い糸で繋げる、祝福の込められた愛の証なんだよ!」


 キラキラした笑顔でそう告げられたララは、その言葉の意味するところを考え、そして、固まった。


 手首に嵌めて、赤い糸で繋ぐ、金属製の輪っか。


 ララはそんな道具に、一つだけ心当たりがあった。

 現実に向き合いたくない気持ちがせり上がってくるも、目の前に差し出された輪っかから……否、『手枷(てかせ)』から、目を逸らせなかった。


 『手枷』……それは、手首を拘束して動きを封じる魔道具だ。主に罪人に使用されると聞く。実際に使われているのを見たことがなかったので、ララには初め、部屋の中に溢れる輪っか達がなんなのか分からなかった。

 でも、ララは今、その『手枷』達に囲まれている。

 ホラーである。


 王子はその『手枷』達には祝福が込められている、と言っていたけれど。

 体の動きを封じられ、自由を奪われるのだ。

 そんな状態で一体なにを祝福されるのか?

 そこには、ララの想像力では補完しきれない闇があった。


 そこまで考えが及んだララは、震え出しそうな体をなんとか抑えながら、心の中で叫んだ。


『敬愛する主が、『手枷』で人を繋ぐことを『愛の証』だと考える、ド変態&病んでる人だったー!!!』と。


 まだ幼さの残るあどけない無邪気な表情で、嬉々として人を『繋ぐ』ことを語る王子に相槌を打ちながら、ララは頭がクラクラしながらも決意した。

 王子の趣味には、仕事以外で、絶対に関わらない、と。



 そうして、仕事とプライベートをきっちり分ける主義のララは、王子の秘密(趣味)を知ってからの三年間、ひたすらに心を静めて仕事をしてきた。


 手枷の製作中、どんな模様が好きか聞かれた際は、動物やら葉っぱやらを適当に答えた。

 後日、それらのアイディアが大好評だったと、にこやかに教えられたときは、自分が誰かを繋ぐ呪いの手枷作りの一端を担ってしまったという事実に血の気が引いた。


 王子は、それからも、制作に行き詰まるたび、模様やら形状やらへの意見をなぜかララに求めるようになった。ララはその度必死になって考え、どうすれば使用者が呪われずに済むか、もしくは、呪いが軽く済むか、それはもう頭を捻った。


 自分の考えた模様が誰かの不幸に繋がるかもしれないという重圧に耐えかねて、しばしばプライベートでも魔除けの古代文様を探したり、他国で用いられている幸運の象徴をデッサンしたりと頑張った。


 そんなララの働きに感激した王子から、仕事終わりにお茶に誘われることがどんどんと増えたが、ララは、そのほとんどを丁重に断ってきた。


 正直、誰が手枷を購入してるんだ、とか、その人たちは本当に大丈夫だったのか、とか気になりながらも平静を装った。


 そうして、ララは職務は職務と割り切って、第三王子とは適切に距離を置き続けてきたのだ。


 なのに。

 先月その事件は起こった。


 いつものように黙して趣味部屋の扉番をしていたララは、作業の終わった王子に手招きされて、作業台のすぐ側まで近寄った。


 また増殖してしまった手枷たちの姿に僅かに震えたが、恐怖心をなんとか押さえつけて、ララは立っていた。


 そんなララに向かって、王子は、ヨモギの葉っぱ模様がびっしりと彫り込まれた手枷を見せてきた。


 このヨモギの葉っぱ模様とは、三年前にララが『好きな模様』として適当に答えてしまったものだ。

 ヨモギは、ララの実家の裏手に大量に生えている植物で、あまりにびっしり生えているので、存在感がすごかった。

 使用人たちには、その大量のヨモギを採ってきてデザートを作って食べるという習慣があるみたいだったが、ララは参加したことがないのでよく知らない。


 そんな適当な思い入れしかない、ヨモギの葉っぱの模様が彫られた手枷を目の前に出されて、ララは固まった。

 そして、ギ、ギ、ギと音がするのではないかというほどぎこちなく王子に視線を戻した。


 すると王子は、頬を染めてはにかみながら、『これが完成したら、ララの誕生日に贈りたいんだ』とララに告げたのだ。


 ララは、変な動悸のする心臓を叱咤して、虚ろな目になりそうなところをなんとか持ち直し、ただ困ったように微笑み乗り切った。


 けれど、その十日後。


 ララは、濃い隈の残る青白い顔をした王子から、深緑色のビロードが美しい化粧箱を手渡された。

 『開けてみて』と言われたララは、素直に蓋を開け……戦慄した。


 箱の中には完成したらしいヨモギ模様の手枷が鎮座していたのだ。


 そしてどこか緊張した様子の王子は、ララに、『どうかな?』と聞いてきた。

 背中に冷汗をかきながら、ララは王子に『素敵ですね! こちらはいつも通りナタリー様(古参の侍女)にお渡ししてきますね!』と言って無理矢理スルーし、箱を持ったまま王子の返事を待たずに逃げだした。


 その結果。


 年に一度の大夜会で、ララは第三王子から告白されたのだ。

 『好きだ』『手を(枷で)繋ぐ許可を、くれないか?』と。



 第三王子は現在十六歳。今年の初めに成人を迎えた。

 王族で結婚も婚約もしていないのは第三王子だけ。

 そんな第三王子を周囲はもちろん放っておかなかった。

 王子の婚約者の座をかけた争いはそれはもう苛烈の一言で、現在進行形で社交界では第三王子狙いの令嬢たちが威嚇し合いしのぎを削っている。


 そんな状況下でのあの告白である。


 ララは別に鈍くない。

 王子が口にする『(枷で)繋ぐ』という言葉は王子にとっての愛の証なのだということは、この三年間嫌というほど聞いてきたし、王子のララに対する熱意が本物であることくらい、王子の真剣な表情を見れば火を見るよりも明らかだった。

 だから、第三王子がララに愛を告白したことも、婚約を打診されたのだということも、ちゃんとわかっているし、理解している。


 王子の気持ちは嬉しい。

 ララだって、伊達に長年王子付きの侍女をしている訳ではない。

 仕事を介して、第三王子の人柄はよく知っている。王子の良いところなんて数え切れないくらい挙げられる。

 その辺のファンよりも絶対に詳しいし、愛だってある。


 でも、ララは王子の『繋ぐ』という言葉の重みが怖い。


 この三年間蓄積されていった『手を(枷で)繋ぐ』ということへの恐怖。

 それをララはいつも『仕事だから』という魔法の言葉一つで耐えてきた。

 『仕事だから』と心の中で唱えれば、いつだってララの荒ぶる心は鎮まった。


 けれど。


 今さっき告げられた王子の言葉はどう考えてもララ個人に宛てたプライベートメッセージ。

 『仕事だから』という魔法の言葉は通じない。

 そんな魔法の言葉を封じられたララの忍耐力など、『手を(枷で)繋ぎたい』という言葉の破壊力の前では紙も同然。

 全身を駆け巡る恐怖に、ララの心はもはや一秒も保たずに限界を迎えた。


 そうして恐怖によって思考が停止し理性による判断ができなくなったララ本体は、警鐘を鳴らす本能に突き動かされるまま、王子の前から脱兎のごとく逃げ出したのだった。



**********



「殿下〜? そうやって落ち込むの、もうそろそろやめてもらっていいですかねぇ?」


 第三王子キース・クラヴァルトの執務室。

 複数の側近がひっそりと様子を伺う中、第三王子の幼馴染であり親友であり側近の一人であるアーサーは、痺れを切らしたように、執務机の上で微動だにしない物体に向かってそう言った。

 勇気ある進言を行ったアーサーに、周囲からは感謝の眼差しが向けられた。

 しかし。


「無理だよ……」


 ノロノロと顔を上げた第三王子だけは、光の消えた昏い瞳をアーサーに向けると、そう言い放ち、再び机に突っ伏した。


「別にハッキリ振られたわけじゃないんですし、一度逃げられたくらいどうってことないですよ! ね?」


「逃げられたのは二度目だ。いや、お茶の誘いも含めると今まで相当な回数避けられてきた」


 机に頭を乗せたままの体勢ゆえのくぐもった声で王子はボソボソと答える。


「……え~っと、でも、ほら! びっくりしちゃっただけかもしれませんし!」


「その『びっくりしただけ』の可能性ってどのくらい?」


「……小指の爪の先くらい?」


「やっぱりだめじゃないかあああ!!!!」


 美貌の第三王子は、その美しい顔を机にガンガンと打ちつけながらそう叫んだ。

 その叫びに呼応するように間髪入れず側近のアーサーも息を吸い込む。


「だぁぁあっ!! もうっ!! そんなんだから逃げられるんですよ!! それよりも、この部屋の中のクソ重苦しい魔力、さっさとどうにかしてもらえません!? つか、あんたの魔力聖属性のはずでしょう!? どうやったらこんな禍々しい魔力出せるんですかっ!?」


「そんなの僕が知りたい……側近が冷たい……」


「こんなん生ぬるいですっ! 王太子殿下の側近なんてうちの姉ですよ? あれ、ガチで冷気でてくる極寒ブリザードですからね!? さぁ、休憩終わり!! その書類の山、片付けますよー!」


 第三王子の執務室は、今日もにぎやかだった。





 高位貴族である公爵家と侯爵家そして王家では、婚約する際に腕輪を交換するという慣例がある。

 婚約腕輪は対になっていて、大切な者同士を互いに守るような、特別な『祝福』が込められている。


 第三王子のキースがまだ十歳の頃、悪戯好きだったキースは、ある日馴染みの魔術師のもとをこっそりと訪れた。

 『熟練のスパイ』という設定で、一人かくれんぼをして遊んでいたキースは、魔術師の部屋のクローゼットに隠れてしばらくじっと外の様子を伺っていたのだが、そろそろ別の場所に移動するかと思ったその時、部屋の奥の壁が突然消えて、少し疲れた様子の魔術師が出てきたのだった。


 どうやらこの部屋には、魔術で隠された秘密の部屋があったのだ!


 キースはそれはもう興奮した。

 どうにかしてあの部屋に入りたい。

 そう考えたキースは、魔術師が簡易キッチンでお湯を沸かしている間にその秘密の部屋に忍び込むことに成功し、棚の陰にサッと隠れた。


 それからしばらくすると、魔術師はその秘密の部屋へ入ってきて再び壁を作り出し、何かの作業を始めた。

 『熟練のスパイ』たるキースは、その作業を盗み見て、魔術師が何をしようとしているのかを推理する必要があった。

 だから、魔術師が作業する光景をジッと観察し始めたのだ。

 けれど、そのスパイごっこはすぐに終わることになる。


 キースはその『祝福』の魔術の幻想的な光景に一瞬で魅了され、スパイごっこどころではなくなったからだ。

 魔術師の『祝福』が終わり、光が収束していく様子までを呆然と見つめたキースはハッと我に返ると、興奮に顔を赤くしながら魔術師のもとに駆け寄った。

 その後、忍び込んだことを魔術師からこっぴどく叱られたものの、キースは全く懲りなかったばかりか、自分も『祝福』を行いたい、教えてほしい、と魔術師に何度も頼み込んだのだった。


 幸い、キースには『祝福』を習得できる類稀(たぐいまれ)な素質である『聖属性魔力』を持っていた。

 魔術師は、初め、『祝福』を教えることを渋っていたが、キースが熱心に毎日のように魔術師のもとに通いつめたこともあって、最後には折れた。


 キースは、練習次第では『祝福』が使えるようになる、と魔術師に言われて大喜びし、それからは忙しい教育スケジュールの合間を縫っては魔術塔を訪れて『祝福』の練習をしていった。


 『祝福』は古の魔術と呼ばれる種類の魔術で、通常の魔術のように口頭で詠唱を行うのではなく、術式を直接媒体に『刻む』ことで込めるものだ。

 魔力を内包した魔力伝導率の良い媒体である魔鋼を用いて『祝福』の術式を『聖属性魔力』とともに『刻む』ことではじめて完成する。


 キースの師匠となった魔術師はキースに魔鋼でできた彫刻刀を与え、ひたすらに魔鋼を削って術式を刻む練習をさせた。

 初めキースは、慣れない作業に誤って手を切ったりすることも多かったけれど、怪我することもだんだんと減っていき、そうやって三年が経った。そして、十三歳になったキースはついに、師匠から免許皆伝を告げられたのだった。


 『祝福』は人を守る魔術だ。けれど、それも悪用されれば、悪人を守り、結果的に被害者を増やすことになりかねない。

 だから、『祝福』という魔術の存在自体、限られた人間にしか伝わっていないし、『祝福』を使える魔術師たちは魔術塔や神殿で手厚く保護されている。

 キースは第三王子であるだけでなく、その貴重な『祝福』を使える数少ない一人だったので、キースには騎士だけでなく、神殿や魔術塔からも護衛が出されていて、それらの秘密の護衛たちは普段はキースの側近や従僕、侍女として働いていた。


 キースは秘密を守るため、自室に作業部屋を作り、限られた人間だけがその部屋に入れるようにした。そして、時間を見つけては、腕輪の制作に励んでいった。


 そんなある日、キースの目に、一人の侍女が留まった。

 その日、キースは早めに授業が終わったので、久しぶりに腕輪制作を行おうと思っていた。

 そうして自室の居間へと戻ったのだが、いつもならすぐにお茶を用意しにやってくる侍女の姿が見えなかった。


 おかしいなと思いながら、部屋の中を見回すと、入り口から少し離れたところで、一人の侍女が黙々と掃除をしていた。キースはその見知った顔に、ほんの少しホッとし、肩の力を抜いた。

 その見知った顔の侍女――コートニー伯爵の娘ララは、真面目で古参の侍女たちの信頼も厚い、若くも優秀な侍女だった。

 最近、高位貴族家から送られてきた箱入り令嬢たちが何人かキース付きの侍女となったのだが、その新人侍女たちはキースの気を引きたいのか業務そっちのけでキースに話しかけたり、纏わりついてくることが多く、キースは自室でも警戒を解くことができないことが多くあった。

 だから、部屋に、ララしかいないことに安堵したのだが……ララはキースがララの側に歩いて来ても全く気付かず熱心に置物についた埃を払っていた。

 あまりに集中するその姿が面白くて、キースの中に悪戯心が沸いた。

 キースは足音を消して、ララに近づくと、ララをパッと覗き込んだ。


「ひえっ!」


 ララから小さな悲鳴が上がり、胸を押さえて目を見開くララにキースは満足そうに小さく笑う。


「……っ殿下! お出迎えもせず、大変失礼いたしました……!」


 ララは青褪めながら深く頭を下げてきたけれど、キースは初めから怒ってなどいなかったし、むしろ面白がっていたので、笑ってそれを許した。


 その後、ララは、しゃんと気持ちを切り替えたようで、テキパキと仕事をこなしていった。

 無駄のない洗練された所作でお茶を淹れ、静かに控えてくれるララとの時間は心地よく、キースは、ふと、ララならあの秘密の部屋に入れてもいいな、と思った。

 そして早速それを侍女長に伝えたのだった。


 さすがに、『祝福』のことを詳しく教えることはできなかったので、ララには、キースはモノ作りを趣味としているのだと教え、趣味部屋の管理をお願いしたい、ということだけを伝えておいた。


 それからのララとの秘密の時間は、穏やかで心地よいものだった。

 ララは趣味部屋という他の者たちの目がない場所でも勤務態度を変えることなく、いつも空気のようにそっとキースを見守り、キースはララといる時には、いつも以上に集中できるようになった。


 ある時、思い付きでララに好きな模様を訪ねた時は、ララは思いもよらない動物や植物の名前を述べてきて、キースの『祝福とはこうあるべき』といった凝り固まった考えを一蹴してくれた。それが功を奏し、腕輪の評判が良かったことをララに告げると、なぜかララはオロオロと困った顔をして、それもまた興味深くて。いつも儚げに微笑むだけのララの変化がおかしくて、キースは自然と口の端が上がるのを感じた。

 

 その後も、ララの表情を崩したくて、時折ララにアドバイスを求めるようになったのだが、ララは、いつからか、古代の『祝福』に使われていたという貴重な文様やら、他国の少数民族に細々と、けれど脈々と伝わってきたという伝説の大樹の絵やらを持ってくるようになった。


 あまりに『祝福』の核心を突いてくるララが何者なのか気になり始め、秘密を知る古参の侍女に密かにララのことを調べさせたのだが、ララの実家もララ自身にもおかしな噂はなく、むしろ堅実な印象を受けた。

 ララの実家であるコートニー伯爵家は、裕福ではないものの、安定した統治をしており領内も活気があり、けれど中央の政治に関わることも、神殿に関わることもなく、魔術師を輩出した実績もなかった。

 ララ本人の評判も良く、キースの知っている通り、真面目で温厚な働き者、という共通認識が周囲の人間にあるようだった。


 だからこそ、余計に疑問だった。

 『祝福』の秘密を知るはずのない彼女がなぜあのような文様を知っているのか? と。


 その疑念を解消するため、キースはついに、密偵にララの後をつけさせて行動を監視してみたのだが……判明したのは、ララに後ろ暗いところはなさそうだ、ということだけだった。


 ララは、空き時間や休日を使って図書館で司書と一緒に『幸運の象徴』に関する文献を探し、何時間も粘って文様を調べては模写を繰り返していた。

 もちろん、禁書庫に忍び込むことなどなく、ただ、一般書をひたすらに読んで研究していた。


 時には魔術塔の『魔術博物学』の研究者のもとへ赴いて、大昔に大道芸で使われていたらしい花びらを空に撒く魔法陣について調べて部屋中花びらだらけにしてしまったり、また別の日には神殿図書館で寿ぎの歴史を調べたりした帰りに誘拐されかけた聖女を助けて気に入られたりといろんな事件を起こしながらもめげずに努力を重ね、それらの研究結果を、毎回キースに持ってきているらしかった。


 一般公開されている限られた資料からそれだけの情報を見つけてくるララに、キースは純粋にすごいな、と感心したものだ。


 ララの行動を一年程かけて観察したキースや密偵、報告を受けていた側近たちは、ついにララを『白』だと、つまり無罪だと判断した。けれど、キースには不思議だった。そんなに懸命に尽くしているのに、結局ララは一度もキースにそれを告げなかったし、侍女長にアピールすることもなかった。

 ララはいつだって、ただただ一生懸命に、キースの『趣味』に付き合い、自分の自由時間を削ってまでしてキースのことを考えてくれていたのだ。


 キースはそんなララの気持ちが嬉しくて、むず痒い心地になった。


 当時十三歳だったキースは、王子である自分の周りの人全員が本心からキースのことを想ってくれている訳ではないことを既にきちんと知っていた。自分のことを『第三王子』として見てはいても『キース』という一人の少年として見て寄り添ってくれる人はとても少ないことにも気づいていた。

 だから、ララが、取り立ててもらう為ではなく、純粋にキースの為に動いてくれることが、くすぐったくて、フワフワとした気持ちになった。


 ララと日々を過ごすうち、キースは自分でも気づかないくらい少しずつ、けれど確実に、ララに惹かれていったのだった。


 そうしていつしか、キースはどこにいても無意識にララを探すようになった。

 誰かを手伝って荷運びしたり中庭で本を読んだりするララの様子を眺めるのが好きだった。

 ララが、他の侍女たちとおしゃべりに花を咲かせながら、勤務中には見せないはにかんだ笑顔を浮かべたのを見た時には、その愛らしい表情から目が離せなくなった。


 そうして気がついたときには、もう元に戻れないほど、キースはララを好きになっていた。

 こうしてキースは、恋に落ちたのだった。





 そして時は流れ、キースは十六歳――成人となった。


 キースの成人の儀の行われた夜。

 王宮の人気のない廊下で、窓から月光が差し込む中、とある密談が行われていた。


「アーサー。僕、決意したよ。僕ももう十六。成人もした。だから、年末の大夜会の日に、ララに告白する。はっきりと僕の気持ちを伝えるんだ」


「それは見上げた根性ですねぇ、殿下」


「でも、ララは僕にそっけないし、どうすればいいのか分からないんだ……」


「う~ん、そうですねぇ。……一つ伺いたいんですが、殿下は、コートニー嬢に嫌われる覚悟はあるんですか?」


「き、嫌われる……?」


「ええ。そのリスクが取れるんなら、一つ、方法があります」


「……ララを失うのは耐えられない。彼女ほど僕に寄り添ってくれる人は他にいないんだ! だから、正直、嫌われたくない……」


「では、そのリスクを冒さなければコートニー嬢が他の誰かに搔っ攫われるかもしれない、と言ったら?」


「どういうこと!?」


「殿下もご存じのとおり、コートニー嬢は美しい方です。仕事の時は髪をひっつめて黒ぶちのだっさい眼鏡をかけてますが、見る人が見れば、彼女の美しさはすぐに見抜かれます。しかも、器量が良いだけでなく、働き者。穏やかで争いを好まないのに、渦中の困った人は放っておけず、こっそり侍女や使用人を助けているところは俺でさえ何度か目撃してます。つまり、彼女の職場の近くで働く官吏たちには日常的に彼女の気立ての良さも伝わってるんです。でも、あまりにも殿下が熱心にコートニー嬢を誘っていらっしゃるから、それが牽制となって今まで何も起こって来なかったんですよ。だけど、もし次の大夜会でコートニー嬢を一人で会場に放り込むような真似をしたら、王子の許可が下りたと思われ、きっと婚約者を探している令息たちに囲まれるでしょう。……だから、ここが勝負所なんです。ここで断られたら、確かにもう、望みはほとんどないでしょう。でもここで勇気を出さないと、目の前で好きな女性が縁組されるのを指を咥えて見ないといけなくなる。殿下は、どうしたいと思っているのです?」


「僕は、ララが好きだ。今まで、誰にもこんな気持ちを持ったことはない。ララだけが特別なんだ。きっとこれからも……。だからせめて、ララを愛している、ということだけでも伝えたい」


「じゃあ、決まりですね」


「でも、具体的にはどうすれば……?」


「まずは、コートニー嬢との婚約について、国王陛下のご裁可を出来る限り早くいただいて来て下さい。どんな手を使ってでも許可をもぎ取ってこないと、そもそも告白なんてしちゃだめです。それで、陛下から承認をいただけたらすぐに婚約を伯爵家に打診してください。コートニー嬢への告白はそれからです。王家もコートニー伯爵家も味方につけといた上で、真綿で包むようにコートニー嬢を包囲しとくんです。それで、大夜会では俺らが警備しますんで、二人っきりになれる雰囲気のいい場所で告白しちゃいましょう! それなら、コートニー嬢の答えがどうであれ、囲い込むことができますよ!」


「……わかった。無理矢理囲い込むなんて酷いかもしれないけど、それでも僕の人生にはララが必要なんだ。だから、僕、全力でやりきるよ!」


「その意気ですよ! んじゃ、これから忙しくなりますね。俺も出来るだけは手伝いますんで、また声かけてください」


「アーサー、ありがとう」


「どーいたしまして」



 それから、キースは精力的に執務を行うと同時に、国王や主要貴族たちに慎重に根回しを行い、一年かけてついにララとの婚約の許可をもぎとった。

 コートニー伯爵家にも婚約の打診も行い、無事、是という返事を貰い、その上で、ララには自分から婚約の申し込みをしたい、という旨を国王並びにコートニー伯へと伝えた。

 そうして、満を持して、運命の大夜会を迎えたのであった。



「アーサー……僕、なんか、めちゃくちゃ緊張してきた。……吐きそう」


「吐くのは我慢してください。それにしても、初めての公務の時でも平然としてたような殿下でも緊張することがあるんですねぇ」


「当たり前だよ。僕にとって、ララは……」


「あーはいはい! そういうことは、ご本人に言ってくださいね~! あ、コートニー嬢はあそこにいらっしゃいますよ。俺はここで見張っときますんで、まあ、頑張ってください。ご健闘をお祈りしてます」


「……行ってくる」


「(ボソッ)殿下の手の震え、結局収まらないままでしたねぇ……」



 この国の第三王子キース・クラヴァルトは、初心(うぶ)だった。

 エスコートやダンスで手を握るのは平気でも、なんでもない時に好きな女の子と並んで歩いたり、手を繋いだり、ましてや愛の告白をするなんていうことはめちゃくちゃハードルが高かった。

 手どころか全身ガクガクと震えていたし、心臓はありえない速度で脈打っていて、ガチガチに緊張していた。


 だから、最愛の(ララ)を前にした瞬間、キースが一年かけて考えてきたスマートなセリフも、月の綺麗に見える東屋で『好きです、結婚してください』と告げるというプランも、どこかに吹っ飛んで爆散し、消え失せてしまった。


 そして――


『ララ、好きだよ。……君と手を繋ぐ許可を、どうか僕にくれないか?』


――キースは、愛しい(ララ)にダッシュで逃げられたのだった。



**********



「ララ、どうしたのよ? 元気ないわね」


「アリス(ねえ)…………私、もう駄目かも……」


 ララは、大夜会での王子の告白の際の自分の大失態に打ちひしがれ、王都にある実家のコートニー伯爵邸のタウンハウスで項垂れていた。


「相当まいってるみたいね。よし! なにがあったか、お姉ちゃんが聞いてあげるわ。さぁさぁ、言ってごらん? わたしの口が固いのは、ララが一番よく知ってるでしょ?」


 俯くララの隣に座って、あやすようにポンポンと背中を叩きながら声を掛けたのは、ララの五歳年上の姉、アリスだった。

 アリスの言葉を聞いて、ララは、信頼する(アリス)に大夜会であったこと、そしてララの胸の内を打ち明けることにした。


「……あの、ね、キース殿下に婚約の申し込みを受けたの。なのに私、返事もせずに逃げてきちゃって……もう殿下に合わせる顔がない……」


「それはまた……。(ボソッ)予想以上の大物だったわ」


「? 何か言った?」 


「ううん、なんでもないわ! で、ララは今後どうしたいの? 婚約は……たぶんお父様にはもう連絡行ってるだろうし、覆りはしないだろうけどさ。このまま気まずい中で結婚するのはお勧めしないわよ?」


「そうなんだけど……だからと言って『はい、喜んで!』とか言える心境じゃないのよ……」


 ララは大きくため息を吐く。


「う~ん。それって、つまり、殿下のことが嫌いってこと?」


「嫌いではないわ! 殿下のことは敬愛しているの。でも、その、どうしても受け入れられないことがあって……」


 いくら信頼する姉であっても、王子の秘密を打ち明けることは出来ない。

 だからララは言葉を濁しながらそう告げた。


「そっか~。う~ん、そうねぇ。それって、どうにも折り合いをつけられない類のものなの? 体臭がきつ過ぎて隣に立っていられない、みたいな?」


 その言葉を聞いて、ララは思わずガタッ! っと音を立てて立ち上がった。


「殿下はいつもフローラルな香りよ!? …………そこまで、どうしようもない話では、ない、かも……? でも、殿下が望まれることを、拒否なんてできないし……」


 そんなララを見て苦笑しながら、アリスは首を(かし)げた。


「どうしてダメなの? 嫌なことは嫌って言っていいじゃない」


「え?」


「わたしは、旦那様とよくそういうの、話してるわよ? こういうことはして欲しくない、とか、こういうことをしてもらって嬉しい、とかね」


 アリスは慈愛のこもった眼差しでララに語り掛ける。


「でも、それで交渉決裂しちゃったら……?」


「交渉にもいろいろあるわ。白黒ハッキリつけるだけじゃなくて、相手にとって譲れるラインと、自分にとって譲れないラインをすり合わせるっていうのもできるしね。もちろん人によるとは思うけど、『ここまでなら無理なく耐えられる』っていう落としどころを見つけてみなさいな。それとも、第三王子殿下は、人の話に耳を傾けてくれる(かた)ではないの? 実は、意外と頭が固いとか?」


「殿下は思いやりに溢れる、柔軟に物事を考えられる(かた)よ!」


「そういうことなら、やっぱり、まずは殿下と話してみなさい? ララは、昔っから問題を自分だけで解決しようとする癖があるけど、自分の要望を伝えたり相談したりして『甘える』のも大事よ?」


 アリスの意見を聞いて思案するララの手をポンポンと叩きながら、アリスはララの言葉を待つ。


「…………でも、怖いの」


「ララは、なにがそんなに怖いの?」


「もし、落としどころが見つからなくて殿下のご希望に添えなかったら? 殿下は私のこと、嫌になってしまうかもしれないわ……」


 王子に嫌われる未来を想像して絶望に顔を青褪めさせたララを見て、アリスは悪戯っぽく笑いかける。


「ふうん? つまり、ララは殿下のことが大好きってことね? いいわね~若いわね~」


「アリスお姉ちゃん! なんでニヤニヤしてるのよ!」


「いや~。あの小さくて怖がりで泣き虫なララが、いつのまにか恋に落ちていたとはねぇ。お姉ちゃん、気付かなかったわ~。うふふふ~」


「こ、恋って……! 私は殿下のことを敬愛しているのであって、そういうのでは……!」


「そうかしら? ただ単に敬愛しているだけなら、ララはきっとこの婚約についてそんな風に悩まなかったと思うわよ? 『畏まりました。そのお話謹んでお受けいたします』とか言うララが目に見えるもの。違う?」


「……」


 ララのことをよく知る姉からの指摘に、ララは思わず言葉に詰まった。


「…………確かに、そう、かも」


 ララは深く息を吐きながら小さく呟いた。


「でしょう? まあ、もちろん殿下のことをどう思っているのか、最終的な答えを出すのはララ自身だし、さっきわたしが言ったのは、あくまでも姉であるわたしから見て、ララがどう思ってそうかってことだけなんだけどね? ……婚約発表まで、そんなに時間はないだろうから、早いとこ殿下にお話しするのが一番いいと思うわ。ここが頑張りどころよ、ララ?」


 アリスの愛情に満ちた目を見て、ララはグッと手を握りしめた。


「……私、頑張って殿下に聞いてみる!」


「そうしなさい。大丈夫。骨は拾ってあげるわ」


「失敗する前提にしないでくれるかな……!?」


「うふふふ。『アリスお姉ちゃん』はいつでもララの味方よ。いつでも『アリスお姉ちゃん』に頼って来なさい」


「アリス(ねえ)


「聞こえないわ~? 『アリスお姉ちゃん』って小さい頃みたいに可愛く言ってくれないと、なんだか聞こえないみたい~」


 ニヤニヤとララへ笑いかけるアリスを、ララは頬を膨らませながらジトっと睨む。


「もうっ! ……でも、ありがとう……アリスお姉ちゃん」


 アリスの前では、子供の頃に戻ったように振舞える。

 そうしてララを息抜きさせてくれる姉に、ララは心から感謝した。


「あ~うちの妹可愛いわ~」


 ララを揶揄いながらニマニマと眺めるアリスは、ララがいつもの元気を取り戻したことに内心ホッとしていたのだった。





 (アリス)に王子のことを相談した二日後。

 実家からララに宛てて、『話があるので帰ってくるように』と手紙が来た。


 王子との婚約の件だろうか?

 王子と気まずい感じになっていることは、どこまで伝わっているのだろう?


 …………でも、そもそもこれはララの問題。

 実家がなんと言おうが、ララが解決すべきことなのだ。


 ララは腹をくくった。


 今まで、ララは、きちんと王子と向き合ってこなかった。

 だから、ゆっくりと話せる場所で、今度こそ、逃げ出さずに王子の気持ちを聞いて、自分の気持ちも伝えたいと思った。


 ララは、第三王子を敬愛している。しているはず、だった。


 王子の趣味にはやっぱり正直引いてしまう。

 でも、王子はいつだって公正で、頑張ったことは評価してくれるし、侍女たちに失敗があっても、上手く侍女長に伝えて大きなお咎めが無いよう取り計らい、侍女たちがのびのび働ける環境を作ろうとしてくれる。

 本来であれば、侍女や従僕たちの方が王子の過ごしやすさを提供すべきなのに、王子はいつだって、周りの者たちを大切にしてくれる。

 主としての威厳とともに、気さくな面をあえて見せて、息抜きをさせてくれる。

 年齢を重ねるごとに、執務も増え、疲れた様子の時でさえ、お茶を淹れる侍女たちに「ありがとう」と言って労ってくれる。


 十六歳という若さで、すでに王宮の様々な業務を担い、その責務に重圧に強く立ち向かうその姿は、あの日、趣味部屋で見た王子の真剣な横顔を彷彿とさせ胸が高鳴ってしまうし、なにより、いつもは『コートニー嬢』と呼ばれるのに、他の侍女のいないあの作業場の中でだけ、それはもう嬉しそうに『ララ』と呼ばれることが、いつからか、ララにとってかけがえのない宝物になってしまっていた。


 ララだって本当は、もう、気づいていた。

 この自分の気持ちを『敬愛』と呼ぶには、あまりにかけ離れてしまっていたことに。


 『手枷』は、きっと、家の中限定なのだろう。

 大夜会でこっそり眺めた高位貴族の方たちの手首には確かに『手枷』が嵌められていたが、それらが赤い糸でパートナーと結ばれていたり、自由を奪うような物としては使われていなかった。

 だから、ほんの少しだけ、ホッとした。


 でも、三年もの間、『繋ぐ』という言葉に過剰反応してきたララにとって、王子の告白の言葉は未だに重く、怖かった。


 自分が拘束されることもそうだけれど、あれは呪いが込められる類のもの。

 王子曰く、婚約者たちはお互いにあの『手枷』を交換し合い、そして赤い糸で結ばれるのだという。

 呪いの発動条件は不明だけれど、壁一面にあった『手枷』たちから禍々しいものを感じたことはないので、きっと赤い糸というもので繋ぐとなんらかの効果が発生するのだろう。

 もし、王子からの『手枷』を受け取って、王子も『手枷』を嵌めて、赤い糸で繋げてしまえば……ララが誰よりも大切に想う王子が呪いに侵されてしまうかもしれないのだ。


 そんなことはダメだ。回避しなければいけない。

 王子という身である以上、命を狙われる可能性だって低くはない。

 もしそんな緊急時になんらかの呪いが悪い方向に発動してしまえば、王子は致命的な状況に陥ってしまう。

 だから、忠臣であり、伴侶となる私が、王子を止めなければいけないのだ。


 大切にしているものを手放さなければいけない王子を不憫に思う。

 でも、これから先、王子が新たな『愛の証』を見つけられるまで、私は寄り添おう。

 王子が『愛』を感じられるよう、私があらゆる努力をしよう。

 そうして、愛のある夫婦になっていこう。

 ララはそう覚悟を決めた。





 王子と話す。そう決意を固めたララは、次の日の業務を終えると、第三王子が執務室から帰ってくるのを待った。

 いつもの退勤時間はとうに過ぎ、月が上り、夜のとばりが落ちる。


 ララは、いつまでも待つつもりで、扉の前に立っていた。

 警備の衛兵も、いつも真面目に働くララが、遅くまで部屋の前に立っていることに何かを感じ取ったのか、何も言わないでいてくれた。


 そうして、月が昇りきったころ。

 第三王子が帰ってきた。


 第三王子は扉の前に控えるララを見つけると、目を見開いて駆け寄り、何かあったのかとそれは心配そうに尋ねた。

 ララは、上手く答えられず、けれど、小さな声を振り絞るようにして、王子に話したいことがあると告げた。


 王子は戸惑っていたが、大きく息を吸い込むと、部屋の中へと案内してくれた。


 王子の部屋には、お茶を沸かすためのキッチンがある。

 ララは王子に断りをいれ、まずお茶の準備に取り掛かった。


 ララがお茶の準備をしている間に、王子は着替えを済ませてきたようで、いつもよりラフな格好だ。

 なんだか気を許してもらっているように感じて、場違いにもララの胸は高鳴った。


 そっと王子のカップにお茶を注ぎ終わり、椅子を勧められたララも素直に着席する。

 そして、ララは緊張を吐き出すように一つ息を吐き、王子をまっすぐに見つめた。

 すると、王子が口を開いた。


「ララ、この前の大夜会では、君を追い詰めてしまって、本当に済まなかった」


 真剣な表情で、ララに謝ってくれるこの高貴な方は、本当に人格者だ。

 逃げたララを罵倒したって、問題ないのに。それどころか、罰を与えることだってできる。普通ならそうするだろう。

 なのに、第三王子は、ララを咎めず、それどころか、ララの気持ちに寄り添おうとしてくれている。

 ララの平和を、心を、王子は守ろうとしてくれているのだ。


 ララは、じわじわと涙がせり上がってくるのを感じたが、それでも口を開いた。


「殿下。私の方こそ、大変な失礼をしてしまい、申し開きようもございません」


 頭を下げたララに、顔を上げてほしいと、王子は慌てたように声をかける。

 ララは、ゆっくりと顔を上げ、再び王子としっかりと目を合わせた。

 そのララの視線に、王子は顔を赤くした。


「今日のララは、いつもと少し違うね?」


「……はい。私は、覚悟を決めて参りました。ですから、全て、お話しします」


「わかったよ。ララの話を聞こう。話してみて?」


 一度大きく深呼吸してから、ララは話し始めた。


「…………私は、いつも、考えていました。殿下と距離をとらないと、と」


「…………それは、やはり僕のことが嫌いだから?」


「違いますっ! ……あ、大きな声を出して、失礼しました。ですが、私が殿下を嫌うことはありえません!」


「そう、なんだ」


 王子は頬を更に赤く色づかせ、嬉しそうにはにかんだ。


「ですが……私は、殿下を私に繋ぎとめてはいけないと、そう思ってもいます。あの『手枷』が殿下を不自由にさせてしまうことを、私は望みません。殿下には、いつまでも自由に、心穏やかに、健やかにお過ごしいただきたいのです! 私とあの『手枷』で繋ぎを作れば、殿下が不幸になってしまします……ですから、わたしは、あの『手枷』を受け取ることができません」


 王子は初め、悲痛な表情で聞いていたが、ララが『手枷』という言葉を使うたび、不思議そうな顔をし始め、困惑した顔で、ララに語り掛けた。


「ララ。その『手枷』とはなんのことだい?」


「…………殿下が、いつもお作りになっていらっしゃるものです」


「『手枷』……。なるほど、『手枷』、かぁ…………」


 そう言って王子はしばらく唸り、そして、ハァ〜っと一つ大きく息を吐くと顔を上げ、ララの目を真っ直ぐに見つめた。


「あのね、ララ。その、僕が作っていた腕輪のことなんだけど」


 王子が話し始めるとララの肩がビクッと震える。


「ララは、あの腕輪が嫌なんだね?」


「…………申し訳、ありません。殿下が大切になさっているものなのは、重々承知なのです。でも手を拘束する器具については、その、やはり、怖いと感じてしまいます…………」


「拘束する器具…………。ララ、あのね、もしかしたら、ララは少し腕輪について誤解しているかもしれない」


「誤解、ですか?」


「うん。僕がきちんと説明しなかったから、勘違いさせてしまったんだと思うんだけど、あの腕輪たちはね、『愛の証』なんだ」


「『愛の証』というお話は、以前殿下からお話しいただきました」


「うん。それでね? この腕輪には、腕を拘束するような仕掛けはないんだよ」


「? ですが、腕輪同士を糸で結ぶのではないのですか……?」


「ああ、なるほど。……えーとね、まず、『赤い糸』という言い回しは、比喩なんだ」


「比喩」


「そう。運命のめぐり合わせた最高の二人を引き合わせると言われている、古来から伝わる、神話のようなもの。だから、実際には、腕輪はただの腕輪として、手首に着けるだけなんだ」


「そうなのですか!?」


「うん。腕輪には『祝福』の魔術という、伴侶やパートナーが窮地に陥った時、一度だけ、その対になる腕輪の力を使って腕輪の所持者を守る(まじな)いが掛けられている。腕輪は、主を守護すると同時に、危機が迫ったことをもう一方の腕輪の所持者に連絡ができるようになっているんだ。だから、腕輪を贈り合って互いに身につけることで、夫婦や婚約者同士の繋がりでもって、お互いを守るんだよ。そして、その『祝福』の魔術は、『赤い糸』という俗称で呼ばれるようになったんだ」


「守るための、魔導具……」


「『祝福』の魔術が使えるのは、『聖属性』の魔力を持つ者だけ。だけど、『聖属性』の魔術師は少なくて、その中でも『祝福』の術式を組み込む技術を持つ者は更に少なくなる。幸い、僕は『聖属性』魔力を持っていた。だから、魔術塔の魔術師から『祝福』の魔術や腕輪の作り方を習ったんだ。当時はその魔術師が婚約腕輪の製作を一手に担っていたんだけど、体調を崩してしまって『祝福』を行えなくなってしまってね。だから僕が代わりに制作することになったんだ」


 ララは目を見開きながら、今までの王子の行動を思い返していた。

 思えば、王子はいつだって人の幸せのために動いていた。

 それは王族としては甘すぎるくらいで、時折、側近たちが諫めるほどだ。

 それでも、王子は人のために『祝福』の魔術を使い、『腕輪』を作り続けた。

 ララは、ここにきて初めて、自らの勘違いを猛烈に後悔し、俯いたまま顔を上げれられなくなった。


「ララ、顔を上げて」


 王子から穏やかに名を呼ばれた。

 ララは、コクリと喉を鳴らし、ゆっくりと視線を元に戻す。


「僕は、ララが好きだ。ララは、僕の特別で大切な人で。これから先もずっと側にいたいんだ。ララが僕のことを避けていたのには、気づいてたよ。それでも、諦められなくて、どうしても、気持ちを伝えたかった。……ララ。僕は、君を心から愛してるよ」


 ララは、何かを言おうとして口を開き、すぐに口を閉じた。

 ほろほろと、涙が頬を伝っていたのだ。


「ララ……!?」


「申し訳、ありま、せん。殿下を誤解して、沢山殿下を傷つけて。私が殿下を避けるたび、殿下が悲しそうな顔をしていたのを見て見ぬふりをして、今までずっと酷い態度でした。ひっ、く……。なのに、私、今更になって殿下の隣にいたいと思ってしまったのです。この気持ちは『敬愛』という感情なんだと、ずっと言い聞かせてきました。なのに私、殿下のことが好きだと。恋をしていると、気づいてしまったんです。許されるならずっと、殿下のお側にいたいと思ってしまったのです……」


 ひっくひっくとしゃくりあげながら、ララは何とか想いを伝える。

 すると、しばらく沈黙していた王子が口を開いた。


「ララは、僕が、好き、なの……?」


「はい」


「………………そっ、か。は、ははっ。信じられない。本当に、信じられない」


 はははっと笑う王子の声は震えていて、ララは本当に、今までのことを心の底から後悔した。


「ララ。どうか自分を責めないで? 僕は今、すごく嬉しいんだ。…………でも、ララは本当に僕でいいの? ララが僕の隣にいてくれるのなら、僕はララのこと、僕の力の及ぶ限り全力で守ると誓う。でも、僕は王族だから、もしかしたらララは誰かに傷つけられてしまうかもしれない。利権が欲しい人間はゴロゴロいて、味方だと思っていても裏切られることもある。王宮(ここ)は、そういう場所なんだ」


 寂しそうに、自嘲するように、王子はそう言う。

 ララは、王子にそんな顔をして欲しくなくて、首を振り懸命に言葉を告げる。


「殿下。私、これでも王宮勤め四年目なんです。あちらこちらで足の掬い合いがあったり、噂ひとつで政敵を窮地に立たせたり。そんなレベルの話ではありますが、それでもこの魔境の一端は存じております。王子妃になれば、否応なく、そこに立たなくてはならないことも、今日ここに来るまでに考えてきました。正直、今もまだ、私に務まるのかは不安です。それでも、私はあなたの隣にいたい。…………私も、殿下を愛しているから」


 ララはそっと王子を見上げた。

 すると王子はその美しい瞳から透き通った涙を頬に伝わせながら、本当に幸せそうに笑ったのだった。





 そうして、第三王子キースとララとの婚約は成った。それも、ララが思っていたよりもずっとあっけなく。

 ララたちの婚約は、多くの人に祝福された。

 もちろん、表面上の祝福も含まれているのは分かっているが、それでも大多数から婚約を支持されて、ララはとても驚いた。

 伯爵家とはいえ貧乏で権力もないララと婚約する。

 その許可を得るのは、恐らくとてつもなく大変だっただろう。

 きっと、王子は裏で相当動いてくれたはずだ。

 一体どんな手を使って、貴族たちや国王を動かしたのか、ララには皆目見当もつかない。

 ララは、可愛らしくて美しい王子の容赦ない裏の顔を垣間見た気がしてゾクリとしたが、そんなところも全てが王子という人を形作っているのだと知っている。


 だから、ララは今日も腕輪を身につけて王子に伝えるのだ。


「キース様が大好きです」 と。

お読みいただきありがとうございました!

一言でも感想・評価(↓の☆)などいただけたら、とても嬉しいです。


他にも『うちの裏山に魔王が封印されていた件について』(https://ncode.syosetu.com/n9072ho/)を連載中です。

もしよろしければ、ぜひご一読ください!

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