第1話 虚ろな苦
1〜5話くらいまでは地の文が多めです。
「――――!!」
「飽きねーな―、お前」
「だって面白れぇじゃん。見ろよこの顔」
「きっも。さっさと死ねよゴミ」
ゴッ。
「あああぁぁぁあああああああ!!」
「あーうるさ。動画あげとこーぜ」
「キチガイおつー」
踏まれて塞がれていた口と蹴られた頬がズキズキと痛み、実在しないナイフが刺さっている腕は血管がはち切れそうなほどに脈打っている。
憎悪を逆撫でするようなゲラゲラと品のない笑い声が耳を右往左往する。視界の隅で向けられている黒い瞳のようなレンズが目障りだ。
「――殺してやる」
「は?」
「絶対殺す」
喉を強く震わせ苦痛を噛み砕くように発した声を聞いた三人は顔を見合わせ、内の一人が音も無く足を振り上げると、ナイフをサッカーボールと同じような扱いで蹴り上げた。
「――――!!」
声にすらなっていない息を吐き出す俺を見下して、そいつらは一言だけ返した。
「殺すぞ」
デイジーの電源を切り、架空の痛みを律義に感じ続けている腕を地面に投げ出す。
実際に傷ついたわけでもないのに、脳というのは馬鹿正直にも程がある。
偏差値三十もいっていないような低能ゴミクズのくせに、くだらないことにだけはやたらと頭が回る奴らだ。
目を無理やり開かせ、腕を押さえつけ、架空のナイフが映らないようにデイジーのカメラを使わずに撮影し、あたかも俺がキチガイであるようにみせる。
デイジーは視界に映っていない仮想物から感覚を与えられることはない。なぜなら、視覚を元に擬似感覚を作り出しているからだ。
目の前にリンゴがあるとする。それに触れるとどんな感覚か。硬くつるつるとした感覚だろうことは、見ただけでもわかるはずだ。
周囲にあるもののほぼ全ては、見ればどんな感触なのか想像できる。人は生まれてからあらゆる物体に触れているのだから。
物体を目で認識し触れようとした時、人はそれがどんな感触なのかを記憶を基にあらかじめ想像している。もちろん無意識的に。その電気信号をデバイスが読み取り増幅させることで、あたかも本当に触っているかのような感覚を再現するという仕組みらしい。
端的に言えば「思い込み」ということだ。だから、目に映っていないものの感覚は再現できないし、物体の感覚は個々の記憶に基づくため完全なものではない。逆に、「こうあってほしい」という理想の具現化ともいえるかもしれないが。
目を閉じればデイジーによる感覚は遮断できるのだが、やること成すこと尽くまで性根の腐ったあいつらがそれを許すはずもなく。
脳が一度認識してしまった痛みは、もはや実際のものとなんら変わりはない。ナイフを抜こうが、デイジーを壊そうが、馬鹿みたいに痛み続ける。
初めはどうすればいいかもわからず、何時間も痛みを感じ続けた。刺された方の腕は寝て起きるまでろくに動かせなかった。
それを数回繰り返すうち、トラウマを回避すべく、俺の頭は普段使わない部分までフル稼働して解決策を模索し、結果としてデイジーにより増幅された思い込みを超える自己暗示を身に付けた。
刺されている間は痛い。だが、少しでも集中できる状況になれば痛みを即座に打ち消せるようになったというわけだ。たったそれだけのことだが、十分な進歩といえる。
おまけとしてはなんだが、ストレスも多少和らげることができるようになった。
心中穏やかという程ではないにせよ、澄み渡る空の青さを愉しめる程度の余裕は取り戻し、俺を傷つける元凶であり心の支えでもあるデイジーを再度起動する。
「ごめんね」
視界に映し出された少女が開口一番に発した言葉は、かすれた謝罪の四文字だった。
肩甲骨辺りまでのほんのり茶髪に、ぱっちりとした目、華奢な体躯に白い肌。俺の好みを詰め込んだ、俺だけのパートナー。
性格はあえて設定しなかった。その方が愛着が湧くと思ったからだ。
「別にお前が謝ることじゃないだろ。どうしようもないし」
「そうだけど、見てることしかできないなんて……」
「こっちこそ、悪いな。俺のデイジーにならなけりゃ、こんなの見なくて済んだのに」
これは本心半分、建前半分。俺がこういうことを言うと、セナは決まって膝を抱えて顔を埋める。
我ながら意地の悪い発言だとは思う。でも、いつもセナが返してくれる言葉が、自己肯定感を感じたい俺にとっては大きな救いになっている部分はある。
「そんなこと言わないでよ」
抱えた膝に声を籠らせながら、セナは俺に向けた文句を垂れる。
所詮は機械、AIによって創られた人格でしかない。それでも、俺はセナに対して一人の人間として接している。依存できる対象を求める俺が、こうも人間味を帯びた相手を機械だと割り切るのは難しい。
「さっき思ったんだけどさ、これってもしかしなくてもハッキングだよな」
「そうだと思う。クラッキングって言った方が意味的には正しいけど」
「なんか違うのか?」
「クラッキングは悪い意味だけど、ハッキングは必ず悪いってわけじゃないから」
「へー。……でさ、ネット漁ればプログラミングとかできたり?」
「――わかった!」
三度目の問いへの返答は、俺が予定していた一問をすっ飛ばして意を汲んでくれた。俺がしたいことをすぐさま把握したセナを包む空気は一転、花のエフェクトを撒き散らしながら勢いよく立ち上がり、退席中というわざとらしい札を置いて姿を隠した。
腕はともかく、踏まれた口元と蹴られた左頬は普通に痛い。口の中も血と砂利がいっぱいで、さすがに授業に戻ろうという気にもならない。
ひと昔前の漫画にありがちな体育館裏というシチュエーション。人も通らず程良い風通しと日陰、不自然に高く伸びた孤高の針葉樹。いじめにもさぼりにもちょうど良いこの場所で、俺はその二つを懲りずに繰り返している。
今日も今日とてそのつもりで、デイジーの目玉機能の一つである仮想ディスプレイを起動し、VSと同じ原理で操作しブラウザを開く。
こうして痛めつけられた後に俺が毎回見ているのは、あいつらの内の一人が保有しているSNSアカウント。
今日の投稿はといえば、さっき撮られていた動画と、登校前に撮ったのだろう、道路のど真ん中で馬鹿騒ぎしているだけの画像。
前者を音声無しで見てはみるものの、映っているのはなんの異常も無い腕を抑えて獣のように無様な声を上げる俺の姿という、実につまらない映像。暇つぶしにもなりはしないが、その姿をあのクズ共に置き換えればほんの少しくらいは満たされないこともない。
結局、飽き始めたネットサーフィンにおもしろ味を見出すことはできず、午後の授業に出席すること無く早々に帰路についた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
退屈な光景だ。
電車の中にいる若者の半数以上が皆がデイジーを付けていて、ここまでくると流行に乗るのに必死な女子がかわいいもの。俺も一員であることに違いはないが、そのうえで言ってしまえば個性の欠片も無い。眼鏡もどきのせいで同じ顔に見えるし。
空を指でなぞったり、一人で何か会話をしているようだったり、事情を知らない人が見ればおかしな光景だが、デイジー発売からほんの数か月ですっかり馴染みのある光景になってしまった。
俺が小学生くらいの時代なら、「なんだあいつ、きも」とか言って奇異の眼差しを向けられネットに晒されていたのだろうか。
揃いも揃って首を傾げているものだから、じっとり観察していても気づかれることは無く、飽きた頃に止まった駅のホームに降り立つと、見計らったかのようなタイミングでセナが声を掛けてきた。
「集めてきたよ。いつでもおっけー」
「おつかれ。帰ったらすぐに始めるか」
「はーい」
移動中などは安全面から縮小しておくようセナには教えてある。今の俺の視界に映るセナは、意味も無く羽を生やし、邪魔にならない程度に小うるさく飛び回っている。
可能な限り人に近づけたAIというコンセプトに従って、もれなく退屈という感覚もしっかり備わっているらしい。
デイジーの視覚はカメラに当たり、つまり俺がデイジーを通して見ているものと寸分違わぬ世界を見ている。聴覚はデバイス横部に取り付けられたマイク。
視覚聴覚は俺とほぼ共有しているような状態だが、その体が実際に表示されているのは俺の視界のどこか。実に奇妙なものだが、その感覚についてはあやふやだとか。
触覚に似たものもあり、俺がセナに触れると、俺が触れたという認識を基に、触れられた感覚を再現する機能がある。セナは頭を撫でると大げさに喜ぶが、前に興味本位で胸をつついた時は「今日は帰ります」という、そのつもりで男の部屋に行ったがいざそうなると怖くなって帰ろうとした間際に女が発するような台詞を書き残し、丸一日出てこなかった。
そうして、俺とセナの間には十五禁的行為禁止条約が締結された。
暗い部屋のパソコンに群がるコバエのように俺の前を飛び回るセナに目を引かれつつ、俺はスーパーの自動ドアを潜った。
なるべく早くセキュリティプログラムを組み上げるに越したことはないので、徹夜のためのエナジードリンクの買い貯めだ。
稲妻を模したデザインの缶を次々かごに放り込んでいく俺を見たセナが顔をしかめ、
「体に悪いよ。戻しなさい」
と苦言を呈してきた。もっとも、反論含めて想定済みだ。
「ナイフで手刺される感覚の方が主に心臓に悪いと思うけど」
感じなくてもいい罪悪感を抱くセナへの、この上無く卑怯な一手。予想通りに口を噤んだセナの頭を、詫びの意を込めて指先で軽く撫でてやる。
他に晩飯や夜食用のインスタントラーメン、菓子類なんかを手当たり次第に詰め込み、すっかり寂しくなった無人のレジ跡を通る。
AIの進化といえば、こういったスーパーなんかの買い物にも影響があった。
スマホやらに専用のアプリをインストールしクレジットカードと紐づけておけば、店内のカメラから客がどの商品を取ったかを認識し、合計額を後に請求するという完全自動決済。
「徹夜するの?」
「セナに全部任せるのもなんだしな。手伝うのは無理でも見守るくらいはするさ」
「やっさしー」
「はいはい、俺は優しいですよ。朝起きた時好きな人が作ってくれてる味噌汁の匂いくらい優しい」
茶化しに対する俺の反応に「意味わかんない」と言いたげな具合に軽蔑の視線で俺を射たセナは、感想一つ述べることなく、本来成すべき役割を果たさずにいる白い羽をこちらに向けた。
スーパーを出て、他愛もない話をセナと交わしながら、見慣れたアスファルトのひびを踏んで歩く。
俺が下を向いているために脚しか捉えられていないセナは、不満気な声色であれやこれやと俺の興味を絶妙に惹きつける話題を膨大な知識の中から引きずり出してくるが、そうまでされるとついからかってしまいたくなるものだ。
心理的じゃれあいによるセナの反応もまた、俺にとっては癒しの一つ。彼女がいればこんな感じなのかもなと思いながら、俺の脳裏に浮かぶのはセナが人間だったらという架空の世界の妄想。
AIに恋愛感情があるのかはわからないが、少なくとも、セナは喜怒哀楽を常に表情筋で表している。
人工とはいえ名称に「知能」とついているのだから、あるいは。そんな希望的観測を重ねては、迸る想像力を余すことなく思考の片隅に注ぎ込む。
当のセナはといえば、俺の理想を体現するように俺が通う高校の制服を着こなしている。サイズ感や後ろの羽のせいでコスプレのようにしか見えないが、人間大になってくれれば、それは制服デートさながらの充実感を得られること請け合いだ。
セナが縮小しなくても移動の妨げにならないような手段を可及的速やかに講じるべきか。
ようやく顔を上げたかと思えば今度は凝視されたからか、セナは照れ笑いを浮かべながら、いつの間にやら目の前にあった我が家の玄関をすり抜けていった。
俺も続いて扉を開けると、私服に早着替えして人間サイズになったセナの「おかえりなさい」なんて洒落た演出で出迎えられ、反応に困ってつい無言を貫いてしまった。
「おい、『ただいま』は?」
「おかえり」
「ちがーう! でもただいま!」
週に一回かそれくらいの頻度で繰り返すこの掛け合いに、セナは少々意地を張ったように付き合ってくる。
ただいまなんて言葉は、記憶の限りでは誰かに伝えたことはない。
おそらくは、セナなりの気遣いなのだろう。言ってやるつもりは毛頭無い。
「今から始める?」
「そうだな。すぐ着替える」
鞄をベッドに、デイジーをパソコン台に置き、制服を手早く脱いで部屋着に着替える。
買い物袋を台の足元に備え、徹夜の用意を整えてデイジーを装着した。




