第5話 種は冬越え
「お待たせ」
「ううん、私もついさっき来たとこ」
つい最近にも読んだ恋愛漫画なんかでデートでは定番となっていた、「お待たせ」「今来たとこ」という一会話。今は「お待たせ」「ついさっき来たとこ」が主流である。相手に気を使わせず、かつ楽しみだったから少し早く来たのだとアピールができるとかなんとか。
ちなみに程度の話だが、待ち合わせ場所で夏織の姿を確認したのは十二時半。俺は純粋に遅刻しないようと注意の為早く来たのだが、それより早くベンチに腰掛けていた夏織の意図は、移動中の会話の一つとして訊いてみることにしようと思う。
「どっか行きたいとこある?」
「んー……佑は?」
「俺は特に」
「どうしよっか」
「どうしような」
二人して一日の計画を立てるのが苦手だということが互い間で発覚し、行く先は当日の気分に任せるということで一致した。
言うだけ言って思考力を女心の理解に回そうなどとは別段思わず、逆にうんうん唸っている夏織の私服を眺めている。いちいち仕草が大げさというか、おもしろい。
セナがいれば、と一瞬いつものようにセナに頼ろうとしてしまったが、今日は二人きりでと夏織からはっきり断られたこともあり、セナはデイジーを入手してから初めての留守番、俺は初めてセナ無しの外出。
セナで思い出した。昨日の夜、グループトークにおかしなノリの凄まじい文字数が流れていたこと、さらに、内容が今日の為にという名目で、その実は夏織が見たらお怒りになるであろうものだったことを。
途中で追うのをやめて寝てしまったが、十五字を五十行にも及ぶプライバシーマーライオンで送られてきた、夏織から聞いたより少し詳細な情報は多少記憶している。
誕生日は十二月七日、俺より一歳半下になる。冬生まれなのに名前は夏というのが不思議だが、それはさておき。
好きなものは本人からも少しだけ聞いているが、食べ物の中ではパフェなどのスイーツ全般やら果物類、苦手な物は逆にコーヒーその他苦い物。ただし、ココアを使ったカフェモカはよく飲むらしい。俺もココアとコーヒーを買ってきて試してみたが、意外と美味しかった。個人的にはコーヒー二とココア一が好み。
あとは趣味。映画鑑賞が好きと言っていた。どんなジャンルかまでは聞いていないが、本人が言うにはホラーが絶対無理だそうで――
結論、ホラー映画で決まりだ。
「そいや、映画好きって言ってたよな。今人気小説の劇場版やってるんだけど、どう?」
「見たーい!」
「じゃ、映画館で決定」
「うん」
無論、夏織を怖がらせたい一心で提案したわけではない。
公開から二か月で興行収入三十億円を突破し、ネット上での評判も悪くない。はまる人にはとことんはまり、そうでない人には刺さらないような作品だが、夏織の感性が俺に似ている可能性に賭けた。
根っからのホラーではなく、予告やらキービジュアルやらはあくまで恋愛物を装い、原作を知らない人間は必ず騙されるように、でも事実を知った後思い出すと所々おかしかったといううまい脚本で、中盤からホラー要素を孕むヒューマンドラマに変貌する。
その鬼才を魅せた監督の名は瞬く間に広まった。
「あ、これ聞いたことある」
その噂は、おそらく夏織の目にも少しくらいは映っていただろうと思っていた。
俺が指差す先を見た夏織は興味津々といった様子でポスターを十秒程じっと眺め、「んー」と情報を整理するように唸って、
「これは、雰囲気だけなら私好みかも」
「多分気に入ると思う」
「佑は見たことあるの?」
「一回だけな。実を言うと、もう一回みたくなったという自分本位な理由もあって勧めた」
「へえー、それは楽しみだなぁ?」
意地悪く期待を述べる夏織。
万が一お気に召さなかった場合、苦手なジャンルを知ったうえでそれを悪意混じりに勧めたクズ男認定は免れない。ならリスクを負ってまでするなよ、と我ながら突っ込みを入れたいような気もするが、なんというか、見終わったあとの夏織の顔が目に浮かんだのだ。
最終手段としては、誠心誠意平謝りする所存である。
次の上映時間までは三十分程度の余裕があるものの、自動券売機の前はそこそこ賑わっている。早いに越したことはないだろうと、割り勘で互いに納得し合ってから最後尾につく。
およそ五分くらいだろうか、操作に手こずる機械音痴風な数名を眺めながら、特に会話も無くして券売機の前に立った。かくいう俺も映画館など利用した経験は乏しく、前に見にきた時はセナの指示に従っていただけのために自信も無い。故に、足繁く通っているであろう夏織に任せて一歩斜め後ろで夏織の手元を無意味に凝視。
「席はどこでもいい?」
「お任せで」
別に見れさえすれば構わないだろうと簡潔に答えた俺の目に映ったのは、【カップルシート】と書かれたボタン。
まあ、少なくとも今の俺には関係ないよなーなんて考えていると、あろうことか、そのボタンに夏織の細い指が触れた。
カッと軽い音がして、見間違いだと目を疑いつつも夏織が取り出し口から手に取ったチケットを見ると、それはもうがっつりと「カップル」の文字が。
「あの、夏織さん?」
「うん?」
「なんでカップルシート」
「んー……一回使ってみたかったから、かな」
「あ、そう」
なるほど。確かに映画館オタクみたいなのがいてもおかしくはないな。映画館を渡り歩くとか、プレミアムシート使ってみるとか、そういう類の。
いや、初めて一緒に出かける相手とカップルシートなんて真似は、好意があればこそ逆に慎重にいくものでは。
……夏織も特に恥ずかしがっている様子もみえないし、気にしたら負けということで。
あとは飲み物とポップコーンという昔ながらの組み合わせを購入し、ついでに手を拭く為の無料のおしぼり二枚持って、チケットを摘まんでいる夏織の先導で席へ向かう。
カップルシートと一概にいっても、普通の座席を二つ繋げた程度な物もあるだろうし。と先入観で作り上げた俺の心許ない安寧を容赦なくぶち壊してくれたのは、ホテルの一部を切り抜いてきたかのようにカップルしているカップルシート。まさしく男女がイチャラブするために用意されたのだと主張している、一般席とは隔絶された異様な空間。
「おおー。一回使っていたかったんだよね、このシート」
「いやまあ、快適そうではあるけれども……」
クッションとミニテーブルが設置されており、それなりにリラックスして映画を見ることができるのは間違いないし、夏織が使ってみたかったというのはわからないでもない。
ただ、そこに知り合って一週間も経たない男と一緒に座ろうというのに、そんなことには目もくれず我先にとどっかり座り込んだ夏織の心情は全くの不明である。
さてこの状況どうすべきかと立ち尽くす俺を見て、夏織は空いている右側の席をぽんぽんと二回叩き、
「遠慮しないで、どうぞ」
本当に意識していないのか、あるいはそう装っているのかは暗い劇場内では判断がつきにくい中で、声はあっけらかんとしている。嫌でも意識せざるを得ない自分が馬鹿馬鹿しくなるようなくらいに。
とはいえ、棒立ちのまま一時間弱を過ごすのはいくらなんでも迷惑になるし、何より足腰が死にそうで、意を決し肘置きに腰から横腹を擦らせながら座った。
夏織のココアの横にコーヒーを置き、ポップコーンは互いが取りやすいよう脚と脚の間に。アミューズメント施設ならではの幅広な器は、普通に座れば肘を曲げたままでも届きそうなものだが、腕を若干伸ばさなければ届きそうにない半端な位置にある。
夏織の怪訝な眼差しを感じるような感じないような緊張感を覚えるも、上映開始までは推定五分はある。何かをしている時の五分とは違って、こんな状況での五分はやたら長い。
いたたまれず、大画面に流れる騒がしい広告が支配する空間の中に、息多めの声を吐き出した。
「夏織さ、待ち合わせ場所に来るのすごい早かったよな。俺も結構早めに出たつもりだったからちょっと驚いた」
「なんだか緊張しちゃって。家にいると落ち着かなかったの」
「全然そうは見えないけど」
「ほんと? 実は今もちょっと口カラカラなんだけど、うまく隠せてたんだ」
「そればらしちゃダメなのでは」
「あっ」
潜めながらの会話の最後に地声で短い母音を出し、誤魔化すようにストローを咥える夏織。
落ち着かない具合に腹部の辺りで両手を絡める夏織。目はスクリーンをぼうっと眺めていて、再度話を振るのも難しい。とりあえずは早く肘置きから離せと痛みを発する横腹部に従って、ほんの数センチだけ座席の中心に寄る。
僅か親指程度の距離だけ近づいた俺たちの物理的距離を確認したかのように広告が終わり、劇場内の照明はいっそう暗く落とされた。
恋の予感を垂れ流す序盤十五分が終わり、いよいよ本番である中盤に差し掛かった。
猛烈に印象的で鮮明に記憶に残っている展開などそっちのけで、雲行きが怪しくなる映画より夏織の反応を横目に捉え続ける。とうに中身が無くなったカップに残った氷を一つ頬張り、やたら乾く喉を潤す努力は怠らない。
一方の夏織は、初めて見た時の俺と同じように序盤でしっかりと引き込まれ、カップルシートでありながら恋の匂いなど微塵も無く。
満を持して、ホラー恋愛にジャンルを変えた映画。
初見のほとんどは、ここで初めて登場人物の会話が微妙に噛み合わなかった理由を知る。同時に、一見すると急展開にしか見えないようで練りに練られた展開が、刺さった人を沼へと引きずり込むのだ。
ただ、目に映る夏織の顔は、俺が想像していたものとは全く異なるもの。
驚くでもなく、怖がるでもなく、ただただ最高の笑顔で見入っていた。
簡単な話、夏織の方が一枚上手だっただけの話。
そう気づいた俺は、以降スクリーンから目を離すことは無かった。
「おもしろかったぁー!」
腕を頭上に上げ背を伸ばす夏織は、それはそれは楽しんでくれたようで。狙い通りとはいかなかったものの、俺は俺で二度目の鑑賞を楽しんだのでまあ良し。
「それはよかった」
「ん、どうかした? 浮かない顔して」
「いや、見事に騙されたなって」
俺の返答に対し、夏織は二ッと口角を上げ、強気な笑みで言う。
「ホラーが苦手って言うとね、みんなすっごい怖いの勧めてくれるんだ」
「……完敗です」
「騙してごめんね。意地悪されるとし返したくなっちゃうんだよ」
「まあ、俺も騙そうとしたのは事実だし」
「そうだねー。でも、これに懲りずもっと怖いのあったら教えてくれると嬉しいな」
因果応報というやつか、けれども悪い気はしない。なぜかと言われれば、それは夏織の嬉しそうな顔を見たら騙されてしまって良かったと思ってしまったから。
「……まだ三時前だけど、どうする?」
「佑が辛くなければ、次は私のおすすめとかどうかな」
「なら、次は普通席で頼みたい」
二本目は夏織が気になっていたらしい某小説を原作とした物を、またしてもカップルシートで見ることになった。夏織が俺の希望を完全無視しようとした場合はなんとか阻止しようと気を構えていたのだが、洗練された流れるような手つきに追いつけるはずもなかったのだ。
さすが夏織の一押しだけあって、二時間の間、退屈するようなことはまるで無かった。
夏織自身も初めて見た作品ではあったらしいものの、前評判からの期待に十分応えてくれたとご満悦の様子。
そんな興奮気味の夏織に伝えたのは悪手だったのだろう、「映画って結構おもしろいんだなー」とぽつり呟いたのを聞き逃さなかった夏織が、食い気味に感想を語りながら他のおすすめ作品を次々に出してくる。
「ちょっと待って、さすがに覚え切れないから」
「じゃあ、あとでまとめてから送るね」
「あー、っと……もしよかったらなんだけど、今後も一緒に見に来てくれると嬉しいな。一人で来る勇気はまだ無いし」
「――うん! じゃあ早速、次の日曜も佑の予定予約するね」
映画仲間ができたからか、あるいは俺からの誘いだからか、一体どちらの理由が作り出したのかはわからない。
ただ、夏織が浮かべる満面の笑顔を見て、心臓が小さく跳ねたのを自覚した。




