第13話 花言葉
十二月四日土曜日、午前十時。
普段は一切として立ち入ることの無い領域、ショッピングモール。開店早々よくもまあ賑わう空間で、目当ての物を探すべくアクセサリーショップに入った。
人にプレゼントなぞ送ったことも無く、親以外からもらったことも無く、何を渡せばいいのかわからず。
マフラーなんかが定番中の定番だが、先週のデートで夏織がつけていたマフラーは、おそらく美咲からもらったものだろう。となれば、他の物を選ばざるをえない。
そこで思いついたのは、友人から恋仲に格上がった男女間であれば問題ないと思われる、アクセサリー類。
「アクセって、何がいいのやら」
「リングはさすがに重いし、そもそも指のサイズわかんないもんね。あとはネックレス、ブレスレット、ピアスあたり?」
「ピアスは抵抗あるだろうから、二択か」
「だねぇ。ま、いろいろ見ながら決めればいいんじゃない?」
情報担当、セナ。
あらゆる知識を持つハイパー知能の持ち主を相談役に、いざ最適解を導き出すべしというのも兼ねて連れてきた。
セナもセナで夏織にプレゼントを用意したいというので、二人合同で一つの物を用意しようかという話になったわけだ。
「どんなデザインがいいか……つか、夏織ってどんなのが好きなんだろうな」
「『夏織が好きな』じゃなくて、『夏織に似合いそうな』で探すのがいいと思う」
「似合いそうな……か。やっぱ夏に関係するものだよな」
「ひまわりとか?」
「あー、ひまわりか。……確かに、花言葉もいかにもって感じだしな」
「そうそう! いいよねぇ」
ひまわりを再現しているのか、体を立てにぐーっと伸ばし、最後に両手を広げるジェスチャーをするセナ。すると、セナの横にひまわりが咲いた。
夏織のプロフィールアイコンもひまわりの画像だ。イメージとしても、実際に夏織が好きそうな物としても合っている、おそらくはこの上なく最善の選択。
「ひまわり……ひまわり……」
ここで一つの問題。
決まったは良くても、肝心のひまわりを模ったアクセサリーが見当たらない。
「無いな」
「無いね」
店の中をぐるりぐるりぐるり三周。何百あるだろうかという商品一つ一つに目を通すも、求めている物は無かった。挙句には店員に「何かお探しですか?」と声を掛けられ要望を伝えるも、首を横に振られて撃沈。
そんな俺を見かねたのか、店員から一つの提案をされた。
「ハンドメイドに興味はありませんか?」
「ハンドメイド……ですか」
「無いなら作ればいいじゃない」とか言いそうな人物が身近に一人いるが、それはさておき、確かに手作りという手はアリだ。
ただ、懸念される点が二つ。
「難しくないですか?」
「使う物によっては意外と簡単ですよ」
「手作りって重くないですかね」
「それはわかりません。価値観は人それぞれですから」
当たり障りのない言葉で言いくるめるのではなく、ぴしゃりと正直に答える店員。その解で確信した。信用に値すると。
「詳しく教えてください」
「はい。まずチェーンに関しては、ハンドメイド用の物を当店でも取り扱っています。肝心なのはチャーム、飾りの部分ですね」
「それはどうすれば?」
「初心者向けはレジンを使ったものですね。作りやすい割に綺麗ですから」
説明をしながら、右手にチェーン、左手にレジンと思しき先の尖った小さい入れ物を持っている。
UVレジンというのは、名前だけ聞いたことがある。確か、光に当てることで硬化する、ハンドメイドに重宝される素材だったはずだ。
「セナ、レジンで作るとどんな感じになる?」
「えっとねー、こんなの」
ネットから引っ張ってきた画像数枚が順に表示され、その美しさに、束の間目を奪われてしまった。
宝石のように透き通った輝きは、空や海、宇宙といった自然から、独自のデザインまで千差万別。ただ、その全てが綺麗だった。
「すごいな……」
「どうですか?」
「買います」
レジン液を始めとした着色剤やその他諸々。セナの情報と店員の勧めを照らし合わせながら、十分な数を手に抱え、対価として云千円を手放した。
「――って、通販で探してもよかったんじゃない?」
「まあ、手作りの方が想いが詰められそうでいいだろ」
「ロマンチストは血筋、かぁ」
「だろうな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「夏織、誕生日おめでとーう!」
「おめでとう」
「おめでとー!」
「ありがとー」
十二月七日。美咲にとってはもちろん、俺とセナにとっても一年で特に大切になったこの日。
密かにサプライズなんかも考えていたりはしたのだが、美咲いわく、夏織はそういったものを好まないそうな。
最初から四人でああするこうする相談したうえで、放課後の五時から七時まで俺の家で実施という、考えるまでもなかった結論に落ち着いた。
テーブルの半分程に広げられた菓子やらグッズと、ラッピングされた箱一つ、袋一つ。
夜は夏織と美咲の家族が合同で誕生日会をするということで、飲み食いは控えめに。
「今年は誕生日会二回! 一日で誕生日二回! 贅沢ですなぁ」
「美咲もね」
「なら佑だけ一回か。かわいそう」
頭の悪い美咲の発言にセナが一言付け足すと、気づかなくてよかったことに気づいた美咲が、意気揚々と哀れみの視線を向けてくる。というと矛盾している気もするが、要は猛烈に腹立たしい表情ということ。
「って言っても、そのうち夏織の家族とも会うよね。来年の誕生日は佑も一緒にやってたりして」
「あー……そうなるのか」
三つ並んだ夏織お手製カフェラテの一つを飲みながら、美咲が言うところを想像する。
今はまだ時期尚早にしても、いずれは、おそらく来年の夏織の誕生日までには、夏織の家族と顔を合わせる機会が訪れるはず。
夏織を育てた両親や、夏織の性格に少なからず影響を与えたであろう姉なのだから、きっと尊敬に値する人たちだと思う。可能なら、その輪の隅にでも入っていけるだろうか。
「今日、来る?」
しかしながら、こういう場面のみならず、何かと積極的なのが夏織の良いところでもあり、同時に心臓を握り潰さんとしてくるおっかないところでもあって。
セナの「おー」と感心するような声と、美咲の「夏織やるぅ」と茶々を入れる声と、俺の沈黙。もとい混乱の吐息。
冗談だったりーなんて淡い期待は、夏織の無垢なようで奥深い眼差しによって一刀両断された。
指をもぞもぞと動かしたり、微かに恥じらいをみせてはいるものの……。
「……さすがに早くないか」
「そんなことないと思うよ。お母さんなんて、『愛があればなんでもオッケー』とか言ってる人だし」
「ん、んー……」
とりあえず、夏織の母君がどんなお方なのかは少し把握した。おそらく、二言目に「どこまでいった?」とか聞いてくるタイプの人。
夏織のほんのりサドっ気を纏った性格やら、家の雰囲気やらから察するに、母が家庭内の実権を握っているとみられる。その母が夏織の言う通りの人物なら、問題も無いとは思う。が、
「ちょっと考えとく」
「うん」
「へたれ」
そういえば、納豆味のうまそうな棒があったような。
「あ、ちょっ臭っ! 謝るから押し付けるのやめてぇ!」
クソ生意気な口に強烈な臭いを放つ棒を押し付け、これでもかと悪臭を塗りたくる。態度の割に小さな抵抗虚しく、細かなカスに装飾された口周りから漂う空気は、結構に臭い。
ざまあみろとほくそ笑みながら座り直した時、僅かに肩が触れた気がして、横目に映した夏織の顔。それは例えば、泥んこまみれになってはしゃぐ我が子を見守るような、困りながらも穏やかな笑みに見えた。
「だいぶ触れるようになったよね。今みたいに」
「まあ、今のは直接じゃないけどな」
「じゃあさ、どこまで触れるかやってみない?」
また藪から棒に言い出す美咲。
確かにかなり改善されてはきたものの、やはりまだ決め手に欠けるというか、付き合いたての初心なカップル程にも敵わない。
この半端さも半端さで悩みの種だというのに。
「手を握っていられた時間だけ、佑が好きなところを触れるってどうかな」
「馬鹿かおま――」
内容から美咲が言い放ったと反射的に思った提案の声。どうして、右から聞こえたのだろう。
そんな疑問を解決させる間なぞ与えるものかとでも言いたげに、触れたいが為に触れようとしてきた掌が向けられた。
「ご褒美があれば、頑張れそうじゃない?」
時に大胆さが見え隠れする夏織の言動にもそろそろ慣れたようで、まだまだ足りていなかったらしい。
沈黙。沈黙。沈黙。なぜかこんなときだけ野次が飛んでこない以上、沈黙を破ることを許されているのは俺だけ。
美咲に至っては、顔を赤くして完全にフリーズしている。実は下ネタに弱い系の人だったんだな、なんて。
――ここで逃げるようなら、トラウマなんて克服できるわけがない。
別にご褒美に釣られたとかではなく、ただ純粋にそんな想いが脳裏を過ぎって、夏織の手と同じ高さまで腕を上げる。
そっと、微かにだけ触れたように見える指先からは、何も感じない。フラッシュバックも無い。
今までは、ここから先へは進めないまま停滞していた。
今日は――
指の腹。
第一関節。
第二関節。
付け根。
掌。
汗ばんだ手を、握り込んで。繋いで。絡めて。
不思議と心臓は静かなままで、十秒、二十秒。
三十秒くらいが経って、急に脱力したように手が落ちた。
「十八秒。頑張ったね」
俺が長く永く感じただけで、実際は半分程度の時間だったらしい。だが、決して短い時間ではない。
離れた手はすぐそばに並び、爪先だけが確かに触れている。
「――セナ?」
ようやく発せられた美咲の声が指したのは、俺でもなく、夏織でもなく、セナだった。
そのセナからは、むせび泣くような、声になっていない声がして。かと思えば、それは途端に聞こえなくなった。
デイジーを覗き込んでみると、久し振りに見た【退席中】という看板が置かれているだけで、セナの姿は無い。
「……嬉しかったんだろうね」
「あいつなりに、トラウマの克服法とか調べてくれてたからな。ずっと」
「そっか」
本人は、俺が気づいていることに気づいていなかったようだが。
暗くこそなくもしんみりとした空気が漂い、ただ黙って待つこと数分。
静かな部屋の中にわざとらしく響いた「ピコン」という軽やかな音と直後、まるで葬式のようにデイジーを囲んで見つめていた俺たちに向けたセナの声。
「いやー、ごめんごめん。ちょっと感動しちゃって」
「わかるわかる。私もうるってきた」
セナに合わせて、美咲は片目を閉じて涙を拭うような素振りをみせる。
それっぽい同意ではあるのだが、全く以って嘘八百である。
「嘘つけ。このむっつりスケベ」
「なっ、違うし!」
「どうせ『好きなところ触る』ってのでやらしいこと考えてたんだろ」
「――っ!」
おちょくるつもりで言ってみたのだが、どうにも図星だったらしく、耳まで赤くして反論できずにいる美咲。
夏織からは篭った抑え気味の笑い声が漏れ、セナからは「え、ほんと?」と素で悪気の無い疑問符が浮かぶ。羞恥に耐え切れなくなったのか、美咲はソファーに伏せ、クッションに顔を埋めて唸った。
「それはそうとして、そろそろ本命に戻らない?」
「そうだな」
ふてくされてうつ伏せのままの美咲は、手に掴んだ袋を「……はい」と無愛想に差し出す。夏織がしっかり受け取ったことをちらりと確認すると、再度顔を隠し、完全に静止。
窒息しないか少しばかり心配しつつ、美咲に倣って、俺も用意していた掌大の箱を手に取った。
「これ、俺とセナから」
「ありがとう。開けていい?」
「どうぞ」
落とさないように、傷つけないようにとみえる繊細な手つきで、小さな箱を包む包装を紐解いていく夏織。最後の白い蓋を開けると、小さく口を開いて中身を取り出した。
何か訊きたそうに俺の方へ向き直った夏織の目を見ながら、その内容を予想して先に言う。
「手作りなんだけど、どう?」
「うそっ、手作り? すごい……!」
手の上にそっと乗せてまじまじと眺める横顔は、驚きと同時にそれ以上の喜びに溢れていて、重いと思われないか不安に感じていた俺は、密かに胸を撫で下ろした。
「佑、つけてくれない?」
「ん、わかった」
夏織から金色の鎖を優しく受け取り、背を向けて髪を攫った夏織の腕の隙間から通す。
小さな金具は、本来俺の手には余る。セナの手助けがあって初めてなんとかできるかという程度。だから、夏織の腕が疲れる前に練習の成果を発揮できて何よりだ。
「これ、ひまわり?」
「そう。夏織にぴったりだと思って」
「――大切にするね。ずっと」
《あなただけを見つめる》。きっと夏織も知っているだろう。
ひまわりは太陽の方を向くから、それが由来の花言葉。
それだけじゃない。ひまわりは太陽の場所を教えてくれるから、傍にいれば光を見失わずにいられる。
だから、俺だけの花言葉を込めようと思う。
導いてくれてありがとう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、二次会となる家族合同の方への誘いは断ることにした。
夏織と美咲の二人は事情を知っているとはいえ、わざわざ触れ回ることでもなし、かといって知らない人には、万が一のときに不快な思いをさせるかもしれないから。
代わりとして再度提案されたのは、「二十五日にクリスマスパーティーするから、その時にもしよかったら」というもの。それについては追々考えるとして――
「お前が泣くなんて初めてだよな。さすがに驚いた」
「一番驚いてるのは私だよ。まさか嬉し涙なんて機能がついてるとは思わなかったし」
自虐的に笑ってみせるセナは、まだ少し混乱しているような様子でもあるが、やはり喜びの色が強く出ている。
俺が言うのもなんだが、それだけ俺の為を思ってくれていたのだろう。
「私が二年かけてもできなかったのに、夏織ってやっぱりすごいや」
「お前には元から触れたんだから、どうしようも無かっただろ」
「そりゃそうなんだけどね。……本物の愛の力って、やっぱすごいなぁ」
「そうだな」
「私のは――――」
「なんて?」
「ううん、なんでもない」