ヘリクツ
ニュートン力学をアインシュタインが書き換えて
時間と空間が一定ではなくなって
実感できないままに「時空間」という言葉が生まれて
だったら、空間の歪みの中で
もう一度、きみと出逢うことがあるのだろか
僕は光の速さで走れないけれど
僕の想いなら、もう、地球をどれだけ回ったことだろう
この空が、きみへの想いの飛行機雲で覆われたとしても
それが現実に起こったにしても
まったく、ありえないことではないのかもしれない
僕たちには見ることも、認識することもできないけれど
量子物理学が多重世界を肯定するのなら
分岐した多重世界のどこかで
分岐した僕らが、僕らとは違った選択ができればそれでいい
僕は、それを知覚も実感もできなくても、想像することはできるから
仲良く手を繋いで歩く世界があればいい
詩を書くこともなく、歌を聴いて涙することもなく
時々、喧嘩をしながら
きみといるしあわせに、たぶん気がつかず
もしかしたら、少しの後悔を抱えて生きている僕がいればいい
そう、それでいい
感想に書いたことがありますが、古典的な右脳・左脳問題についてです。
私の場合、口語体自由詩を書く時は理屈先行で左脳優位思考かなと思います。逆に、定型で詩を書く時のほうが右脳で考えているかなと思うことがあります。
定型詩はリズムで、口ずさむように紡ぎます。あまり深く考えずに。できたあとで言葉を選びなおすことはありますが、概ね、そんなイメージです。
逆に口語体の自由詩のほうは、誰かを相手に話をしているような感じになります。語りかけるように、説得するように。だから、ちょっと理屈っぽくて、考えることから自由になれません。
それが右脳と左脳の優位性に紐づけて、それぞれを感じてしまう理由なのですが。頑固な左利きが影響しているのでしょうか。




