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光すら無く



 


「うわぁ……酷い砂嵐」


昼過ぎ、外へ出ると結界の向こう側は凄まじく強い風が吹いていた。

 敵意と悪意を通さない強固な結界は砂嵐の砂塵をも漉し出すらしく、比較的澄んだ風がファレットの頰を撫でていた。

 結界内であれば心地良い風だが、一歩でも外に出れば簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。


「やっぱり、こんな天気で出るのは無理……ですよね」


 本来なら準備が出来次第出発する予定だったが、昨日からディバスタ砂漠で大規模な砂嵐が発生してしまった為動けなくなってしまう。

 もしオアシスの周囲を守る結界が無ければ、木製の家と貴重な清水はおろか、ファレット達まで吹き荒れる熱風に片っ端から薙ぎ払われていただろう。

 一晩の協議の結果、出立は砂嵐が収まるのを見計らって、早ければ三日後となった。

 それまではゆっくりと旅の準備に集中しよう、という事が決定したのだった。


 その間ケヴィは家の片付けや荷物整理を行い、その代わりに家事をファレットが行う。

 言わば分担作業だ。


 今の彼は昼飯に使う為の水を汲む作業をしていた。

 地下深くから顔を出した地下水が水底の裂け目からコポコポと溢れ出し、綺麗な波紋と独特な水流を創り出していた。


「……結構透き通ってるな、オアシスってこんな綺麗なんでしょうか」


そんな事を呟きながら、靴を脱いでオアシスの中に足を踏み入れる。

 深い地の底で悠久の時を経た清水は冷たく、不純物も少ないようでガラス細工の様に透明だった。

 膝上まである水面を掻き分けて進み、裂け目から湧き上がったばかりの水を汲み取った。


「あぁ、懐かしいな……」


 清水の冷たさに懐かしい思い出が記憶の底から呼び起こされる。


 あれはまだファレットが製造したてだった頃。

 当時夏だった事もあり、創造主と魔人兵仲間の四体と共に近場の川へ泳ぎに行った。

 研究所が山奥で水源が近かった事もあり、川の水はとても澄んでいて冷たく、釣り糸を垂らせば数分と経たずに魚が釣れた。

 仲間の魔人兵、パレードと共に釣り上げたマスの鱗の煌めきを、今でも鮮明に覚えている。

 このオアシスでも魚は釣れるのだろうか。


「……早くラドリーロまで行って、さっさと帰らないとな」


 どうしようもなく望郷の念に駆られる。

 今、この時も創造主や仲間達はファレットの帰りを待っている。

 彼が映した風景画と、ありったけの土産話への期待を胸に。

 砂漠のど真ん中で魔力切れした事、ケヴィに助けて貰った事、そして彼女と旅路を共にする事。

 旅の途中だが、もうこんなに話の種が出来た。


 旅の放浪記を聞いた彼等は一体、どんな反応をするだろうか。


「……ん?」


 ふとその時、両足の間に何かが滑り込む感覚を覚えた。

 何気無く足元を見下ろすと、ファレットの股下に黒い影が見える。

 鋼鉄の様に強固で凹凸の激しい皮膚、強靭な顎の隙間から覗く鋭利な牙、木の幹の様に度太い腹部。

 一対の無機質な眼球が水底で静かに輝いている。


 それは間違い無く、鰐だった。

 

「……なっ!?」


反射的に水から跳び上がって、その勢いで陸地まで飛び退いてしまった。


「何でこんな場所に…ッ!」 


 右手を構えて、『虚空を裂く風』を発動させようと詠唱を始めたが、ふと誰かに肩を叩かれた事によって集中力が途切れ、魔法は不発に終わった。

 慌てて振り返ると、其処にはケヴィの姿があった。


「何してるの?」

「今っ、水の中に鰐が!」

「えー……?」


 ケヴィは水面を覗き込んで、鰐の姿を見るや否や、にへらと笑った。


「あぁ、草喰鰐(ディアード)ね……安心してよ。あの鰐は水草しか食べないし、穏やかだから」

「えっ、でも……!」

「ほら……良いから見てて」


彼女は杖を足元に置くと、帽子を深く被って水の中にゆっくりと足を踏み入れた。

 その瞬間、彼女の両足が消えた。


「……えっ?」


余りの予想外の事態に、素っ頓狂な声が出る。

 そんな事もお構い無しに、ケヴィは足から腰、胸から肩へと水に沈めていく。

 それに連れて、水に触れた部分が徐々に消えていく。


「ちょっ、いっ、なっ、え……!?」


 そして遂に、頭部も消えた。


「どっ、何処へ行った!?」


 困惑していると、不意に水面が爆ぜた。

 水柱の向こう側から姿を現したのは、間抜けな顔で宙に浮かぶ草喰鰐と溶けた様な笑顔を浮かべるケヴィの顔だった。

 その顔から下にある筈の胴体は無かった。


「うっ、うわぁぁぁぁ!!」


明らかに人間の所業とは思えない現象に身体が恐怖に怯え、震える足が思わず一歩退いた。

 そんな情け無い姿を、ケヴィはあっけらかんとした風に笑った。


「ふへへへへ、驚いた……? 鰐なのに、こんなに大人しいんだよ?」

「どっ、どうしてそんな、透明に!?」

「……あっ、そっちか」


操り糸が切れた人形の様に草喰鰐が突然落下し、ケヴィの顔がゆっくりと近づいて来る。


「私が着てる服と帽子はね、擬態竜(リーファー)の皮を鞣した物を使ってるんだ……擬態竜っていうのは皮膚を変色させて、周りの景色と同化して獲物を待ち構えるんだけど……その皮膚が変色する条件ってのは、湿ってる事なんだって」


 ケヴィの顔がファレットの目の前に来た時、まるで白紙にインクを垂らしたかの様に上半身から姿が露わになっていく。

 肩から胸、腹。

 そして直ぐに下半身が現れ、見慣れたケヴィに戻った。


「解る? 姿を影ごと消して闇に紛れて、死角から魔術で敵を一網打尽にする……これが、私が『無光の魔術師』って呼ばれる理由だよ」

「……『無光の魔術師』」


 恐らくその上着と巨大な帽子の過剰なまでに長い襟や裾、縁は、完全に姿を消す為の物なのだろう。

 ケヴィは帽子を脱ぐと、それをファレットに差し出した。


「触ってみてよ、感触気持ち良いから」

「は、はい……」


 滑らかだが明らかに革とは違う、湿った様な照りを持つ材質。

 これは本当に生物の皮なのか、と疑問に思う程の弾力と伸縮性を持っている。

 独特の感触がこれまた心地良い。

 ブニブニと指先で触り心地を堪能しながら、神妙な顔で尋ねた。


「これが……透明に?」

「うん、そうだよ。此処だったらすぐ乾くけど、森とかだったらもっと透明な時間が長くなるし……あっ、暗闇の中だったら本当に見分け付かなくなるよ」

「あぁ、成る程……」


 水面や森の中よりも圧倒的に紛れ込み易い様な暗闇、つまり光の無い場所で真の実力を発揮する。

 それが『無光の魔術師』、サヴィルア・アルバニーなのだろう。


「逆に水が無ければ透明になれないって事ですよね?」

「まぁ……うん、そうだよぉ。水筒か何かの水を引っ掛ければ姿を消せるけど、例えばこんな水も無い砂漠だったらちょっと厳しいね」

「でも、姿を消せるってかなりの強みですよね……俺も透明になれますかね?」

「擬態竜の皮さえ手に入れば出来ると思うよ。でも擬態竜自体、かなり珍しい魔物だから厳しいかなぁって」

「そうですか……」


 ファレットはケヴィに帽子を返すと、彼女が纏う白い上着に目を向けた。


「それも透明になる皮を使ってるんですよね? 分厚いみたいですけど、暑くないんですか?」

「この上着、結構通気性良いから日中は意外と涼しいよ……夜は寒過ぎて防寒着羽織るけど」

「へぇ……」


やはり材質は帽子と同じらしく、独特の光沢を持つ白い革だ。  

 水滴を一筋垂らせば周囲の風景に溶け込み、天に住う神の眼すらも欺けるだろう。

 凄まじい魔道具だ。


「……………あっ、そうだった!」


 その時、彼は漸く自分が水汲みの為にオアシスに入っていた事を思い出した。

 木桶はどうやら水の底らしく、煌びやかに輝く水面の下でコロコロと水流に乗って転がっていた。


「すみません、水汲みするつもりだったのに……今すぐ行ってきます」

「はーい。慌てなくていいからね……?」


 オアシスに入って、急いで木桶を回収しに行く。

 その道半ばで水底の草喰鰐を見つけたが、目を閉じて水苔を食んでいるだけで襲って来る様子は微塵たりとも無かった。

 それでも細心の注意を払いながら、出来るだけ近付かない様に木桶を拾い上げ、湧水を汲むと駆け足で陸に上がった。


「怖がり過ぎだって……」

「でも、やっぱり俺、鰐は苦手なんですよ!」

「嶺這蟲は倒せたのに? 私、あっちの方が苦手なんだけど……」

「見てくれが恐ろしいですし、何よりあの無機質な眼が怖いんですよね」

「あー……まぁ、分からない事は無いよ? でもねぇ……」


鰐を怖がる魔人兵など居て堪るか、という風に苦笑いを浮かべるケヴィエン。

 いくら鋼鉄を肉、魔典(スクロール)を心臓とする鉄人形だろうと、心は極限まで人に近しい物となっている。

 恐怖という感情を持たない人間が居ない事と同じ様に、魔人兵もまた未知の存在や力の及ばない絶対強者には恐怖心を抱くのだ。

 

「……そういえばさ、草喰鰐の『重み』はどうなの?」

「あの鰐の命ですか? 多分草食なので満足するには量が要りますね」

「具体的には、どのくらい?」

「一匹丸ごと食って稼働だけなら五日、『虚空を裂く風』を使えば三十発程度が放てます。フルパワーで戦うなら三匹くらい欲しいですね」


 一匹だけでも大型犬以上はある、その巨大な体躯。

 硬く分厚い皮膚に覆われているとはいえ、可食部は少なくはない筈だ。

 もし肉食魔物の肉であれば、二週間は飲まず食わずで生きるかもしれないが、やはり草食魔物という植生と生態系の立ち位置で『重み』は大きく変動してしまう。

 

「……砂漠は何が居るか分からない……もし獲物が捕まえれなかった時の為に保存食にしとこっか」

「そうですね。魔物が居ても、それが食えるかどうか分かりませんから」


ファレットは水底をゆっくりと闊歩する草喰鰐を眺め、肩を震わせた。


「すみません。本当に申し訳無いんですけど、あの鰐捕まえて来てくれませんか? 流石に素手で触るのはキツくて……」

「ふぇ?」


 およそ魔人兵とは思えない内容の懇願に、ケヴィは素っ頓狂な声を上げた。





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