グローブでてこ~い
グローブでてこ~い
ぼくは、今、腹が立ってる。ぼくの大切なグローブがなくなってしまったんだ。
父さんと家の近くの公園でキャッチボールをしているとき、ぼくの投げたボールがフェンスをこえた。ボールは道路を転がって、その向こうの川にポチャン。グローブはベンチの上に置き、父さんと二人、プカプカ流れるボールをあわてて追っかけて、やっとのことで川から拾いあげた。
ほっとして公園に帰ってくると、ない! ない! ぼくの大事なグローブがない! いっしょに置いてた父さんのグローブもない!
ほんの5分ほどのあいだにグローブが消えちゃうなんて……。そんなのって、あり?
父さんと二人で、公園の中、道路、草むら、あちこちさがしたけど、やっぱりない。
「だれかがとっていっちゃったのかな。」
父さんは口をへの字にして何も言わない。
あきらめきれず、もう何度も見たところをさがしてるぼくに、父さんが言った。
「もう帰ろう。グローブが一人で歩いていくくわけない。さがしてもででこないよ。」
「だれかが忘れ物だと思って、ひろってくれたのかな。名前、ちゃんと書いてるから、うちに届けてくれるかなあ。」
「そうだといいがなあ……」
急いで家に帰ったけど、やっぱりグローブは届いてなかった。
次の日、ぼくは近くの交番に行ってみた。
「公園に置いてたグローブがなくなったんですけど、届いてませんか? 名前も書いてあったんだけど。」
「届いてないなあ。」
「ぼくのと父さんのと二つともなくなったんです。ボールをとりに行ってるあいだに。」
お巡りさんは顔をくもらせた。
「悪いやつがいるからなあ。君の名前と連絡先を聞いておこうか。もし届いたら知らせてあげるよ。でも、あまり期待しない方がいいかもなあ。」
その後、お巡りさんからの連絡はなかった。 ぼくは、とっても腹が立っている。いったい誰なんだ、ぼくのグローブを盗んだやつは。グローブ、でてこーい!
父さんは、もうあきらめろっていうけれど、そんなの無理だよ。あきらめることなんてできない。
グローブを買ってもらう前のぼくは、運動が苦手で、いつも家でゲームばかりしていた。学校の休み時間、友達は楽しそうに野球をしている。何度かぼくもやってみたけど、ボールはとれない、打てない、さんざんなめにあった。自分でもいやになったし、チームのみんなに迷惑をかけるのがいやで、それからは野球に入らなかった。みんながわいわい言いながらやってるのを、ぼくは鉄棒にぶら下がって見ているだけだった。
その話を父さんにしたら、10才になった誕生日に、グローブとボールを買ってくれた。
「父さんのも買ったぞ。お前もおれも、運動不足で腹が出てきたからな。いっしょにキャッチボールをやろう。」
それ以来、日曜日は二人でキャッチボールをしている。最初は全然続かなかったけれど、最近はやっと、キャッチボールらしくなっておもしろくなってきた。
それなのに、あきらめるだって? とんでもない。絶対ぼくが見つけだしてやる。グローブと、グローブを盗んだ犯人を。
それにしても、誰が盗んだんだろう。この近くであやしいやつといえば……。
あっ、そうだ。星野さんとこのジョンがあやしいかもしれない。あの犬ときたら、いろんな家に勝手に入っていって、革靴を持って行くんだから。うちの父さんのも、前やられたことがある。自分の犬小屋にかくしてたそうだ。グローブも革でできてるからなあ。
ぼくは星野さんの家に行き、ブロックべいのすきまに足をかけて中をのぞきこんだ。庭にジョンの犬小屋がある。あの中にぼくのグローブがあるかもしれない。
ぼくはしばらく迷っていたが、思い切って、へいの上に上がり、庭に飛びおりた。犬小屋の中をのぞきこんでみると……
「ワンワンワン!」
いきなりジョンにほえられた。
「しー。悪いことしないから、静かにしてくれよ。」
近くで見るジョンは、けっこう、でかい。ぼくと同じくらい体重があるんじゃないだろうか。真っ黒いその身体がぼくにとびかかってきて、ぼくはあおむけに押したおされてしまった。もうだめだ、と思ったその時……
ジョンはぼくの身体に馬乗りになって、ぼくの顔をペロペロなめだした。
「くすぐったいよ。やめてよ。」
ぼくがたまらずさけぶと、家の中から星野のおばさんが出てきてしまった。ぼくは、勝手に入ったことをおこられるかと思ってビクビクだったけれど、意外にも、おばさんにおこられたのはジョンの方だった。
「ジョン! やめなさい!」
ジョンはしぶしぶぼくからはなれ、地面に腹ばいになって、こっちを見ている。
「ごめんなさいね。だいじょうぶ? 」
「だいじょうぶです。なめてくれてただけだから。それより、悪いのはぼくの方です。勝手に入っちゃって……。」
「何かご用?」
「実は、ぼくの革のグローブがなくなっちゃって、ひょっとしたら、ジョンがくわえていってないかと思って……」
「どうかしら。犬小屋の中を見てみましょうかねえ。」
おばさんとぼくがのぞきこんだが、小屋の中には何もなかった。
「ごめんなさい。うたがったりして。」
ぼくがあやまると、おばさんは手をふって言った。
「いいのよ。だって、ジョンは今までにいっぱいめいわくかけてるんだから。」
おばさんはそう言うけど、ぼくはジョンにももうしわけなかった。
「ジョンもストレスがたまってるのかねえ。」
「え? ストレス?」
「ジョンはもともと、息子が飼ってた犬なの。でも、息子が遠くの大学に行っちゃってね。かわいがってもらってたから、さびしいみたい。散歩にも連れていってもらえないし。前は、よその家のくつをくわえてくるなんてこと、なかったんだけど……。息子が高校生のころ、革靴をはいてたから、それでかしらねえ……」
ぼくを見上げるジョンの目はとってもさびしそうだった。ひょっとしたら、ぼくも、こんな目をして、野球をしているみんなを見ていたのかもしれない。
「ねえ、ぼく、時々、ジョンを散歩に連れていってもいいかな。」
「そうしてくれたら助かるけれど、めいわくじゃない?」
「運動不足解消にちょうどいいし、ジョンも喜ぶと思うよ。」
そんなわけで、ぼくとジョンは時々いっしょに散歩をするようになった。
でも、ジョンじゃないのなら、誰がやったんだろう。やっぱり、グローブをほしがるのは子供かな。この近くでそんなことする子がいるかなあ。
あやしいといえば、10月から町内に引っこして来た石川っていう3年生、もう1週間もたつのに、一度も学校に来ていない。顔を見たこともない。絶対あやしいよなあ。きっと変なやつなんだろうなあ。ぼくのグローブを盗んだのは、石川ってやつかもしれない。
ぼくは石川の家に行ってみた。門のところからそーっとのぞきこんだ。けっこう広い庭だ。ここならキャッチボールだってできそうだ。
どうしようかと思っていると、玄関のドアがあいて、男の子が出てきた。目が合った。とたんにその子はクルリと向きを変えて家の中に入ろうとした。あやしい。これは絶対にあやしい。
「待てよ。何で逃げるんだよ!」
その子はふりかえって言った。
「ぼくが学校に行かないのをおこってるんだろう?」
「え? そういうわけじゃないけど……」
「ぼくだって、学校に行きたいんだ。」
「じゃあ、何で来ないの?」
「行こうとしたよ。でも……」
「でも?」
「……でも、家を出たとたんに、でっかい犬がとびかかってきたんだ。必死で逃げて、家の中に入ったから助かったけれど、またあの犬がいるんじゃないかと思うとこわくて……」
「その犬って、黒い犬?」
「うん。ぼくより大きかったよ。」
きっとジョンだ。ジョンはこの子に遊んでほしかったんだろう。
「その犬ならだいじょうぶだよ。ぼくも、前、とびかかられたけれど、なめられただけだった。あいつ、さびしがりやで、ただ遊んでほしいだけなんだ。」
「本当?」
「本当さ。心配なら、朝、ぼくがむかえにきてやるよ。ぼくんち、すぐそこなんだ。」
石川君の顔がパッと明るくなった。
石川君は学校に行けるようになった。もう、ジョンとも、すっかり仲良しだ。
犬がこわくて外に出られなかった石川君が、公園に来れるわけがない。じゃあ、誰なんだろう。
ある日、ぼくがジョンと散歩をしていると、あの公園のベンチに、金髪の兄ちゃんがすわっていた。近所の中学生だ。前、タバコをすってるのを見たこともある。あんなやつなら、人のものをとることなんて、平気でできるのかもしれないな。でも、こわくてとてもたしかめられない。
遠回りして行こうとしたとたん、ジョンが猛然と金髪兄ちゃんめざしてかけだした。こいつ、警察犬のつもりなんだろうか。ぼくが止めるのもふりきって、走っていき、金髪兄ちゃんにとびかかった。
ジョンは兄ちゃんを押したおし……ぺろぺろなめだした。
「くすぐったいぞ。こら、やめろよ。お前、久しぶりだな。最近、全然見なかったけど、どうしてたんだ?」
兄ちゃんは楽しそうにジョンとじゃれている。ぼうぜんと見ているぼくに気づいて、兄ちゃんは、はっと、表情をかたくした。
「何だよ、お前。」
「あの、ぼく……、その犬、ジョンっていうんだけど、その犬を散歩させてたんだ。」
「お前、こいつの飼い主なのか?」
「そうじゃないんだけど……」
ぼくからいきさつを聞いた兄ちゃんの顔が、優しい顔になった。
「そうだったのか。よかったな。最近姿を見なかったから、病気にでもなったのかと思ってたぜ。」
「ジョンのこと、よく知ってたの?」
「時々この公園で会ってた。」
「ふーん。それで、ジョン、なつかしくて走っていったんだね。」
その日から、その公園はぼくとジョンの散歩コースに加えられた。そして時には、兄ちゃんと石川君も散歩に加わった。
兄ちゃんの名前は加藤タカシと言うのだそうだ。名前を聞いて、ぼくが低学年のころ、登校班でいっしょに小学校に行ってたことを思い出した。昔とずいぶんイメージがちがうので、言われるまでわからなかった。でも、加藤君がジョンを見る目はとても優しい。こわくて近よれなかったのが、まるでうそのようだ。
加藤君と何度か会ううちに、ぼくは、最初、グローブを盗んだんじゃないかとうたがったことをもうしわけないと思うようになった。
ある日、ぼくは、思い切って、加藤君に言った。ぼくと父さんの大切なグローブのこと、それを盗んだ犯人をさがしていること、そして、実は、加藤君をうたがっていたことを。
「お前、何で今さらそんなことを言うんだ?」
加藤君の目がこわかった。
「ぼ、ぼく、悪かったなって思って……あやまりたいと思って……。加藤君、そんなことする人じゃないのに、勝手に思いこんじゃって……ご、ごめんなさい。」
加藤君は前を向いたままだまってしまい、何も言わない。あいかわらずきつい目だ。長い長い沈黙の後、加藤君が言った。
「おれ、お前のグローブは、とってない。でも、おれは、今、お前が思ってくれてるような人間じゃない。」
「えっ?」
「人をなぐってケガさせたこともあるし、中学校の窓ガラスをわざと割ったことも何度もある。それに……」
加藤君の目は悲しそうだった。
「店の品物を万引きしたこともある。つまり、おれはそういうやつなんだ。」
ぼくはどう言ったらいいのか分からなかった。
「でもな、お前のグローブは盗んでない。それは、信じてくれ。」
真剣な加藤君の言葉に、ぼくはうなずいた。
「うん、信じる。」
加藤君は遠くを見ながら言った。
「キャッチボールかあ……。おれも昔は野球部でよくやったよ。今も部屋のどこかにグローブはあるだろうなあ。でも、おやじとキャッチボールなんて、考えられない……。」
さみしそうな加藤君の目は、だれかににている。そうだ、あのときのジョンの目。初めて会った時の石川君の目。見ているぼくの方がせつなくなってきた。
じゃあ、だれがグローブを盗んだんだろう。あのとき、ぼくと父さんがボールを拾いに行ったのはせいぜい5分ぐらいだった。その短時間になくなるということは、あの公園の近くの家の人があやしいのでは? 公園の横の家には松村というおじいさんが住んでいる。自分の孫にやろうと思ってとったのかもしれないぞ。とりあえず、話を聞いて見よう。松村さんが犯人じゃないとしても、何かてがかりを知ってるかもしれない。
松村さんは庭で盆栽の手入れをしていた。
「10月最初の日曜日、公園に置いてたぼくと父さんのグローブがなくなったんだけど、何か知りませんか?」
「さあ……、おぼえてないなあ。どんなようすだったのか、くわしく教えておくれ。」
ぼくが話すのを聞いた松村さんは、ぼくをじっと見て言った。
「ぼうや、ひょっとして、わしがとったと思っとるんじゃないのか?」
ぼくはドギマギして、何も言えずうつむいた。松村さんはカラカラと笑った。
「どうやら図星のようだの。だが、それはおかどちがいじゃ。わしはこの通りの年だから、グローブなどいらんわい。昔は息子とキャッチボールをしたこともあるが、今は一人暮らし、息子も孫も遠くにいて、めったに帰ってはこんしのう。」
「ご、ごめんなさい!」
「それにしてもひどいやつがおるもんだ。」
しみじみと言ってくれる松村さんの声を聞いて、ぼくは何とも言えない気持ちになった。
「ぼく、何だかいやになってきちゃった。」
「盗んだやつに腹がたっとるんじゃなあ。」
「そうじゃないんだ。ぼく、自分で自分がいやになっちゃった。人のことをうたがうばっかりして、変な目で見て……。ぼくって、最低なやつだ。」
本当に自分が情けなくなってきた。探偵きどりで勝手に人をうたがって……。いつからこんなやつになっちゃったんだろう。
「まあ、お茶でも飲みなさい。ちょうど、わしも休憩しようと思っとったところだ。」
松村さんがいれてくれたお茶はおいしくて、心の中まであったかくなった。ぼくは今までのことをみんな話した。松村さんはうなずきながら熱心に聞いてくれた。
「人間っちゅうのは弱い生き物だからなあ。一人でいるとどうしてもよけいそうなる。加藤のぼうやも、きっとつらいことがあるんだろうなあ。」
「何があるんだろう?」
「さあなあ……。人に言えないからよけいにつらいんじゃろうなあ。言えば少しは楽になるのかもしれんが、言う相手がいないのかもしれん。わしだってそうさ。こんなふうに、誰かとゆっくり話をするのも久しぶりだ。」
松村さんもさみしいのかもしれない。
「ぼうやのグローブを盗んだやつはどんな人間かなあ。」
ぼくは今まで、「誰が盗んだか」ということばかり考えてたけれど、松村さんの言葉を聞いて、はっとした。
盗んだのはどんな人なんだろう。
どんなことを思い、どんなことを考え、どんなふうに生きているんだろう。
ひょっとしたら、とってもさみしい人なんじゃないだろうか。
誰かといっしょに、キャッチボールをしたいのだろうか。
その夜、ぼくは夢を見た。誰かがぼくと父さんのグローブを使ってキャッチボールをしていた。大きな人と、ぼくぐらいの子供。顔はよくわからない。でも、二人が楽しんでることは、なぜかわかった。時々ボールがそれることもあったが、根気よく、そのキャッチボールはいつまでも続いた。夢の中のぼくはそれをずっと見ていた。
何日かして、ぼくはジョンをつれて松村さんの家に遊びに行った。ジョンは松村さんに頭をなでてもらってうれしそうだ。
「そうだ、いいものがあるんだ。」
そう言って松村さんは部屋のおくから古ぼけた紙ぶくろを持ってきた。その中にはよく使いこまれたグローブが二つ入っていた。
「わしと息子が昔使ってたやつだよ。古いもんだが使えんことはない。よかったら、ぼうやと父さんとで使ってくれ。」
「えっ? ほんとに? これ、ぼくがもらってもいいの?」
「いいとも。そのためにさがしだしたんだから。」
「ありがとう! 大切に使います!」
次の日曜日から、また、ぼくと父さんのキャッチボールが再開した。
平日は加藤君が相手をしてくれることもある。加藤君が本気で投げたボールが、2回に1回はとれるようになった。
ジョンとの散歩も続いている。ぼくの都合が悪い日は、石川君や加藤君が代わりに散歩させてくれることもあるので、ジョンはとっても満足そうだ。散歩コースには、松村さんの家も加わった。
ぼくと父さんのグローブはやっぱり出てこない。誰がとったのかもわからない。
でも、ぼくは、グローブよりももっと大切なものと、たくさん出会うことができた。ジョン、石川君、加藤君、松村さん。みんなのいろんな思いを知ることができた。ぼくのまわりにはこんなにもいろんな人がいたんだ。何だか世界が急に広くなったような気がする。ぼくはこれから先、どんな人と出会うのだろう。そう考えたら、ワクワクしてくる。
グローブを持っていった君、君は今どうしているんだい?
誰かとキャッチボールできたかなあ。
君のまわりにはどんな人がいるのだろう?
どうぞ、君が、ぼくみたいにいろんな人と出会えますように。
君の心があったかくなるような、ステキな出会いがありますように。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
評価・感想などいただけると嬉しいです。
長編連載小説「ねこたま市縁起」【ヒューマンドラマ】を投稿していますので、そちらも読んでいただけると嬉しいです。人と人、人と猫がつながり、街おこしをするというお話です。
2020/01/18、完結しました。よろしくお願いします。